第10章デスゲーム『死を呼ぶ三すくみ(アルティメット・ジャンケン)
5月の第3週のある日。
クリスタリア湖の絶壁に佇む、白銀の美城フロストヴァイス城。 その最深部に位置する大ホール「氷晶の小径」は、今や異様な緊張感に包まれていた。
重厚なオーク材の大扉は鎖で固く閉ざされ、石造りの壁沿いには、無数の燭台から放たれる漆黒の炎がゆらゆらと揺れている。氷点下近い静寂を切り裂くように、高壇の玉座に鎮座する少女の声が響き渡った。
「……ようこそ、命知らずの狂人たち(クレイジー・ギャンブラーズ)よ」
シャルロッテ・フォン・セレスティア。17歳。 フロストヴァイス伯爵家の令嬢であり、本日のデスゲーム『死を呼ぶ三すくみ(アルティメット・ジャンケン)』の最高主催者兼審査員長である。 漆黒のドレスの裾を優雅に揺らし、彼女は冷徹な眼光を眼下の挑戦者たちへ向けた。
その両脇には、血濡れたような紅のローブを纏った側近――金髪の美少女エミーナと、黒髪の美少女ロゼッタが、狂気の微笑を浮かべて控えている。
「ここから生きて帰れる者はただ一人。敗者に待つのは、永遠の暗黒と絶望のみ……!」
シャルロッテが腕を掲げると、会場の端に置かれた巨大な仕掛けギロチンが『ガタン!』と音を立てて重力に揺れた。もちろん、ただの木製小道具である。だが演出の完成度は完璧だった。
「……ハァ」
会場の隅で、巨大な掃除用モップを握りしめた一人のハウスメイドが、深々と溜息をついた。 『メガネのナデット』こと、ベルナデットである。 丸眼鏡の奥の瞳は、氷のように冷ややかだった。
「シャルロッテ様、また『月刊デスゲーム』の最新号をお読みになりましたね。……時間の無駄です。最速で、最合理的に終わらせてください。私はこれの後、第3客室の暖炉の灰掃除とベッドメイキングが控えています。仕事中に話しかけたら……どうなるか、お分かりですね?」
「ひっ……! べ、ベルナデット、解説役のくせにメタ発言はやめなさい! 雰囲気が台無しでしょう!」
シャルロッテは一瞬怯んだものの、コホンと咳払いをすると扇子を広げ、再び悪の女幹部モードへと没入した。
「ゴホン! では……第1回『セレスティア杯・極限心理ジャンケン勝負』の開幕です! 最初の犠牲者……いえ、挑戦者たち前へ!」
重々しいドラムロールの音が響く中、中央の円形ステージへ進み出たのは二人。 一人はキッチンメイドのビアンカ。 日々の激しい皿洗いで鍛え上げられた前腕筋を誇り、どんな過酷な現場でも笑顔を絶やさない期待の星。
そしてもう一人は、雑用メイドのロザリン。 豊満な肢体を揺らしながら、なぜかポケットに入れた干し肉をモグモグと噛み締め、どこか焦点の合わない瞳でビアンカを見つめている。
「第一試合……ビアンカ VS ロザリン! 双方、命を賭ける覚悟はできているな!?」
シャルロッテの宣言に、解説席のベルナデットが冷ややかにマイク(を模した燭台)を取った。
「……実況のベルナデットです。解説は侍女のエミーナ、ロゼッタが務めます。さてエミーナ、この第一試合の見どころは?」
エミーナは金髪をなびかせ、深刻そうな表情で頷いた。 「はい、ベルナデット様。ビアンカは厨房での『下ごしらえ』を担当しています。毎日無数の野菜を包丁で切り刻み、頑固な油汚れをスポンジで洗う……つまり、彼女の指先は『握力』と『切断力』に特化しています。これは明らかに『グー』と『チョキ』の精度が跳ね上がっている状態と言えます!」
ロゼッタも黒髪を揺らし、同調した。 「ええ。対するロザリンは重労働担当。毎日何十リットルもの水樽を運び、巨大なタライで洗濯物を揉み洗っています。彼女の掌は常に『開かれた状態』……そう、『パー』の圧力はフロストヴァイス城随一。包み込み、押し潰す殺傷力を秘めています!」
「なるほど」とベルナデット。「完全に『切断力』対『包摂力』のイデオロギー闘争ですね。くだらない。早く出してください」
緊張感が極限まで高まる。 ビアンカの額を汗が伝い、石畳に落ちて音を立てた。
(……負けられない! ここで負けたら、今日の夕飯の賄い、ラベンダー組の特製パイの優先権が奪われる……! 命より重い戦いがここにある……!)
