疑惑と不審
魔剣騎士と召喚術士の戦いが激しくなる中で、ゼオンとツェザーレの攻防もまた激しさを増していた。ツェザーレは速く、軽く、それでいて攻撃は鋭く、重く、一流と呼ばれる剣士でもどこまで食い下がれるか。
「……感情の揺らぎはなしか」
ひと呼吸の間に十を超えて繰り出されるツェザーレの斬撃を、ゼオンは分厚い大盾で全て受け止め、弾き返していた。
斬撃に合わせて大盾の角度を絶妙に変え、こちらに掛かる圧力に合わせて押し返す力を調整する──これらを刹那の間に悉く成功させる技量は、尋常ではなかった。
銀仮面から覗くツェザーレの瞳は、霞に包まれたように茫洋としている。ソトナルカによって脳を含む肉体と精神に手を加えられた素体に、自我は欠片ほども残っていないようだった。
ツェザーレの纏う骨格のような鎧には、身体能力を強化するパワードスーツとしての機能が組み込まれ、人体の限界を超えた強化措置を施された肉体を更に強化している。
亜音速で平然と動き回り、斬撃の悉くが音よりも速く迸る。それをゼオンが捌き続けていられるのは、ひとえに彼のこれまでの歴戦の言葉でも足りない経験値と、蝋の翼時代に築き上げた戦闘技術があればこそ。
斬撃の嵐に晒される中、ゼオンはツェザーレの動きを徐々に見切り始めている。ツェザーレを改造した施術者は、効率を重視したのだろう。その所為で動きのパターンが少ない。効率よく、合理的に殺人を成す。その思想が透けて見えた。
「ふん!」
正面から大盾で受けた直後、左右に細かくステップを刻むツェザーレを目掛けて、半月を描いた大剣が横殴りに襲い掛かる。巨岩もツェザーレと同じ大きさの鉄塊も両断する、常人の枠を超えた斬撃だ。
ツェザーレが長剣をなんとか盾代わりにねじ込むのに成功し、大剣と正面から激突する。質量差を考えればそのまま砕けてしまいそうなものだが、ツェザーレは大剣に抗わずにその勢いに乗って回転するように跳躍して回避する。
空中のツェザーレの長剣に異変が生じていた。奇妙な鍔がうねうねと蠢くや、左右三本ずつの鋭利な先端を持った触手のような器官へと分かれたのだ。
気色の悪い動きを見せた触手が一斉にゼオンへと襲い掛かる。ゼオンの目に驚きはなかった。
優秀な教師だったヴィオレッタとガルガンズから、武器や防具に擬態した人工生物や異界の生命体について学んでいたのに加え、これまで幾度か交戦した経験があったからだ。
「擬態生物か。その長剣モドキが術士の指示を受けて、お前を動かしているようだな」
振り抜かれた大剣が風の速さで翻り、六本の触手をことごとく切断し、紫色の体液を拭きながら斬り飛ばされた先端が地面の上で、びちびちと跳ね回る。
着地したツェザーレの長剣の鍔に埋め込まれた宝玉が、ギョロギョロと動き始めた。残る触手がいっそう激しく蠢き、長剣の節がガチガチと音を立てて伸び縮みをし始めた。
ゼオンの指摘通り、長剣はそれらしく見えるよう擬態した生物だったのだ。
「ギィ、ギギギ」
触手を斬り飛ばされた痛みに長剣の柄の先端から、昆虫めいた鳴き声が零れる。どうやらそこが口であるらしい。節のある刃が尻尾で触手めいた鍔が足、柄が嘴と口といったところか。
金属を常食し、鍛え上げた鋼鉄の武器に勝る甲殻を得るに至った擬態生物の一種で、ツェザーレのそれはソードスコルピオンと呼ばれている。その中でも特に優秀な個体に投薬や魔術による強化を施した特別品だ。
触手の傷口から溢れる体液が急速に凝固し、出血が止まる。
凶暴性と攻撃性が強まるように調整されたソードスコルピオンは、傷つけられた怒りを上乗せしてツェザーレへゼオンへの攻撃を再開させた。
人ならぬ者の殺気を向けられるゼオンは、ツェザーレに対する憐憫の情を堪えきれず、言葉にして吐き出していた。
「召喚術士どころか虫の言いなり。お前さんもどこまで不運なんだか。なによりお前さんみたいなのを見るのが初めてではないのが、ソトナルカの胸糞が悪くなるところだ」
ソードスコルピオンの尾、すなわち長剣の節と節とが開き、鞭のようにしなる。止血した六本の触手と共にツェザーレが踝まで地面に埋まるほどの踏み込みで、ゼオンとの距離を一息に詰める。
ゼオンはグランレッグからの教えを思い出していた。
多対一の戦いの時、視界の外からの攻撃に対する警戒は、常に行わなければならない。その為には五感の全てを研ぎ澄ませ、眼で見て、耳で聞いて、鼻で嗅ぎ、肌で感じる。
またガルガンズは言った。世界には多くの情報が満ちている。万物には“流れ”が存在し、大いなる循環の中に自分達は存在すると。流れの中にある自分と他者を認識せよ。果てしなく遠い道のりだが、それを成せばお前は全てを見る事が出来る、と。
