第41章『女皇帝ルシエラ現る』
絶望の静寂がヘリングの中央広場を支配していた。
降り注ぐ漆黒の光の雨が雪原を焼き穿ち、崩れ落ちた風車とニシン加工場の残骸が赤黒い炎を上げて燃え盛る。 大地に倒れ伏し、吐血しながらも必死に身体を起こそうとするロゼッタとエミーナ。そして、ただ一人神剣『空斬刺鏡』を構え、膝を震わせながらも堕天使の化身・女皇帝ルシエラを睨みつけるシャルロッテ。
「クク……終わりだ、セレスティアの小娘ども。お前たちの抗いなど、夜空を掠める羽虫の羽ばたきにも満たぬ」
ルシエラが漆黒の翼を大きく広げ、その細い指先をシャルロッテの胸元へと向けた。指先に凝縮されるのは、存在そのものを無へと還す死の極大魔導。シャルロッテの全身の細胞が、逃れられぬ絶対の死を察知して激しく警鐘を鳴らしていた。
(ここまで、なのですか……。セレスティアの誇りも、ヘリングの民も……私の復讐も、すべてここで潰えるというのですか……!)
シャルロッテが死を覚悟し、静かに瞼を閉じかけたその瞬間――。
天から、透き通るような一筋の紫銀の光が降り注いだ。
ドォォォォンッ!!
ルシエラの放った死の魔導と、上空から落ちた光の槍が空中激突し、凄まじい衝撃波が爆発した。衝撃の余波で爆煙が巻き上がり、周囲の黒騎士たちがまとめて吹き飛ばされる。
「――そこまでにしなさいな、ルシエラ」
煙の煙幕を割って現れたのは、凛とした佇まいの美しき女性――ヴィオレッタであった。 紫銀の髪を夜風になびかせ、神秘的な輝きを纏う彼女は、傷ついたシャルロッテたちの前に滑り込むように立ち塞がった。彼女がただ一歩を踏み出しただけで、周囲を支配していたルシエラの圧倒的な威圧感が、まるで潮が引くように押し戻されていく。
「ヴィオレッタ……様……!?」 シャルロッテが目を見開く。
ルシエラは細い眉をぴくりと動かすと、浮かべていた冷酷な嘲笑を消し去り、底知れぬ警戒を孕んだ瞳でヴィオレッタを凝視した。
「……ほう。誰かと思えば、お前か。久しぶりだな――『御玉』」
ルシエラの口から漏れ出たその呼び名に、ヴィオレッタは幽玄な笑みを浮かべ、静かに返した。
「お久しぶりね――『焔』」
御玉と焔。 現世の人間たちが知る由もない、数万年の時を越えて紡がれる古の真名。 二人の視線が交錯した瞬間、空間そのものが軋みを上げ、目に見えぬ強大な魔力の波動が火花となって散り散りに弾けた。
「相変わらず不躾な奇襲がお好みのようね。生身の人間を相手に、化身の姿で直々にお出ましとは……随分と落ちぶれたものだわ、焔」
「黙れ、御玉。我が歩む覇道に手段など関係ない。お前こそ、いつまでそのように下等な人間どもに肩入れを続けるつもりだ? 数万年……幾千の戦いを重ねようと、我と知恵比べをしようと、決着などつきはせぬというのに」
「ええ、分かっているわ。私とあなたの力はまさに『千日手』。真っ向から撃ち合えば、幾千の夜が明けようとも、互いに傷を負わぬまま千日手の平行線を辿るだけ……」
ヴィオレッタの言葉通り、数万年もの長きにわたり相まみえてきた二人の力は完全に拮抗していた。一方が動けば他方が相殺し、双方が決定打を欠いたまま膠着状態に陥る――それが、数万年間繰り返されてきた二人の宿命であったのだ。
◇
「だからこそ――」
ヴィオレッタはチラリと背後のシャルロッテへと視線を向けた。その瞳には、深い慈愛と絶対の信頼が宿っていた。
「盤面を破るのは、私とあなたの千日手ではないわ。この時代に生きる、あの子たちの『可能性』よ」
「……私、たちの……?」 ヴィオレッタの放つ温かな波動を受け、シャルロッテは激しい恐怖の縛鎖から解き放たれ、すっと落ち着きを取り戻していった。乱れていた呼吸が整い、冷え切っていた体内に熱い血液が循環し始める。
(落ち着きなさい、シャルロッテ・セレスティア……。私は、守られるだけの存在ではない。親友たちと、この街の民とともに立ち上がると誓ったはず……!)
