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傭兵ゼオンと仮面の女騎士シャルア  作者: 永島 ひろあき


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バグズント

 翌朝、ゼオンの意識の覚醒は迅速だった。

 体感的にはほとんど時間は経っていなかったが、肉体と精神の調子は万全に整っている。ゼオンに覚醒を促したのは、部屋へと近づいてくる気配だった。迷いなくこちらを目指している。

 ゼオンは座り込んでいた床から立ち上がり、左手に大盾を握り、大剣は背の鞘に納めて、来訪者の入室を待った。


 規則正しいノックの後、シャルアが入ってくる。ゼオンを相手にいつも向けていた柔和な微笑が消えていて、硬く一文字に結ばれている。

 そうしていると、神話に語られる勇士の魂を導く戦乙女を思わせる神秘的な美しさと厳粛さが醸し出される。

 もっとも、ゼオンにとっては奇妙な雇い主以上の何者でもなかった。加えてシャルアの纏う厳しい雰囲気が、想定外の出来事が発生したと暗に告げている。


「おはよう、ゼオン殿。少しは休めただろうか?」


「ああ。お陰様でな。それでなにが起きた? いい報告でないのは分かっている」


「話が早くて助かる。例のゲルキドールだが、やられたよ。今朝方、自決しているのが発見された。舌を噛まないように猿轡を噛ませ、椅子に縛り付けて動きを一切封じていたが、予め毒薬を飲んでいたらしい」


「任務に失敗して生け捕りにされても、解毒薬を飲まなければ口封じは達成というわけだな。流石に覚悟の固まっている連中だ」


「残念ながら引き出せた情報はない。商人として活動していた方面から捜査の手を入れているが、真っ当な商売もしていたから真偽を調べるのに時間がかかる」


 嘘を通すコツは真実を適度に混ぜておくことだ。

 ゲルキドールが帝国内で活動するにあたり、工作員としてだけでなく、帝国の法に則った商売活動をすることで、商人という隠れ蓑を上手く使っていたのは、想像に難くない。


「それは俺とシャルア卿の仕事ではないだろう。任せられる仕事は任せて、自分達の仕事のことだけを考えればいい」


 そうだな、とシャルアが応じようとした時、慌てた様子の兵士が廊下の向こうから走り込んでくる。


「ゼオドーラ卿、失礼いたします。緊急事態です!」


「なにか」


「それが例の自決した召喚術士の死体が、安置所で急変し、召喚術が起動した模様です」


「自らの死で起動する召喚術を仕込んでいたか。死すら利用するとは、敵ながら天晴と言うべきか、そこまでするのかと呆れるべきなのか」


 仮面の奥で龍尾を寄せたのが分かるシャルアの傍らで、ゼオンは視線を転じていた。砦に走るわずかな振動が先ほどから連続し、にわかに慌ただしさを増している。

 国境近くの砦だけはあり、ソトナルカによる奇襲にも備えていただろうが、内部から奇襲を受けるのは想定外だったか。


「アレだな」


 ひと際大きな振動が砦を揺らし、一階部分の通路を破壊した異形が、砦の広場へと飛び出していた。長銃や短槍で武装した兵士達が慌てて取り囲む中、ゼオンの倍ほどの巨体が、瓦礫の中でゆっくりと立ち上がる。

 昆虫と巨人が融合したような怪物だった。筋骨隆々とした巨体は、薄紅色の甲殻に包まれ、所々に小さな棘が生えていた。

 手首から先は蟷螂の如く、蟻に近い頭部に赤い複眼と複数の触覚、そして横に開く口があり、口内の奥には太く鋭い針が覗いている。


「ソトナルカがバグズントと呼んでいる召喚獣だ。手強いぞ」


 そしてゼオンは両開きのガラス窓を開くと、躊躇なくそこから身を躍らせた。シャルアが止める間もない早業と身のこなしであった。


「ゼオン殿!」


 シャルアが窓枠に取りついた時には、ゼオンは壁を蹴って空中で制動を掛け、軽やかに着地している。足音ひとつない、猫を思わせるしなやかな動きだった。

 そればかりか背の鞘から大剣を抜き放ち、青と灰色の混ざる風となってバグズントへと一直線に駆けだしている。斬撃の速さばかりでなく、その身のこなしさえも風のような大男だった。


