笑うシャルア
最寄りの国境警備隊の砦に到着した後、ゼオンはシャルアに個室へと案内された。
ソトナルカ対策に、国境付近にいくつも作られた小規模な砦の一つで、正確に切り出された石材とコンクリートを組み合わせた三階建てだ。
その中の二階にある部屋が、ゼオンの尋問室代わりとなった。室内にはゼオンとシャルアの二人きりで、兵士達は部屋の外で待機している。
ゼオンの手や腰に縄なり鎖なりを巻いて拘束すらしていない。
武装はないにしても全身鎧はそのままで、いくらなんでも危険すぎると兵士達が止めても、シャルアは大丈夫だ、問題ない、責任は私が取る、の三つの言葉で無理やり通した。
ますますゼオンの困惑は深まり、シャルアに対する不信感を募らせたのは、シャルアにとっては不本意極まりない結果だったろう。
「さて、貴公を不当に拘束するつもりはないのだが、少々、聞いてもらいたい話がある」
(尋問用の部屋でもなければ牢屋でもない。来賓用の部屋に通されたのも妙だが、俺から話を聞くのではなく、俺に聞いてもらいたい? ただの傭兵風情に何を求めている?)
兜の奥でゼオンの浮かべる渋面に気付かず、シャルアが椅子に腰かけた。まあ、物理的に見えないのだから、気付かなくても仕方はないのだが。
「貴公も座ったらどうだ? この椅子はその鎧ごと座って壊れるような安物ではないぞ。それとも壁に背を預けるか? 背後からの不意打ちを防ぐのには手っ取り早く、効果的だ」
ゼオンはシャルアの対面に腰かけた。幸い、シャルアの言う通り椅子は小さな音を立てただけで、壊れる事はなかった。
「壁で防げるような相手なら、背を預けてもいい。だが、それでは済まないような相手と戦ってきたんでな。背中を守るのに壁では安心できんさ」
「違いない。ソトナルカの召喚術は多種多様だからな。では、話を聞いてくれる気になったか?」
「聞くだけなら。いや、先に俺から聞かせてもらおうか」
「もちろん。せっかく貴公が乗り気になったのだから、好機を逃す手はないとも」
鎧兜のゼオンと仮面のシャルアは、ようやく向かい合った。ゼオンの胸中には多くの困惑と疑心があり、一方でシャルアは仮面で顔を隠しても嬉しそうにしているが、わずかに滲み出ている。
シャルアの距離感に、また新しい疑問を抱きながら、ゼオンが切り出した。
「さっき、あの場に都合よく駆けつけたのは、あのソトナルカの工作員を追っていたからか?」
「ああ、それは違う。完全に間違いではないのだが……。あのゲルキドールを名乗る商人が、ソトナルカの工作員だと目星をつけていたのは事実だが、私が探していたのは貴公だよ、ゼオン」
「俺だと? なぜ帝国の騎士が一介の傭兵風情を探す?」
例えばゼオンが大規模な傭兵団の団長だというのなら、まだ納得も行く。
だが、ゼオンは特定の傭兵団に属さない一匹狼だ。
それなりに知り合いは居るが、精強な軍隊を備えるネルエデン帝国が、わざわざ騎士を派遣して勧誘するような傭兵ではない、とゼオンは自分を評価している。
「一介の傭兵風情とは随分な自己評価だな。貴公の価値を知らないのは貴公自身か」
シャルアは本気で呆れたようだった。新しい困惑に襲われるゼオンに対し、シャルアは熱心な教師のようにゼオンについて語り始める。
「貴公はこれまでソトナルカとの戦いにおいて、帝国の側に立ち数多くの勝利をもたらした。また負け戦に参加した際にも常に殿を務め、多くの敵を討ち、それよりも多くの帝国の兵を助けてきた。貴公ほど帝国に貢献した傭兵はいない」
「俺は帝国の為に戦ったわけではない。仕事に見合う報酬はいただいている」
ネルエデン帝国はゼオンにとって、一応は生まれ故郷だが、愛国心や大きな愛着があるかと言われると、首を傾げる。
依頼に応じて国内外を旅する傭兵団で育った影響もあり、ゼオンは自分がネルエデン人だという自覚があまりない。
「言葉が悪かったな。貴公ほどソトナルカを敵として戦った傭兵はいない。そう意味ではネルエデンの味方というよりも、ソトナルカの敵と表現するべき傭兵だな、貴公は」
「あいつらのやり口が心底から気に入らなくてな。他所の戦争と比べて、奴らは殺し過ぎだし、壊し過ぎだ。まるで自分達も含めて、人間ってものを丸ごと破滅させたがっているのかと、疑うほどに」
ネルエデン帝国の北西に広がるソトナルカ王国は、ネルエデン帝国に限らず大陸中の勢力へ侵略戦争を仕掛けている。
大陸に広がる戦乱の元凶と言ってもよい国家で、彼らに侵略された国々では国民は連れ去られ、言語や文化を奪われ、尊厳を踏み躙られ、あらゆる都市や村落が破壊されるというありさまだ。
あまりの暴虐ぶりに大陸の支配が目的なのかすら、他国からは疑われている。まるで自国以外の全てを滅ぼすことが目的のような、狂気的な破壊を振りまいている。
その残虐性と容赦のない破壊ぶりから、ソトナルカに対して強い憎悪や怒りを抱く復讐者は多い。
「ソトナルカ憎しが理由だとしても、我が帝国への貢献に変わりはない。貴公への評価も同じだ。それにおかしいとは思わないか?
