第18章:夜気を裂く者
研修旅行の間、生徒と護衛が宿泊する高級ホテルが並ぶ通りは、夜の静けさに包まれていた。人の気配はまばらで、風の音に遠くで犬の鳴き声が一度だけ響いたあと、また沈黙が戻る。
しばらくして、ひときわ大きな建物の窓から、細いひもが垂れた。
月明かりに照らされて、揺れる影がゆっくりと下りてくる。
――リアナだった。
昼間とは違い、装飾を抑えた黒の上衣に、膝までのブーツ。
認識阻害の魔術かアイテムか、巡回の兵士は彼女に気づく様子すらない。
そのまま、人気のない路地へと進み、灯りの届かない場所で足を止めた。
そして、こちらを振り返る。
「確かミレイユの護衛だったかしら。私に何か用?」
声は落ち着いていて、驚いた様子はない。
「聞いてなかったのか。本業は連絡係だ」
言葉が口をついて出た。
「金のために引き受けただけで、詳しいことは知らない。
ただ、興味本位で聞かせてもらえるなら――あんたはいったい、何者だ?」
「説明しても、多分信じないでしょうね」
リアナは少しだけ目を細めた。
冷静というより、何かを見透かすような表情。
一歩、彼女に近づこうとした瞬間――
その影から、何かが滑り出すように現れる。
男だった。
背が高く、肩幅もある。
濃紺の外套を羽織り、髪は短く整えられ、瞳は灰色。
月の光を受けても、奥に冷たさが残っている。
「聞いてないぞ。魔族とお友達なんて」
「そう? こちらは、あなたに用があるみたいだけど?」
リアナが言った瞬間、男の周囲の空気が、膨れ上がるように変質した。
魔力の気配――それも、尋常じゃない。
俺のような半端な使い手でも、はっきり感じ取れるほどの濃密さ。
殺される。
本能が、皮膚の内側で警鐘を鳴らす。
空気が張り詰め、次の瞬間に裂けたような圧が走る。
反射的に身をすくめたその瞬間、 男の腕が、粘り気のある破砕音とともにねじれあがった。
絞った雑巾のように、関節ごと砕け、逆方向に折れ曲がった。
皮膚は裂け、骨も砕けたはずなのに、流れるはずの赤い血はどこにも見当たらない。
「ほう」
男は、感心したように声を漏らした。
痛みの色はない。
砕けた腕を見下ろすでもなく、視線をゆっくりと廃屋の屋根へ向ける。
そこに、ハルトがいた。
月光を背に、屋根の端に立っている。
風に揺れる外套の裾が、静かに夜気を裂いていた。
「なるほど。穀潰しでは歯牙にもかからぬわけだ」
男の声は、驚きではなく、興味だった。
まるで、珍しい玩具を見つけた子供のように。