「依頼の範疇ではないのだが、ソトナルカへの憎しみは貴公も相当に深いのだな、ゼオン殿」


 シャルアの呟きはゼオンに届かず、疾走の勢いをそのままに跳躍してバグズントの頭部へと目掛けて、全力を込めて叩きつけていた。


「おおおお!!」


 びりびりと周囲の大気を震わせる咆哮と共に振り下ろされた大剣を、バグズントは両手の鎌を交差させて受け止めた。

 人間よりも巨大化した昆虫の筋肉は、人体を鎧事紙くず同然に引き裂く怪力だが、バグズントの両足はそのまま石畳へとめり込んで、四方へ罅を走らせる。

 人ならぬバグズントを押し込むゼオンもまた、常人とは一線を画す怪力の主だった。


「前に戦った緑色の奴は簡単に叩き潰せたが、お前は頑丈だ」


「ジィイッ!」


 バグズントの両腕が勢いよくゼオンを吹き飛ばすが、着地と同時にゼオンの足が踏み込み、足場となった床が砕け散る。砲弾のように突進するゼオンを狙って、バグズントが動いた。

 ゼオンの踏み込みにも劣らぬ速さと、なによりその巨体から発せられるプレッシャーは、異形の姿と相まって常人では怯えすくんで反応も出来なかったろう。


 ゼオンの青いマントが翻る。

 バグズントの振り上げた薄紅色の左足を、ゼオンが大盾で受け止めると、巨大な岩山を破城鎚で叩いたような轟音が発生し、周囲を囲む兵士達を衝撃波が吹き飛ばす。

 バグズントの左足を斜めに構えた大盾の上を滑らせ、背後に回り込んだゼオンの横薙ぎの一閃が昆虫巨人の右腰部を深々と抉る。鋼鉄を上回る高度の甲殻が叩きられ、強靭な筋肉を次々と断つ。


 そのまま両断する勢いだった大剣を、バグズントの両手の鎌がかろうじて挟み止めた。

 刃の埋もれた傷口から白い体液を零しながら、バグズントが全力を込めて大剣を押し返さんとする。

 バグズントには人間のような痛覚や恐怖はない。召喚時に強制的に与えられた、死ぬまで、認識した全ての生物を抹殺するという命令に従い、ひたすらに暴れ回るだけの存在だ。


 人間の胴体をまとめて五人も六人も両断できるバグズントの膂力が、どうにかゼオンと拮抗しているその姿に、先ほどの衝撃波で吹き飛ばされた兵士達は呆気に捕らわれている。

 急な命令でこの砦にやってきたシャルアが連れ帰ってきた傭兵は、見た目こそ人間だがとても同じ人間とは思えない怪力の主だったのだ。巨人の血でも引いているのだろうか?


 拮抗が崩壊するよりも先に、バグズントの背中側の甲殻が二か所、大きく開くと、うっすらと透き通る羽が現れた。

 まさしく昆虫そのものの薄羽が細かく振動すると、凄まじい勢いで風が巻き起こり、薄紅色の巨体が浮かび上がる。

 甲殻が開いた瞬間、ゼオンは大盾を割り込ませて痛打を凌いだが、同時にバグズントに大剣を引き抜き、空に飛びあがる自由を許していた。


 右の脇腹から白い体液を零しながら、上空へと舞い上がったバグズントが旋回を始め、眼にも止まらぬ速さで、地上を這いまわるほかないゼオンを目掛けて、急降下からの攻撃を仕掛け始める。

 両手の鎌を用いた斬撃、あるいは強靭な足による蹴り、あるいは口の奥に隠した針による刺突。これらを弾丸よりも速く、ゼオンを中心に旋回運動を繰り返して叩き込み続けている。


 ますますもって周囲の兵士達に手を出す余裕はなかった。

 バグズントのあまりの速度に長銃の狙いを付けられず、かといってゼオンの代わりに盾となろうにも、昆虫巨人の怪力を前にしては、彼らの肉体は防具ごと挽肉にされるのが目に見えている。