シャルロッテは立ち上がり、腰元の神剣『空斬刺鏡』を両手で強く握りしめた。
その瞬間、シャルロッテの意識は神剣の奥深き深淵――「剣の魂」へと深く沈み込んでいった。 今まで単なる「空間を切り裂く刃」「邪悪を払う秘法」として扱っていた神剣が、主の真の覚醒に応えるように熱く脈動し始めたのだ。
(そう……この剣は、ただ空間を切るためのものではない。空間そのものを……そして、この世界を構成する概念そのものを……!)
キィィィィン――――!!
神剣『空斬刺鏡』の鍔から放たれる青白い光芒が、劇的な変化を遂げた。 青白い光は限界を超えて凝縮され、やがて光すらも吸い込むような「深邃なる透明」へと昇華していく。刀身の周囲の空間が、まるでガラスが割れるようにチリチリと音を立てて亀裂を生み出していた。
「な……なんだ、あの剣の気配は……!?」 初めてルシエラの顔に、焦燥の色が浮かんだ。
シャルロッテは静かに神剣を正眼に構えた。その瞳には、迷いも恐れも存在しない。
「覚醒しました……これこそが、『空斬刺鏡』の真の力……!」
シャルロッテの白銀の甲冑が、透明な刃の波動を受けて光り輝く。 彼女が踏み出した一歩は、音もなく空間を跳び越えた。
「切り裂け……『絶空』!!」
一閃。
それは、「無をも切り裂く」という破壊の概念の最上位に位置する絶対の技であった。 放たれた刃の軌跡は、光でも衝撃波でもない。刃が通過した軌道上の「世界」そのものが根こそぎ削り取られ、絶対的な「無」の断層となってルシエラへと肉薄した。
「くっ……呪導の絶対障壁!!」
ルシエラが叫び、数万年の英知を集約させた漆黒の絶対防衛陣を展開する。しかし、『絶空』の刃は、その防衛陣すら「存在しないもの」としてあっ気なく切り裂き、ルシエラの漆黒の翼の一片と左肩の装甲を粉砕した。
「グアァッ……!? 我が……我が障壁が……切られただと……!?」
◇
「――見事よ、シャルロッテ! 今こそ好機!」
ルシエラの絶対の防衛陣が壊され、一瞬の隙が生じたその瞬間、ヴィオレッタが動いた。
「宙の理よ、彼女に力を! 属性付与――『宙界』!」
ヴィオレッタが両手を広げると、紫銀の星光がシャルロッテの身体を包み込んだ。 シャルロッテの身に、広大な宇宙の重力と星々の運行を司る『宙界属性』が強制的に付与され、彼女の身体が浮遊感とともに無限の魔力と共鳴し始める。
「シャルロッテ、私と調和しなさい! 属性合体不可避術式――『彗星落とし(メテオラ・アタック)』!!」
「はいっ!!」
ヴィオレッタとシャルロッテの魔力が完全に融合した。 ヘリングの夜空を覆っていた黒い雲が、巨大な光の渦となって押しのけられる。空の彼方、大気圏外から引き寄せられたのは、灼熱の炎と宙界の重力圧を纏った巨大な「星の破片」であった。
ドゴォォォォォォンッ!!
