ゼオンとシャルア
いい夜だった。数えきれない星が彼方まで広がっていて、宝石に勝る輝きが深い夜の空に満遍なく散らばっている。
星々の海の中でも、今宵の月は別格だった。わずかに欠ける事もない満月が白々と輝いて、地上に広がる闇に優しく差し込んでいる。
月と星は区別なく照らし出している。街道の傍らに停められた荷馬車を囲む人間と、彼らと対峙する鎧姿の傭兵も。
(割に合わない仕事だったか。上手い話だと思って依頼を受けて、蓋を開けてみればコレだ。嫌な予感ばかり当たりやがる)
灰色の全身鎧の上に、古びた青いマントを着こんだ傭兵──ゼオンは、顔全体を包むフルフェイスの兜の奥で溜息を飲み込んだ。
剣と魔術を用いた戦乱が長く続くこの大陸では、ゼオンのような報酬次第で今日は味方、明日は敵となる傭兵が掃いて捨てるほど居る。
「今回の護衛の依頼で輸送する馬車の荷物は酒と香辛料、煙草という話だった。ならこれはなんだ?」
ゼオンは、自ら強引に停めた馬車の荷台に視線を向けた。
蓋を外された木箱の中には、柔らかなクッションに包まれた硝子瓶がいくつも並んでいる。中身は黄色く光る砂粒のような物体だ。
「禁制の麻薬アルコか。依頼の内容とは随分と違うな? スプーン一杯分もあれば人間一人、簡単に依存させられる。禁断の快楽を求めて、親兄弟で殺し合うような品だったな」
北西の隣国の兵士が国境から侵入して荒らしまわっているからと、今回、護衛として雇われたものだが、肝心の荷物がこれでは護衛などしていられない。
もしこのネルエデン帝国の兵士に見つかれば、ゼオンも禁制品密輸の共犯の疑いをかけられかねない。そうなれば良くて一生、重罪人として牢獄暮らしか、悪ければ死刑だろう。
今回の依頼主である痩せぎすの男が、ゼオンに青白い顔を向けてにこやかな笑みを浮かべている。眼鏡の奥の瞳は柔和に細められているが、友好的な光は欠片もない。
ゼオン以外に雇われた護衛の三人は依頼主の一味だったようで、それぞれ小剣に長槍、斧を手にして殺気を隠そうともしない。
「何も違いませんとも。あなたが今見たものを忘れれば、それで元通りです。報酬はもちろんお払いします。なんでしたら多少、上乗せしてもよろしい。いかが?」
黄金色の解決策を口にする依頼主に対して、ゼオンの声音は冷たく硬かった。彼にとって目の前の男は既に敵となっていた。
「依頼内容を偽り、今も偽りを口にした。報酬の上乗せよりも、もっと簡単な解決策を選ぶつもりだろう。目撃者の口封じだ」
鉄の意思を感じさせるゼオンの返答に、依頼主の笑みが深まった。その答えこそが、依頼主の望んでいたものに違いない。最初から金で解決するつもりなど無かったのだ。
「学のない傭兵風情にしては、世の中を知っている。では、遠慮なくそうしよう。やれ」
最初にゼオンに襲い掛かったのは、長槍と軽鎧で武装した男だった。左頬に切り傷のある槍使いの男に躊躇は一切ない。
夜は嘆いていたかもしれない。こんなに月が綺麗なのに、お前達はそんなことをするのかと。
滑るように踏み込んだ男が低い位置から、勢いよく長槍を突き出す。これまで金属鎧ごと、何人も突き殺してきた一撃だった。
いくらゼオンが灰色の全身鎧に身を包んでいようと、肉を貫く確信があった。
ゼオンの背中から長槍の突き出した影を、月の光が地上に落とす。
だが、現実は違った。