ビアンカの右手が微かに震える。 それを見たロザリンは、モグモグと口を動かしながら、無造作に右手を前に出した。
「行くぞ……ッ! ジャン――ケン――」
シャルロッテの叫びがホールにこだまする。
「「ポンッッッ!!!!」」
静寂。 閃光が走ったかのような錯覚の中、二人の手が叩きつけられた。
ビアンカ――『グー』。 ロザリン――『パー』。
「な……ッ!?」 ビアンカが息を呑んだ。
「勝者、ロザリン―――ッ!!!」
シャルロッテが立ち上がり、扇子を激しく振り下ろした。 「なんということでしょう! ビアンカの渾身の『グー』を、ロザリンの圧殺の『パー』が完全に飲み込みました! ビアンカ、失格! 闇の奈落(※ただの地下貯蔵庫の掃除担当)へ落とされます!」
ビアンカは膝から崩れ落ちた。 「くっ……! 握力に頼りすぎた……! 皿洗いの癖で、指を丸めてしまう私の弱点を見抜かれていたなんて……!」
解説席でエミーナが叫ぶ。 「見ましたか、今の心理戦! ロザリンはあえて隙を見せ、ポケットの干し肉を食べることで『私は無防備だ』と錯覚させました! 勝ちを確信したビアンカの『グー』を誘い出す、悪魔的な罠……!」
ロゼッタも深く頷く。 「恐ろしい子……! 無意識の境地『無心』からのパー。これぞ殺戮の作法です!」
「……違います」 ベルナデットが冷静に割り込んだ。 「ロザリンはただ、手がふくよかで指を曲げるのが面倒だっただけです。それとロザリン、ポケットの干し肉は厨房からの盗み食いですね? 後で灰掃除と一緒に説教です」
「ギクッ!?」とロザリンの体が跳ねた。
◇
「ふははは! 素晴らしい、実に惨劇だわ!」 シャルロッテは高らかに笑い声をあげ、次のターゲットへ視線を向けた。
「さあ、続いての生贄……いえ、挑戦者はフロストヴァイス城の胃袋を司る精鋭、『厨房のラベンダー組』の5名です! 仲間同士で殺し合ってもらいますわ!」
ホール中央に現れたのは、個性豊かな5人の料理人たちだった。
アジアン・スパイスの覇者、ミステリアスな寡黙美女・蓮華。 パワー系姉御肌のパン職人、シェリル(シェリ)。 凛とした大和撫子、出汁と包丁の達人・静香。 最年少の下ごしらえ担当、愛されキャラのノエル(ノノ)。 そして、洋菓子天才にして極度のツンデレ、ミレイユ(ミレイ)。
ラベンダー組の面々は、互いに視線を交わした。 普段の和気あいあいとした厨房の空気は消え去り(※シャルロッテがそう要求したため)、殺伐としたオーラが漂っている。
「……フン、別にアンタたちに負ける気なんてないんだからね」 ミレイユが腕を組み、ツンと横を向いた。 「言っておくけど、私はデセール担当よ。コンフィチュールの詰まった瓶のフタを毎日千回は開け閉めしてるの。繊細かつ強固な指先……ジャンケンなんて、私の美意識(美学)の前には赤子同然だわ!」
「まあまあ、ミレイちゃん」 静香が穏やかな笑顔で包丁を磨く仕草(※素手)をした。 「ジャンケンも包丁仕事と同じ。相手の息遣い、筋肉の弛緩、出汁を引く際の一滴の狂いも見逃さない目があれば……相手が何を出すかは、切る前に分かりますよ」
「へへっ、おしず姉さんも甘いね!」 シェリルが豪快に拳を握り叩いた。 「毎朝の生地捏ねで鍛えたこの腕力! 押し切るなら『グー』一択よ! 迷いは粉と一緒に振り払いな!」
「……スパイスの調合と同じ。……相手の裏の裏を読む」 蓮華が暗がりで瞳を怪しく光らせる。
「あ、あのぉ……ノノ、一生懸命がんばりますっ! 大家族の皆さんに迷惑かけないように……!」 最年少のノエルがオドオドと拳を握りしめた。
