第1話 スキル名はおもらし
十年前のあの日、世界は変わった。
朝起きたら空を飛べるようになっていた人がいて、通勤電車の中で突然炎を噴き出した人がいて、コンビニでレジを打っていたら時間を止めてしまった人がいた。
世界中で、人々に異能が発現し始めた。
最初こそ大混乱だったものの、人間というのは慣れることだけは異様に早い生き物らしく、三年もすれば国家異能管理局なんてものが設立され、能力者には当たり前のようにランクが付けられるようになった。
火を出せる者はエネルギー産業へ。物を浮かせられる者は物流関係へ。傷を治せる者は医療機関へ。
便利で強い能力を持つ者ほど良い会社へ入り、たくさん金をもらえる。逆に、何に使えるのか分からない能力や、使い道のない能力を持つ者はそれなりだ。
能力が、その人間の価値を決める。
そんな絵に描いたような能力至上主義社会が、いつの間にか完成していた。
やったね。
私、霧島ひよりは今、その国家異能管理局の待合室で、自分の順番が来るのを待っている。
年齢は二十二歳。大学を卒業したあと、母と二人で暮らしながら近所のコンビニでアルバイトをしている。正社員になれなかったとか、壮大な夢を追いかけているとか、そういう大した事情はない。何となく就職活動がうまくいかず、何となく始めたバイトをそのまま続けているだけだ。
友達は普通にいるし、休日にご飯へ行くこともある。服も買うし、美容院にも行く。人と会う日は化粧だってする。
彼氏はいない。
そこは今のところ縁がないだけだと思っている。多分。
趣味はアニメと漫画とゲーム。給料日になると少しだけ気が大きくなり、限定グッズを買ったり、ソーシャルゲームに予定より多く課金したりして、月末になると毎回少しだけ後悔する。
今も膝の上で握っているスマホには、本日から始まった期間限定キャラクターのピックアップ通知が表示されていた。
欲しい。
かなり欲しい。
ただし先週、予約していたアニメの限定グッズ代が引き落とされたばかりだ。ここで課金するのは良くない。確率が上がっているのは一週間だけだけど、良くないものは良くない。
「……あとで考えよう」
スマホを伏せた。
要するに私は、どこにでもいる普通の二十二歳だった。
少なくとも、先月までは。
先月、バイトの定期健康診断で、私の身体から異能反応が検出された。
通知を見た時は、普通に声が出た。
十年前、異能が発現し始めたあの日、私には何も起こらなかった。学校では何人かが突然能力に目覚め、教室中が大騒ぎになっていたけれど、私は普通に授業を受け、普通に帰宅した。
その後も特に変化はなかった。
無能力者。
それが私だった。
別に不満はなかった。能力がなくてもコンビニでは働けるし、アニメも見られる。ゲームもできる。限定グッズだって買える。少なくとも日常生活に困ることはない。
なのに今さら異能反応だと言われても、正直なところ困る。
「霧島ひより様」
名前を呼ばれた。
「はい」
立ち上がり、指定された検査室へ入る。
白い壁。白い床。白い天井。中央にはよく分からない大きな機械が置かれ、その隣には白衣を着た男性検査官が立っていた。年齢は四十代くらいだろうか。疲れているのか、最初から表情のない人なのか、見ただけでは分からない。
「こちらに座ってください」
促されるまま、機械の前にある椅子へ座った。
「これから異能適性検査を行います。痛みはありませんので、力を抜いてじっとしていてください」
「はい」
検査官が端末を操作すると、私の周囲を青白い光がゆっくりと回り始めた。
痛みはない。ただ、身体の中を何かに覗かれているような、少し気持ちの悪い感覚がある。
私は目を閉じた。
これで、ものすごい能力が見つかったらどうしよう。
そんなことを少しだけ考える。
火を出せるようになったら、コンビニの仕事にはあまり向かない気がする。商品が燃える。
空を飛べるなら、遅刻しなくなるかもしれない。ただし雨の日は嫌だ。
傷を治せる能力なら、母の肩こりを治してあげられるだろうか。
それは少しだけ良い。
やがて青白い光が消えた。
検査官が端末を覗き込み、何度か画面を操作する。眉間にしわが寄っているのを見て、嫌な予感がした。
「……検査結果が出ました」
「はい」
少しだけ背筋を伸ばした。
「スキル名は――」
検査官が一度、言葉を止めた。
「おもらしです」
「……はい?」
聞き間違えたと思った。
思いたかった。
検査官は無表情のまま、端末をもう一度確認した。
「おもらし。間違いありません」
間違いであってほしかった。
「あの、おもらしって、あのおもらしですか?」
「表示されている名称は、ひらがなで、おもらしです」
そこを聞いたつもりではなかった。
いや、聞いたと言えば聞いたのかもしれない。
「どういう能力なんですか?」
