復讐の手がかり
シャルアとゼオンの探索行は、ヒディアを筆頭とする召喚獣達との交戦を重ねながら、遅滞なく進んでいた。
休憩も挟まずに進み続ける二人の体力は、歴戦の傭兵とエリート騎士とはいえ並みではなかった。水の一滴も摂取しないまま、二人の速度はまったく変わらない。
障害をことごとく乗り越えた二人は、迷うことなく目的の拠点へとたどり着く。
入り口の周囲は開けていて、緩やかな斜面だ。ゼオンとシャルアは入り口を見下ろす位置から木々の影に隠れ、用心深く様子を探っている。
崖に刻まれた亀裂を利用した入口の周囲に、人影はなかった。あらかじめ地面や床、壁に召喚術の文言や陣が刻まれた様子もない。
「不用意に接近すると召喚術が起動して、槍衾や爆弾、あるいは召喚獣を招くトラップは無さそうだ。ソトナルカの得意技だが……」
無防備な状況を訝しむシャルアに、ゼオンは淡々と応じた。感情の混じらぬ物言いが、シャルアには頼もしい。
敵討ちを目的とする復讐者でありながら、ゼオンはおくびも憎悪を出さない。表に出したところで役に立つ場面ではない。胸の内で燃やしてこそ、力になると彼はよく知っていた。
ソトナルカ狩りに長けた傭兵には、この状況がどう見えているのか、仮面の女騎士は小さくない興味を抱いていた。
「迎撃の邪魔になるから回収したのだろう。ソトナルカは召喚術の研究に熱心だ。潜伏拠点が襲撃されたこの状況なら、襲撃者を相手に、新手の召喚術か何かの試験をしたがる」
「貴公の実体験かな?」
「ああ、身をもって体験している。おおむね制御に難のある個体か、制限付きで使いどころの難しい召喚獣を置き土産にしてくる場合が多い」
「なるほど、これまでの道中より手間を掛けさせられそうだ。バグズントより厄介な相手が来るだろうか?」
「斬れる相手ならさしたる違いもない。未知の毒素やら呪いやらをまき散らかされるのに比べればな」
かつて対峙したゼオンはおろか、周囲数キロメートルの大地を紫色の腐った泥に変えた毒や、解呪しない限り全身の毛穴から止めどなく血を噴く呪い……。
今、思い出すだけでも地獄もかくやと言う他ない過去の記憶に、ゼオンは兜の奥で嫌悪感と不快感を噛み潰した。
「……もっともだな。支配に関心のないソトナルカなら、土地を腐らせるのを気にすまい。嫌がらせの極致だ」
騎士として守るべき国土そのものを穢してくるソトナルカのやりようは、シャルアにとってひどく不愉快なものだと、声色にはっきりと表れている。
潜伏中の工作員を掃討するにしても、かくのごとく厄介な置き土産をしてくるのがソトナルカという国家だ。
不意にシャルアの意識がゼオンから外れた。見えない妖精に囁きかけられたかのように、耳を傾ける仕草だ。
(魔術による遠隔通信か。他の騎士達が逃げた工作員と接触したか?)
