第27章『月光の誓いとふたりの影』
月光草の真の力によって絶命の毒呪を完全に克服したヴィルヘルム親王と、醜い噂を覆して美しき真の姿を取り戻したシャルロッテ。二人が死の淵から舞い戻った時、王都の聖宮は太后エレノアの横暴によって重苦しい暗雲に包み込まれていた。
「親王ヴィルヘルムは謀反を起こし、討ち死にした! 逆賊に味方する者に容赦はせぬ!」
太后の虚偽の宣言が大広間に響き渡り、集められた貴族たちは恐怖に震えて平伏していた。幼き国王は太后の横で言葉もなく怯え、まさに太后が全権を完全に奪い取ろうとしたその時だった。
――バァンッ!
重厚な大広間の扉が、内側から激しい衝撃とともに吹き飛んだ。
静まり返る大広間へと歩みを進めたのは、漆黒の甲冑を纏い、凄まじい覇気を放つヴィルヘルム。そしてその傍らには、真白のドレスに身を包んだシャルロッテの姿があった。さらには、シャルロッテの背後で護衛のように佇む二人の美少女侍女――まばゆい金髪をなびかせたエミーナと、艶やかな黒髪をきっちりと結い上げたロゼッタの姿もあった。
「―――――――誰が死んだと?」
ヴィルヘルムの氷のごとき低音が広間に低く響き渡り、貴族たちは息をのんだ。かつて薬毒の作用と変装によって顔を隠していたシャルロッテの素肌は、今や満月のごとく気高く透明感あふれる輝きを放ち、その圧倒的な美貌に誰もが言葉を失っていた。
「馬鹿な……生きているはずがない! その男の体には絶命の毒呪が……!」
動揺を隠せない太后エレノアが青ざめた顔で叫ぶ。彼女の手振りを合図に、潜んでいた影の暗殺者たちが一斉に跳び出してきた。
しかし、シャルロッテは慌てることなく静かに一歩前へ出た。
「太后様。あなたが長年、言葉巧みに施してきた『毒』は、もうこのお方には一切効きません。そして……あなたが私に下賜されたあの葡萄酒の毒も」
シャルロッテがすっと指先を鳴らす。それを合図に、後ろ控えていたエミーナとロゼッタが素早く動いた。
エミーナは可憐な容姿からは想像もつかない手際で、袖口から取り出した特製の香炉に火をつけた。漂い出す甘く爽やかな香りが広間全体へ一気に広がっていく。
「ふふ、お仕置きの時間ですよ! セレスティア伯爵家と太后様の陰謀はここまでです!」
エミーナが明るく言い放つと同時に、襲いかかろうとしていた太后の側近や暗殺者たちが、次々と膝から崩れ落ちて床に倒れ伏した。
「な、なに……!? 身体が動かぬ……!」
「聖宮の庭園や柱に仕込まれていた太后様の秘密の毒薬は、すべて私とシャルロッテ様で無力化させていただきました」
黒髪のロゼッタが冷静かつ冷ややかな声で告げる。山から持ち帰った月光草の香粉とシャルロッテの特製調剤を事前に聖宮の通気口へ仕込んでおいたことで、太后側の仕込み毒は無効化され、逆に太后陣営だけに即効性の麻痺をもたらす中和毒へと変貌していたのだ。
「ロゼッタ、エミーナ、見事な働きです」
「もったいないお言葉です、シャルロッテ様! シャルロッテ様の調合した薬効が完璧だったまでのこと」
エミーナが誇らしげに胸を張り、ロゼッタも静かに深く一礼した。
逃げ場を失い、完全に追い詰められた太后は狂気混じりに金切り声を上げた。
「おのれ、セレスティア伯爵家の面汚しめ! 誰のおかげで親王妃になれたと思っている!」
「私はセレスティア伯爵家の娘としてここへ来たのではありません」
シャルロッテはヴィルヘルムの傍らに立ち、彼の無骨で温かい手を力強く握り返した。
「親王妃として、そしてこの男の命を守る唯一の存在として、あなたに裁きを下しに来たのです」
ヴィルヘルムの鋭い剣が太后の喉元へピタリと突きつけられた。抵抗の術を失った太后はガタリと膝をつき、長きにわたる権力闘争と陰謀の歴史は、ここに完全に潰え去ったのだった。
◇
それから数か月が経過した。
毒と謀略の嵐が去り、王国の平和を取り戻した親王館の庭園には、色とりどりの薬草と美しく咲き誇る花々がやさしい風に揺れていた。
暖かい陽光の下、シャルロッテは庭園の一角に設けられた調剤作業台で、楽しそうに新しい薬草の調合に取り組んでいた。その左右には、いつも通り彼女を甲斐甲斐しく手伝う侍女二人の姿があった。
