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第36章『ヴェルデンハーフェン解放作戦』その1

第一章:熱狂の翌朝と新しい航路

ストロムホルムの町が、涙と笑顔の混じる破格の歓喜に沸き返った翌朝。 落ち尽くした炎の煙と血の匂いは、北海の容赦なくもどこか清々しい朝風によって綺麗に洗われ、港湾都市の石畳には昨日までの死闘が嘘のような穏やかな日差しが差し込んでいた。解放された市民たちは互いの生還を抱き合って喜び、セレスティア伯爵軍の兵士たちに惜しみない食事と酒を提供して回っていた。

だが、その喧騒から一歩離れた本丸都市の会議室には、朝の柔らかい日差しとは裏腹の重々しい緊張感が漂っていた。

「ストロムホルムの完全制圧および防衛体制の再構築、完了いたしました」 エミーナが羊皮紙の報告書を卓上に広げ、冷静な声で告げた。彼女の手元には、先日活躍した聖なる杖『破邪顕正』が静かに寄り添い、緑と白の優しい光を淡く放っている。 「街の被害は最小限に抑えられ、解放された市民の志願兵たちによって第一・第二防衛線の守備も万全です。ですが……」

「……落ち着いて酒を飲んでいる暇はない、ということね」 腕を組み、窓の外の賑わいを眺めていたロゼッタが口挟んだ。彼女の背中には、極彩色の不気味な炎を内に秘めた獄炎魔槍『炼獄の咆哮』がどっしりと鎮座している。 「魔導帝国がこの不覚をただ指をくわえて見過ごすはずがないわ。ストロムホルムを失ったとなれば、奴らは必ず次の手を打ってくる」

作戦卓の最深部に立つシャルロッテは、静かに地図の上へと視線を落とした。 彼女の腰元にある神剣『空斬刺鏡』は、鞘に収まりつつも澄み渡る青白い光を薄っすらと湛え、静謐な存在感を主張している。

「ええ、その通りです。だからこそ、私たちが次に踏み出す一歩が、この北海戦線全体の趨勢を決定づけることになります」

シャルロッテの白銀の指先が、ストロムホルムからさらに南へと続く広大な陸路をなぞった。

「目指すは、ここ――港湾都市ヴェルデンハーフェンです」



ヴェルデンハーフェン。 北は豊かな恵みをもたらす北海の港を抱き、南は大陸を縦断する大河ローゼンバッハが静かに流れる、陸海交通の絶対的な要衝である。 北海の冷たい汽水と大河の豊かな滋養が交わるその海域は、古くから莫大なニシンの水揚げ量を誇り、加工された燻製や塩漬けのニシン樽は大陸全土へと運ばれていく。その貿易によって莫大な富を築いた交易都市でもあった。

「ヴェルデンハーフェン……。地元の漁師や交易商人たちは、親しみを込めてその町を『ヘリング(ニシン)』と呼んでいましたね」 エミーナが懐かしむように目を細めた。

「ええ。ですが現在のヘリングは、魔導帝国の兵術拠点および兵糧補給港として完全に封鎖されています」 シャルロッテの言葉に、会議室の将校たちがごくりと息をのんだ。

「大河ローゼンバッハを押さえられているということは、魔導帝国が陸路・水路の両面から内陸部へ無限に物資と軍勢を送り込める状態にあるということです。逆に言えば――私たちがヘリングを奪還すれば、敵の物資補給路を根底から断ち切り、我が軍の南下ルートを確固たるものにできる」

「陸路を南下しての電撃作戦ね」 ロゼッタが唇の端を吊り上げた。 「海からの再突入は敵も警戒しているはず。ストロムホルムを制圧したばかりの今、陸路から足元を救いに行ってやれば、帝国の連中も腰を抜かすわ」