長槍はゼオンの左脇に挟み止められていた。槍使いの顔に驚愕の感情が浮かぶ。長槍は引く事も押す事も叶わず、槍使いは武器を封じられたのだ。
「遅いな。亀でも突くつもりだったか?」
次の瞬間、長槍を持った男の体がグンと持ち上げられて、そのまま勢いよく地面へと叩きつけられる。
槍使いが地面に激突すると同時に、肉の潰れる水っぽい音がして、周囲へ血が撒き散らされる。常軌を逸したゼオンの怪力だった。
月の光に照らされた血が、赤から白へ変わり、悪臭が肉片と白い血から溢れ出す。フルフェイスの兜の奥で、血の変化と悪臭をかぎ取ったゼオンの顔が歪む。
「ドッペルゲンガーか。召喚魔術で呼び出したな? なるほど、荒らしまわっていた敵国の兵士はお前達自身というわけだ」
ドッペルゲンガーとは、この世界とは異なる世界に生息する存在だ。
特別な儀式でこちらの世界へと召喚されたドッペルゲンガーは、通常、人型の影のような姿で出現する。そして、殺害した相手の容姿や記憶、人格をコピーする能力を持つ。
死と同時に正体を現したドッペルゲンガーには目もくれず、ゼオンは地面に突き立てていた壁の取っ手に左手を伸ばした。
壁? いや、違う。盾だ。
それも少し身を屈めればゼオンの体を隠せるほど巨大で分厚い大盾だ。その大きさと厚さと来たら、大砲の砲弾も受け止められそうだ。
ゼオンはその途方もない重量を感じさせる大盾を軽々と振るい、死角を縫って突き出された小剣を受け止めた。
そのまま大盾が凄まじい勢いで振り上げられ、突き出した小剣ごと敵の上半身をかち上げて、大きく吹き飛ばす。
優し気な風貌の小剣使いの顔は、大盾の打撃によって下半分が無惨に潰れていた。
頭から落下した小剣使いがドッペルゲンガーの正体を現す間に、最後の斧使いがゼオンの背後に回り込もうと動いていた。
三人のドッペルゲンガーの中でもひときわ逞しく、大柄なゼオンよりも更に一回り大きい。
分厚い斧を握る両手は大きな筋肉の山を盛り上げて、兜ごとまとめてゼオンの頭を叩き潰すという殺意が溢れている。
斧を頭上に振り被る斧使いの胴体を、鋼鉄の風が薙ぐ。毛深い獣めいた斧使いの顔は、何が起きたか理解していなかった。
ずるりと斧使いの体が胸の辺りで上下にズレて、断面から溢れる血が見る間に白く変わって行く。風の正体はゼオンの振るった大剣の刃だった。
クレイモア、ツヴァイヘンダー、バスタードソード、グレートソードと呼び名は様々だが、ゼオンの握るそれは手の平ほどの幅に、子供の背丈ほどの長さの刃を備えている。
鍛え抜かれた刃は分厚く、盾代わりとしても使えそうな品だ。斬るよりも叩き潰すのが目的の武器と見えた。
全身を守る灰色の鎧兜に大盾、そしてこの大剣。
全てを合わせれば、いかに屈強な戦士でも歩くのもままならないような装備だが、ゼオンの攻撃はどれも風の速さを誇っている。
見る間に三体のドッペルゲンガーを片付けたゼオンの瞳が兜の奥から、依頼主を睨み据える。
痩せぎすの男の口元から笑みが消えて、代わりに左手に赤黒い結晶を嵌め込んだ三角形のタリスマンを握っていた。
魔術の発動にはなにかしらの触媒を用いるのが常だが、この男の場合はタリスマンのようだ。
「召喚術士はお前か」
ゼオンが活動拠点としているネルエデン帝国の北西にあるソトナルカ王国。かの国が独自に発展させてきたのが、『召喚術』と呼ばれる魔術の一種だ。