「少しは出来るようになったつもりだが、さて」
降り注ぐ陽光を切り裂くように、ソードスコルピオンの尾が唸り、六本の触手は常に兜と鎧の隙間を狙うか、あるいは拘束しようと隙を伺い続けている。
触手はソードスコルピオンが操作し、長剣としてのソードスコルピオン自体はツェザーレが振るう事で、完璧な連携を維持しつつ二対一の構図が出来上がっていた。
銃弾も容易く弾き落とす速度で乱舞する触手の連撃に晒されながら、ゼオンは一度のミスも許されぬ攻防を重ね続ける。
ゼオンの周囲で破裂音が六つ、衝撃波を伴いながら炸裂した。触手の先端が音の壁を越えた証明である。
ゼオンから見て左の触手の内、縦に並んだ二本が最も速い。
右側の三本はそれぞれ、角度の異なる弧を描きながら迫っていて、狙いはゼオンの右頸部、右腰、それに背後からの腰裏か首筋。
最も速度の遅い左の三本目はまっすぐに兜のスリットを目指している。他の五本の触手に対する防御や回避に合わせて、動きを変えるのだろう。
ソードスコルピオン本体はツェザーレが両手で握り、再び神速の踏み込みと共に全身全霊の突きが繰り出される。体ごと相討ちも辞さずにぶつかってゆく、敵を倒すことだけに専念した突撃だ。
極限の集中状態の中で、ゼオンの肉体は思考よりも速く動いた。そうでなければ間に合わない速度の敵であり、それが出来るのがゼオンという戦士であった。
右下段を向いていた大剣がくるりと軽やかに動いた。特別に速いわけではないのに、鈍重な印象を受ける大剣はくるりと六本の触手全てを巻き取り、そのまま抵抗を許さずに引き寄せた。
踏み込みにゼオンによる引き寄せも併せて加速するツェザーレの長剣に対し、ゼオンの大盾が唸りを上げる。立てた大盾で受けるのではなく、打撃武器のように横倒しにした大盾の縁で長剣の切っ先──ソードスコルピオンの尾の先端を叩いたのだ。
「ギュッ!?」
悲鳴をそれ以上あげる間もなく、大盾の一撃によってソードスコルピオンは次々と砕けて行き、鍔元の目玉がガラス玉のように砕け、ツェザーレの胸を強打し、岸壁まで大きく吹き飛ばした。
ツェザーレを守る骨格のような鎧の胸部も砕け、岸壁に激突したツェザーレは全身をめり込ませ、指一本動かせない様子で動きを止める。
「死んでなきゃいいが」
ツェザーレの無力化を確認したゼオンは、依頼主と召喚剣士との戦いへと視線を転じた。
ツェザーレと戦いながら、常にシャルアの状況を確認していたが、なかなかどうして依頼主殿はゼルドナーを翻弄し続けていた。
可能な限り生かしたまま捕縛すると自ら制限を掛けながら、優位に戦いを進めている技量に、ゼオンは何回目かの感心をした。
特別なソードスコルピオンが粉砕され、ツェザーレが戦闘不能に陥った時、ゼルドナーの召喚した血濡れの短剣は五本が失われ、新たに召喚された獣の頭部を模した石像の群れが、シャルアの放つ星々と対峙していた。
その獣の石像もすでにいくつかが粉砕され、残骸がそこらに散らばっている。シャルアもゼルドナーも怪我を負った様子はないが、肩で息をしているゼルドナーに対してシャルアは息一つ乱していない。
「次は何を召喚する。獣顔石像はもう二つしか残っていないぞ。我が刃の星を消すことは叶わず、ツェザーレと呼んだ哀れな被害者は我が傭兵殿が無力化した。まだ打つ手がお前の手の中に残っているか?」
両者の間に開いた距離は八メートルほど。風星を一振りすれば、輝く星々が瞬時にゼルドナーに襲い掛かるだろう。残る血濡れのナイフと獣顔石像がどこまで防ぎきれるか。
ゼルドナーは視界の端に崖にめり込んだまま動かないツェザーレを映し、危険人物として抹殺リストに載っていたゼオンを、過小評価していた事実を素直に認めた。
「いやあ、ツェザーレなら並みの魔剣騎士程度、簡単に倒せるはずなんだが、ゼオドーラさんだっけ? あんたは魔剣騎士の上澄みの方だし、召喚獣殺しのゼオンは噂以上の実力だし、俺の見通しの甘さを痛感させられたよ」
ゼルドナーは長剣を握ったまま肩を竦めた。ほとんど同時に残る舞い踊る血のナイフと獣の頭部が襲い掛かり、両者の中間地点で輝く星々に撃ち落されて、跡形もなく砕け散る。
シャルアがわずかに身を沈めた。跳躍する為の些細な予備動作。鍛え抜いた肉体と繊細な身体操作、そして二級魔剣による強化魔術により、瞬きするよりも速くシャルアはゼルドナーを間合いに収めるはずだった。
「だから俺はもう逃げるよ。これが俺の打てる最後の手さ」
