迷夢ー4
今までで1番書いたのに主人公はほとんど出てきません。
「ねぇ、ちょっと私とお話ししない?」
ひまりが笑顔のまま言った。
澪は少しだけ警戒しながら、ひまりを見る。
「……私と?」
「うん。」
ひまりは窓際から離れ、部屋の中央にある椅子を引いた。
「どうぞ座って。」
「……いいの?」
「もちろん。」
澪は少し迷ってから、椅子に座った。
ひまりも机を挟んでその向かいに座る。
「私は七瀬ひまり。」
「天城 澪です。」
「澪ちゃんって言うんだ。よろしくね。」
チッ……チッ……チッ……時計の音が響く。
窓の外からは、遠くで生徒たちの笑い声が聞こえている。
生徒会室は静かだった。
「……その……一緒にいた人たちは?」
「お兄ちゃん達のこと?」
「うん。」
「大丈夫かな?」
「大丈夫だよ。」
澪は答える。
「お兄ちゃん、絶対に迎えに来てくれるから。」
「……そっか。」
ひまりは笑った。
「いいお兄ちゃんなんだね。」
「うん!世界で一番!だって私のヒーローなんだから!」
「ふふっ。」
少しだけ、本当の笑い方に見えた。
「……ひまりちゃんは?」
「え?」
「お兄ちゃんとか、お姉ちゃんとかいるの?」
「私は一人っ子。」
「そうなんだ〜。じゃあ、友達は?」
「いっぱいいるよ!」
「いいな〜学校って楽しい?」
「うん。楽しいよ。」
ひまりが即答する。
けれど――
「……本当に?」
ひまりの笑顔が、ほんの少しだけ固まった。
「……どうして?」
「だって、ひまりちゃんさっき『疲れた』って言ってたでしょ?」
「……。」
「私には聞こえたよ。」
ひまりの笑顔が消えた。
「……そっか。」
「聞かれちゃったか。」
「うん。ばっちり!」
「……内緒にしてくれる?」
「いいよ!」
澪は迷いなく頷いた。
ひまりが少し驚いたように澪を見る。
「……理由、聞かないの?」
「そんなの話したくなったら話せばいいんじゃない?」
「……。」
ひまりは呆気に取られた。
「無理に話さなくてもいいよ。」
ひまりは黙っていた。
「ふふっ」
やがて、小さく笑う。
今度の笑顔には、少し寂しさが混じっていた。
「澪ちゃんって……変なの。」
「そうかな?」
「普通は聞きたがるよ。『何があったの?』って。」
「そうなの?じゃあ……聞こうか?」
「え?」
「ひまりちゃんが話したいなら聞いてあげる!」
澪はじっとひまりを見つめる。
ひまりも澪を見る。
「ふふふ。」「あはは!」
2人でおかしくなって笑い出す。
「じゃあ聞いてもらおうかな。」
ひまりが軽く伸びをする。
「……昔はね。私、今みたいにニコニコしたりキラキラしてるグループにいるような子じゃなかったんだ。」
「うん。」
「昔はね?もっと静かだった。」
「友達も少なくて。自分から話しかけるのも苦手で……。」
「1人で物語を読んだりとか、見せる予定もない手品を練習したりとかそういうのが好きだった。」
澪の目が輝く。
「ひまりちゃん手品好きなの!?」
「え?」
「私も好き!」
「……本当?」
「うん!といっても私はできないけどね。」
澪が照れ隠しか頬をかく。
「でも見るのは好きなんだ!人が消えたり出てきたり、何もない所から帽子や鳩が出てきたりするの面白いんだ!」
澪が身を乗り出す。
「ひまりちゃんは?どんな手品が好き?」
「そんなテレビでやってるようなやつはできないかな……カードとか。簡単なやつなら……。」
ひまりの表情が少し緩む。
「少しやってみようか?」
「いいの!?見せて見せて!」
「じゃあね……」
ひまりは生徒会室にある物を使って次々とマジックを披露してくれた。鉛筆や消しゴムが消えたり、何故か澪のポケットから出てきたり……
「すごい!すごい!!」
澪の顔が輝いている!
