魔剣騎士
馬車から三日分の携帯食料と水、薬や地図、ロープなどを回収し、シャルアとゼオンは連れ立って山中へと足を踏み入れる。
見上げるばかりの巨木が生い茂るイストマツ山は、良質の杉を始めとした木材があり、帝国から厳しく資源管理を定められている山である。
普段、伐採の行われている場所までは、道が整えられているが、今回、目的となる場所は山の奥深くとなる。山の獣しか通らないような道なき道を進まなければならない。
軍服姿のシャルアでさえ山歩きに不向きな恰好なのに、全身鎧姿のゼオンなど山を甘く見ているどころか、なにかの訓練でもなければ自殺志願者かなにかと疑われるところだ。
「鎧の触れ合う音一つしないとは、隠密の技にも長けているのだな、貴公は。こうして隣に立っていても、時折、気配を見失ってしまう。目の前に立たれていても、透けて見えるような感覚に陥るだろう」
発言の主は、道なき道を塞ぐ枝葉を小剣で切り払いながら進むシャルアである。名も知れぬ草花が生い茂り、太い木の根があちこちで盛り上がっている。
少し気を抜けばすぐさま足を滑らせて、身体をどこかにぶつけてあっという間に青あざだらけになる。
そんな山中を超重量の装備で音もなく歩くゼオンに、心底から感嘆したようだった。今度ばかりはゼオンに対する贔屓目のない賞賛である。
「技術として持っていなくても、代わりになる魔術や魔術具はいくらでもあるだろう。妖精に音を消すよう頼んでもいい。替えの利く技術に、それほど驚かなくていいと思うぞ。それと本当にゼオドーラ卿を先頭に歩かせてよかったのか? 装備からしても俺が前に出るべきだろう」
「そんな事か。大丈夫、偵察した者達の集めた情報は全て頭に入っているし、いざという時の対応力は私などより貴公の方がよほど上だ。不意を打たれた時に、貴公が自由である方が結果的に安全性が増す」
ゼオンの受けた依頼はシャルアの護衛ではない。である以上は、必ずしもシャルアの身を守る必要はないが、仮にも帝国の騎士に危険が迫った時、放ったらかしにするわけにも行かないだろう。
馬に化けたドッペルゲンガーを仕留めた攻撃を見れば、彼女の長剣がただの武器でないのは明らかだが、山中での戦いに適しているかどうかはまた話が別だ。いざとなったら、盾になる覚悟を固めて、ゼオンは言葉を重ねる。
「もう山に足を踏み入れておいてなんだが、お互いにこの格好で良かったのか? 見つけてくれと大声で叫びながら、進んでいるようなものだろう。相手は逃げ出す準備を始めているかもしれないだろ?」
これで相手を取り逃がしたとして、そうなったら依頼は成功扱いになるのか失敗扱いになるのか、とゼオンは心の中で疑問に思う。
これまで受けた依頼を思い返すに、似たような結果に終わった時、成否扱いは依頼主側の解釈と契約内容次第となる。今回は成功扱いただし報酬は半額か三分の一程度が支払われる、といったところか。
「構わないさ。ネルエデン帝国の騎士が傭兵連れとはいえ単独でやってきた。それが許される腕の騎士が派遣されたと、連中は判断するだろう。それで逃げ出すのなら、別働部隊が始末するか捕縛する。逃げずに迎え撃つのなら、このまま私と貴公とで片づけるまで」
「潜入している工作員が二流の筈がない、と言ったのはゼオドーラ卿だったな。連中が迎え撃ちつつ、撤退の道を選べば中途半端な戦力を相手にするだけで済むが、どうなるか」
シャルア単独での任務かと思いきや、実際には他の騎士や兵士達も連携しているようで、帝国は侵入した工作員達を逃すつもりは微塵もないようだった。
他の騎士達がシャルアのように傭兵を雇っているかは分からないが、優秀な召喚術士を相手に出来るだけの手練れと数は揃えているはずだ。
「貴公は奴らに完全に撤退して欲しくはないという口ぶりだ」
「そう聞こえるか? そうか、そうだな。ソトナルカの召喚術士には少し用がある。話が出来る状況なら、一つ、質問をしている。腕の立つ召喚術士で、敵国への潜入を任されるような立場なら、普通の術士では知らない情報を知っていそうだしな」
「ふむ、そうは言うがあまり期待はしていなさそうだ」