人跡未踏の山脈や海の彼方、あるいはこの世ではない場所から、生物や霊的存在を呼び寄せて使役する──それが召喚術。
ソトナルカは国を挙げて召喚術を研究し、発展させて、自国の兵士代わりに召喚した存在を戦争に利用している。
まさに今、ゼオンを襲ったドッペルゲンガーのように。
依頼主もといソトナルカの工作員である召喚術士の顔に、汗がどっと噴き出す。焦りからではない。召喚に必要な精神集中の影響だ。
ゼオンとドッペルゲンガーが戦っている間に、召喚術師は荷馬車を挟んだ位置に移動していた。
いくらゼオンが超重量の装備に見合わない速さを誇っていても、これなら召喚を終えるまで手を出せない、と冷静に分析した結果だ。
まさかゼオンが助走もなしに跳躍し、荷台を越えてくるとは。見守っている月と星々も、あっと驚いていたかもしれない。
鋼鉄の魔鳥の如く飛んだゼオンの大剣が振り下ろされ、召喚術士の右手が真っ二つになる。正確には握られていたタリスマンがゼオンの狙いだった。
大剣によって握っていた右手ごと真っ二つにされたタリスマンは、見る間に色褪せて灰のように崩れ去る。
血の色は赤いままだ。ゼオンの見立て通り、依頼主はドッペルゲンガーではなかったのだ。
「ぐ、ぎゃああぁあ!?」
突然の激痛に右手を抱きしめて崩れ落ちる召喚術士の顎先を、ゼオンの左の爪先が軽く掠めた。ぐるんと召喚術士の目玉が回転し、激痛を忘れて前のめりに崩れ落ちる。
念の為、止血して後は近くの警備隊に突き出せば、ゼオンの潔白は確保される。謝礼金くらいは支払われるかもしれない。
「死なれては困るから止血はしてやる。舌を噛めないようにも、な」
これまで闘争の気配に怯えてじっとしていた二頭の馬の首筋を撫でてから、ゼオンは止血の用意を始める。
腰裏に括りつけている鞄から包帯と止血用の軟膏を求めて、ごそごそと探り出した。指先まで金属の装甲に包まれているが、意外と器用そうな動きだった。
「馬までドッペルゲンガーではなくてよかった。俺のような傭兵やならず者と違って、殺されていたら胸が痛む」
大剣を背中の鞘に納め、大盾を地面に突き刺したゼオンが鞄を探り出した途端、それまで殺気に当てられて硬直していたはずの二頭の馬が後ろ二本足で立ち上がると、ゼオンの背中を目掛けて合計四本の脚が振り下ろされる。
常識外れの怪力の主と言えど、不意を突かれて馬に踏みつけられては無事では済むはずもない。これまでの惨劇にも変わらず降り注ぐ月光を、数十を超える光が馬ごとまとめて貫いた。
悔しそうな嘶きを残して、二頭の馬がどうと音を立てて崩れ落ちる。
ゼオンはゆっくりと、光が放たれた方向へと振り返った。さながら地上を流れる星の如き光の大元は、人間だった。
ネルエデン帝国の所属を示す紋章入りの白いマントを着ている。その他は軍服や籠手、ブーツも黒で統一されていた。
騎士である。それも夜の闇の中、自ら輝いているような美しき女騎士だった。
背の半ばまで届く黄金の髪を大きな黒いリボンで高く結い、美人画のモデルにしたいと画家達が目を血走らせる唇と鼻筋と輪郭の絶妙な組み合わせ。それでいて鼻筋と目の周りを隠す黒い仮面を着けている。
月光がことさら愛でているような女騎士は、右手に黄金の鍔と真っ黒い刀身の長剣を握っていた。地上を飛んだ流星はその長剣から放たれたのだろうか?
