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第38章『湖の騎士ランスロット』


北の北海から揚がる豊かな海産物と、南を流れる大河ローゼンバッハの水運。そのふたつを繋ぐ交通の要所ヘリング(ヴェルデンハーフェン)が魔導帝国の手から奪還されてから数日。

街にはかつての活気と、ニシンの薫製が発する香ばしい煙が戻りつつあった。セレスティア伯爵軍の兵士たちと解放された市民たちは、一時の平穏を噛み締めながら、着々と冬越しの準備と街の復興を進めていた。

そんな折、シャルロッテたちが滞在する本陣へ、一匹の伝書鷹が急報をもたらした。

「シャルロッテ様! 遥か北、同じく北海に面した港町『ノルフィヨルド』からの吉報です!」 エミーナが羊皮紙の書状を手に、弾んだ声で報告に駆け込んできた。彼女の傍らでは、聖なる杖『破邪顕正』が祝福するように穏やかな緑と白の光を滅させている。

「ノルフィヨルドが……? あそこも確か、帝国の強い影響下にあったはずですが」 シャルロッテは腰元の神剣『空斬刺鏡』の柄にそっと手を置き、不思議そうに首をかしげた。

「ええ! なんでも『湖の騎士ランスロット』と名乗る英雄率いる軍勢が突如として現れ、鮮やかに街を陥落させ、魔導帝国から解放したとのことです!」

「『湖の騎士……ランスロット』……?」

その高貴で優雅な響きに、その場にいた三人の美少女たちの空気が一瞬で華やいだ。

「ちょっとそれ、まるで童話に出てくる伝説の騎士様じゃない!」 背中に獄炎魔槍『煉獄の咆哮』を背負ったロゼッタが、目を輝かせて身を乗り出した。 「『湖の騎士』だなんて……絶対、長い金髪を風になびかせた、冷たさと熱さを兼ね備えた美しいイケメンに決まってるわ!」

「まあ、ロゼッタちゃんったら……。でも、確かに素晴らしいお名前ですね」 エミーナも頬を少し赤らめ、少女らしい笑みを浮かべる。 「湖のように澄んだ青い瞳をしていて、銀の甲冑を纏った、気品あふれる麗しい騎士様なのかもしれません……」

いつもは冷静沈着なシャルロッテも、神剣の青い光に照らされた美しい顔を少しほこばませ、小さな吐息をついた。 「真の英雄とは、名のみならずその生き様も美しいもの……。ノルフィヨルドの民を救ったそのお方なら、きっと立ち振る舞いも洗練された、素敵な紳士に違いありませんね」

「キャーッ! 会ってみたいわね!」「どんなお方かしら!」「きっと素晴らしい貴公子ですよ!」

百戦錬磨の勇士である彼女たちも、この時ばかりは年相応の乙女であった。お伽話に出てくるような美剣士のイメージを勝手に膨らませ、三人は「素敵なイケメン騎士様」の幻想に花を咲かせて浮かれていたのだった。

そして数日後――その「湖の騎士ランスロット」率いる軍勢が、多数の軍船を連ねてヘリング港へ入港するという知らせが届いた。

第二章:幻想の崩壊と激臭の衝撃

「来たわ! ランスロット軍の船団よ!」

ヘリングの港は、出迎えるセレスティア軍と市民たちの熱気に包まれていた。 シャルロッテ、エミーナ、ロゼッタの三人は、一番目立つ埠頭の最前列に立ち、胸を高鳴らせながら接岸する大型軍船を見上げていた。

シャルロッテは髪を整え、エミーナは『破邪顕正』の光を控えめに整え、ロゼッタに至っては少しそわそわと足を動かしている。

やがて、軍船のタラップが重々しい音を立てて埠頭へと下ろされた。 甲板の奥から、数人の従者を従えて「その男」が悠然と姿を現した。

「……え?」

三人の口から、打ち合わせでもしたかのように完璧に揃った呆然の声が漏れた。

タラップを降りてきたのは――一言で言えば、彼女たちの幻想を最悪の形で粉砕する存在であった。

身の丈は低く、まるまるとして締まりの無い丸太のような体型。 纏っている衣装に至っては、目を疑うような代物だった。なぜか裾の短い派手な「短パン」を履き、その下にはパツパツに張った「白タイツ」。上着は豪奢な装飾がついているものの、サイズが合っておらず腹が出かかっている。 頭には妙に位置がズレた使い古しのカツラが乗っていたが、風が吹くたびにその下の見事な「禿頭とくとう」が覗いていた。 肌は油でギトギトと光り、何日……いや何ヶ月風呂に入っていないのか分からないほど小汚い、どこからどう見てもただの「冴えない中年男」であった。