「これまで十数年続けてきたが、当たりを引いていなくてな。諦めるつもりはないが、当てが外れるのに慣れた弊害だ」
諦観はない。疲労もない。だが期待はしない。そんなゼオンの声に、邪魔な枝葉を切り払う小剣と足を止めないまま、シャルアが口を開く。
「そういった事情であるのなら、貴公の求める情報も内容次第ではあるが、帝国からの報酬に加えよう。いかが?」
「なに? ゼオドーラ卿が冗談半分で口にしたわけでないのは分かるが、俺に都合が良すぎて気味が悪くなってくるぞ。そこまでの権限があるのか?」
ゼオンの見たところ、シャルアは二十歳前後の若者だ。
士官学校を卒業して、大して時間も経っていないだろう。
騎士の称号を持つにしても、そこまで報酬の追加を独断で決められる権限があるとは信じがたい。
「空手形を疑うわけではないが、そう簡単に約束をしてしまって、ゼオドーラ卿自身が後で困ることになっても、俺は助け舟を出せるか怪しいぞ」
「安心して欲しい。私も安易に口約束をしているわけではない。貴公が欲している情報についても、正直に言えば見当がついているのだ。事前に貴公の経歴を詳細に調べた上での話だ。貴公にとって気分のいい話ではないだろうが……」
ゼオンの育てられた蝋の翼は大陸中で活動していた有名な傭兵団だ。今もゼオンが悪夢として見せつけられる戦いも、蝋の翼が解散した切っ掛けとしてにそれなり知られている。
ゼオンが蝋の翼の生き残りと判明するのに、調査を初めれば大して時間も掛からなかったろう。それならゼオンがソトナルカの召喚術士に問う事など分かり切っている。
「ゼオドーラ卿の考えている通りだろう。俺が求めているのは、蝋の翼を壊滅に追い込んだ召喚獣についてだ。あれ以来、どこかの戦場に姿を見せたという話を聞かん。
負傷が原因で死んだのかもしれん。あるいはまだ傷を癒しているのかもしれん。俺は奴が死んでいるのか、生きているのかすら知らない。それくらい、はっきりとさせなければ踏ん切りがつかないだろう?」
「分かった。依頼を果たした暁には、私が必ず帝国に掛け合って、貴公の望む情報の有無を確認する」
「簡単に引き受け過ぎだとは思うが、ゼオドーラ卿がそう言うとこれまでよりも期待していい気がしてくるな。不思議なもんだ」
「ぜひとも期待してくれ。私は貴公の期待を決して裏切らないと誓う」
シャルアが足を止めて、ゼオンを振り返って力強く頷きながら告げた。これまでで最も真剣な眼差しと表情だった。
ゼオンがいい加減、この不可思議な厚意にも慣れるべきか、と思ったその瞬間、シャルアの右手が流れるように動いた。小剣がほとんど真上へと向けて投げられ、小さな悲鳴が聞こえてくる。
わずかに遅れて、シャルアのすぐ傍へと木の上から彼女を狙っていた敵が落下してきた。
子供ほどの背丈の怪物だった。
かろうじて人型ではあるが、腰が大きく曲がり、肌は赤黒く爛れて、三本の指から鋸を思わせる刃を伸ばしている。鎌のような尻尾や蜥蜴のような頭部といい、間違っても人間ではない。
シャルアの投げた小剣が喉を貫き、絶命している。どす黒い血が焦げたような臭いを発していた。
「ソトナルカが好んで召喚するヒディアだ。貴公の方がよく知っているだろうが、指から伸びる刃は鉄も切り裂く。動きが速く、銃や魔術で狙うにも的が小さく当てづらいと厄介な相手だ。そしてそれ以上に厄介なのは……」
「数を揃えて襲ってくる点だ。村人に被害が出る前に俺達がやってきたのは、不幸中の幸いだったな」
既にゼオンの右手は大剣を引き抜いていた。風が小さく揺れる事さえなかった。速く、そしてあまりに静かな抜剣の技術であった。
草むらが揺れた。木々の大きく広がった枝も揺れた。
「音を立てているのはわざとだ」
本命は無音で近づいている、と言外に注意を促すゼオンに、シャルアは黄金の鍔と黒い刃の長剣を右手に、小さく頷き返す。
「承知の上だとも」
同時にシャルアの右前方の草むらからヒディアが飛び出し、鋸の刃が左右からシャルアの右太ももを切り落としにかかる。その頭部を顎下から長剣の斬り上げが神速で二つに切り裂いた。