ゼルドナーの全身が召喚光に包まれて、向こう側の光景が透けて見えていた。もし不用意に近づけば、中途半端に召喚に巻き込まれて、身体の一部だけが持っていかれるか、全身がバラバラになって世界中に巻き散らかされる可能性が高い。
合図を送って遠方に居る味方に自分を召喚させて、逃走を図る。潜入していた工作員の中でゼルドナーのみに許された脱出手段である。
「召喚術を利用した脱出手段か。ソトナルカの人間でも、誰でも使える手段ではない。貴様のことは余さず報告させてもらうぞ。ゼルドナー」
間に合わないと認め、足を止めたシャルアの瞳は、仮面の奥でその冷徹さを増していた。
ゼオンを雇い、潜伏拠点を首尾よく襲撃しておきながら、最後の最後で下手人を取り逃すなど、シャルアにとって許されざる失態以外のなにものでもなかった。
ゼオンの求める情報の一端なりを知っている相手だというのに、よりにもよって自分が取り逃してしまうとは! シャルアはゼオンに顔向けできないと、心底から嘆き、悔やみ、自分自身に激怒していたのである。
「君に一杯食わせられたようで、スカッとしたぜ。それと百獣狩りのゼオン。あんたの危険性もきちんと伝えておく。いつ、寝首を掻かれるか分からなくなるぜ。精々、気を付けな」
「さっさと消えろ」
ゼルドナーの煽り文句に短い一言を返し、ゼオンはすでにほとんどの興味を失った様子であった。彼の手練をしても、召喚術を利用した脱出を止められないと認めていたからだ。
そしてゼルドナーはゼオンの一言に苦笑を浮かべながら、この場から姿を消した。ソトナルカ本国か、あるいはネルエデン帝国内に築かれた別の拠点か。それを追う術はゼオンの手の中になかった。
「ゼオン殿、これは私の手落ちだ。心から謝罪する。本当にすまない」
これ以上、新たな召喚獣の出現などはないと判断し、風星を鞘に納めたシャルアは、ゼオンに向けて偽りもごまかしもない謝罪の言葉を口にして、頭を下げようとした。それをゼオンの溜息混じりの声が止める。
「ゼオドーラ卿、騎士がそう簡単に頭を下げるものではない。ゼルドナーを逃がしたのを気にしているが、逃したのは俺も同じだ。もっと早くツェザーレを戦闘不能に追い込んで、そちらの援護に向かっていれば、結果は変わっただろう。それに得られた情報はある」
「それは?」
「俺の仇は確かに存在している。ゼルドナーが知っている反応を見せた。だから、あまり自分を責めるな。依頼主殿にそう気を病まれては、俺も気が気ではない」
「ふふ、そうか。そう言ってくれるのか、貴公は。我ながら単純なもので、貴公がそう言ってくれるだけで、随分と気が楽になった。ゼルドナーを逃してしまった分は、貴公への報酬で報いてみせる。だが、その前に仕事を片付けよう」
ゼルドナー達の使っていた潜伏拠点の徹底的な家探し、そして戦闘不能に追いやったツェザーレの処遇。二人にはまだまだやることが残されている。
「それに他の部隊の成果も気になるところだ。ゼオドーラ卿の持ってきてくれた今回の依頼は、俺にとって価値のあるものになる。そう予感している」
「参ったな。そこまで慰めて貰えるとは考えていなかったよ。それとも普段から依頼主に対して、そこまで細やかな配慮をしているのかな? 私だから特別なのだと、思い上がりたいところだけれど」
そうシャルアに言われて、ゼオンは自分を省みるに確かにここまで依頼主に仕事の内容でフォローを入れるのは珍しい、というかした覚えがなかった。
自分でも何故かシャルアに対して、甘い態度を取っていると認めるしかない。しかし、どうして? その理由となるとこれがさっぱり思い当たらない。
(ゼオドーラ卿は一方的に俺を知っているだけだと言っていたが、俺も思い出せないだけで彼女の事を憶えているのか? はっきりとした答えが出ないのは、どうも座りが悪い)
ともあれ、ゼオンはシャルアに答えた。図らずも彼女を喜ばせる内容を。
「普段はここまではしない。理由は俺にも分からんが、俺はゼオドーラ卿を贔屓しているらしい。まったく、おかしな話だ」
シャルアは仮面を着けていてもはっきりと分かるくらいに、大いに笑った。にやついたという方が正しかったろうか。耳まで真っ赤だ。あまりに初心な反応に、そうさせたゼオンの方が恥ずかしくなるくらいだ。
「ふ、ふふ、そうか。そうか、ふふ、私を贔屓しているのか、貴公は。むふ」
(言うんじゃなかったか? いや、ここまで都合の良い依頼主というのも珍しい。報酬の件もある以上、縁を深めて悪い事はあるまい)
この時のゼオンは、縁も深め過ぎれば災いとなるとまで考えが至らなかった。強すぎる思いというものは、得てして悲劇や惨禍を招くものだとゼオン自身、何度も目の当たりにしてきたというのに。