「えへへ、お粗末さまでした。」
「とっても上手だよ?どうなってるのか全くわからなかった!」
「……昔、友達に見せたことがあるんだ。」
「どうだった?」
「……最初は喜んでくれた。」
笑顔のまま雰囲気が暗くなる。
「でも、そのあと……。」
ひまりの声が止まる。
「何人かで話してるところに、私も入ろうとしたの。」
「でも、なんとなく話についていけなくて。」
「それでも一緒にいたくて、ずっと笑ってた。」
澪は黙って聞いている。
「笑ってれば、嫌われないと思ったから。」
「今から考えるとマジックのブームなんて一瞬だったんだ。でもそれに気づかなかった私はよくわからない会話に笑いながら、マジックにしがみついてひたすら練習してたの。」
「今の澪ちゃんみたいにマジックを見たら笑ってくれるのがすごく楽しかったから。」
「嫌なことを言われても笑ってた。誰かに何か言われても、『大丈夫』って言った。」
「……本当は大丈夫じゃなかったのに。」
ひまりの手が膝の上で小さく震える。
「そうしたら、いつの間にか……。」
「『ひまりって何を言っても怒らないよね』『ひまりなら大丈夫だよね』って。勝手なイメージがついちゃった。」
「……。」
「私が笑ってれば、みんなも笑ってた。」
ひまりは顔を上げる。
「だから、もっと笑うようになったんだ。」
「もっと明るく、もっとみんなに合わせて。」
「嫌なことがあっても、悲しくても、怒っても笑って。」
「そうしてたら……。」
ひまりは自分の頬に触れる。
「いつの間にか、本当に笑ってるみたいになっちゃった。」
「……ひまりちゃん。」
「でもね。」
ひまりは笑顔を作る。
「これなら、誰にも嫌われないでしょう?」
澪は首を横に振る。
「……違うよ。」
「え?」
「嫌われないように笑うのって、楽しくないよ?」
「……。」
「笑いたいときに笑うんじゃなくて、笑わなきゃいけないんだったら……。」
澪は少し考えてから言った。
「それは、笑ってるんじゃなくて、我慢してるんじゃないかな。」
ひまりの目が揺れる。
「……我慢。」
その言葉を確かめるように呟く。
笑顔が崩れる。
「そうなの……かな。私……ずっと我慢してたのかな。」
「……うん。」
澪は頷く。
「でも、もういいんじゃない?」
「……何が?」
「笑わなくても。」
ひまりが固まった。
「……そんなの、無理だよ。」
「どうして?」
「だって……。」
ひまりはまだ困ったような笑顔で周囲を見る。
窓の外では、今日も生徒たちが笑っている。
廊下からも笑い声が聞こえる。
「笑わないと、みんなが心配する。怒ったら、みんなが困る。泣いたら、みんなが悲しむ。嫌だって言ったら、誰かが傷つく。」
「だから……。」
ひまりは自分の胸を押さえる。
「私が我慢すればいいの。」
今日1番の笑顔だった。
「みんなが笑っていれば、それでいいの。」
澪はじっとひまりを見つめる。
「……ひまりちゃんは?」
「え?」
「ひまりちゃんは笑いたいの?」
ひまりが笑顔のまま固まる。
……ひまりは答えられなかった。
「……分からない。」
そう言って初めて、ひまりの顔から完全に笑顔が消えた。
「もう……分からないよ。私が何をしたいのか。」
「何が嫌なのか。何が悲しいのか!……全部分からないんだもん。」
泣きながらまた笑おうとする。
澪は椅子から立ち上がった。
そして、ひまりの隣に座る。
「別に、分からなくてもいいんじゃない?」
「………………え?」
「今すぐ答えを出さなくても。私だってわからなくなるよ?でも、それってふつーの事なんじゃないかなって私は思うよ?」
「……。」
「私だってお兄ちゃん大好きだけど、いつもニコニコしてるわけじゃなくてお兄ちゃんに怒ったりするよ?」
「えっ。」
ひまりが少し驚いた。
「怒るの?」
「怒るよ!」
澪が胸を張る。
「お兄ちゃん、ひどいときは結構ひどいんだから!」
「ふふ……。」
ひまりから小さな笑い声が漏れる。
今度は自然な笑いだった。
「そっか。」
「うん。」
「……いいな。」
「何が?」
「そういうふうにできるの。」
「ひまりちゃんもケンカしたいの?」
「そうじゃないけど。」
また自然な笑みが溢れる。
「私も……怒ったりしていいのかな。」
「いいと思う。」
「泣いても?」
「もちろん。」
「誰かを嫌いになっても?」
澪は少しだけ考える。
「嫌いになるだけなら、いいんじゃない?」
「……。」
「でも、嫌いだからって傷つけるのはダメ。」
「それだけ守れば、嫌いって思うくらいはいいと思うよ。」
「もしケンカしても仲直りすればいいんだよ。」
ひまりは目を丸くした。
「……変なの。」
「また変な事言った?」
「うん。」
ひまりは笑う。
今度は、無理に作った笑顔ではなかった。
「澪ちゃんと話してると……変な感じ。」
「そう?」
「うん。なんだか……。」
ひまりが胸元を押さえる。
「苦しくない。」
その瞬間――
パリンッ!!