ドッペルゲンガーは恐るべき敵だが、戦闘に用いるよりも記憶や人格もコピーする能力を活かして、敵国の要人とすり替える方がよほど恐ろしい」
「それは、まあな。ドッペルゲンガーはコピーするだけではなく、自身の能力を上乗せするから厄介な相手だ。だが、確かにシャルア卿の言う通り、いつの間にか本人が始末されてドッペルゲンガーとすり替わっているのが、一番恐ろしい」
国策を知る宮廷の重臣が、戦争の指揮を執る将軍が、流通や経済の要を握る大商人が……こういった国家の要石と呼べる人材達が、敵国の者と入れ替わったとしたなら、それはどれほどの被害をネルエデン帝国へともたらすだろうか。
だからこそ各国ではドッペルゲンガー対策の研究が進められて、有用な対抗策がいくつも開発されていると、ゼオンは耳にした覚えがあった。
諸国が競って対抗策を練らなければならないほど、ドッペルゲンガーの擬態能力が厄介な証明に違いない。
「確かにドッペルゲンガーを戦闘で消耗するのは、割に合わない。各国でドッペルゲンガー対策が進んでいるとはいえな。アルコの輸送は、それでもドッペルゲンガーを使うほど価値のあるものだったのか? そうとは思えんが」
「ふふ、その通りだ。輸送はついでだ。私が貴公を探していたのは、仕事を依頼する為とゲルキドールが貴公を狙っていると知った為だよ。貴公はソトナルカに抹殺するべきと評価されているのだ」
「なんだと? 内部工作の為にドッペルゲンガーを召喚したのではなく、俺を始末する為に召喚したのか? 俺も随分と評価されたものだ」
ゼオンがどんな表情を浮かべていたのか、兜に隠されてシャルアには見えなかった。
だがゼオンの声の調子が獲物を前にした獣のように獰猛であったから、きっと相応しい笑みを浮かべているに違いない、とシャルアは確信していた。
「ドッペルゲンガーが成り代わっていた三人は、付き合いはないがそれなりに腕の立つ連中だった憶えがある。俺を始末するついでに邪魔な傭兵も減らせて、ソトナルカにとっては一石二鳥の手だった」
「そうなるな。私が都合よく貴公のもとへと駆けつけた理由は、これで納得してもらえたか? これから依頼をしようという相手になにかあっては、こちらが困るというわけだよ」
ここまで話してゼオンはようやく、警戒の度合いを一つ落とした。武器を預けたとはいえ、ゼオンの纏う全身鎧そのものが防具であると同時に武器でもある。
ゼオンの怪力で手足を振るえば、それだけで鋼鉄の鈍器を振り回すのと変わらない破壊力になる。体当たりや頭突きでも簡単に人間を殺し得る。
シャルアもそれを理解した上で、不思議なくらいに平静を保っている。まるでゼオンが自分に危害を加えるはずがないと、無邪気に信じているかのようだ。
その理由が分からなくて、ゼオンはずっと気味が悪かった。それでもここまで胸襟を開かれては、流石に警戒を少しばかり緩めてもいいだろう。
「分かった。ここからは傭兵として話を聞こう」
シャルアは嬉しそうに口元をほころばせた。ゼオンと話している間もそうだったが、ようやくゼオンの警戒が緩んだと悟って、一層、笑みが深まったのである。
「ようやくだな。貴公には国内に侵入したソトナルカの工作員の掃討に、力を貸してもらいたい。召喚術の厄介なところは、一人でも優秀な術士が潜り込めれば瞬く間に戦力を増強できる点にある。術士の力量にもよるが、わざわざ帝国に潜り込ませる術士が、二流であるわけがない」
やはり帝国領内にソトナルカの工作員が侵入し、破壊工作を行っているという噂は間違いではなかったようだ。
「だから俺か」
「ああ。だから、貴公だ。ソトナルカの召喚術士、そして召喚獣との戦闘経験が豊富で、実績のある貴公を頼らせてもらったというわけだ。報酬は全額前金で支払う用意がある」
「全額前払いか」
ゼオンの声は渋かった。ちょうど、ゲルキドールを名乗った召喚術士からの依頼も、全額前払いだったからである。全額前払いだからといって、全ての依頼に裏があるわけではないのだが、今回ばかりは間が悪かった。