「検査結果では、排尿に関係する生理現象系の能力と判定されています」
「排尿に関係する……」
嫌な言葉だけが、やけにはっきりと耳に残った。
「もう少し分かりやすくお願いします」
「尿意を催しやすくなり、排尿を我慢しにくくなる能力です」
「つまり?」
検査官は端末を確認しながら、淡々と答えた。
「簡単に言えば、漏らしやすくなるスキルです」
「えっ、デバフ?」
思わず聞き返した。
能力というより、明確に弱体化している。
「異能反応そのものは確認されています」
「反応があれば、何でもスキル扱いなんですか?」
「規定上はそうなります」
嬉しくない規定だった。
「でも、訓練すれば何か別の使い道が見つかるんじゃないですか?」
「その可能性を完全に否定することはできません」
少しだけ希望が戻った。
「では――」
「ただし、当局で訓練を行う予定はありません」
戻ったばかりの希望が、そのまま元の場所へ沈んでいった。
「どうしてですか?」
「異能の評価は、現時点で確認できる有用性、出力、制御性、安全性を基準に行われます」
検査官は淡々と説明を続ける。
「霧島さんの能力は本人にのみ作用し、任意発動も確認できていません。産業、医療、災害救助、防衛、いずれの分野においても有用性は認められませんでした」
「漏らしやすくなるだけですもんね……」
「はい」
そこは少しくらい否定してほしかった。
「まだ少し検査しただけですよね?」
「すべての能力に対し、無制限に時間と予算を使うことはできません」
正論だった。
正論だけど、納得はできなかった。
「加えて、スキル名がおもらしであることも問題です」
「名前も関係あるんですか?」
「あります」
即答だった。
「仮に一定の有用性が確認された場合でも、広報上の問題、本人への心理的負担、能力使用時の衛生管理など、通常以上の対応が必要になる可能性があります」
「衛生管理」
「名称および推定される効果から判断しています」
名称と推定だけで、ずいぶんな扱いだった。
「でも、私、今まで特別漏らしやすかったことなんてないんですけど」
「能力が発現したのは最近だと考えられます」
「これから漏らしやすくなる可能性があると?」
「否定はできません」
まったく嬉しくない将来予測だった。
「以上を総合し、管理局の判断はFランク。訓練および実地検証の対象外です」
端末に表示された文字を、私はぼんやりと眺めた。
判定、F。
一番下だ。
「霧島ひよりさん」
検査官がようやく私の顔を見た。その目は同情しているようにも見えたし、何も感じていないようにも見えた。
「あなたは管理対象外です」
宣告は、あっけなかった。
十年間何も持っていなかった私に、ようやく能力が発現した。
その結果が、管理する価値もない能力。
しかも、本人が漏らしやすくなるだけのデバフ。
スキル名は、ひらがなで、おもらし。
せめて漢字だったら少しは威厳が、いや、漏らしている時点で無理か。
「それでは、こちらの能力者登録同意書に署名してください」
差し出された書類を受け取る。
細かい文字がびっしりと並んでいて、見ただけで読む気がなくなった。
「管理対象外なのに、同意書が必要なんですか?」
「異能が発現した以上、能力者として登録されます」
「でも、管理しないんですよね?」
「管理対象には指定しません」
「行動や仕事の情報を報告する、と書いてありますけど」
「必要に応じて、当局が情報を取得します」
「それって、管理してません?」
「管理対象ではありません」
少しだけ会話がずれている。
ずれているけれど、検査官には直す気がなさそうだった。
「署名しない場合は?」
「能力者としての就労、ギルドへの登録、公共の場での能力使用などが制限されます」
選択肢は最初からなかった。
私は同意書に名前を書いた。
霧島ひより。
書き慣れた自分の名前の上に、今日からFランク能力者という肩書きが乗る。
スキル名はおもらし。
笑いたいのか、泣きたいのか、よく分からなかった。
「手続きは以上です。お疲れ様でした」
検査官の声だけは、少し明るかった。
検査室を出る。
廊下の窓から外を見ると、遠くの空を誰かが飛んでいた。仕事なのか趣味なのかは分からない。
便利そうでいいなと思った。
私のおもらしは、何に使えるんだろう。
考えたくない。
管理局の建物を出ると、母からメッセージが届いていた。
『検査どうだった? 夕飯いる?』
能力名を伝えるか、一瞬だけ迷った。
やめた。
今は無理だ。
『夕飯いる。検査は帰ってから話す』
それだけ返す。
今日はバイトも休みだ。家に帰ったら、昨日録画しておいた深夜アニメを見よう。
ついでに、期間限定ガチャを一回だけ引く。
一回だけなら課金ではない。
多分。
能力至上主義社会で、私に与えられた異能はおもらし。
ギャグか、地獄か。
多分、両方だ。