 自分達の介入する余地のない戦闘を前に、兵士達はつくづくソトナルカの手強さを痛感し、それと単独で渡り合う傭兵の異常さを噛み締めていた。


「信じられん。敵は化け物だが、あの傭兵も同じだ。人間じゃない」


 バグズントが攻撃を繰り返している──つまり、それだけゼオンを仕留められずにいるというわけだ。

 急旋回、急制動、加減速を交えた三次元機動の嵐に晒されるゼオンに、血の赤は一滴も滲んでいない。

 大盾で弾き、受け流し、それどころか信じられない速度のバグズントを相手にカウンターを決めるタイミングを、虎視眈々と狙いすましている。

 敢えて当たらぬ距離で大剣を振り、バグズントの攻撃のリズムを狂わせ、逆に自分は着実にバグズントのパターンを学習し、読み切りつつあった。


 バグズントが何度も何度も旋回を重ね、速度を増してゆく。

 腹の傷は塞がらず、このまま出血し続ければ、先に死ぬと判断したバグズントは賭けに打って出る。最速、最強の一撃を持ってあの灰色の傭兵を始末する、と。

 最高速度に達すると同時、そのまま体当たりによる自爆もいとわずに突撃を──そう判断したバグズントの複眼が、こちらに向かって視界一杯を埋め尽くして迫りくる鋼鉄の塊を見た。


「ギイィッ!?」


 どごん! と巨大な金属同士の激突する音と共に、バグズントの左肩から胸にかけてゼオンが投げ飛ばした大盾が激突し、薄紅色の甲殻を大きく陥没させて、白い体液を大量に噴き出しながら墜落する。

 石畳の上へと墜落したバグズントは、痛覚や恐怖がないとはいえダメージのあまりの大きさに動けない。


 昆虫巨人はかろうじて体を震わせながら、なんとか体を起こそうとするが、それよりも跳躍したゼオンが振り上げた大剣を叩きつける方が、はるかに速かった。

 分厚く重い大剣の刃が薄紅の甲殻ごと石畳を粉砕し、まずバグズントの頭部を叩き潰し、続く振り下ろした刃が腹部を粉砕するように断ち切り、腰から上と下とに分割する。


 遠き異郷の大地より召喚された昆虫巨人は、哀れなくらい入念に叩き潰されて、役目をなにひとつ果たせないまま絶命したのだった。

 大剣にこびりつく白い血液を振り払い、ゼオンはバグズントの死骸を触媒として、また新たな召喚術が発動しないか、警戒しながら見守る。


「やれやれ、私が手を出す暇もなかったか。つくづく、貴公が味方で良かったと思うよ」


 既にバグズントの死骸を前に立つゼオンの姿に、駆けつけたシャルアは腰の長剣に手を伸ばしたまま、嬉しそうに笑う。

 どうもゼオンが活躍すると、この仮面の女騎士は我がことのように嬉しいらしい。


「貴公の手を煩わせたことをまず詫びる。我々の不注意と確認不足が招いた面倒の始末をつけてもらい、感謝する」


「頼まれてもいないのに、俺が勝手に手を出しただけだ。これで召喚術が打ち止めかは分からん。処分するにせよ、研究用に保管するにせよ、充分に気を付けろ」


「よく伝えておく。出立が遅れてしまったが、被害が砦の一部の破損で済んだのは、紛れもなく貴公のお陰だ。依頼とは別に謝礼を申請しておこう。期待してくれて構わないぞ」


 なんとしても相応の謝礼を引き出して見せると、シャルアが秘かに決意の炎を燃やしているのが、ゼオンの目にも確かに映っていた。


(その内、どうしてここまで俺を気に入っているのか、聞きだす必要があるな、これは)


 強力な敵よりも得体のしれない味方の方が、心理的には厄介なのだった。

 軍用の馬車を調達し、二人は砦を後にした。イストマツ山まで街道を進む間、交代で手綱を握りながら進む最中、シャルアが積極的にゼオンへ話しかけてきた。

 久しぶりに再会した旧友か幼馴染と、離れていた時間を埋めようとするかのようだった。

 御者台で手綱を握るゼオンの傍らに、シャルアは腰かけていた。荷台で休んでいれば良いのに、わざわざゼオンの隣に腰を下ろしている。


「元々、私はあの砦に赴任していたわけではないのだ。今回のソトナルカの工作員共を掃討する任務を受けて、帝都から派遣されたのだ。そこで貴公を探す間、あそこを仮の拠点にしていたわけだ」


