第14章『夏至のお祝いアルヴの火祭り』
輝晶の森――アルヴ・ルミナの樹々が、昼の眩い陽光を受けて七色の光彩を弾き返していた。
クリスタリア湖の中央に威容を誇るフロストヴァイス城。セレスティア伯爵家の本拠地であるその城から南を望めば、眼下に広がるのは針葉樹の緑と、そこにこびりついた霧氷が織りなす幻想的な光の海だ。だが、この6月第3週の週末に限っては、静謐を旨とする森も城下町も、いつもとは全く異なる熱気に包まれていた。
「夏至の火祭り……! ああ、なんて魅力的な響きなのかしら!」
フロストヴァイス城の広大なバルコニーで、セレスティア伯爵家の孫2号――シャルロッテは、両手を胸の前で組み、キラキラと目を輝かせていた。白磁のような肌に映える華やかな衣装を揺らし、彼女は振り返る。
その視線の先には、すでに頭を抱えている一人の青年がいた。シャルロッテの実兄であり、伯爵家の孫1号、ガブリエルである。
「シャル……また始まったか。お前が『思い立った』時のろくなことのなさといったら、過去の歴史が証明しているんだが」
「失礼ね、お兄様! 今回は歴史と伝統に則った純粋な文化探求よ。アルヴの火祭り! 巨大な人形に火を放ち、湖岸で花火を打ち上げる……こんな刺激的な行事を、見逃すわけにはいかないわ!」
「文化探求ねぇ……。お前がただ賑やかな場所に行って美味しいものを食べ、ドカンと燃えるド派手な演出を見たいだけなのは分かっているぞ。だいたい、伯爵家の令嬢が極秘で街の祭りに紛れ込むなんて、おじい様が知ったらどう思うか……」
ガブリエルは溜め息をつくが、その表情にはどこか諦めが漂っていた。彼はセレスティア伯爵家において数少ない――いや、唯一と言ってもいい「常識人」であり、妹の暴走に対するツッコミ役を一身に引き受けている。しかし同時に、真面目で真面目すぎるが故に、跡取り候補として一族の「決定」や「勢い」に弱いという致命的な弱点を持っていた。
「大丈夫よ、ガブリエル様!」
軽快な声とともに、トレーに載せたハーブティーを運んできたのは、金髪を揺らす美少女侍女、エミーナだった。
「シャルロッテ様のお供には、私とロゼッタも参りますから! 変装の準備もバッチリです!」
「そうですよ、ガブリエル様」
エミーナの後ろから、落ち着いた仕草で黒髪をなびかせながら現れたのは、もう一人の侍女であるロゼッタだ。
「シャルロッテ様を一人でお出しするより、私たちが同行し、さらにガブリエル様が護衛としてついてきてくださるのが、最も安全かつ合理的な解決策かと存じます」
シャルロッテ、エミーナ、ロゼッタの三人は大の仲良しであり、主従という枠組みを超えた強い絆(と、悪ノリのネットワーク)で結ばれている。三人が揃って上目遣いでガブリエルを見つめると、ガブリエルは「ぐっ……」と言葉を詰まらせた。
「……はぁ。分かったよ、分かった。だが条件だ。絶対に単独行動はしないこと。変装を徹底すること。そして、危ない場所には近づかないこと。いいな?」
「やったー! さすがはお兄様、話がわかるわ!」 シャルロッテは歓声を上げ、エミーナとロゼッタと顔を見合わせてニッコリと微笑み合った。
こうして、セレスティア伯爵家の令嬢と兄、そして二人の侍女による「アルヴの火祭り・極秘潜入ツアー」が決定したのだった。
*
陽が傾き始め、輝晶の森が黄金色から紫色のグラデーションへと移り変わる頃、一行は身軽な町人の装いに身を包み、フロストヴァイス城を抜け出して城下町へと繰り出した。
街はすでに祭りの熱気に包まれていた。通りには露店がひしめき合い、焼き肉の香ばしい匂いや、甘い果実酒の香りが漂っている。そして何より目を引くのは、街の至る所に設置された巨大な人形――「ニノス」だった。