さらに激震が三人を襲う。 彼が数歩近づいた瞬間、北海の爽やかな潮風に乗って、強烈な「激臭」が鼻腔を穿ったのである。

生臭い魚の腐臭と、長年の体臭、そして生乾きの服の臭いが混ざり合った、凄まじい悪臭――。

「うっ……!?」 ロゼッタが一瞬で顔を青くし、口元を押さえて後退った。 「な……なになに!? この臭い……! 息が、息ができない……っ!」

エミーナは『破邪顕正』の聖杖を無意識に強く握りしめた。杖から放たれる緑と白の浄化の光が、あまりの悪臭と不潔さに反応して「チチチ……」と危険信号のような音を立てて明滅している。 (破邪の光が……不浄物として認識してる……!?)

シャルロッテに至っては、完璧な貴族としての微笑みを貼り付けたまま、全身を凍りつかせていた。腰元の神剣『空斬刺鏡』の青い光芒が、主の激しい動揺を映すようにピクピクと引きつっている。

「ハッハッハ! お初にお目にかかる、セレスティア伯の可憐な姫君たちよ! 我こそは『湖の騎士ランスロット』である!」

おっさんランスロットは、締まりの無いお腹をポンと叩き、ずれたカツラをサッと直しながら、ニカッと黄ばんだ歯を見せて笑った。 彼の「湖の騎士」という異名は、美しい湖ではなく、「油の浮いたヘドロの湖」の意味だったのかと、三人は心の中で叫んだ。

乙女心を容赦なく叩き潰された三人のガッカリ感と絶望は計り知れなかった。しかし、当のおっさんランスロットは彼女たちの激しい内心のショックに一切気づく様子もない。

「いやあ、ヘリングの奪還、実に見事であった! 我らもノルフィヨルドを蹴散らしてきたばかりでな! この戦勝の勢い、止める気は毛頭ないぞ!」

ランスロットは身乗り出し、臭う息を振りまきながら熱弁を振るい始めた。

第三章:暴走するおっさんとセレスティアの選択

「いいか、シャルロッテ殿! 勝利の鉄は熱いうちに打て、だ! 我らはこのままヘリングにとどまるつもりはない!」 ランスロットは、地図も広げずに東の空を指さした。

「ここから東の山岳地帯にある要塞都市『アイゼンヴァルデ』! あそこを即座に攻略する! 勢いに乗って一気に魔導帝国を叩き潰すのだ!」

その言葉に、シャルロッテは少し正気を取り戻し、凛とした(そして少し鼻声を意識した)声で諫言した。

「ランスロット殿……お気持ちは分かりますが、アイゼンヴァルデは険しい山岳に囲まれた天然の要塞です。しかも、間もなくこの極北の地には厳しい『冬』が到来します」

エミーナも距離を保ちつつ、必死に言葉を重ねる。 「はい……我がセレスティア軍も、冬の期間は雪と寒さで補給路が閉ざされることを考慮し、ここヘリングを拠点として戦力を整える『充電期間』とする方針です。無謀な冬の山岳戦は、兵をいたずらに消耗させるだけに終わります……」

だが、おっさんランスロットは「ワハハ!」と大口を開けて笑い飛ばした。カツラが再びズレる。

「甘い! 甘いぞ若いお嬢さん方! 寒さなど気合と酒で吹き飛ばせばよいのだ! 敵も『冬に攻めてくるはずがない』と油断している今こそが最大の好機! 我がランスロット軍の破竹の勢いを見せてやるわい!」

話を聞く耳を一切持たないランスロット。 ロゼッタは横で「だめだわこのおっさん、完全に戦功に目が眩んでる……」と呆れ果てた目で呟いた。

これ以上何を言っても無駄だと悟ったシャルロッテは、深く溜息をついた。

「……分かりました。我が軍の方針を変更することはできませんが、同じく魔導帝国と戦う同志。ヘリングに蓄えられた食料や資材、防寒具などは十分にお譲りいたします。どうか、お気をつけて……」

