第23章『枢機卿ヴァルターと陰謀』
「殿下!緊急事態です! 宮廷より太后様の使者が到着いたしました!」
側近の切迫した声が静寂を破る。ヴィルヘルムはいつもの冷徹な親王へ、シャルロッテは気弱で愚鈍な妻へと姿を変える。
「……通せ」
ヴィルヘルムが重々しい声で命じると、豪華な衣装を纏った太后の使者・枢機卿ヴァルターが立ち入ってきた。ヴァルターの眼光は怪しく光り、部屋の隅に縮こまるシャルロッテと、冷ややかな笑みを浮かべるヴィルヘルムを交互に見やる。
「これはこれは、親王殿下。新妻との新婚生活を邪魔してしまい申し訳ない。……しかし、太后様がお怒りなのだ。『セレスティア伯爵家の娘が、初夜から離れの塔に閉じ込められているとはどういうことか』とな」
使者は蔑みの目をシャルロッテに向けた。
「顔に不気味な痣を持つ女とはいえ、太后様が下賜された高貴な婚姻。これを無下にするは、王家への反逆と取られても文句は言えまい?」
あからさまな揺さぶり。太后の狙いは、シャルロッテを盾にしてに濡れ衣を着せ、軍権を持つヴィルヘルムの親王位を剥奪することにあった。
ヴィルヘルムはゆっくりと立ち上がり、冷気すら孕む威圧感で使者を押し返した。
「反逆、だと? 戯れ言を。この女が我が城に入った途端、ヴァルプルギスに古くから伝わる怪異が起き始めたのだ。我が一族の血を守るため、調査が終わるまで塔に留めるのは当然の処置。……それとも枢機卿、太后様は我が家に災いをもたらす女を毒杯として送り込んだとおっしゃりたいのか?」
「くッ……そこまでは申し上げておらん!」
巧みな言いがかりで逆に追い詰められた使者は、苦々しく顔を歪めた。だが、ヴァルターは引き下がらなかった。
「ならば親王殿下。その忠誠を証明していただこう。明日、王都にて開かれる『聖霊祭』の儀式に、その妻を伴って出席されたい。太后様が直々にお二人を祝福されるそうだ」
聖霊祭——それは王都中の貴族が集う華やかな宴であり、同時に毒と謀略が飛び交う最大の処刑場でもあった。太后は公衆の面前で二人を嵌め、まとめて始末する気なのだ。
重く湿った沈黙が支配する離れの塔。太后の使者である枢機卿ヴァルターが、捨てゼリフを残して去った部屋には、張り詰めた緊張感とそれを上回る熱気が満ちていた。
「罠だな。王都へ行けば、生きて戻れる保証はない」
ヴィルヘルムが低く呟く。冷徹な親王の横顔には、迫り来る死線への警戒の色が滲んでいた。しかし、その傍らで小さく肩を揺らす影があった。
「むしろ好都合ですわ、殿下」
気弱で愚鈍な妻の仮面を脱ぎ捨てたシャルロッテが、不敵に微笑む。その瞳には恐れなど微塵もなく、燃え上がるような闘志が宿っていた。彼女はドレスの裾をかすかに持ち上げ、隠しポケットから怪しく光る液体が入った小瓶を取り出した。
「太后様が毒を仕掛けてくるというのなら、返り討ちにして差し上げましょう。王都の宴を、あの狐どもの墓場に変えて見せます」
「……手に負えない妻だな」
ヴィルヘルムは呆れつつも思わず口元を緩め、シャルロッテの手を力強く握りしめた。
敵だらけの王都へ、牙を隠したまま乗り込む決意を固めた二人。その時、部屋の奥にある隠し扉が、規則正しく三回叩かれた。
「シャルロッテ様、お話し合いはまとまりましたでしょうか」
静けさを破って現れたのは、シャルロッテに仕える二人の侍女だった。
一人は輝くような金髪を美しい三つ編みに仕立てた、可憐な雰囲気を持つエミーナ。もう一人は夜空のように深い黒髪をたびたび優雅になびかせ、鋭く冷徹な眼光をたたえた美少女、ロゼッタである。
二人は単なる侍女ではない。シャルロッテとは幼少期から苦楽を共にし、絶対の信頼で結ばれた親友であり同志であった。
「エミーナ、ロゼッタ。控室で話を聞いていたでしょう? 明日は王都の『聖霊祭』へ乗り込むわ」
シャルロッテが不敵な笑みを浮かべると、金髪のエミーナは目を輝かせてパッと表情を華やがせた。
