惑夢ー3
話しかけてきた老人に驚き、立ち上がって距離を取る。
老人は気にせずに空いた流木に腰を下ろした。
「あなたは……?」
「もしかして……国元さんですか?」
老人のシワが緩み柔らかい笑顔になる。
「もしかして、私の事を知ってるのかな?嬉しいね〜今の若い人は私の事なんて知らないと思ってたよ。」
言いながらスケッチブックを開き、鉛筆で書き出す。
「すまないが少し待ってくれるかな。景色が変わる前にここからの夕陽を描いてしまいたいのでね。そしたらお茶でも飲みながら話そうじゃないか。」
言いながらすでに描き始めている。シャッシャッと鉛筆が紙を走る音が心地よい。ざざん……という波の音と混ざっていい音楽になっている。
「どうする?」
「どうするって……待つしかないんじゃないかしら? せっかく向こうから話をしてくれるみたいだし。」
「そうだな。」
「それにさっきの……」
「あぁ。景色が変わるだろ? 聞いてみようか。」
相変わらず夢中で描き続けている老人に声をかける。
「すみません、少しいいですか?」
「………………」
全くこちらを見ずに鉛筆を動かしている。
「あのー国元さん?少しお聞きしたいんですが。」
シャッシャッシャッ……
「あのー!国元さん!!」
肩を叩かれた。
「無駄よ悠真。この人真琴と同じタイプだわ。」
「真琴さんと?」
「えぇ。初めて会った時の真琴も私のことなんて全く気にせず、自分のやりたい研究に没頭してたから。」
栞がため息をつきながら腰を下ろした。
「このタイプの人は自分の気が向いた時しか話せないって私は思ってるわ。後、周りでは何してもいいけど、やってる事の邪魔は絶対にダメ。」
「どうして?」
「真琴の時がそうだったから。後ろや横で作ったもの壊したり大きな音出しても反応しなかったのに、手元の資料をとった時だけ鬼のような形相で怒られたわ。」
鬼のような形相で迫ってくる真琴さんをイメージしてしまった。……夢に出てきそうだ。
「まぁ資料返したら落ち着いたけどね。結局研究がひと段落するところまで付き合ったわ。」
「その話も面白そうだな。内容は間違いなくホラーな気がするけど。」
「聞きたい?まぁホラーと言うよりはコメディ寄りかな?」
「コメディなのか……真琴さんの作ったセカイも気になるからいつか聞かせて欲しいな。」
「じゃあ……いつかね。約束。」
栞がそっぽを向きながらこちらに小指を向けてきた。
「……へ?」
「なによ。約束の時ってこうするんでしょ?」
顔を赤くして、まるで怒っているように聞いてくる。
「あぁ。大丈夫。合ってるよ。約束だ。」
小指を絡めて指切りをした。話をする。たったそれだけの約束だが、栞は嬉しさを隠しきれてない様子だった。
「約束……約束よ?破ったら針千本だからね!」
夕日に照らされる中で栞の満面の笑みを初めて見た。普段は難しい顔をして近寄りがたい雰囲気を出している彼女が初めて見せた表情は、柔らかくて優しくてなんと言えばいいかーー綺麗だった。水面からの照り返しのせいかキラキラと輝いて見える。
さっきから顔がきっと赤くなっている気がするが夕日が隠してくれるだろう。
「あれ?なんか顔色変わった?」
ダメだった。夕日の役立たず!