ほどなくしてシャルアは魔術通信を終えて、ゼオンへ声を潜めて状況を共有した。
「私達以外の部隊が脱出を図る工作員と接触した。追跡と交戦を開始している。となると拠点の中には、侵入者を道連れにする罠だけで無人となっているか、こちらを始末する為の凄腕が残っているかだ。貴公の見解はいかが?」
「ソトナルカの仕掛ける罠は面倒だ。外からこのまま崩した方が手っ取り早いが、収穫がないことを確かめてからでなければ、そんな真似も出来ないか」
爆薬でも持っているのか、ゼオンには崖の中の拠点を崩落させる手段を持っているらしい。十数年以上、傭兵として戦い続けてきたゼオンだ。シャルアには想像もつかない魔術武器や秘宝の一つを、持っていてもおかしくはない。
「ああ。多少なり奴らの不意を突けたはずだ。消しきれぬ痕跡や情報の一片でもあるなら、掃討作戦の成果に数えられる。報酬を上乗せする為にも、貴公のさらなる奮起を期待したいが、どうだろうか?」
「ゼオドーラ卿の口車に乗るとするさ。これまでのやり方では、敵討ちの情報収集にも限度がある。国の力を借りられるのなら、躊躇もしていられん」
「分かった。前も言ったが、貴公の期待には必ず応える。騎士の名誉と皇帝陛下に誓って、必ずや」
だから皇帝陛下の名前をそんなにポンポンと出して大丈夫なのか、とゼオンは言いたくなるのを堪えて、身を隠していた大木から姿を現した。
小さな蜘蛛や蟻、羽虫などを召喚し、警戒網代わりにするのは、ソトナルカの常とう手段だ。身を隠していても、実際、どれだけ効果があるか怪しい。
「居残りが居たとしても、俺達の接近はとっくに分かっているだろう。万全の調子で、手ぐすね引いて待っているに違いない。奥で俺達がやってくるのを、今か今かと待ち構えているか、さて」
無防備な様子で足を進め、亀裂へと近づいてゆくゼオンの数歩後ろからシャルアも続いた。互いに武器を手に持ち、全方位からの襲撃を警戒している。
開けた場所で、先を行くゼオンが足を止めた。亀裂の向こうから軽い足取りで、近づいてくる気配に気づいたのだ。
亀裂に満ちる暗がりの中かから姿を見せたのはゼルドナーだった。ツェザーレの姿はない。
「やあやあ、ネルエデン帝国の魔剣騎士と……へえ? 灰のゼオン? 凄腕の傭兵じゃないか。よくもこんな山奥までおいでになったものだ。ところで俺はゼルドナー。お二人はどんなご用事かな?」
いけしゃあしゃあと陽気に話しかけてくる赤毛の青年に、シャルアがゼオンの隣まで進み出て応じる。ゼルドナーに今のところ、殺気の類は感じられないが、油断の許される状況ではない。
「魔剣騎士シャルア・ゼオドーラだ。貴様の後ろに広がる亀裂の中と貴様に用がある。我が帝国の定める法をいくつも破り、臣民に害をもたらしたるは既に明白。抵抗を諦め、大人しく縛につけ」
冷たく厳しいシャルアの宣告と声音に、ゼルドナーは意外そうな表情を浮かべた。感情表現を惜しまない性格らしい。
「へえ、問答無用で殺しにかかってくるかと思っていたけど、それらしく通告なんてするとは、意外だ。特にそっちの召喚術狩りのゼオンなんて、いきなり切りかかってきてもおかしくないのに、雇い主の許可が出るまで行儀よく待つなんて尚更だ」
灰のゼオン、召喚術狩りのゼオン、どれもこれまでの傭兵活動でゼオンに付けられた通り名だ。これ以外にもいくつかの物騒な通り名がある。
特にソトナルカの召喚術士に対して容赦がなく、関わる依頼を積極的に受ける姿勢から、ゼオンがソトナルカに根深い怨念と憎悪を抱いていると、傭兵界隈に詳しい者の間ではそれなりに知られた話だ。
「人を話の通じない狂犬扱いするとは、感心しないな。依頼でここに来ている以上、依頼主の意向を汲むくらいはする。それでソトナルカの召喚術士よ、ゼオドーラ卿の言葉に従って降伏するか? そうするなら、俺がお前を斬る理由はなくなる」