シャルロッテは目を輝かせた。 「素晴らしいわ! 信頼し合った仲間同士が、欲望と生き残りをかけて潰し合う……! これぞデスゲームの醍醐味! さあ、ラベンダー組による『バトルロイヤル・ジャンケン』の始まりです!」
「……実況のベルナデットです」 淡々と解説を始めるベルナデット。 「今回は5人同時に出します。あいこが続く確率が高く、非常に非効率的です。非常に不快です。早く決着をつけてください」
エミーナが立ち上がり、身乗り出した。 「ベルナデット様、これはただのジャンケンではありません! 料理人としての『誇り』と『癖』が交錯する極限の心理分析戦です!」
ロゼッタもノートを広げる。 「まず最年少のノエル。彼女は素直すぎる性格ゆえ、最初に『チョキ』を出す確率が82%! なぜなら、ハサミを使う下ごしらえの仕事が多いからです!」
「そしてシェリル!」エミーナが続ける。 「圧倒的パワーのパン職人! 彼女の頭には『破壊』の二文字しかない! 初手は確実に『グー』!」
「しかし!」ロゼッタが声を張り上げる。 「静香と蓮華はその二人の心理をさらに読んでいるはず! シェリルの『グー』を殺す『パー』、それを見越した『チョキ』……思考の多重螺旋が、今この一瞬に交差しています!」
「……くだらない」とベルナデット。
「それでは……いくわよッ! 命をかけたジャンケン―――ポンッ!!」
シャルロッテの掛け声とともに、5人の手が同時に突き出された。
蓮華――『チョキ』 シェリル――『グー』 静香――『パー』 ミレイユ――『チョキ』 ノエル――『パー』
「あいこ……ッ!!!」
会場に激震が走った。 全員の手が見事に割れていた。
「見ましたか!?」エミーナが叫ぶ。 「シェリルの宣言通りの『グー』! それを読んだ静香とノエルの『パー』! さらにそれらを狩るために出された蓮華とミレイユの『チョキ』! 完璧な三すくみ! 誰も死なない、奇跡の拮抗状態です!」
「くっ……!」 ミレイユが額に汗を浮かべ、蓮華を睨みつける。 「蓮華……アンタ、私と同じ『チョキ』を出すなんて……! 私の美意識を模倣したの!?」
蓮華は静かに首を振った。 「……違う。……アンタが『パー』を出してノエルを助けようとする優しさを読んで……あえて引き分けるためのチョキ」
「~っ!? べ、別にそんな優しさなんて出してないわよ! バカ!!」 ミレイユの顔が真っ赤になる。
「あらあら、ミレイちゃんは照れ屋ですね」 静香がくすくす笑う。 「でも次は容赦しませんよ。私は『包丁』……つまり絶対に折れない『チョキ』で行きます」
(あえて宣言した……!?) シェリルが冷や汗を流す。 (おしず姉さんが宣言通り『チョキ』を出すか? それとも裏をかいて『パー』か? いや、私の『グー』を引き出すためにあえて『チョキ』と言って……!? ああーっ! 思考がパン生地みたいに膨らんでパンクしそう!!)
「ノノ……ノノは……!」 ノエルが半泣きになりながら拳を固める。 「ノノは、みんなで一緒に美味しいごはんが食べたいですぅ〜!」
「静粛にッ!!!」 シャルロッテがトントンとテーブルを扇子で叩いた。 「デスゲームの最中に友情ごっこは禁止です! 命のやり取りをしなさい! ほら、もっと『フハハハ! 貴様の命もここまでだ!』みたいなセリフを言いなさい!」
「シャルロッテ様、無駄な指示で時間を稼がないでください」 ベルナデットが冷ややかに言い放つ。 「全員、次で決めてください。私はあと15分で館内清掃のタイムスケジュールに入ります。遅延は許されません」
ベルナデットのプレッシャー(物理的な威圧感)が会場全体を包み込んだ。 シャルロッテも、ラベンダー組の5人も、背筋に寒気が走る。
(((このメガネ……一番恐ろしい……!!)))