「もちろんです、シャルロッテ様! 陰でヴァルター枢機卿のあのアホっぽい捨てゼリフを聞いていて、吹き出すのを堪えるのが本当に大変だったんですから。『太后様の毒杯』だなんて、シャルロッテ様の調合した毒の恐ろしさを知らないなんて、本当におめでたい頭をしてらっしゃいますわ!」
「こら、エミーナ。口が滑りすぎていますよ。親王殿下のみ前です」
黒髪のロゼッタが、手にした短剣の手入れの手を止めることなく、静かな声でエミーナをたしなめた。ロゼッタはヴィルヘルムへ優雅に一礼すると、シャルロッテの手元にある小瓶へ視線を投げる。
「しかしお嬢様、返り討ちの覚悟は結構ですが、相手は王都の謀略を牛耳る太后の勢力です。ただ毒を盛り返すだけでは、親王殿下にまで火の粉が及びかねません」
「ふふ、わかっているわロゼッタ。だからこそ、あなたたちの力が必要なの」
シャルロッテは二人の侍女を近くへ呼び寄せ、テーブルの上に王都の地図と聖霊祭会場の配置図を広げた。ヴィルヘルムも興味深そうにその輪に加わる。
「いい、エミーナ。あなたは私の気弱で愚鈍な侍女として、王都の給仕たちに紛れ込みなさい。得意の愛嬌で太后側の給仕に接近し、彼らがどのグラスに仕込みを行おうとしているか、配膳の手癖を見抜くのよ」
「お任せくださいませ! ドジっ娘の振りをしながら、敵の動きを完全に把握してみせます。ついでにあの気取った太后様の側近の足でも引っかけて、ドレスを熱々のスープまみれにして差し上げましょうか?」
「余計な真似をして目立たないでちょうだい、バカエミーナ」
ロゼッタの冷ややかなツッコミに、エミーナは「もー、ロゼッタは相変わらず厳しいんだから!」と頬を膨らませた。緊張感の漂う室内に、三人の仲の良さを窺わせる小さな笑いが起きる。
シャルロッテは笑みを収めると、ロゼッタに真剣な眼差しを向けた。
「ロゼッタ、あなたは会場の警備配置の隙を突いて、事前に太后の控室へ潜入してちょうだい。私が調合したこの『無味無臭の遅効性麻痺毒』を、彼女が儀式用に使う聖水に一滴だけ混ぜてほしいの」
ロゼッタの黒い瞳が、怪しく美しく細められた。
「……なるほど。聖霊祭の最中、大勢の貴族の前で神聖な儀式を執り行おうとした太后様が、突然声が出なくなり、その場に崩れ落ちるわけですね。『悪事を働いた太后に神の天罰が下った』と見せかけるおつもりですか」
「その通りよ。太后が私たちを謀殺しようとしたその瞬間に、自分自身が恐怖の底に叩き落される……完璧な筋書きでしょう?」
「くく……相変わらず容赦がありませんね、お嬢様。ですが、それこそ私たちが生涯をお捧げすると決めた主君の姿です」
ロゼッタは満足そうに口元を歪め、胸に手を当てて深く礼をした。
一連の密談を傍らで聞いていたヴィルヘルムは、呆れ半分、感心半分といった様子で大きなため息をついた。
「……恐ろしい主従だな。侍女までもがこれほど度胸と謀略に長けているとは。セレスティア伯爵家とは、一体どのような教育をしているのだ?」
「あら殿下、私とエミーナとロゼッタは、小さい頃からずっと一緒に変な遊びを学び合ってきた仲なのですわ。私たち三人が本気を出せば、国の半分くらいなら一晩で落とせますのよ?」
「冗談に聞こえないのが恐ろしいところだな……」
ヴィルヘルムは苦笑しつつも、目の前の頼もしい三人の絆にどこか救われる思いを感じていた。孤独に戦ってきた彼にとって、この常識外れで恐れを知らない妻と侍女たちは、何よりも心強い味方であった。
「よし、決まりね。明日の聖霊祭、あの狐どもを返り討ちにしてやるわ!」
シャルロッテが不敵に宣言すると、金髪のエミーナと黒髪のロゼッタは顔を見合わせ、心強い笑みを浮かべた。
「「畏まりました、シャルロッテ様」」
牙を隠した妻と、その背中を支える二人の美少女侍女。王都の宴は、太后の思惑通りには進まない――暗雲立ち込める王都へ向けて、反撃の物語が静かに動き出そうとしていた。