「いやだなあ、俺をソトナルカの人間だなんて決めつけないでくれよ。それは偏見ってもんさ。ソトナルカ以外にも召喚術士は居るんだから、召喚術を使えるからって、ソトナルカ人とは限らないじゃん」
ゼオンとシャルアを前にしてあくまで軽い調子を崩さないゼルドナーは、底抜けの阿呆か大した胆力の主だ。だが言葉だけでこの場をくぐり抜けるとは思っていなかったし、それを許すゼオン達でもない。
「どこの所属だろうと帝国の法を犯した事実に変わりはない。抵抗しても構わん。可能な限り命は拾えるよう努めるが、手足を失う程度は覚悟しておけ。さて」
シャルアから視線を向けられて、ゼオンは小さく笑った。シャルアの仮面越しの瞳には映らないのが、もったいない笑みだった。少なくともシャルアは見られなかったのを知ったら、歯ぎしりをして悔しがるだろう。
「義理堅いな。それとも律義と言うべきか。だが、感謝するよ、ゼオドーラ卿。ゼルドナー、お前を斬り捨てる前に一つ聞く」
「なんだい、お喋りはおしまいかい? 俺は話をするのは好きだぜ。ソトナルカのことなんか知らないが、他にもっと楽しい話題があるだろう、なあ、おっかない傭兵さん」
「俺が聞きたいことは一つだ。銀色の炎を思わせる髪に赤銅の肉体……」
あの日、グランレッグの長剣をまともに受けてもろくに通らない堅牢な肉体、一撃で大地を大きく砕き、空に掛かる雲を割った豪腕。
「額に第三の瞳、こめかみからは赤い角を生やし、手足は黒い鎧か甲殻に覆われたような形だ。一見すれば人間に近い容姿をしている」
トンガリ帽子のヴィオレッタが大地の奥底から招いたマグマや、万物を凍てつかせる冷気、天空を覆う雲から豪雨の如く降らせた稲妻、それらすべてを無効化した第三の瞳の魔力。
多種多様な魔術、呪術、武術と組み合わさったガルガンズの連撃と打ち合い、当時の未熟極まりないゼオンでさえ、美しいと感嘆させられた戦いの技。
生物として人間をはるかに超越した能力に加え、戦闘技術、魔術の技量、魔力量、あらゆる点でゼオンの知る如何なる存在を上回る召喚獣。
「俺はあの召喚獣の名前は知らん。素性も知らん。だが、お前は知っているか? 追い詰められたソトナルカの連中が、戦況を覆すべく呼び出したあの召喚獣を」
ゼルドナーは表情を変えなかった。体をわずかに震わせることもしなかった。
「さあ? 召喚獣は星の数ほど居るしなあ。人間に似て非なる召喚獣なんて、どれだけいる事やら」
「そうか。知っているのか」
「おいおい、知っているなんて一言も言っていないぜ? ちゃんと耳がついているのかよ? 妄想だってんなら言い掛かりよりも厄介だぜ」
「呼吸が一度、止まった。思い浮かべたのだろう? 味方のお前達からしても畏怖を覚える相手を」
兜のスリットから覗くゼオンの眼差しに、ゼルドナーは魂まで睨まれるような悪寒に襲われていた。この瞬間、ゼルドナーはゼオンの恩讐の手がかりとして、認められてしまったのだ。
ゼルドナーは思考よりも速く、左右の長剣へ手を伸ばし、その眼前には既に跳躍したゼオンの姿があった。抜剣よりも、全身鎧と大剣、大盾を纏うゼオンの跳躍が速いという事実に驚愕するゼルドナーの背から、飛び出す影があった。
銀仮面のツェザーレだ。黒鉄の鞘から抜いた長剣が、空中でゼオンの繰り出した大剣と刃を交え、澄んだ音を立てて両者の体が弾かれる。
ゼルドナーを庇う位置に降り立ったツェザーレの右手には、不気味な長剣が握られていた。蛇腹のようにいくつかの節を持った真っ赤な刃に、骨の指が絡み合ったような鍔の中央には、生物の瞳を思わせる青いルビーが埋め込まれている。
