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木漏れ火の断章-残火はまだ知らない-  作者: ここあらず


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第一話:間に合わないはずの夜



湿った夜気が肺に張りつく。


マスクの内側が、息でじっとり湿る。


フォルは膝をつき、魔物の腹を裂いていく。


刃先を寝かせて皮を開き、内臓を取り出すと、臭気が濃くなっていった。


手袋越しの生ぬるさが指に残り、内臓の臭いが酷い。


背後ではシェードが見張りを続けていた。足音はほとんど立てず、森に溶けたみたいに静かに待機していた。


袖口も襟元も詰めて、肌を見せない。闇の中で気配を殺して。


フォルが、手を止めずに声だけ投げかけた。


「なぁ、シェード」


「なんだ?」


「最近、新しい飯屋出来たって聞いたんだけどよ。美味いんか?」


「なんで行った前提で聞いてくるんだよ。知らねぇよ」


「いや……ちょっと腹減ってきてな」


フォルはナイフを動かしながら、魔石の位置を探った。ぬるい内臓の感触が手袋越しに伝わってきて、気分が悪い。


シェードは見張りの位置から、フォルの手元を覗き込んだ。


「……こいつの肉って結構臭み無かったか?」


「こいつは、下処理しないと臭すぎて食えたもんじゃないな」


「そうか……。その店、肉屋なのか? 何の料理屋だよ」


「名前は忘れた。……なんか甘ぇのが売りの店。受付嬢が何人かバイトするらしい」


フォルは、手元の臓物から目を逸らさない。


「……それ俺ら二人で入るような店なのか?」


「分からんから聞いてるだけやけど」


「受付嬢に聞けよ。なんで知らねぇ奴に聞いてんだよ。なんなんだよこの会話」


フォルは鼻で笑いそうになって、喉の奥に込み上げた臭気で現実に戻る。


「いやぁ~、若い子の楽しそうな会話に四十過ぎたおっさんが割り込むのもな……って」


シェードが鼻で笑う。


「ん? 盗み聞きだろそれ」


「いや? 手続きの待ち時間に話してたんよ。『店、出来たら感想聞かせてくださいね』って」


「……店出来てねぇじゃん」


「そこやねん」


フォルは魔石を引き抜き、袋に放り込む。血が手首を伝う。温い。


シェードが呆れた声を出す。


「……つーか、金落せって言われてるだけだろ」


フォルが、平然と嘘を足す。


「酷いなぁ。一番良いやつ、シェードが買いに行くって言っといたから」


「ふざけんなよ。おっさん」


シェードが一歩だけ位置を変えた。枯れ葉が微かに擦れる。


「……妙だな」


フォルが顔を上げる。


「は? 俺の会話が?」


「森が静か過ぎる」


言い終わるより先に、夜空が赤く染まった。


フォルは反射で手を止め、魔石だけを鞄に突っ込んで口を締める。


「確認。赤だ」


フォルは鞄を肩に掛け直し、手袋の血を雑に拭った。


「ネームドの情報なんて今日上がってねーぞ」


シェードが短く返す。


「……エーラ討伐部隊の話はあったやろ? まさか負けたんか?」


「それは冥樹の話だろ。街挟んだ反対側だぞ。そいつがこっちへ来てたら、街は壊滅してんぞ」


フォルが舌打ちする。


「……それもそうか。シェルターはこのまま西や」


「走るぞ」


二人は一気に走り出した。


走りながら、フォルは頭の中で地形をなぞった。


「この先、沢に出るぞ。急な傾斜があったはずやぞ」


シェードが前を見たまま吐き捨てる。


「転げ落ちるのは避けたいな」


「同感や。あの傾斜なら、運が良けりゃ骨折で済む。運が悪けりゃ――」


シェルターへ向かう道は、一直線じゃない。


それにしても、妙に静かな事が気になった。


風はあるのに、葉擦れが弱い。自分たちの足音まで、湿った土に沈む。


(……やはり普段より静かすぎる。気のせいやろうか?)