「シャルロッテ様、こちらが今朝摘み取ったばかりの『太陽草』の乾燥葉です! 黄金色に綺麗に乾きましたよ!」
金髪を揺らしながら無邪気な笑顔で報告するのはエミーナだ。彼女の手元には、見事に切り揃えられた薬草の小箱が並んでいる。
「ありがとう、エミーナ。とても良い状態ね。これで次の強壮薬が作れそうだわ」
「ふふ、ヴィルヘルム閣下のお仕事のお疲れも一気に吹き飛びますね。あ、でも……シャルロッテ様、こちらの月光草の精油の抽出は私が引き継ぎます。シャルロッテ様の手が汚れてしまいますから」
すかさず黒髪のロゼッタがすり足で歩み寄り、シャルロッテの持つガラス瓶を洗練された動作で受け取る。ロゼッタの手際は職人のように正確で無駄がない。
「ロゼッタもありがとう。二人とも、いつも私を助けてくれて本当に感謝しているわ」
シャルロッテが心からの笑みを浮かべると、エミーナとロゼッタは顔を見合わせ、嬉しそうに微笑んだ。
かつて屋敷で孤立し、「捨てられた毒使い」と蔑まれていたシャルロッテにとって、親王館で暮らすようになって得たこの二人の侍女は、単なる主従を超えたかけがえのない親友であり、仲良しの絆で結ばれた存在だった。
「感謝だなんて、滅相もございません。私たちこそ、シャルロッテ様のお供ができて毎日が本当に幸せなのですから」
ロゼッタが真面目な面持ちで語ると、エミーナも大きく頷いた。
「そうですとも! シャルロッテ様の美しい真の姿を一番近くで見られるだけでも、私たち侍女冥利に尽きます! ねぇ、ロゼッタ?」
「ええ。今のシャルロッテ様の輝くような美しさは、神々しいほどです。かつて毒で顔を隠さざるを得なかった頃を思うと、こうして笑顔でお話しできるだけで胸が熱くなります」
「もう、二人とも褒めすぎよ。少し照れてしまうわ……」
シャルロッテが少し頬を赤らめて照れていると、エミーナがいたずらっぽく小首をかしげた。
「でもでも、私たちの褒め言葉以上に、シャルロッテ様の美しさに毎日メロメロになっている方がいらっしゃいますよね?」
「え……?」
「ほら、あちらから凄まじい威圧感……いいえ、愛の気配を漂わせながら歩いていらっしゃいますよ」
ロゼッタが視線を向ける先には、今日の公務を終えたヴィルヘルム親王の姿があった。彼は大股で庭園を進み、真っ直ぐにシャルロッテのもとへと向かってくる。
「さて、ロゼッタ。私たちはそろそろ『野暮な邪魔者』にならないよう退散しましょうか」
「そうですね、エミーナ。お茶の準備をしてまいります。シャルロッテ様、ごゆっくり」
「ちょっと、ふたりとも……!」
シャルロッテの呼び止めも虚しく、エミーナとロゼッタは阿吽の呼吸でクスクスと楽しそうに笑いながら、手際よく作業台を片付けて去っていってしまった。
◇
残されたシャルロッテが少し困ったように息をつくと、背後から急に温かい体温が近づき、強い腕が彼女の細い腰を優しく抱き寄せた。
「また薬草いじりか。たまには夫の相手もしてほしいものだな、我が優秀な主治医殿」
耳元で囁くヴィルヘルムの低い声と、首筋に落ちる温かい吐息。シャルロッテは心から愛おしい気持ちで胸を満たされながら、可憐に微笑んで振り向いた。
「仕方がありませんわ、閣下。閣下の体に残る『愛という名の毒』は、生涯治りそうにありませんもの」
シャルロッテの戯れ言に、ヴィルヘルムは満足そうに目を細め、胸の奥から響くような低い笑い声を漏らした。
「ふっ……ならば一生をかけて、私を看病してもらうとしよう」
ぎゅっと力強く引き寄せられる身体。
静かな木漏れ日が降り注ぐ庭園の中で、二人は互いの存在を噛みしめるように、深く甘い口づけを交わした。
遠くの回廊の影からその様子を温かく見守っていたエミーナとロゼッタは、胸の前で手を組み、心からの祝福を込めて微笑み合っていた。
「本当にお似合いのご夫婦ですね、エミーナ」
「ええ、ロゼッタ。シャルロッテ様がこんなに幸せそうな笑顔を見せてくださるなら、私たち、どんな毒だってどんな敵だって追い払ってみせますわ!」
かつて冷酷と恐れられた親王と、捨てられた毒使いの令嬢。そして彼女を支える二人の忠実で愛らしい侍女たち。
陰謀の渦中で結ばれた確かな絆と愛の物語は、
平穏に続くのであった。




