白昼夢ー2
――コン、コン。
机を叩く乾いた音が、静かな教室に響く
「天城ー。」
もう一度。
コン、コン、コン。
「天城悠真。」
ゆっくりと意識が浮かび上がる。閉じていた瞼を開くと、目の前には白衣姿の教授が腕を組んで立っていた。
「……おはようございます。」
「おう。おはよう。講義は終わったぞ。」
教室のあちこちから小さな笑いが漏れる。
「…すみません。」
「最近よく寝ているな。夜更かしか?勉強ではなさそうだが。」
「……少し。」
もちろん違う。夜は寝ているしむしろ早々と寝ている。眠いから寝るのではない。眠れば、会えるからだ。
「若いうちは寝るのも仕事だが、単位は夢じゃくれんぞ。」
「気をつけます。」
教授はため息を一つつき、授業をまとめると教室を出て行った。学生たちも次々と席を立つ。
「天城、また寝てたな。」
隣の男子学生が笑いながら肩を叩く。
「ああ。」
「昨日も夢の世界?いい夢見れたか?」
軽口のように言われたその一言に、悠真は少しだけ顔を曇らせた。
今の時代では、珍しい冗談ではない。
ユメセカイ。
眠れば誰もが訪れるもう一つの世界。
現実と同じように過ごす事ができ、仕事や勉強もなく、やりたい事ができるが、現実では曖昧にしか覚えていられない、不思議な夢。だからこそ、
「そうかもな。」と笑って返せば、それ以上追及されることはない。
「ほどほどにしろよー。ユメにハマりすぎると帰って来られなくなるぞ〜。」
「お前もな。」
「美女に誘われたら考えるよ。」
軽口を叩きながら手を振って別れる。大学の中庭では学生たちが昼食を取っていた。木陰で談笑する者。
芝生に寝転ぶ者。イヤホンを耳につけて本を読む者。
十年前なら当たり前だった風景。ただ一つ違うのは、
「昨日の夢さぁ…」
「え、あの遊園地?」
「なんとなく覚えてる気がする。」
「俺も行ったような……。」
そんな夢の話が、ごく自然に聞こえてくることだった。誰も詳しくは覚えていない。でも、確かに何かあった。そんな感覚だけが残る。ユメセカイは、今では日常の一部だ。
悠真は学食へ向かう。食券を買い、窓際の席へ座る。
今日の日替わりは生姜焼き定食。箸を動かしながら、ぼんやり窓の外を眺める。空は高い。雲がゆっくり流れている。その景色を見ていると、不意に思い出した。
『今日は星も見ようね。』
夢の中で澪と交わした約束。
覚えている。
内容まではっきりと。
普通なら、夢の内容はもっと曖昧になる。約束なんて、起きた頃には「そんな気がする」程度にしか残らない。
なのに。
澪とのことだけは、忘れない。忘れられない。
現実は嫌いじゃない。友人もいる。大学生活も悪くない。笑うことだってある。それでも。帰りたい場所を聞かれたら。悠真は迷わず答えてしまう。
――あの家へ。
澪が待つ、あの場所へ帰りたい。
♢ ♢ ♢
夕暮れ。
古本屋から一冊の本を抱えて帰る。
今日買ったのは、星座神話をまとめた文庫本だった。
「澪、好きそうだな。」
自然と口元が緩む。部屋へ戻ると、制服を脱ぎ、本を机へ置く。スマホには未読のメッセージが数件。
友人からの誘いやサークルの連絡。どれも悪いものではない。悪いものではないが、、、少し考えた末、
『今日は用事がある。また今度誘ってくれ。』
とだけ返した。
窓の外では街の灯りが一つ、また一つと増えていく。
悠真は机の上に置かれた、小さな写真立てを見つめた。幼い兄妹が並んで笑っている。
自分がヒーローになりきってポーズしている横で澪は満面の笑みでピースをしていた。
ため息がでる。静かに写真を伏せる。
そしてベッドへ横になった。
「おやすみ。」
誰に言うでもなく呟く。瞼が重くなる。
意識がゆっくり沈んでいく。現実の音が遠ざかる。
代わりに、柔らかな風が頬を撫でた。
♢ ♢ ♢
二階から勢いよく駆け下りてくる足音が聞こえた。
「お・兄・ちゃーん!」
音に合わせながら階段を三段ほど飛ばして降りてきた少女は、そのまま悠真へ飛びついた。
「えへへ、おはよう!」
紺色の長い髪がふわりと揺れる。まだ十二歳らしい幼さを残した笑顔。
「…ただいま、澪。」
その一言に、澪は少し首を傾げてから笑った。
「変なの。『おはよう』でしょ?」
「ああ。」
悠真も笑う。
「おはよう。澪。」
その日も二人は町へ出かけた。
公園でキャッチボールをし、アイスを食べ、
丘の上で星を眺める約束をする。
何気ない時間が過ぎていく。
だから気付かなかった。このセカイに侵入者がいる事に。
夕暮れ。家へ戻る途中の一本道の向こうに、
見知らぬ二人の人影が立っていることに。
一人は白衣を羽織った若い女性。
もう一人は、夜空の様な長い紺色の髪を風になびかせる少女。こちらを見つめたまま、静かに立っている。
澪が小さく呟いた。
「……お兄ちゃん。」
「…ああ。」
悠真も立ち止まる。この世界では、知らない人に出会うことは珍しくない。
だが。この二人だけは違った。
招いていない
よくわからないが胸の奥で警鐘を鳴らす。
長い髪の少女が、一歩前へ出た。
「……あなたがこのセカイの主人?」