断面から黒い血が噴き出すよりも速く、無音で背後から忍び寄っていた本命のヒディアがシャルアの背中を目掛けて飛び掛かり、背を向けたままのシャルアの左手が押し出した鞘に喉を突かれて、首の骨がまとめて砕ける。
そのまま長剣が一度、二度と振るわれる度に、ヒディアの首が飛び、腹が切り裂かれて行く。ゼオンが兜の奥で素直に感心した手練である。
まだ年若い仮面の女騎士は、歴戦の傭兵の目からしても単独の任務を任されるに足る技量を備えていた。
(実力主義の帝国らしい人材か。コレと同程度の騎士を動かしているとなると、依頼内容の難易度が聞かされたものより一つか二つ、上を想定した方がいいな)
シャルアが獅子奮迅の戦いを見せる中、当然、ゼオンも大盾と大剣を振るい、鎧の隙間を正確に狙ってくるヒディアは矢のように速く、その小さな体と相まって初見の兵士では瞬く間に八つ裂きにされる。
また見上げるほどの巨木が聳え立つ森の中で、ゼオンの装備は重すぎ、大きすぎた。大剣を振り回すのに、この環境は不向きだ。
ゼオンの対応はシンプルだった。振るのが難しい状況なら、振らなければよい。
するすると木を昇り、頭上から襲い掛かってきた三体のヒディアに対し、ゼオンは仰ぎ見ることすらせず、無造作に大剣を突き出し、一体のヒディアの胴を貫く。
超重量の大剣は木の枝のような軽やかさで、更に二度、ヒディアの落下速度よりも速く突いた。
大剣が引き戻された時、刃は三体のヒディアの腹を貫き、哀れな召喚獣に絶命の運命を与えていた。
ゼオンが大剣をわずかに揺らすと、ヒディアの体が薄紙のようにあっさりと斬られて、油のような血を零しながら落下する。
力を込めた様子もなく、誤差のような動きだけでどんな技があったのか、ヒディアの断面は恐ろしく鋭い。
「ふん!」
そしてゼオンの動きは止まっていなかった。大剣を揺すった直後、音を立てて近づいていたヒディアが跳躍し、兜と鎧のわずかな隙間を狙って鋸の爪を突き出していたのだ。
大盾がカバーする左半身を飛び越す勢いの跳躍だったが、その頂点に達するよりも速く、まっすぐに突き出された大盾がヒディアを正面から弾き飛ばす。
遠方の大木に背中から叩きつけられたヒディアの頭部は潰れ、首に埋もれている有様だった。大盾が直撃した瞬間には、絶命していたに違いない。
これまで敵国に多くの出血を強いてきた召喚獣は、嘘のように呆気なく掃討されていった。
見る間に最後の一匹になったヒディアが、じりじりと撤退する動きを見せる。驚くべきことに、ヒディアとの戦闘中、一歩も動いていなかったゼオンが一歩を踏み出す。
ヒディアが踵を返し、全力疾走での撤退に踏み切ったまさにその瞬間、頭上から降ってきた巨大な大木に頭部から呆気なく潰されて、真っ黒い染みに変わった。
巨漢のゼオンが何とか抱えられる太さの大木だ。それが一本だけではなく八本が、ゼオンとシャルアの周囲で持ち上げられては、振り下ろされるのを繰り返している。
よくよく見れば苔むした大木のようなソレは、樹皮のような脚だった。いくつもの関節を持った脚は、円盤を思わる胴体と繋がっており、底面には牙の並ぶ巨大な口が見えた。
「ヒディアの次はずいぶんな大物が出て来たな。確か、ゲバンだったか」
三階建ての家屋に匹敵する高さにある胴体を見上げて、ゼオンはソトナルカの手数の多さを再認識する。
この世界ばかりでなく、異なる世界から様々な存在を呼び寄せる召喚術は、その多種多様さから、その全てに対抗策を用意するのは極めて困難かつ大変な苦労を強いられる。ソトナルカの快進撃が止まらない理由の一つである。
大剣を肩に担ぐゼオンに対し、長剣の切っ先を右下段に流すシャルアが応じる。
ゼオンはゲバンとも交戦経験があり、特に慌てた様子も見せないが、こちらの新人騎士も経歴からは信じられない落ち着きを見せている。
「口から溶解液を吐き出す怪物だったな。巨体を支える脚の振り下ろしや薙ぎ払いが、ひどく厄介だと報告書で読んだ覚えがある。距離を取って魔術や砲弾を撃ち込むか、懐に飛び込んで脚を壊し、体勢を崩すのが有効な戦法だと聞く」