「おお! 感謝するぞ、シャルロッテ殿! さすがは太っ腹だ! では、すぐに補給を受け取り次第、出発する!」

ランスロットは満足そうに頷くと、短パンと白タイツの奇妙な足を丸出しにして、ドタドタと自分の船へと戻っていった。

彼らが去った後、埠頭には静寂と、残された強烈な激臭だけが漂っていた。

「……エミーナ」 「はい、シャルロッテ様……」 「至急……『破邪顕正』の光で、この埠頭全体を空気清浄しなさい」 「承知いたしました……!」

聖なる光が港を包み込み、三人はようやく深々と息を吸い込むことができたのだった。

終章:寒風の帰還と教訓

ランスロット軍が雪のつき始めた東の山岳地帯へと出発してから、数週間が経過した。

ヘリングの街には本格的な冬が訪れ、北海からの冷たい吹雪が大河ローゼンバッハの水面を凍らせ始めていた。セレスティア軍は暖かい陣舎の中でしっかりと防寒を整え、来るべき春に向けた練成と補給の充実に励んでいた。

そんなある吹雪の日の夕刻。 ヘリングの東門から、ボロボロになった一団が這うようにして戻ってきた。

「たす……けてくれ……」

それは、アイゼンヴァルデ攻略に向かったはずのランスロット軍の残の姿であった。

報せを受けたシャルロッテたちが東門へ駆けつけると、そこには見るも無惨な光景が広がっていた。 大言壮語を吐いていたランスロット軍は、極寒の山岳地帯で敵の伏兵と大雪に見舞われ、壊滅的な打撃を受けたのだという。防寒装備や食料はセレスティア軍からの援助で足りていたものの、厳しい冬の山道を無理に踏破しようとした結果、滑落や凍傷、そして地形を熟知した敵の奇襲により、多くの将兵の命が失われたのだった。

大勢の兵を失い、命からがら逃げ帰ってきたランスロット自身も、自慢の白タイツは破れ泥まみれになり、大事なカツラはどこかへ吹き飛んで完全な禿頭を晒し、凍え震えていた。

「シャルロッテ殿……うぅ……私の浅はかさが……兵たちを……」

涙と鼻水を垂らしながら崩れ落ちるおっさんランスロット。 その姿には、かつての威勢の良さも、鼻につく自信も一切残っていなかった。ただの惨めな敗軍の将であった。

シャルロッテは静かに歩み寄ると、神剣『空斬刺鏡』を腰に佇ませたまま、哀れみと厳しさを交えた眼差しで見下ろした。

「……言わんこっちゃないわね」 ロゼッタが不機嫌そうに吐き捨てる。

「救護班を! 直ちに負傷者を温かい陣舎へ運んで手当をしなさい! 温かいスープも用意するのです!」 エミーナが叫び、『破邪顕正』の温かな光を惜しみなく負傷兵たちへと注ぎ込んだ。

シャルロッテは、凍えるランスロットの前に膝をついた。

「ランスロット殿。無謀な功名心は、多くの犠牲を生むだけです。……ですが、生き残った兵たちの命を繋ぐことこそが、今のあなたの務めです」

シャルロッテの毅然とした、しかしたしかな温もりを宿した言葉に、おっさんランスロットは「申し訳ない……申し訳ない……」と石畳に額を擦り付けて泣き伏せた。

極北の厳しい冬の風が、ヘリングの街を吹き抜けていく。 お伽話のようなイケメン騎士の幻想は脆くも潰れ去り、無謀な血気のリスクを嫌というほど見せつけられたシャルロッテたち。

だが、彼女たちの胸にあるのは、おっさんへの失望だけではなかった。 どんなに醜く、どんなに失敗しようとも、命ある限りこの厳しい乱世を生き抜かねばならないという、重い教訓であった。

セレスティアの『六棘の霜華』の旗印は、雪降るヘリングの空の下で、静かに、そして力強く冬の風に揺れていた。春の来訪と、真の解放の日をじっと待ち続けながら――。

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