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第39章『凍りつく過去と断頭台の記憶』

寒風が吹くヘリングの街に、不恰好な帰還を果たした「湖の騎士」ランスロット軍の手当と収容が落ち着いた頃。 依然として降り積もる雪の中、セレスティア伯爵軍の本陣へ、相次いで二つの重大な報せが舞い込んだ。


それは、この大陸全体を覆う戦雲が、新たな局面へと大きく動き始めたことを告げる衝動であった。


本丸の作戦室にて、エミーナが二枚の羊皮紙を手に、緊張を帯びた声で一つ目の報告を読み上げる。 彼女の手元では、聖なる杖『破邪顕正』が、遠方の戦火の気配を感じ取ったかのように細かく明滅していた。


「シャルロッテ様、第一の報告です。我が軍が位置するこの極北から遥か南方、温暖なる南の大陸沿岸部にて、強力な南の豪族『ビー・スー』率いる軍勢が蜂起いたしました!」


「ビー・スー……」 窓辺で外の雪景色を眺めていたロゼッタが、背中の獄炎魔槍『煉獄の咆哮』をかすかに鳴らし、興味深そうに眉をひそめた。 「南の豪族って言えば、独特の精霊術と強力な騎兵を操る荒武者どもでしょ。奴らも帝国に牙を剥いたってわけ?」


「ええ」とエミーナは頷く。「ビー・スー軍は魔導帝国の圧倒的な防衛線を強行突破し、怒濤の勢いで北上を続けているとのことです。帝国の南方の補給線は混乱に陥っており、我が軍にとっても大きな追い風となるのは間違いありません」


シャルロッテは静かに頷いた。腰元の神剣『空斬刺鏡』は、主の沈着な思索に呼応するように、澄み渡る青白い光を静かに佇ませている。


「南方での動乱は、敵の本隊の目を散らす絶好の機会です。……して、二つ目の報告とは?」


エミーナはその問いに対し、一瞬だけ言葉を詰まらせた。 手にした二枚目の羊皮紙を見つめる彼女の表情に、微かな戸惑いと嫌な予感が影を落とす。


「ふ、二つ目は……大陸の西部からの報せです。大河ローゼンバッハの河口に位置する要衝『ローゼンタール』、およびオーロラリス大公家率いる軍勢が、大陸西部最大の都『ルミエールヴィル』を攻略、見事に陥落させたとのことです」


「ルミエールヴィルを!?」 ロゼッタが驚きの声を上げた。 「あの西部最大の堅城を落としたっていうの!? 一体どんな化け物がその軍を率いているのよ」


エミーナはゴクリと唾を飲み込み、羊皮紙に記された「将の名」を口にした。


「……軍を率いるのは、オーロラリス大公家の当主――『ジュリアン・ヴェスペリア』です」




「――っ!?」


その名が室内に響いた瞬間。 まるで部屋全体の時間が停止したかのような、凄まじい衝撃がシャルロッテを襲った。


カチャン、と甲高い音が響く。 シャルロッテが腰元に差していた神剣『空斬刺鏡』が、かつてないほどの激しい青白い光芒を爆発的に解き放ち、彼女の全身から溢れ出た狂おしいほどの情念と殺気に反応してキーーーンと悲鳴のような神鳴りを上げたのである。


「シャルロッテ様……!?」


「シャルロッテ様、どうしたの急に! 顔色が真っ白よ!?」


エミーナとロゼッタが慌てて駆け寄る。 普段ならばどんな強敵を前にしても決して乱れることのないシャルロッテの白銀の面容が、いまや血の気を失い、激しい怒りと痛みに震えていた。彼女の瞳は遠くを見つめ、まるでこの世界のどこでもない「過去の奈落」へと落ち込んでいくようであった。


ジュリアン・ヴェスペリア。 その名は、シャルロッテの魂に刻み込まれた、決して消えることのない「地獄の烙印」であった。


(ジュリアン……ジュリアン・ヴェスペリア……! なぜ……なぜその名が、この世界に……!?)