「よく勉強しているな。士官学校の成績もさぞや優秀だったろう。あの脚を木こりよろしく伐採するか。それとも魔術か爆弾に心当たりはあるか?」
焦り一つないゼオンの声色から、対抗手段を持っているとシャルアは察したが、それに頼る素振りを見せず、自分を目掛けて振り下ろされた巨大な脚を軽やかに飛んで避ける。
樹皮を思わせる質感だが、その実、鉄に等しい硬度を持っている為、巨大な鉄の破城鎚のようなものだ。それなりに頑丈な門扉や家屋を、簡単に破壊する破壊力だ。
ゲバンの底面の牙が開いて、その奥から肉の触手のようなピンク色の器官が伸びてきて、先端に開いた穴から黄色い液体を高速で噴出する。
ゼオンを狙って放たれた溶解液を、傭兵は左半身を後ろに下げるだけで回避した。溶解液はそのまま背後にあった大木に命中し、あっという間に大木を溶かしてけたたましい音を立てながら倒れる。
まともに浴びれば、果たして鉄の塊と言っていいゼオンでもどこまで耐えられただろうか。あるいは即死できずに地獄の苦痛を味わいながら、死を乞うような目に遭ったかもしれない。
足ばかりが武器ではないゲバンの脅威に晒されて、しかし、ゼオンはもちろんシャルアにも焦りの色はなかった。シャルアが軽やかにゲバンの脚を避けながら、自信を秘めて告げた。
「我に秘策ありとまではいかないが、倒す術はある。いつ、私の手札を公開すれば貴公に高く評価してもらえるかと、機会を待っていた甲斐があったというもの!」
シャルアの言葉に裏はなく、本当にゼオンにアピールするタイミングを狙っていたらしい。ゼオンはシャルアと出会ってから何度目になるか分からない溜息を吐いた。
「共闘相手なんだから、出来れば事前に共有しておいてくれた方がありがたいぞ? まあ、切り札を隠しておくのは、珍しい話じゃないが」
ゼオンを目掛けてゲバンの脚が振り子のように襲い掛かってくる。途方もない質量を持った巨大な物体が、恐ろしい速度で迫ってくる。
ゼオンは半分納得、半分呆れの台詞を口にしながら、命中の瞬間に大盾の角度を繊細に変えて、破城鎚の如き脚をあっさりと受け流し、彼の背後にあった大木が半ばから粉砕された。
あれだけの質量を受け流しながら、微動だにしないゼオンの目の前でシャルアの長剣の刃に夜空の星を思わせる光が輝き始める。
「シャルア・ゼオドーラの名の下に魔剣を解放する。風星!」
シャルアが風星の名を呼んだ瞬間、彼女の手から柄を通して魔力が流れ込み、柄から鍔、刃に至るまで淡く金色のラインが走ったのを、ゼオンの目は見逃さなかった。
(特定の文言と音声による解除式か。おそらく所有者とも紐づけられているから、魔力との照合も行っていそうだな。敵に奪われた場合のセーフティーか)
シャルアの長剣──風星の刃に浮かぶ星の輝きが増し、一閃された時、その輝きが刃から飛び出てゲハンの胴体へ次々と突き刺さり、甲殻を砕いて琥珀色の体液が溢れ出す。
「ギイィ、ジイイッ!」
ゲバンの牙が開き、粘っこい溶解液と共に耳障りな鳴き声が溢れ出す。
明らかに苦痛を感じさせる鳴き声や、降り注ぐ溶解液と体液を避けながら、シャルアは更に風星を一度、二度と振るい、その度に輝く星々がゲバンの巨体を貫く。
ほどなくしてゲバンの八本の脚が巨体を支える力を失い、周囲の木々をへし折りながら倒れ伏してゆく。
巨体の崩れ落ちる音と振動が森の静寂を打ち破り、四方で森の生き物が逃げ惑う音が重なる中、仮面騎士がしなやかに巨体の上へと舞い降りる。
マントの裾を大きく翻し、ゲハンの上へと舞い降りたシャルアが落下の勢いを乗せて風星を鍔元まで突き刺し、巨獣の体内で星々を解放した。
次々とゲハンの体内から光輝く星が溢れ出し、巨獣の体を穴だらけにして瞬く間にその命を奪って見せた。ゲハンの絶命を確信したシャルアが立ち上がり、刃を濡らす血を払って、巨獣の背から降り立つ。
「魔剣騎士か。ただの騎士よりよほどのエリートだったな。単独で任務を任されるのも納得した」
ゼオンの素直な感想に賞賛の意識が混じっているのに気付き、シャルアは口元に花の蕾も思わず開くような笑みを浮かべた。




