第15章『新講義。超解釈格言づくり』
クリスタリア湖の静謐な水面に、白銀の尖塔群がその優美な影を落としている。セレスティア伯爵家の居城、フロスト ヴァイス城。外界の喧騒から切り離されたこの城の図書室には、今日も今日とて奇妙な緊張感が漂っていた。
6月第4週のとある日。
「さあ、みなさん。今日の講義を始めますわ」
教壇に立つのは、セレスティア家の家庭教師を務めるイザベラだ。知性を誇る知識層の女性――という言葉からは程遠い妖艶な衣装を、彼女は当然のように身にまとっている。
深めのスリットから覗く網タイツに包まれたしなやかな脚。胸元が深く開いたドレスからは豊かな谷間が露わになり、彼女が優雅に歩みを進めるたび、その圧倒的な存在感が視線を奪う。
「家庭教師のイザベラ先生……今日も攻めた衣装ね」
伯爵家の孫2号であり、この城の令嬢であるシャルロッテが、淡い栗毛の髪を軽く揺らしながら呟いた。その両脇には、いつも行動を共にしている愛らしい美少女侍女たちが控えている。
「シャルロッテ様、あのような破廉恥な装い……ですが、イザベラ先生がお召しになると不思議と説得力がございますね」
金髪を揺らし、無邪気な瞳を輝かせるのは侍女のエミーナ。
「ええ。ですが目のやり場に困ります。特に男性陣は……」
黒髪を几帳面に切り揃えた侍女のロゼッタが、冷ややかな視線を一箇所に送る。
「くっ……! イザベラ先生のあの胸筋……いや、大胸筋の下部から鎖骨へと伸びる美しいライン! 完璧なストレッチがかかっている! 俺の広背筋も負けてはいられない……!」
シャルロッテの従兄であり、叔母クララの息子であるオリバーだ。彼は机の下で執拗にリストウェイトを握り締め、筋肉をピクピクと躍動させている。ただの変態筋トレマニアである。
「オリバー、いい加減にしろ。イザベラ先生、こいつは後で庭の薪割り百回にしておいてください。……それより先生、今日の講義の題材は一体何なのですか? 教養や歴史とは到底思えないような空気が漂っていますが」
深々と溜め息をついたのは、伯爵家孫1号のガブリエルだ。彼はこの奇人だらけの一族において唯一の常識人であり、苦労性のツッコミ役であった。とはいえ、跡取り候補としての真面目さゆえ、家訓や目上の教えには抗えず、こうして律儀に授業に参加している。
「あら、ガブリエル様。失礼ですわね。これは立派な『発想力と認知の歪みを利用した言語教育』ですのよ」
イザベラは艶やかな唇をくねらせ、黒板に大きく文字を書き走らせた。
【超解釈格言づくり】
「超解釈格言……?」
シャルロッテが首をかしげる。イザベラは長い指示棒で黒板をコンコンと叩いた。
「ええ。誰もが知る既存の格言や諺。それを、まったく違う――そうね、例えば『不気味で常識外れな意味』に解釈し直して提示していただきますの。例えば、『犬も歩けば棒に当たる』。これは『余計な行動をすると災難に遭う』あるいは『行動すれば思わぬ幸運に巡り合う』という意味ですが……超解釈ではこうですわ」
イザベラは胸元を強調するように少し前かがみになり、低く不穏な声で囁いた。
「――夜道で犬の形をした怪異とすれ違った際、その骨を折り砕くための鉄棒が、都合よく足元に落ちている確率のこと」
「……怖いわ! 意味がぜんぜん違うじゃないの!」
シャルロッテが思わず叫んだ。ガブリエルも額を押さえる。
「ただの怪異討伐の法則じゃないですか……。先生、本当にこんな授業で我が家の教養が深まるのですか?」
「ふふ、頭の柔軟性が試されるのですわ。さあ、制限時間は十分。皆様、存分にその歪んだ……いいえ、豊かな想像力を爆発させてちょうだい」
イザベラが扇子を広げたその時、図書室の扉が静かに、しかし寸分の狂いもない動作で開いた。
「イザベラ先生。講義中の失礼を許し給え」
現れたのは、館内清掃を担当するハウスメイド、ベルナデット――通称『メガネのナデット』だ。銀縁メガネの奥の瞳は一切の感情を排し、整いすぎたメイド服の皺ひとつすら許さない。
「ナデット? 今は授業中よ。清掃のスケジュールは済んだのかしら?」
「当然です。最合理。最速。完璧。本日の第3エリアおよび図書室の外郭清掃は予定より四分十二秒早く完了いたしました。現在は余剰時間における知的補助作業として、この講義への参加を提案いたします」
「まあ! 素晴らしいわ。ナデットも参加しなさい。分析と解説の鬼であるあなたなら、どんな『超解釈』を見せてくれるかしらね」
ナデットは無言でメガネのブリッジを指先で押し上げた。レンズがキラーンと妖しく光る。