超金色の光を放つ彗星が、絶大な速度でルシエラの頭上へと着弾した。 ルシエラは必死に黒い翼を掲げて受け止めようとしたが、宙界属性の絶大な重力と『絶空』で傷ついた体に耐えきれるはずもなかった。
「おのれぇぇぇぇ……! 御玉ぁぁぁ! セレスティアの小娘ぇぇぇッ!!」
凄まじい光と熱波の爆発がルシエラを呑み込み、堕天使の化身の巨躯は激しい絶叫とともに空中の彼方へと吹き飛ばされ、ヘリングの地から遥か遠くへと破撃・退散していった。
「やった……ルシエラを……退けた……!?」 呆然とするロゼッタとエミーナ。
だが、ヴィオレッタの神撃はこれで終わりではなかった。
「二人とも、まだ終わっていないわ! 街を埋め尽くす不浄の奇襲隊を全滅させなさい! 属性付与――『光』と『火』!」
ヴィオレッタの指先から解き放たれた二筋の光が、倒れていたエミーナとロゼッタの胸元へと突き刺さった。
「あぁぁ……っ! 力が……溢れてくる……!?」 エミーナの手にする聖なる杖『破邪顕正』に、ヴィオレッタから授けられた最上位の『光属性』が注入される。緑と白の光は、眩いばかりの純白の「聖極光」へと進化を遂げた。
「ハハッ……最高じゃない! 体の底からマグマが湧き上がってくるわ!」 ロゼッタの獄炎魔槍『煉獄の咆哮』に、万物を灰に還す『火属性』の真理が宿る。不気味だった極彩色の炎は、一切の不純物を許さぬ神聖なる「白熱の業火」へと変貌した。
「『破邪顕正』の真なる光よ……不浄なる死者どもを、一粒の塵も残さず浄化せよ!」 エミーナが杖を天に掲げると、ヘリング全体を包み込むほどの超巨大な光の雨が降り注いだ。光に触れた何千という黒騎士とゾンビ兵たちが、叫び声を上げる暇もなく、綺麗に浄化されて消滅していく。
「残ったゴミ屑どもは、私が一瞬で焼き尽くしてあげるわ! 『煉獄の咆哮』――滅絶・万物焼却破っ!!」 ロゼッタが槍を一閃させると、白熱の炎の津波が街の路地を駆け抜け、逃げ惑う奇襲隊の残党を悉く蒸発させた。
ほんの数分前まで地獄と化していたヘリングの街から、帝国軍の不浄な気配が完全に消滅した瞬間であった。
◇
雪煙と激闘の炎が収まり、ヘリングの街に再び静寂が戻ってきた。
街の各所では、死を免れたランスロット軍の兵士たちや市民たちが、信じられない思いで空を見上げていた。セレスティア軍の放った圧倒的な光と炎の奇跡によって、絶望的な奇襲隊はまさに跡形もなく全滅したのだ。
「はぁ……はぁ……」 シャルロッテは神剣『空斬刺鏡』を鞘へと収め、その場に崩れそうになるのをどうにか踏みとどまった。 エミーナとロゼッタが駆け寄り、互いの無事を確かめ合うように抱き合う。
「シャルロッテ様……!」「やったわね、シャルロッテ!」
「二人とも……無事で、本当によかった……」
シャルロッテは涙を浮かべ、それから静かにヴィオレッタへと向き直り、深々と頭を下げた。
「ヴィオレッタ様……あなた様のおかげで、私たちは命を救われました。そして……この剣の真の力を導き出すことができました。心より、感謝申し上げます」
ヴィオレッタは微笑み、シャルロッテの頭を優しく撫でた。
「頭をお上げなさい、シャルロッテ。剣の本当の力を引き出したのは、他ならぬあなた自身の『守りたい』という強い意思よ。私はただ、そのきっかけを与えたに過ぎないわ」
ヴィオレッタは東の空を指さした。 雲が晴れ、北海の水平線から美しく眩い朝焼けの光が差し込み始めていた。
「ルシエラ……撃退したとはいえ、奴は堕天使の化身。いずれ傷を癒やし、再び現れるでしょう。ですが、真の力を得た神剣を持つあなたと、光と火の属性を得た仲間たちがいる限り、セレスティアが敗れることはありません」
「はい……!」 シャルロッテは力強く頷いた。
不意を突かれた未熟さと無知の代償は大きかった。しかし、彼女たちは絶望の淵から立ち上がり、神剣の真の力『絶空』と、新たなる属性の力を手に入れて覚醒を果たしたのだ。
朝陽に照らされたヘリングの港で、傷ついた『六棘の霜華』の旗が再び力強く翻る。 冬の寒さを吹き飛ばすような、温かくも頼もしい希望の勝鬨が、極北の空へと高らかに響き渡っていた。