窓ガラスが砕け散った。
「えっ!?」
ひまりが振り向く。割れた窓の向こうには
校舎の屋上から伸びた一本の糸が、ゴムのように大きくしなる。その先にはー
「――澪!!」
聞き覚えのある声。
「お兄ちゃん!?」
次の瞬間、赤い影が勢いをつけて窓から飛び込んできた。
その身体を引っ張るように、栞の糸が伸びている。
「危ない!」
栞が糸を操り、悠真は空中で姿勢を変え、そのまま床へ着地した。
「澪!」「お兄ちゃん!」
澪が駆け寄る。
悠真は澪を抱きしめた。
「よかった……!」
「お兄ちゃん、苦しいよ。」
「ごめん……。」
それでもしばらく離さなかった。
栞も窓から飛び込んでくる。
「悠真くん、無茶しすぎ!」
「ごめん。」
栞は息を整えながら、澪の無事を確認する。
「……よかった。」
その声には、安堵が滲んでいた。
ひまりは二人を見ていた。
「お兄ちゃん、違うの、ひまりちゃんはね……」
「大丈夫。途中からだけど聞いてたから。」
ひまりが3人を見つめる。
「……お兄ちゃんか。」
「うん。」
「この人が……澪ちゃんの?」
「うん!」
澪が笑顔で頷く。
「私の大好きなお兄ちゃんと、栞お姉ちゃん!」
「……そっか。」
ひまりは微笑む。
けれど、その笑顔は先ほどまでとは少し違っていた。
「……いいな。」
「え?」
「なんでもない。」
ひまりが立ち上がる。
「ねぇ、悠真さん。」
「……七瀬さん。」
「さっきね、澪ちゃんに昔の私の事を話してたの。」
ひまりの笑顔が揺れる。
「もう少しだけ、話を聞いてくれる?今なら話せそうだから。」
悠真と栞が顔を見合わせる。
その瞬間――
校舎の内外から、大勢の足音が響いた。
ドドドドドド……。
ひまりの顔から、再び笑顔が消える。
「……もう来ちゃった。」
「何が?」
栞は窓の外を見る。
そこには、こちらを見上げる無数の生徒たち。
全員が笑っていた。
「……私を笑わせに来たんだよ。」
澪がひまりの手を握る。
「だったら、今度は一緒に逃げよう?」
ひまりは目を見開いた。
「……一緒に?」
「うん。」
「でも……。」
「大丈夫!栞お姉ちゃんもお兄ちゃんも強いんだから!」
ひまりは窓の外を見る。
「……一緒に逃げていいのかな。もう無理に笑わなくていいのかな?」
悠真が一歩前へ出る。
「逃げるんじゃないよ。」
「……え?」
「帰るんだ。」
悠真はひまりを見る。
「君も一緒に。」
「一緒に帰ろう!ひまりちゃん!」
2人が手を伸ばす。
ひまりの目から、涙がこぼれた。
それでも――
彼女は笑っていた。
ただ、その笑顔はもう、
少しだけ「作った笑顔」ではなくなっていた。