「作戦は決定です」 シャルロッテは将校たちを見渡し、力強く宣言した。

「ストロムホルムの守備は救出した志願兵部隊と残留部隊に託し、我ら本隊は直ちに陸路を南下、ヘリングの奪還へと向かいます! 準備にかかりなさい!」

「「ハッ!!」」



作戦会議が終わるやいなや、セレスティア軍は一分の隙もなく動き出した。 ストロムホルムの市民たちは、自分たちを救ってくれた英雄たちの旅立ちを知ると、総出で街道に集まった。手作りの干し肉やパン、そして貴重な保存食を兵士たちの袋に押し込み、涙ながらに感謝と無事を祈る言葉をかける。

「シャルロッテ様! どうかヘリングの人々も救ってやってください!」 「あそこにも、俺たちの仲間や親族がたくさん捕らわれているんです!」

「ええ、任せてください」 シャルロッテは馬上で凛と頷き、胸に手を当てた。 「セレスティアの旗の下に、必ずやヘリングに平和な汽笛の音を取り戻してみせます」

歓声と見送りの声を背に受けながら、セレスティア軍の長蛇の列はストロムホルムの南門を抜け、南へと伸びる荒涼とした沿岸街道を進み始めた。

陸路の行程は決して平坦ではなかった。 北海の冷たい潮風と、陸地から吹き降ろす湿った泥風が交差する湿地帯。街道の各所には、魔導帝国が残した不気味な呪導陣や、打ち捨てられた哨戒陣地の残骸が散見される。

行軍の先頭を行くシャルロッテ、エミーナ、ロゼッタの三人は、終始気を緩めることなく周囲に警戒を払っていた。

「シャルロッテ様、前方数キロの湿地帯に、不自然な魔力の乱れを感じます」 『破邪顕正』の聖杖を握るエミーナが、眉をひそめて報じた。緑と白の光芒が、前方の暗雲を察知して細かく明滅している。

「帝国の伏兵……あるいは、街道を封鎖するための不死者の群れね」 ロゼッタが『煉獄の咆哮』の柄に手を伸ばす。槍身から漏れ出るかすかな熱気が、湿気を帯びた空気をジリジリと焦がした。

「強行突破します」 シャルロッテの腰元で、神剣『空斬刺鏡』の青白い光線が静かに激しさを増した。 「ヘリングの民が待っています。足止めなど食らっている時間はありません」


数日間に及ぶ苛烈な行軍と、街道沿いの立ち塞がる敵残党の撃破を経て、ついにセレスティア軍の眼下にその姿が現れた。

丘の向こう、広大な北海の青と、大海へと注ぎ込む大河ローゼンバッハの豊かな水流が交わる場所に広がる巨大な港町。 数え切れないほどの風車と船渠ドック、そして街を包み込む香ばしいニシンの薫製の煙――かつて活気に満ちあふれていたはずのその街「ヘリング」は、いまや黒い帝国の軍旗が翻り、重々しい異様な静寂に包まれていた。

「あれが……ヴェルデンハーフェン。ヘリングの街か」 馬を止めたシャルロッテが、眼下の街を見つめながら静かに呟いた。

「港には帝国の大型軍船が数隻、それに大河の橋梁部にも厳重な防衛陣地が築かれているわね」 ロゼッタが目を細め、敵の配置を冷静に分析する。

「ですが、街の至るところから、虐げられた人々の悲痛な祈りが聴こえてきます……」 エミーナが胸元で『破邪顕正』の杖を強く抱きしめた。

シャルロッテは空を見上げた。 ストロムホルムで浴びた勝利の朝陽はすでに過ぎ去り、ヘリングの空には新たな決戦を予感させる重厚な雲が広がっていた。だが、彼女たちの心に迷いや恐れは一切ない。

腰元の神剣『空斬刺鏡』を固く握り直し、シャルロッテは背後の兵士たちへと振り向いた。

「全軍、突撃準備! これより、ヴェルデンハーフェン――ヘリングの解放作戦を開始します!」

「「オォォォォォッ!!」」

セレスティア軍の地鳴りのような歓声が、北海と大河が交わるヘリングの空へと高らかに響き渡った。 ストロムホルムの奇跡に続く、新たなる激闘の幕が、いま静かに切り落とされようとしていた。

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