第19章:集結
「お初にお目にかかる。シフリン・ブレスウェイトだ。身内が世話になったようだな」
男――シフリンは、砕けた右腕を軽く振ると、口元にわずかな笑みを浮かべる。
「貴公、我らの主に仕えるつもりはないか?」
穏やかな声が言った。
ハルトは視線をわずかに下げ、シフリンを見据える。
「あんたらとは趣味が合わないと思うが」
その一言は、拒絶というより、断絶だった。
言葉の温度は低く、だが確固としていた。
シフリンが目を細める。
その表情に、怒りも落胆もない。
「そうか。では――少々、手荒に行かせてもらおう」
言葉と同時に、ハルトの頭上に気配が差す。
空中に、人影が浮かんでいた。
痩身で無表情。
月光に照らされても輪郭は曖昧で、空間そのものが、そこだけ沈んでいるかのようだった。
ハルトが視線を向けた瞬間――
シフリンの姿が地面から消えた。
「――っ!」
目前に鋭く振り下ろされる斬撃を、ハルトは構えた盾で受け流すように、後方へ跳んだ。
路面に着地した瞬間、耳鳴りのような圧が走る。
瓦が砕け、木材が軋み、粉塵が舞い上がった。
さっきまで立っていた屋根は、巨大な肢に踏みつぶされたように凹んでいる。
シフリンの、ぼろきれの様に垂れ下がっていた右腕は、いつの間にか姿を変えていた。
皮膚は硬質な鱗に覆われ、関節は節くれ立ち、太く短い三本指の先端には、猛禽の嘴のような鉤爪が生えている。
「……結界か」
ハルトは、裂けた盾を地面に放り捨てながら、頭上に浮かぶ男へと目を向けた。
「ああ。人間の能力を封じるためのとっておきだ」
シフリンが手をかざす。
熱が空気を歪ませ、唸りを上げて放たれた火球は、ハルトの寸前で弾かれたように逸れ、咆哮のような音を残して夜空へ消えた。
「まだ発動できるのは大したものだが、 逸らすのが手一杯のようだな」
言いながら、今度はその手をこちらへ向ける。
「どこまでもつか、試してみるか?」
掌が赤く染まり、熱がじわじわと広がる――その瞬間。
リアナの胸を、剣が貫いた。
刃が深々と入り込み、血ではなく、黒い霧のようなものが滲み出る。
背後から、刃をひねり押し込むように前へ出たのは、カイだった。
リアナは崩れ落ちることなく、立ったまま剣に手をかける。
押し戻そうとするように刃を握るが、その手から煙が立ちのぼる。
「無駄だ。退魔の刻印がある」
カイの声は静かだった。
リアナは、胸に刺さった刃を左へ滑らせながら、体をひねる勢いで脇下へ向けて裂くように引き抜いた。
そのまま後方へ跳び退き、空中で片手を振る。
指先の煙が矢のように鋭く凝縮され、滑るように飛んだ。
軌道は荒々しく、だが正確に一点を射抜いていた。
矢の穿った空間に、黒いひび割れが走り、膜を内側から引き裂くような音が響いた。
光が歪み、空間が揺れ、剥がれ落ちていく隠蔽魔術の裂け目から、誓の環の三人のが、霧から浮かび上がる様に現れた。
「なんだ。やっぱ来てたんじゃん」
モカが笑いながら、ハルトの足元に転がった盾に目をやる。
その声は軽く、どこか安心したような響きを含んでいた。
「……やあ」
応じるハルトの視線には、どこか居心地の悪さが滲んでいた。
苦笑いのような表情で手を振るリーネの横で、ガルドは黙ったままうなずいた。
「無駄口はよせ。戦闘中だ」
カイが低く言った。
「へーいへい。わかりました」
モカは肩をすくめるようにして、軽く笑った。
シフリンの傍に降り立った“リアナ”の輪郭が、徐々に揺れ始めた。
色が滲み、形が崩れ、皮膚の質感が変わっていく。
そして――
頭上に浮かぶ男と瓜二つの姿が、そこに現れた。
「申し訳ありません。これ以上、隠蔽の維持は不可能です」
声は静かで、表情に焦りはない。
ただ任務の失敗を報告する、冷静さのみがあった。
シフリンはその様子を一瞥すると、わずかに息を吐いた。
皮膚が泡立ち始め、肩が盛り上がり、背骨のあたりが隆起していく。
鱗が浮かび、爪が伸び、骨格が軋む。
「……さすがに、ここで戻るわけにもいくまい」
沸騰するように肉体が歪み始めるのを見下ろしながら、シフリンはハルトに視線を向けた。
「少々はしゃぎすぎたようだ。名残惜しいが――またいずれ」
彼の足元から影が広がり、二人と上空の男を包み込むように膨らんでいく。
その姿が、ゆっくりと闇の中へ沈んだあと、残されたのは、夜の静けさだけだった。