「ゲルキドールから依頼を受けたのを知って、あの夜に俺に追いついた、と」


「ああ。貴公が余計な怪我を負わなくて良かった。貴公なら深手を負っても、雑兵の百や二百でも簡単に蹴散らしせるとしても、万全であるのに越したことはないからな」


「……昨日から思っていたが、俺に対する評価が高すぎる」


「昨日も言っただろう。貴公は自分の価値を知らない。貴公ならばどんなに困難な戦いであろうとも、戦い抜き、勝利を手にする」


 熱のこもるシャルアの言葉に、ゼオンは精神的な疲れを感じながら問いかけた。


「昔、会った事があるのか? どこかの戦場で共に戦ったにしては、ゼオドーラ卿は若い」


「いや、私が一方的に貴公を知っているだけだとも。貴公の戦いの数々を知り、実際に戦う姿を見て、今回の任務には貴公の助力が不可欠と判断したに過ぎない。そうだな、英雄に憧れる子供と思って、笑って許してくれまいか」


「英雄か、俺とは縁遠い言葉だ」


「私からすると的外れでもなんでもないのだけれどな。私と貴公の意見が合致しないもののひとつかもしれない」


 それを知れたのが嬉しいと、シャルアの口元の微笑が暗に告げていた。


(いや、本当になんでこんな評価が高いんだ? 薄気味悪いくらいだぞ。もっと深く踏み込んで聞くか? しかし、今回限りの付き合いとも限らん相手の事情に踏み込むのも、かえって底なしに沼に自ら踏み込んで、逃げられなくなるような真似かもしれんし)


 シャルアからの高評価と好意を思い知る度に、ゼオンの中では疑惑と困惑が深まって行き、どうにもむず痒い。耐えられなくなる前に、深い所まで尋ねてしまおうかと悩みだしていた。

 そんなゼオンの心中を知らず、シャルアはゼオンの見ている前では常に上機嫌な様子で、短い二人の馬車旅を楽しんでいる。依頼主と傭兵とで、その心中は見事に正反対なようだった。


 イストマツ山は特別、怪しい雰囲気があるというわけではなかった。

 馬車を預ける為、麓にあるカンヤ村の北寄りにある村長の家を訪ねた。

 四十絡みの村長は年齢以上に年老いて見えたが、逞しい肉体は農作業ばかりで鍛えられたのでは無さそうだ。従軍経験者か、冒険者か傭兵として活動していたのかもしれない。


「これは騎士様、村長のザックでございます。お連れの方は?」


「シャルア・ゼオドーラだ。こちらは今回、依頼を受けてもらった傭兵のゼオン殿」


「ゼオンだ。話自体は伝わっているんだな」


 探索において拠点となるのは、このカンヤ村だ。ゼオンの捜索をする傍ら、この村に話を通しておいたのだろう。


「村長、以前より伝えていた通り、これから我ら二人でイストマツ山中に入る。三日待っても我々が戻らなかった場合、サクワッド市に報せを持って行ってくれ」


「ゼオドーラ様、失礼ながらいくら傭兵と言えども、土地を知らない方が山に入るなど危のうございます。山に詳しい村の者をこちらで用意いたします。どうか、それまでお待ちください」


「貴公の言い分はもっとも。我らの身を案ずる言葉には礼を言う。だが、そういうわけにも行かなくてな。詳しくは言えんが、時を惜しむ状況なのだ」


「……分かりました。差し出がましい口を利き、誠に申し訳ございませんでした。御馬と馬車については、ご安心ください。しっかりとお預かりいたします。このまますぐに行かれるのでございますか?」


 シャルアはゼオンを振り返り、重々しい兜が縦に頷くのを見てから答えた。


「ああ。これからすぐに。意外に思うかもしれないが、我ら共に頑丈に出来ているのだ」


 果たしてザック村長がシャルアの言葉をどこまで信じたかは分からないが、少なくともそれ以上、二人を制止する事はなかった。

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