「第2ラウンド……ッ!」 シャルロッテの声が緊張でわずかに裏返る。 「ジャン――ケン――ポンッ!!!」
運命の瞬間。 5人の手が、光の速さで突き出された。
シェリル――『チョキ』 静香――『チョキ』 蓮華――『チョキ』 ミレイユ――『チョキ』 ノエル――『グー』
静寂が支配した。
「あ……」
ノエルがポカンと自分の拳を見つめた。 他の4人は全員、ハサミの形――『チョキ』を出していた。
「勝者…………ノエル―――――――ッッッ!!!!」
シャルロッテの絶叫がホールに響き渡った!
「な、なんだってーーーッ!?」 エミーナとロゼッタが立ち上がり、頭を抱えた。
「嘘でしょう!?」エミーナが戦慄する。 「4人のベテラン料理人たちが、思考の深読み(ディープ・シンキング)を重ねすぎた結果、全員が互いの裏を読み合って『チョキ』に収束してしまった……! そこへ、何も考えていなかった最年少ノエルの『一心のグー』が直撃したというのですか!?」
ロゼッタが震える声で付け加える。 「なんという皮肉……! 巧みな心理戦、裏の裏を読む策士たちが、ただ純粋に『みんなに勝ちたい』と願った少女の握り拳一つに薙ぎ払われた……! これぞデスゲームの真理(真実)……!」
シェリルが膝をついた。 「くっ……おしず姉さんの言葉を深読みしすぎた……!『チョキ』を出すと言っておいて本当に『チョキ』を出すなんて……!」
静香も苦笑い浮かべた。 「ふふ、ストレートすぎる変化球でしたね。ノノちゃん、お見事です」
蓮華は静かに目をつむり、「……参った」と呟いた。
ミレイユはぷいっと顔を背けた。 「ふ、フン! 私は別に勝ちたかったわけじゃないんだから! ノエルに優勝を譲ってあげただけよ! 感謝しなさいよね!」
「ふえぇぇぇん! ノノ、勝っちゃいましたぁぁぁ!」 ノエルはその場に泣き崩れ、勝利の喜びに(?)震えた。
◇
「……というわけで」
高壇から降りてきたシャルロッテが、満足げに胸を張った。 「第一回『セレスティア杯・極限心理デスジャンケン』の優勝者は、ノエルに決定いたしました! 勇者ノエルには、名誉ある『氷晶の覇者』の称号と……今日一日の雑用免除権が与えられます!」
「わーい! ありがとうございます、シャルロッテ様!」 涙を拭いたノエルが嬉しそうに頭を下げる。
エミーナとロゼッタがパチパチと拍手を送る。 「おめでとう、ノエル! 素晴らしい心理戦だったわ!」 「実にスリリングな死闘でした。次回の開催が待たれますね」
「ふふん、大成功ね!」 シャルロッテは満足げに腰に手を当て、勝ち誇った笑みを浮かべた。 「どうかしら、ベルナデット! この手に汗握る極限のバトル!フロストヴァイス城の絆を深める素晴らしい余興だったでしょう!?」
ベルナデットは時計を確認すると、持っていたモップを静かに構え直した。
「……所要時間、24分15秒。計画より4分15秒の遅延です」
「ひっ」
ベルナデットの丸眼鏡が、キラーンと妖しく光った。
「シャルロッテ様。仕事時間を削ってこのような不毛な遊びを企て、さらに私にくだらない実況をさせ、スケジュールを狂わせた罪……重く受け止めていただきます」
「や、やだわベルナデット、顔が近いわよ? 冗談じゃない、私は伯爵家の令嬢で――」
「さあ、シャルロッテ様。ノエルが免除された今日の雑用……そして第3客室から第8客室までの暖炉の灰掃除、すべて『最速・最合理』で手伝っていただきます。エミーナ、ロゼッタ、ビアンカ、ロザリン、そしてラベンダー組の皆さんもです。全員、配置についてください」
「「「ええーーーーーっ!?」」」
大ホールに悲鳴が上がった。
「嫌よー! 私の手が灰で汚れてしまうわー! 助けてエミーナ、ロゼッタ―!」 「申し訳ありませんシャルロッテ様、ベルナデット様には勝てません!」 「私たちもお供しますー!」
ベルナデットは、モップを肩に担ぎ、冷徹な一言を残して大扉を開け放った。
「最速で終わらせます。……拒否権はありませんよ」
クリスタリア湖に浮かぶフロストヴァイス城。 命懸けのデスゲーム(ただのジャンケン)の後に待っていたのは、鬼のハウスメイドによる、本当の極限作業であった。