「了解。課題内容『諺の不気味な超解釈』。すでに思考フレームワークは構築完了。直ちに提示可能です」
「えっ、もう!?」
ガブリエルが思わず声をあげる。ナデットは迷いなく歩み出ると、羊皮紙を手に取ることすらなく、淡々と口を開いた。
「対象格言:『塵も積もれば山となる』」
「ああ、一般的な意味は『微小なものでも積み重ねれば巨大な成果になる』だな」
ガブリエルが補足する。ナデットは一切の抑揚がない声で続けた。
「超解釈:『この屋敷の壁裏に潜む【何か】が排出した皮膚片や生ゴミを、何世代にもわたって放置した結果、意思を持った肉の塊が屋根裏を突き破って顕現する現象』」
「……」
図書室が一瞬で静まり返った。
「清掃メイドとして失格の発想だよ!! なにが『意思を持った肉の塊』だ! うちの城の屋根裏にそんなもん溜め込んでんのか!?」
ガブリエルの悲痛なツッコミが響き渡る。しかしナデットは表情ひとつ変えない。
「否定。これは解釈の可能性の示唆であり、実際の清掃状況は完璧です。我が清掃理論において塵の蓄積は万死に値します」
「そういう問題じゃないだろ!」
「あらあら、いいわねナデット! 生々しくて実に不気味だわ。加点十点ですわ!」
イザベラが豊満な胸を揺らして拍手する。
「よし、次は俺だ!」
次に挙手したのは従兄のオリバーだ。彼は椅子から立ち上がると、無駄に鍛え上げられた上腕二頭筋をアピールするようにポーズをとった。
「対象格言:『二兎を追うものは一兎をも得ず』!」
「オリバー……お願いだから変態的なのはやめてね」
シャルロッテが引きつった笑顔で釘を刺す。エミーナとロゼッタも生暖かい目で見つめている。
「フッ、安心しろシャルロッテ! 筋肉は裏切らないが、この解釈は裏切るぜ! 超解釈:『森の中で見つけた二頭の巨うさぎ(怪獣)を同時に素手で絞め殺そうと欲張った結果、両方の握力を分散させてしまい、首骨を折り損ねて逆に自分が貪り食われるという筋肉的愚行』!」
「……やっぱり筋肉と暴力の話じゃないか!」
ガブリエルが即座に叩き伏せるように突っ込んだ。
「惨殺シーンの描写が無駄に具体的すぎるんだよ! うさぎを素手で絞め殺そうとするな!」
「だがガブリエル兄ちゃん! 二つの獲物を同時に完璧に破砕するには、前腕屈筋群の出力が最低でも三百キロは必要なんだ! 欲張りは命取りなんだよ!」
「熱弁するな! 筋肉の講義じゃないんだぞ!」
「ふふ、熱意は認めますわオリバー様。ですが少し野蛮すぎますわね。減点五点です」
イザベラが扇子でオリバーの鼻先を突く。オリバーは「くっ、大胸筋の鍛え直しだ……!」と机に崩れ落ちた。
「あの……私達も考えてみました!」
ここでエミーナとロゼッタが顔を見合わせた。シャルロッテの美少女侍女コンビだ。
「あら、エミーナにロゼッタ。二人で考えたの?」
シャルロッテが興味津々に尋ねると、二人は可憐に頷いた。
「はい! エミーナとロゼッタの共同作業です! 対象格言は『情けは人のためならず』です!」
「本来は『人に親切にすれば、巡り巡って自分によい報いが来る』という意味ですよね」
ロゼッタが優しく微笑み、エミーナが楽しそうに言葉を継ぐ。そのあまりに愛くるしい笑顔から放たれたのは、想像を絶する闇であった。
「超解釈:『見知らぬ他人に中途半端な同情や情けをかけて助けてしまうと、その者があなたに異常な執着を抱き、毎夜あなたの寝室の窓を爪でカリカリと引っ掻きながら一生ストーキングし続けることになるため、絶対に人に親切にしてはならないという戒め』」
「……笑顔で言う内容かそれが!?」
ガブリエルが思わず椅子から立ち上がった。
「怖すぎるだろ! 窓を爪でカリカリすんな! 追体験したことあるのかってくらいリアルなホラーにするな!」
「ええ~? ガブリエル様、だって中途半端な優しさは人を狂わせますでしょう?」
エミーナが首をかしげる。
「左様です。生殺与奪の権を握ったなら、情けをかけずに最後まで完璧に処置すべきです」
ロゼッタが黒髪を揺らしながら淡々と言い放つ。
「お前たち、シャルロッテの侍女をやっている間にどんな闇を抱え込んだんだよ……!」
「あらぁ~、二人とも素晴らしいわ! 人間の執着というドロドロした不気味さが見事に表現されているわ! 加点十五点!」
イザベラが大喜びで二人を絶賛する。シャルロッテは二人の侍女の肩を抱き、「二人とも、私が守ってあげるからね……」と謎の誓いを立てていた。
「さあ、ガブリエル様。そして主人公のシャルロッテ様。残るはあなた方二人ですわよ?」