シャルロッテの頭の中に、前世の記憶が怒濤の如く濁流となって蘇る。


前世のシャルロッテは、とある歴史ある王国の高貴な伯爵令嬢であった。 そしてジュリアン・ヴェスペリアは、彼女の「婚約者」であった男だ。


幼少期から将来を誓い合い、愛し、全てを捧げると信疑わなかった愛する人。 だが――政治の陰謀と偽りの密告によって、シャルロッテは無実の罪を着せられた。 権力と保身に目が眩んだジュリアンは、罪なき彼女を庇うどころか、自ら率先して彼女を「世界を滅ぼす邪悪な魔女」として公の場で弾劾したのだ。


『見損なったぞ、シャルロッテ! お前のような不浄な魔女など、私の婚約者たる資格はない! 死をもって贖うがいい!』


冷酷な民衆の罵声。冷たい民衆の嘲笑。 そして、冷たく湿った牢獄から引きずり出され、引き立てられた雨の日の断頭台。


首切り役人の掲げる刃が、ギロチンの最上部で鈍く光る。 シャルロッテの視線の先には、冷血な瞳で見下ろすジュリアン・ヴェスペリアの姿があった。 愛していた男に裏切られ、名誉を奪われ、首を落とされる瞬間のあの底なしの絶望と恐怖――。


首を断ち切られるその死の直前、シャルロッテは心の中で血の涙を流しながら、神にではなく「己の魂」に固く固く誓ったのだ。


『――許さない。絶対に許さない、ジュリアン・ヴェスペリア! たとえ死しても、魂が塵になろうとも、私は必ずや蘇り……お前に同じ地獄を味わわせてやる!!』


だが、死の淵から目覚めた時、彼女がいたのは「前世とは異なる異世界」であった。 セレスティア伯爵家の令嬢として転生した彼女は、復讐すべきジュリアンのいない世界で、セレスティアの誇りを守るために生きてきた。復讐の誓いは果たせぬまま、胸の奥底の深い闇に封印されていたはずだったのだ。


それなのに――いま、目の前の報告書に、あの忌々しい男の名が、全く同じ「ジュリアン・ヴェスペリア」として刻まれている。




「……シャルロッテ……大丈夫? 息をして……っ!」


ロゼッタの必死の呼びかけと、エミーナが『破邪顕正』の杖から放った温かな癒やしの光によって、シャルロッテはハッと正気を取り戻した。


彼女の目からは、自らも気づかぬうちに、一筋の冷たい涙が頬を伝って零れ落ちていた。


「……ごめんなさい、二人とも。醜い姿を見せました」


「醜くなんてないわよ!」ロゼッタが叫ぶ。「あなたがこんな顔をするなんて、普通じゃない! その『ジュリアン』って男に、一体何をされたの!?」


「シャルロッテ様……」エミーナも悲しそうに彼女の手を握りしめた。「私たちに、お話ししていただけませんか? あなたの背負っているお心を、どうか分け合わせてください」


シャルロッテは静かに二人を見つめた。 ストロムホルムの激闘をともに潜り抜け、ヘリングの奪還をともに果たした、かけがえのない親友であり絆で結ばれた戦友たち。この二人にならば、誰にも言えなかった自らの「魂の秘密」を明かすことができる。


シャルロッテは深く息を吐き出し、ぽつり、ぽつりと語り始めた。


「私は……一度、死んでいるのです」


「……え?」


驚愕する二人に、シャルロッテは自らの「前世」の記憶を明かした。 別の世界で伯爵令嬢として生まれたこと。愛していた婚約者ジュリアン・ヴェスペリアに「魔女」として濡れ衣を着せられ、断頭台へ送られたこと。 首を落とされる直前に、彼への絶対的な復讐を誓って息絶えたこと。 そして、転生したこの世界には彼がおらず、誓いを果たせぬまま生きてきたこと――。


「……そして今、この世界に、同じ名を持つ男が現れた。同じソウル(魂)を持つ男なのか、単なる偶然の一致なのかはわかりません。ですが……その名を聞いた瞬間、私の魂の奥底に眠っていた『殺意』が、どうしても抑えきれなくなったのです……!」