「気のせいだろ。大丈夫。約束だ。」
ごまかしながら立ち上がる。
「国元さんはそろそろ終わったかな?」
振り返ると国元さんはいなかった。
「いない!?」
「まさか!さっきまでそこで描いてたじゃない!」
シャッシャッシャッシャッ……
鉛筆の音を頼りに海側を向く。逆光の中のシルエット。砂浜に座り込んだ国元さんがスケッチブックではなくこちらを見ながらすごい速さで鉛筆を走らせていた。
「……国元さん?」
パタン。
スケッチブックを閉じた国元さんが立ち上がる。
「面白かったからもう少し続けてくれても良かったのに。」
「……いつから聞いてました?」
「約束の辺りからかな?」
服についた砂を払う。
「さぁ、そちらの約束もいいが僕にも話を聞かせてくれるかな?お茶くらいは出そう。」
国元さんが手を叩くと急に障子が現れた。開けると裂け目と似たような空間が中に広がっている。
「レディファーストだ。お先にどうぞ?」
「……ありがとうございます。」
栞が警戒しつつも光の中へ入っていった。
「そうそう。ちょっと待ちなさい。見せたいものがある。」
呼び止められて、スケッチブックを見せられる。そこには鉛筆でラフに描いたものではあるが先程の笑顔の栞が描いてあった。
国元さんが耳打ちしてくる。
「良かったら君にあげよう。タイトルは『初恋』とか『一目惚れ』とかでどうだろうか?」
「……国元さん!」
「はっはっは!」
笑いながら元気な老人は光の中に消えていき、俺も後を追った。
♢ ♢ ♢
眩しい光の中を通り抜けると、どこかの家の土間だった。
主人と同じく柔らかい雰囲気を感じるどこか懐かしい家だ。
栞が居心地悪そうに土間で立っていた。
「ようこそ我が家へ。少しばかり散らかっているが上がってくつろいでくれたまえ。」
「おじゃまします。」
「……おじゃまします。」
2人で畳に上がる。中心に囲炉裏のある4、5畳程度の部屋だ。パチパチと弾ける音が響く。隅にはキャンバスやら絵の具などの画材が転がされている。
栞が袖を引く。
「ねぇ……気づいてる?国元さん、現実であり得ない事してるわよ?多分レベル4になりかかってるんだわ。連れてこられたのも何かの罠ってことはない?」
「多分だけど大丈夫だと思う。」
「何かあったら頼むわよ?」
「おう。」
なんて話しているとお盆にお茶を乗せた国元さんが現れた。
「やぁやぁお待たせして申し訳ないね。……2人ともそんなところで立ってどうしたんだい?座りなよ。」
「失礼します。」
囲炉裏を囲む形で座ろうとするとまた栞に袖を引かれた。
「そっちじゃないわ。こっちよ。」
土間に近い客座に引っ張られる。
「よく知ってるね。お嬢さん。」
「常識ですから。」
俺は知らなかったぞ。
「まぁ堅苦しいのは抜きでいいよ。脚も崩して構わないし。」
そう言って、国元さんは上座に座ると足を崩した。習って足を崩す。栞は正座のままだ。
「改めて、私が国元 定春です。すまないね。こんなところにお客さんが来るなんて思ってなかったから何も用意してなくて……」
「いえ、お構いなく。」
栞が丁寧に頭を下げる。
「そう言ってもらえると助かるよ。何せ普段は一人で過ごしているからね。お客さんを迎える準備なんてしていなくてねぇ。」
「いえ。こちらこそ突然お邪魔してしまって申し訳ありません。」
「いやいや。こんなところに事前に連絡なんてできるわけがないからね。私のユメに入ってきたのは君たちだろう? まさか夢にまでお客が来るとは考えてなかったから少々驚いたが……こちらとしては面白いお客さんが来てくれて嬉しいくらいさ。」
国元さんが湯飲みを二人の前に置いていく。
「どうぞ。大したものじゃないが、せっかくだから飲んでいってくれ。」
「ありがとうございます」
栞が両手で湯飲みを受け取る。
俺も慌てて手を伸ばした。
「あ、ありがとうございます。」
「はっはっは。さっきも言ったが、そんなに畏まらなくてもいいよ。」
「すみません……」
「謝ることはないさ。」
国元さんは楽しそうに笑った。
「それより、まずは君たちのことを教えてくれないかな?」
「あ……」
俺と栞が顔を見合わせる。
「そういえば、ちゃんと自己紹介してなかったな。」
「ええ。」
栞が姿勢を正す。
「改めまして。一ノ瀬栞と申します。本日は突然お邪魔してしまい、申し訳ありません。」
「一ノ瀬さんか。随分と丁寧だねぇ。」
「ありがとうございます。」
「それで、こちらは?」
「天城悠真です。大学生です。」
「大学生……なるほど」
国元さんが俺の顔をじっと見る。さっきまで絵を描いていた時とは違う。まるで俺そのものを観察するような視線だった。