木組みと紙で作られたニノスは、過去の厄災や悪霊を模したものから、おどけた表情の巨人の姿をしたものまで様々で、どれも色鮮やかに塗装されている。
「見て、お兄様! あのニノス、すごく大きいの! 5メートルの高さはあるわ!」
「おいシャル、大声を出すな。それと『お兄様』はやめろと言ったろ。ここではただの『ガブ』だ」 「あら、じゃあガブ兄ちゃんね」
「『兄ちゃん』も妙に恥ずかしいから普通に『兄さん』で頼む……」
ガブリエルが頭を押さえる横で、エミーナとロゼッタも目を輝かせていた。
「シャルロッテ様、あちらの露店で売られている焼き串、すごく美味しそうですよ!」
「本当ね、エミーナ! 買いに行きましょう!」
「ちょっと待ちなさい、お二人とも。人込みで離れてはいけません。……まあ、あの焼き串は確かに魅力的ですが」
ロゼッタも冷静を装いつつ、視線はしっかりと露店の肉に向いていた。
結局、ガブリエルが財布の紐を緩め、四人は香ばしく炙られた肉串と、冷えた果実シロップのジュースを手に入れた。人混みを避け、少し開けた場所で頬張る。
「ん~! 美味しい! お城の料理も格別だけど、こういう活気の中で食べるお肉ってどうしてこんなに美味しいのかしら!」
「本当ですね! シャルロッテ様、タレが頬についていますよ」
「あら、エミーナ、取ってちょうだい」 「
はい、パクリ」
「ちょっと、エミーナ! 私の頬についてたタレを指で掬って自分で舐めないでよ!」
「ふふ、美味しかったです」
仲良く戯れるシャルロッテとエミーナの姿を、ロゼッタは微笑ましく眺め、
ガブリエルは「人前で目立つなと言った端から……」とハラハラしながら周囲を警戒していた。
街のあちこちから、笛や太鼓の賑やかなリズムが響いてくる。人々は踊り、歌い、酒を汲み交わしていた。夏至という一年で最も陽が長い日を祝い、これから訪れる夏の豊穣を祈る熱気が、肌を通じて伝わってくるようだった。
「いよいよ、メインイベントね……!」 シャルロッテが広場の中央を指差した。
そこには、街で最も巨大なニノスが鎮座していた。船ほどもある巨大な木組みの巨人で、今にも動き出しそうな迫力がある。
*
夜が深まるにつれ、祭りは最高潮を迎えた。
街中の灯りが一時的に消され、暗闇の中に人々の息遣いだけが残る。広場を埋め尽くした群衆が息をのんで見守る中、松明を持った祭司たちが巨大なニノスを取り囲んだ。
「燃やせ! 過去の厄災を! 夏の光を我らに!」
合図とともに、一斉に松明がニノスへと投げ込まれた。
「――っ!」
油を塗られた紙と木は、一瞬にして爆発的な炎を上げた。ゴオオオ、と凄まじい音を立てて柱のような火柱が立ち上り、夜空を真っ赤に染め上げる。
「すごい……!」
シャルロッテの赤い瞳に、メラメラと揺らめく炎が映り込む。熱風が頬を撫で、歓声が地響きとなって全身を揺らした。
ひとつ、またひとつと、街中に設置されていた他のニノスにも火が放たれ、城下町全体がまるで炎の海と化したかのような幻想的かつ熱狂的な光景が広がっていく。火の粉が夜空へ舞い上がり、まるで逆さまに落ちる星のようだった。
「これが、アルヴの火祭り……! 古いものを燃やし尽くして、新しい季節を迎えるのね」
「大迫力ですね、シャルロッテ様。お屋敷の静かな夜とは大違いです」
エミーナが目を丸くして見惚れている。
「ええ。ですが、この熱気こそが人々の生きる力そのものなのでしょうね」
ロゼッタも深く頷いた。
ガブリエルは炎の熱さに顔を顰めつつも、妹たちの満足そうな顔を見て、小さく口元を緩めた。
「まあ……危険がないわけじゃないが、確かに見事なものだな。一族の領地でこれほどの活気があるのは、跡取り候補としても誇らしいことだ」