「なにか問題が?」
「いや、大したことじゃない。依頼の具体的な内容を聞こう」
「我々の調査によってソトナルカとの国境沿いにある、イストマツ山中に怪しい一団を確認した。これがただの賊の類でないのは間違いない。
ゲルキドール達が運んでいたアルコだが、あれは召喚術の補助に使う薬品の材料にもなる。奴らは帝国に麻薬を広めつつ、自国の戦力強化にも役立てていたというわけだ」
仮に帝国に麻薬が蔓延すれば、占領した後、苦労するのはソトナルカになるわけだが、かの王国は何を考えているのか、分かったものではない。
少なくともゼオンは、まとも国ではないと、理解している。
ソトナルカに占領された国では、身分を問わず多くの人々がソトナルカ本国や収容所へと連れ去られ、行方知らずになっている。
その事実と照らし合わせれば、麻薬漬けで思考や人格が崩壊していても、ソトナルカにとって不都合ではないかもしれない。
「帝国からすれば怒りで髪が逆立つような話だな。それで一気に掃討する作戦が決まったか。それなりに重要な作戦だろうが、俺の雇用について帝国の認可は得ているのか?」
「貴公の雇用は私の判断だが、そうする為の権限は与えられている。貴公に対する報酬も、私に許された権限の内だ。ネルエデン帝国からの正式な依頼だから、そこは安心して欲しい」
「偽りの依頼を受けた直後なのでな。多少、疑り深くなっているのは、許してもらいたい」
さして悪びれずもせずに告げるゼオンに、シャルアは鷹揚に頷いた。一人、孤高に傭兵として生きているゼオンの警戒心の強さは、納得の行く範疇だった。
「それくらいの方が、私としても安心できる。詳細についてこのまま話をしたいところだが、貴公は一戦を交えたばかりだ。今晩くらいはゆっくりと休んでもらいたい。現地では熱烈な歓迎を受けるだろうから」
「召喚術次第で相手の戦力はいくらでも変わるからな。お言葉に甘えて休ませてもらおう」
「うん、それがいい。すぐに預かっていた武器を持ってこさせよう。部屋はここをそのまま使ってもらって構わない」
配慮され過ぎて逆に気味が悪い、とゼオンは喉まで出かかった本音を咄嗟に飲み込んだ。
(これまでの実績だけで、ここまで配慮されるものか? このシャルアという騎士に、昔、恩を売るようなことをしたとかか?)
見たところ、シャルアは若い。士官学校を卒業したばかりか、騎士の称号を得たのも最近のことだろう。どこかの戦場で彼女を助けたにしても、新人の彼女が従事するような戦いがあったろうか?
釈然としないまま、ゼオンは預けていた大剣と大盾を兵士達が運んでくるのを待ってから、鎧の留め具を緩めてようやく眠りに就くのだった。
*
「ゼオン、お前は不器用だからまずはひとつのことを突き詰めてやれ」
その声を聴いた時、ゼオンはこれが夢だと悟った。ゼオンは戦場跡をさ迷っていたところを、通りすがりの傭兵団に拾われて育った。
十歳の頃のゼオンの前に立っていたのは、優美な弧を描く長剣を肩に担いだ男だ。ゼオンを拾った傭兵団“蝋の翼”の団長、グランレッグその人だ。ゼオンにとっては命の恩人であり、傭兵としての師匠にもあたる。
「ゼオン、あまりグランレッグを見習わないように。大人になっても子供みたいに、自由奔放な困った男になるから」
場面が変わる。どこかの山頂に野営した時のことだ。
グランレッグ傭兵団の副団長であり、鍔の広いトンガリ帽子がトレードマークの魔術師ヴィオレッタが、隣に腰かけたゼオンと共に星を見上げながら告げた言葉だった。
グランレッグの自由奔放さを考えると、艶やかな紫色の髪と瞳の美しい魔術士が、ゼオンに見習うな、と口にするのも納得がゆく。
「ゼオン、よう学べよ。よう鍛えろ。よう食べて、寝て、存分に遊べ。お前は傭兵にならんでいいし、なってもいい。多くの道の中から、行きたい道を選べるようにな」
今度はヤギのように長い髭を生やした大柄な老人と、湖の畔で釣りをした時の記憶が再現される。傭兵団の知恵袋、医者にして学者、賢者にしてろうたけた剣士、ガルガンズだ。