イザベラの視線が二人に向かう。特にその胸元の谷間がガブリエルの目の前に迫り、常識人の彼は顔を赤くしながら視線を彷徨わせた。
「くっ……仕方ない。俺だってセレスティア家の長孫だ。教養の何たるかを見せてやる……!」
ガブリエルは咳払いをし、メガネ(ナデットとは違う普通の眼鏡)の位置を直した。
「対象格言:『壁に耳あり障子に目あり』」
「おお、ガブリエル兄ちゃん! 秘密は漏れやすいという意味だな!」
オリバーが期待の目を向ける。ガブリエルはフッと冷ややかな笑みを浮かべた。常識人ゆえに、この異常な家族に囲まれて蓄積されたストレスが、彼の言葉にダークな切れ味を与えていた。
「超解釈:『この古い城の壁の中には、かつて生贄にされた囚人たちの無数の耳がぎっしりと埋め込まれており、障子の紙の裏には剥ぎ取られた人間の眼球が貼り付けられ、住人の一挙一動を絶え間なく監視・記録し続けているという城の構造上の事実』」
「……お前が一番エグいこと言ってるよ!!」
シャルロッテが思わず叫んだ。
「なにそれ! 自分の家(フロスト ヴァイス城)のこと言ってるの!? 嫌なんだけど! 今日から自分の部屋で寝られなくなるじゃない!」
「ははは! シャルロッテ、これはただの解釈だ! だがな……夜中に壁から『カサカサ』と音がするのは、本当にネズミだけだと思うか……?」
「やめてえええええ!」
シャルロッテが耳を塞いで叫ぶ。
「素晴らしいわ、ガブリエル様! 城の歴史とホラーが見事に融合した傑作ですわ! 加点二十点!」
イザベラが興奮気味に拍手する。
「さあ、最後はシャルロッテ様。伯爵家孫2号としての意地を見せてちょうだい」
全員の視線がシャルロッテに集まった。美少女侍女のエミーナとロゼッタが「シャルロッテ様ならできます!」「私達の主の底力を見せてください」と拳を握りしめている。
シャルロッテは深呼吸をした。淡い栗毛をなびかせ、ゆっくりと立ち上がる。
「……いいわ。私の『超解釈』を聞きなさい」
シャルロッテはすっと指を立てた。
「対象格言:『早起きは三文の徳』」
「ほう……『朝早く起きれば、少しだが何か良いことがある』という誰もが知る有名な諺だな。これをどう不気味にするというのだ?」
ガブリエルが腕を組んで見守る。
シャルロッテはゆっくりと目を閉じ、どこか遠くを見るような、底知れぬ静けさを湛えた声で語り始めた。
「超解釈:『まだ誰も起きていない丑三つ時の静寂の中、うっかり目を覚ましてしまった者だけが目撃できる――深夜の館を徘徊し、眠っている住人の口から『命の吐息』を細い管で吸い取って集めている【顔のない収集者】から、運良く見逃してもらうための命の対価(三文)』」
「……」
図書室に、本物の静寂が訪れた。
ナデットが手帳に何かを高速で書き込み、オリバーの筋肉が凍りつき、エミーナとロゼッタが息をのむ。
「……ねえ、イザベラ先生」
シャルロッテはゆっくりと目を開け、イザベラをじっと見つめた。
「私、今朝の四時に目が覚めた時……廊下で、すごく背の高い『何か』が、先生の部屋のドアノブに細い管を差し込んでいるのを見たの。あの時、私がとっさに床に落とした銅貨(三文)を拾って逃げて行ったけれど……あれは、一体何だったのかしら?」
「……」
イザベラの艶やかな笑みが、ピキリとフリーズした。
あの圧倒的な色気を誇るイザベラが、冷や汗をひとつ、その美しい頬に伝わせている。
「……シャルロッテ様?」
「先生。あの『顔のない収集者』って……先生の部屋から何を吸い取っていたの?」
静まり返る図書室。
ガブリエルがゆっくりとシャルロッテから距離を取り、ナデットが無言で自分用の魔よけの塩を取り出し、オリバーが「俺の筋肉も吸われるのか……?」と怯え始めた。
「……つ、授業終了ですわーーーーっ!!」
イザベラは金切り声を上げると、深めスリットのドレスを翻し、網タイツの脚で猛烈なダッシュを決めて図書室から逃げ出していった。
「あ、イザベラ先生逃げた!」
エミーナが声をあげる。
「完璧な撤退速度。さすがイザベラ先生です」
ナデットが感心したように頷く。
「……ねえ、ガブリエル兄ちゃん。私、勝った?」
シャルロッテが首を傾げると、ガブリエルは引きつった顔で彼女の頭を雑に撫でた。
「ああ、お前の勝ちだシャルロッテ。だが頼むから、明日の朝は俺より遅く起きてくれ。命の吐息を吸われるのは御免だ……」
クリスタリア湖に佇むフロスト ヴァイス城。 白銀の美しき城には、今日も今日とて、住人たちの変幻自在で少し不気味な笑い声が響き渡るのであった。