「ふふ、真面目なんだから、ガブ兄ちゃんは」 シャルロッテがクスクスと笑う。
だが、祭りはこれで終わりではなかった。
「皆さん、次は湖岸へ移動しますよ! 花火大会が始まります!」
人々の波が、一斉にクリスタリア湖の沿岸へと動き始めた。
*
火祭りの熱気を残したまま、一行は湖岸の小高い丘へと移動した。人混みを避けてガブリエルが案内したその場所は、目の前に広大なクリスタリア湖を見渡し、背後には輝晶の森「アルヴ・ルミナ」が控える絶好の穴場スポットだった。
「うわあ……見て、みんな!」
エミーナが声を上げた。
夜の帳が完全に降りた輝晶の森は、昼間の七色の光とはまた異なる、神秘的な姿を見せていた。森の小道や樹木の根元を照らしているのは、青白く優しい光――「星降る苔」の蛍光だ。まるで足元に夜空の星々が舞い降りてきたかのように、静かな光の道が森の奥へと続いていた。
背後には静寂と幻想の「星降る苔」、目の前には熱狂と光の「クリスタリア湖」。
「素晴らしい場所ね、お兄様。やるじゃない」
「ふん、これくらいは伯爵家の人間として当然の準備だ。さあ、始まるぞ」
ガブリエルが指差した瞬間、ドォン! と腹に響く重低音が響き渡った。
湖上に浮かべられた船から、一筋の光が夜空高くへと打ち上がっていく。
ヒュゥゥゥゥ……
――パァンッ!!!
夜空に咲いたのは、巨大な金のしだれ柳だった。光の粒子が湖面に反射し、鏡のような水面の上にもう一つの大輪の花を咲かせる。
「「「きゃああ――っ!!!」」」
シャルロッテ、エミーナ、ロゼッタの三人が同時に歓声を上げた。
続いて、赤、緑、青、銀色と、色とりどりの花火が次々と打ち上げられる。湖面は光の絵の具を溶かしたようにめまぐるしく色を変え、輝晶の森の霧氷もまた、その光を受けて妖しく輝いた。
ドンドンと連続して打ち上がる大玉の衝撃波が、肌を心地よく揺らす。
「きれい……本当に、息をのむほどきれいだわ……」
シャルロッテは打ち上がる花火を見上げながら、心からの呟きを漏らした。
巨大なニノスを焼き尽くす情熱的な「火」と、夜空と湖を彩る可憐な「花火」。そしてそれを静かに見守る輝晶の森の「星降る苔」。
それら全てが組み合わさり、セレスティア伯爵家の領地であるこの土地の、豊かな歴史と人々のエネルギーを象徴しているようだった。
「シャルロッテ様」 ロゼッタがそっと隣に立ち、温かいお茶の入ったボトルを手渡してくれた。
「来年も、また来たいですね」
「ええ、絶対に来ましょうね! エミーナも、お兄様も一緒に!」
「えっ、僕も来年確定なのか……?」 ガブリエルが困惑した顔をしてみせたが、その瞳には優しさが宿っていた。
「まあ、お前たちが勝手に抜け出して騒ぎを起こすくらいなら、僕が付き添ってやった方がマシだからな」
「ふふ、やっぱりお兄様は頼りになるわ!」
シャルロッテは嬉しそうに笑い、ガブリエルの腕に甘えるようにすがりついた。エミーナとロゼッタも顔を見合わせ、楽しそうにクスクスと笑う。
夜空には最後の大仕掛け――百花繚乱の連発花火が打ち上がり、視界の全てが眩い白銀の光で満たされた。歓声と拍手が湖畔全体に鳴り響き、夏の訪れを告げる祭りは最高のクライマックスを迎えた。
光の余韻が残る夜空の下、シャルロッテは輝晶の森の静かな光の小道を見つめながら、心の中でつぶやいた。
(最高の週末になったわ。企画した甲斐があったというものね!)
伯爵家の令嬢としての日常も悪くはないが、たまにはこうして大切な人たちと羽を伸ばし、世界の美しさを肌で感じること。それこそが、シャルロッテにとって何よりの宝物だった。
熱気と幻想が織りなすアルヴの火祭りの夜は、四人の心に消えない温かな光を灯しながら、静かに更けていった。