「自我を奪った召喚獣か。相変わらず外道を進んでいるようだな。ゼオドーラ卿」
「皆まで言わずとも分かっている。ゼルドナーとやらは私が拘束する」
風星の切っ先を下段に流し、油断なく構えるシャルアの瞳は、両手に長剣を抜いたゼルドナーへ視線を映し、怒りも憎しみも熱もない、冷たい眼差しを向けている。
魔剣騎士の名に懸けて帝国と臣民に仇を成す敵を処理する、この理がシャルアを動かしている。崖を背にしたゼルドナーは、口元に好戦的な笑みを浮かべた。よほどツェザーレに自信があると見えた。
「さ迷う鎧のゼオンはともかくとして、そちらの仮面のレディはまだ新人さんかい? 仮面をしていてもとびっきりの美人だってわかるぜ。おまけに魔剣騎士と来たら、少しは名が知れていそうなもんだが、ゼオドーラとは聞いたことのない名前だ」
「これが初任務の新人だとも。魔剣騎士として相応しいかどうかは、お前自身が確かめるがいい」
シャルアは踏み出すと同時に風星を一閃し、刃の中から輝ける星々が地上を流れる星となって、ゼルドナーへと襲い掛かる。
風の速さで身をひるがえしたゼルドナーを追いきれず、星々は次々と岸壁に命中して大きな穴を穿ち、更に亀裂を広げて行く。
(さっき、星は刃に十二個あった。俺に向けて七つ撃ち出し、刃の星は五個。最大で十二個までストックし、それを撃ち出すのがあの魔剣の能力か。かなり高度な身体強化の魔術が付与されている)
現在、帝国で運用されている全ての魔剣には所有者の筋力や内臓機能、反射神経、思考速度など肉体の機能を強化する魔術が、例外なく付与されている。
この機能によって四級魔剣を持つ兵士達に至るまでが、常人を越えた動きでもった襲い掛かる軍勢と化す。そしてゼルドナーの前には、大量生産の四級魔剣よりも格上の魔剣を持つ女騎士が居た。
「舞い踊り 血に濡れた刃を更に赤く紅く朱く染めよ ダンシング・ブラッド・ナイブズ」
ゼルドナーの周囲に赤い光が七つ瞬く。異界ないしは遠方から召喚した際に発せられる召喚光である。彼の持つ長剣の柄がわずかに光を発していて、内部に触媒を仕込んでいるようだ。
赤い光から躍り出たのは、ゼルドナーの詠唱の通りに柄尻から切っ先まで赤く濡れた短剣七振りだ。自ら浮かび、飛び、獲物を求めて舞い踊る血に飢えた刃達が、忠実な猟犬の如くゼルドナーに追従する。
「自分も剣を振るうタイプか。召喚術士にしては珍しい」
「そちらさんの魔剣が多種多様なのと同じさ。さあ、俺のナイフ達にあんたの血を捧げてくれ!」
「出来るものなら」
はるか北の大地で人々を氷の像に変える氷雪は、きっと、この時のシャルアの声のように冷たいに違いない。ゼオンに対してはただの一度も発したことのない、冷えた声と眼差しでシャルアは魔剣と共にゼルドナーへと斬りかかった。
七振りの血濡れの短剣はシャルアを包囲し、前後左右上下から回転しながら斬りかかり、あるいはタイミングと速度を変えながら突き刺そうと襲い掛かってくる。ゼルドナーを含めて八対一にも等しい状況で、シャルアは一歩も退かない。
「巡り星」
風星の刃から六つの星が飛び出し、それらはシャルアの周囲を旋回して常につかず離れずの距離を維持し、襲い来る血濡れのナイフを弾き返し続ける。
六つの星を残す刃が振り上げられ、シャルアの踏み込みと共に爆発的な加速によって、ゼルドナーとの距離が無となる。瞬間的に音の壁を越えた斬撃を、ゼルドナーは長剣を交差させてかろうじて受け止める。全身の骨が砕けたと錯覚する衝撃に、歯を食い縛って耐える。
「ほう、折れないとは良い剣だ」
「それはどうも!」
ゼルドナーの長剣が内部から光を発し、新たな召喚術が行使されるその瞬間、シャルアも風星に残した六つの星を輝かせて、両者を巨大な光の爆発が飲み込んだ。




