第26章『鬱蒼とした毒霧に覆われたスパイナル・モニュメント』
険しく切り立った崖と鬱蒼とした毒霧に覆われた「竜の脊梁」。太后直轄の精鋭部隊が目を光らせる禁断の山嶺は、一歩踏み外せば生きては戻れぬ死の領域だった。
漆黒の外套を羽織ったヴィルヘルムとシャルロッテは、暗夜に乗じて絶壁を駆け上がる。
「気をつけてください、ヴィルヘルム様。この霧には意識を狂わせる『幻惑の胞子』が混ざっています」
シャルロッテにあらかじめ精製しておいた清心丸をヴィルヘルムの口に含ませた。指先が彼の唇に触れると、ヴィルヘルムは逃がさぬようにその手首を掴み、そっと掌に口づけを落とす。
「お前が側にいる。どのような幻影も、私を狂わせることはできん」
「......こんな状況で、戯れ言を」
シャルロッテは照れ隠しに頬を赤らめたが、その肌に広がっていたアザは完全に消え去り、月光の下で雪のように眩い素肌が露わになっていた。毒の克服とともに解き放たれた彼女の真の美しさは、息をのむほどに神々しい。
山頂の祠堂に辿り着いた二人の前に、蒼白く輝く伝説の薬草「月光草」が姿を現した。しかし、それを手に入れようとした瞬間、周囲の空間が歪み、待ち伏せていた太后エレノアの密派が立ちはだかる。
「そこまでだ、逃亡者ども!」
現れたのは、太后が極秘裏に育て上げた影の暗殺集団。その手に握られた刃には、見覚えのある黒い毒が塗られていた。
「シャルロッテ、私の背中に隠れていろ!」
ヴィルヘルムは大剣を抜き放ち、猛然と襲いかかる刺客たちを一閃のもとに斬り伏せていく。圧倒的な剣技と威圧感。だが、敵の数は執拗であり、ヴィルヘルムの全身の血が激しく巡るにつれ、体内に残る「毒呪」が再び暴れ出し、彼の膝ががくりと折れた。
「くっ......ここで......!」
「ヴィルヘルム様!」
刺客の頭領が隙を見せたヴィルヘルムの喉元へ刃を振り下ろす。シャルロッテは迷わず二人の間に割って入ると、月光草を素手で引き抜き、その汁液を自らの血と混ぜ合わせて口に含んだ。
そして、倒れ込むヴィルヘルムの首を抱き寄せ、その唇に自らの唇を重ね合わせた。
————秘術・血脈浸透。
二人の息が重なり合い、濃厚な薬効とシャルロッテの解毒の血がヴィルヘルムの体内へと直接注ぎ込まれる。
一瞬の静寂の後、ヴィルヘルムの瞳が黄金色の光を放った。体内の毒呪が完全に打ち砕かれ、解き放たれた真の力が全身にみなぎる。彼はシャルロッテを固く抱き締め返すと、凄まじい衝撃波とともに立ち上がった。
「私の命も、私の心も...... すべてはこの女のものだ。貴様らに奪わせはしない!」
一瞬の疾風。ヴィルヘルムの一撃は山嶺を揺らし、刺客たちを一網打尽に薙ぎ払った。
嵐が去り、静けさが戻った山頂で、ヴィルヘルムは息を整えながらシャルロッテを腕の中に引き寄せた。完全に毒を克服した彼の肌は力強い熱を帯び、シャルロッテの体を温める。
「......見事な解毒治療だったな、我が主治医よ」
「...... 口移しでなければ、薬効が間に合いませんでしたの」
言い訳するように視線を泳がせるシャルロッテの顎を、ヴィルヘルムは愛おしそうに持ち上げた。
「ならば、治療の続きが必要だな。生涯をかけて、私を癒やし続けてくれ」
もう二人を縛る毒も、偽りの仮面も存在しない。互いの愛を確かめ合った二人は、太后の野望を粉砕し、新たな王国の未来を切り開くため、王都への決戦の地へと舞い戻るのだった。