傭兵団の誰よりも年を取っているのに、幼い頃のゼオンよりも活力に満ちた不思議な老人だった。ゼオンに読み書き、算術、大陸の歴史を始め、数多くの知識を授けてくれた教師でもある。
この三人を中心として、大陸各地を旅しながら活動していたのが蝋の翼だ。ゼオンのような戦災孤児はどこでも目にするような、珍しくもない存在だったが、どうして彼らがゼオンを拾い、そればかりか面倒まで見たのか、今もゼオンは明確な答えが分からずにいる。
ただゼオンにとってあそこが自分の居場所で、故郷だったのは間違いない。それだけは確信を持って言える。そして、その故郷はもう存在していない事も。
グランレッグ、ヴィオレッタ、ガルガンズ、誰もが大陸を見回しても超一流と言える凄腕だった。三人以外の団員も彼らを慕い、ついてきた精鋭揃いだった。
それがたった一度の戦闘で、壊滅するなんて当時のゼオンには悪い夢そのものでしかなかった。
いや、今のゼオンにとってもそうだ。ゼオンは二十年近く経った今も、あの日の夢を見ては苛まれているのだから。
倒れ伏すグランレッグ、自分の血溜まりに沈むヴィオレッタ、腹を抉られて崩れ落ちたガルガンズ……そして彼らを血のように真っ赤な夕日を背にして、見下ろすソトナルカの召喚獣。
人間に似て非なる、側頭部から角を生やした三つ目の怪物。アイツとグランレッグ達の戦いを、ゼオンはただ見ていることしかできなかった。
初陣を迎えていない見習いなど、肉の盾にもなれないような戦いだったが、何もできなかった自分をゼオンは誰よりも憎んでいた。蝋の翼を壊滅させた三つ目の召喚獣以上に、ゼオンは無力な自分こそが、許せないのだ。
(お前だ。お前を必ず見つけ出して、団長達の仇を討つ。そうでなければ、俺の怒りが収まらん。憎しみが鎮まらない。俺の時間は止まったままだ。その為に俺は……)
ゼオンが悪夢に魘されるその姿を、彼の真上の部屋に居るシャルアが水晶球を通じて観察していた。
マントを脱ぎ、明かり一つ点けないまま、月光の差し込む部屋で誰の目を気にする必要もなく、微笑を浮かべて眠れるゼオンをじっと見つめている。
頬はうっすらと紅潮し、喜びを隠し切れない口元からは、弾んだ声が零れ出る。
長年の恋を叶えた乙女のようにも、探し続けた宝物を手にした喜びに酔いしれているようにも見える。
「寝る時でも鎧兜を脱がないなんて、調べた通り。依頼主の用意した部屋でも警戒を完全に解いていないのか、それとも他の理由があるのか」
シャルアが口にした通り、ゼオンはベッドに背を預ける体勢で床に座り込み、眠っていたのだ。抜き身の大剣と大盾は傍らの床に寝かされており、右手は大剣の柄を握ったまま。
もし何者かが部屋に侵入して襲い掛かろうとも、即座に大剣が跳ね上がるか、あるいは鉄鎚にも等しい足が弧を描いて侵入者を襲うだろう。
兜を脱いでいない為、表情が伺えず、シャルアはゼオンが悪夢に襲われているのに気付いていないようだった。
「貴方に心の休む場所はあるのでしょうか、ゼオン。もしもそんな場所がないというのなら、私が必ず用意してあげます。ふふ、うふふ、貴方はシャルアを知らなくても、私は貴方を知っています、ゼオン」
不意に水晶球の映像が乱れた。
砂嵐に襲われたように画像が乱れ始め、そのまま元の曇りなき透明な色へと変わってしまう。おや、とシャルアの口元が動き、またすぐに微笑に変わる。
この砦の兵士や指揮官達には一度も向けたことのない微笑は、ただゼオンの為だけに浮かべられている。
「探査系魔術に対する妨害ですね。ふふ、流石は歴戦の傭兵。秘匿性の高い千里眼の魔術でしたが、それを防ぐとは、魔術対策も万全と期待してよさそうです。そうでなくては。私のゼオン、私の刃、私の盾、私の騎士。ええ、必ず貴方を私の隣に。ふふ、うふふふふ」
シャルアは笑い続ける。ゼオンにだけ向ける微笑を浮かべ、誰にも聞かせない声に、ゼオンが薄々感じている粘度の高い執着と静かに燃える激情を込めて。