「そして、僕たちは――」
言いかけたがどう説明するかに迷ってしまった。ふと横を見ると栞がちらりとこちらを見る。
全部話す必要があると言われた気がする。しかし、今全部話していいのだろうか。話すとしても何から話せば……えぇい。
「……国元さん」
「うん?」
頭を下げて、できるだけ丁寧に。
「俺たち、手土産も何もなくて申し訳ありません!」
ぽかんと国元さんの口が開いた。
「手土産?」
「お邪魔するなら何か持ってくるものだったんじゃない……ですか?」
隣で栞が小さくため息をついた。
「悠真……」
「なんだよ。」
「今そこじゃないし、今さら気にしなくてもいいでしょう?」
「いや、でも……」
「ふふふ……はっはっは!」
国元さんが笑い始めた。
「君は面白いねぇ。」
「え?」
「わざわざこんなところまで来て手土産の心配をする人はいないんじゃないかな?」
「……そうですか?」
「うん。あぁ手土産なら本当に気にしなくていい。ここは私のユメだからね。必要なものがあれば自分で出せばいいんだ。」
国元さんが囲炉裏の向こうを指差す。
「ほら」
そこには、いつの間にか小さな菓子皿が置かれていた。
「え?」
「こういう具合にね。」
国元さんは悪戯っぽく笑い、ウインクをした。
「……便利ですね。」
「だろう?」
なるほど。
さっきの障子も、今の菓子も、この人が作ったものなのか。
優しそうな御老人? とんでもない。この人は今まで見てきた中で一番セカイを使いこなしてる。
「じゃあ、遠慮なくいただきます。」
「どうぞどうぞ。」
栞は菓子に手を伸ばす前に、もう一度国元さんへ頭を下げた。
「ありがとうございます」
「君は本当に礼儀正しいねぇ。でもまだ固い。習いはしたが実際にやるのは慣れてない感じだ。一方で君は……」
国元さんが俺を見る。
「礼儀がないというより、慣れていないんだね。」
「……よく分かりますね。」
「絵描きだからね。」
国元さんは湯飲みを手に取った。一口啜る。
「人を見るのは得意なのさ。」
ふと目が合った気がした。にこやかな表情とは裏腹に鋭い目。まるでこちらの全てを見られているような視線だ。その視線に、少しだけ背筋が伸びる。
「さて……」
国元さんが一口お茶を飲む。
「今度こそ君たちはどうして私のところへ来たのか話してくれるかな?」
栞と2人で顔を合わせた。
国元さんは急かすことなく、ただ静かに待っている。
栞が頷く。今度こそ、嘘なくしっかり伝えなければ。
やがて俺は、湯飲みを置いた。
「俺たちは――」
言葉を選ぶ。
「あなたを起こしに来ました。」
パチ……パチ……
「起こしに……ね。」
国元さんがこちらを見て話す。どこか国元さんも言葉を選んでいる様子だ。
「起きた時に寝過ぎているとは感じているよ。今の言葉からしてこのセカイに馴染むほど現実では起きなくなるという感じで合っているかな?もしかして、最後にはそのまま起きなくなったりするのかな?」
鋭い。たった一言でそこまで理解してしまうのか。
「もしかして、もう僕は寝たきりなのかな?」
「……いいえ。まだです。」
「まだ。ね。」
国元さんが腕を組み考え出した。
しばらく考えて口を開く。
「起こしに来てもらってすまないが、帰ってもらえるだろうか。」
「国元さん! このままじゃ起きれなくなるかもしれないんですよ!?」
「そうかもしれないね。」
徐ろに国元さんは立ち上がると円窓を開ける。外は温室でも夕陽が沈む海でもなく真っ赤に染まった紅葉が見事な渓谷が見えた。
「ここはね。僕のセカイだ。全部が自由っていうわけじゃないがここにいれば創作に必要な物は全て出る。食べ物だって出せる。」
真っ赤に燃える紅葉をバックに国元さんがこちらに振り返る。逆光でシルエットになっているのに影の中でもその鋭い目だけはよくわかった。
「窓の外は僕に描きたいと思わせてくれる景色に変わる。僕の自由にできるわけじゃないが、どの景色も僕の創作意欲を盛り上げてくれる。窓から見るだけじゃなくてそこに行く事もできる。一度だって同じ景色になった事はない。」
国元さんの顔はさっきまでと変わらず優しい笑顔だ。ただ、目は笑っていなかった。むしろ今まで一番鋭い目をしている。
「ここは現実以上だよ。なんなら現実より満足している。そんな僕をどうして起こすなんて言うんだい?」
その言葉に澪と過ごした日々が頭をよぎる。国元さんの気持ちが胸が痛むほどよくわかってしまった。
国元さんは動かして楽しい人です。
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