シャルロッテは絞り出すように語り、握りしめた拳から血を滲ませた。


語り終えた作戦室には、痛々しいほどの静寂が流れた。 普通ならば「前世」や「転生」などという話を信じる者はいないだろう。しかし、シャルロッテの真摯な眼差しと、彼女の身体から溢れ出る圧倒的な怨念と悲哀の気配が、それが紛れもない真実であることを物語っていた。




「――ふざけた男ね」


静寂を破ったのは、ロゼッタの低く、怒りに満ちた声であった。


見れば、ロゼッタの全身から、獄炎魔槍『煉獄の咆哮』の炎よりも激しい「怒りの気炎」が立ち上っていた。彼女の瞳は凶暴な赤に染まり、床の石畳を踏み荒らさんばかりの勢いで咆哮した。


「愛した女を魔女に仕立て上げて断頭台に送っただぁ!? なによそれ! どこまでのクズ野郎なのよ! 前世だか現世だか知らないけれど、そんな胸糞悪い男、私がこの『煉獄の咆哮』で灰すら残さず焼き尽くしてやるわ!!」


「ロゼッタ……」


ロゼッタはシャルロッテの肩をガシッと掴むと、力強く言った。


「シャルロッテ! あんたが復讐したいなら、私がどこまでも付き合ってあげるわよ! あんたの痛みを踏みにじった奴を、絶対に許さないんだから!」


そして、エミーナもまた、涙を浮かべながらシャルロッテの手を優しく包み込んだ。 彼女の抱く聖なる杖『破邪顕正』が、シャルロッテの傷ついた魂を優しく包み込むように、今までで最も温かく美しい緑と白の光を解き放つ。


「シャルロッテ様……お辛かったのですね。今まで誰にも言えず、お一人でその重い誓いを背負ってこられたのですね……」


エミーナは静かに首を振った。


「前世のことがどうであれ、今、私の目の前にいるシャルロッテ様は、私たちが心から敬愛するかけがえのない主であり、親友です。シャルロッテ様の敵は、私の敵です。『破邪顕正』の光にかけて、あなたの復讐の道を、私がどこまでも照らしてみせます」


「二人とも……」


シャルロッテの胸の奥底で、固く凍りついていた前世の「氷」が、二人の温かな情熱と絆によって、すうっと溶け出していくのが分かった。


一人で抱え込んでいた呪いのような復讐の誓い。 それが今、二人の親友と分かち合ったことで、単なる「暗い情念」から、自らの未来を切り開くための「揺るぎない覚悟」へと昇華したのだ。


シャルロッテは二人の手を強く握り返し、溢れ出る温かな涙を拭った。


「ありがとう……エミーナ、ロゼッタ。私に寄り添ってくれて……本当に、ありがとう」




シャルロッテは腰元の神剣『空斬刺鏡』を引き抜き、その美しい刀身を正面にかざした。


神剣の青白い光芒は、先ほどまでの激しい乱れを完全に消し去り、いまや澄み切った鏡の如く、シャルロッテの確固たる決意を映し出していた。


「ジュリアン・ヴェスペリアが前世の男と同一人物であろうと、そうでなかろうと……関係ありません」


シャルロッテの透き通った瞳に、宿命の炎が灯る。


「彼が大陸西部で勢力を伸ばし、この地に現れるというのなら、私は全力で立ち向かいます。セレスティアの未来のため、そして……私の魂に立てた誓いを果たすために!」


「ええ! どこまでも共に行きましょう、シャルロッテ様!」 「ジュリアンだか何だか知らないけど、面拝むのが楽しみになってきたわ!」


窓の外では、依然として極北の冷たい吹雪が荒れ狂っていた。 しかし、ヘリングの本陣の中に漂う空気は、かつてないほど固く、温かい友情と覚悟で満たされていた。


南から北上を開始した豪族ビー・スー。 西部で躍進する因縁の男、ジュリアン・ヴェスペリア。 そして、このヘリングの地で冬を越し、力を蓄えるセレスティア伯爵軍。


大陸全土を巻き込む巨大な動乱の渦の中で、シャルロッテたちの新たなる宿命の戦いが、いま静かにその幕を開けようとしていた。

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