「礼を言う」
短いがはっきりとしたゼオンの言葉に、女騎士の口元に淡い笑みが浮かび、手にした長剣を腰の鞘に納める。その何気ない動作も実に様になっている。
月はようやく自分が照らすに値する存在の出現に、喜んでいたかもしれない。
「いや、余計なお世話をしてしまった。貴公には無用だった。それほどの大剣で風の如き速さと鋭さ。見習いたいものだ」
帝国劇場の舞台に今からでも主役として立てそうなくらい、凛とした聞き心地の良い声だった。
この声一つだけで、指揮官としての才能もあるとゼオンは思った。
騒音ばかりの戦場で、兵士達に指示を聞き取らせるには、声の大きさもそうだが他の音に負けない声色も重要だからだ。
立ち上がったゼオンの右手には、いつのまにか大剣が握られていて、地面に倒れた馬達の首は綺麗に断たれていた。馬達を貫いたのが女騎士なら、首を落としたのはゼオンだった。
ゼオンは再び大剣を鞘に納め、体ごと女騎士へと振り返る。女騎士の背後には、十名ほどの兵士が追い付いていた。
長銃と丸盾に長剣、鋼鉄の兜に防刃ベストの上に重ねた鋼鉄の胸当てなど、ネルエデン帝国兵の一般的な装備だ。
(国境警備隊か? 随分と若い騎士が率いているが、やる気に溢れた新人……にしては肝が座っている。ドッペルゲンガーの死体も初めて見たわけではなさそうだ。初陣を早めに済ませた訳ありか)
召喚術士と荷台の禁制品を警備隊に突き出す手間が省けた、とゼオンは小さく息を吐く。
「争うつもりはない。国境警備隊と見受けるが、そちらに着いて行けば文句はあるまい」
武力行使に出るつもりはないと示すゼオンに、女騎士以上に兵士達の方が安堵したのが、空気を伝わった。彼らの誰も、馬に擬態したドッペルゲンガーの首を断ったゼオンの一撃が、見えなかったのだ。
「よかった。正直、安堵したよ。貴公を無理に連れて行くのは骨が折れそうだからな。私はシャルア・ゼオドーラ。畏れ多くも皇帝陛下から騎士の称号と職務を預かる身だ」
鞘に納めた長剣の柄尻を左手で撫でながら、仮面の女騎士シャルアはかすかに微笑む。
たった今、ゼオンの技を見るよりも前から彼の実力を知っていたような反応に、兜の奥でゼオンの眉が訝しそうに寄せられ、すぐに消えた。
少し離れたところに兵士達を乗せてきた二台の馬車と、シャルアの馬が控えていて、アルコとドッペルゲンガーの死骸、拘束した召喚術士を片方の馬車にまとめて放り込む。
「すまないが武器を預からせてもらえるだろうか? 道中で襲撃を受ける可能性は低いが、何かあればすぐに武器を返却する。そして我らが皇帝陛下に誓って、私が貴公を必ず守る」
言葉通り本当にすまなそうに告げるシャルアに、ゼオンは随分と腰の低い騎士だなと思いながら、素直に大剣と大盾を差し出した。
兵士達がそれぞれ三人掛かりで預かり、あまりの重さに落としそうになるのをなんとか堪える。鍛え上げた彼らにしても、ゼオンの武具は正気を疑う超重量を備えていた。
「武器を預けるのは構わんが、帝国の騎士が傭兵風情を守るなんて口にしていいのか? ましてや皇帝に誓うとなれば後で問題視されるだろう?」
正直に言えばゼオンは困惑していた。一傭兵を相手にするにしては、この仮面の女騎士は友好的というか、対応が良すぎる。
シャルアは妙に友好的だが、それに加えて皇帝に誓ってまで、傭兵如きを守ると口にしたのだから、なんだこりゃ? と思わぬ事態に混乱しても仕方ない。
ゼオンばかりでなく周囲の兵士達も、上司の突拍子もない言葉に驚きを隠せずにいる。
ネルエデン帝国皇帝の名誉と威光を軽んじかねない言葉だが、シャルアはまったく気にしていなかった。
「一度口にした言葉を翻したりはしない。ましてや皇帝陛下に誓ってと口にしたのだ。それを反故にしては、それこそ陛下を軽んじていることになる。だから、気にしなくていいし、問題もない」
(……おかしなのに出くわしちまったな。待遇が悪すぎて腹が立つのは珍しくもないが、理由のない好待遇も気味が悪いんだから、始末が悪い)
話の分かる騎士ではあるのだろうが、それにしても騎士の常道から外れた人物らしい。
自分が運のよい方だとは思っていないゼオンは、シャルアとの出会いをきっかけに更なる困難や苦しみが待ち構えているような予感を覚え、堪えきれずに溜息を零した。
彼の嫌な予感はよく当たると、つい先ほど、ドッペルゲンガーらの襲撃で証明したばかりなのだから。