次の瞬間、音が押し寄せた。


葉擦れ。風の音。遠くの金属の軋み。


さっきまで“薄かった世界”が、いきなり近づいてきた。


フォルは思わず舌打ちした。


「はぁ? どうなってんだこれ。急にうるせぇぞ」


シェードは長剣に手を伸ばし警戒する。


「音が近いな……距離感が狂うし、嫌な感じだ……」


言葉が途切れた。


前方の暗がりを、赤い光が低く横切り、魔法の虫が四方へ散った。


導蟲弾だ。



「……近いな。このままだと接敵するぞ」


シェードが減速しながら、木の影を指さした。


「ここで、やり過ごすか?」


フォルは走りながら首を振る。


「……やり過ごせるかも分からん。行くしかないと思う」


「了解」


次の瞬間、視界の端を四人が走り抜けた。


誰かを担いでいる。


最後尾――仲間を担いだ剣士に、二メートルはあろう魔物が跳びかかった。


フォルが声を出すより早く、シェードが全速力で走り出した。


「割り込むぞ!」


刃が一閃。


黒い毛が茨みたいに硬く、火花が散る。


それでもシェードは体勢を崩さず、刃先の向きを変えて獣の首を斬り落とした。


フォルが息を吐く。


「……なんで、ブラッケンウルフがいるんや」


返事を探す暇もなく、闇の奥で枝が折れた音がし

シェードが後退しつつ長剣を構え直した。


「フォル。こいつら一頭じゃないぞ!」


茂みが揺れた瞬間、複数の足音が聞こえた。


シェードは咄嗟に姿勢を低くし、目の前に現れた個体の関節を狙い長剣を振るう。


魔物は後ろへ飛ぶ。


その瞬間、片目にナイフが突き刺さる。


フォルはシェードの動きに合わせてナイフを投げていた。


魔物が怯んだ隙を見逃さず、シェードは長剣で魔物の喉を突き刺した。

その瞬間を見計らったように?シェードの死角から別の個体が襲いかかる。


フォルはタックルし、首にナイフを突き刺そうとした。


しかし、硬い毛にナイフは弾かれてしまう。


体勢を立て直した魔物は即座にフォルに噛みつこうとする。


フォルは咄嗟にスクロールを宙へ投げた。


その瞬間に薄い障壁が現れ、魔物の牙を弾き返した。


「シェード……なんかこいつらデカいぞ」


「……無茶するなよ。こいつらの毛は金属を貫通するぞ。」


すると背後から、盾を持った男が前に出る。


「俺も加勢する! 俺はチャップ。」


シェードが短く指示を飛ばした。


「チャップ、抑えるだけでいい。俺とフォルで斬り込む」


障壁が切れると同時に、突っ込んできた魔物を、シェードは身を捻ってかわす。


長剣を力任せに切り上げ、魔物が怯んだところを蹴り飛ばした。


別の個体を、チャップが受け止めて押さえ込む。


金属が噛み合う嫌な音――チャップは腕ごと持っていかれかける。


「抑えきれねぇ!」


必死に抑え込んでいるチャップの元にフォルが滑り込み、魔物の首筋を掻き切った。


背後から銃の男が鉛玉を乱射して威嚇する。音が森を引っ掻き、魔物の足並が一瞬だけ止まる。


チャップは正面にいた魔物へ走り出し、力任せに押さえ込もうとすると、魔物を逸れてしまい、黒い毛が腕を撫でた。


その瞬間に金属の鎧が裂け、血が滲む。


「っ……触れただけで、これかよ!」


チャップは、唇を噛み締め盾を構え直した。


フォルとシェードが前へ踏み出す。


フォルは躊躇なく武器を投げ、魔物の注意を低く引きつける。


その隙を狙いシェード一瞬で前方にいた魔物を

切り裂き、首が宙を舞った。


あまりの早業に、チャップは「すげぇ」と唸る。


ここで何体か落ちた。——まだ気配がある。


木の影から現れた魔物はチャップへ襲いかかる素振りを見せた後、チャップを飛び越えた。


フォルはカバーしようとするも、正面から迫る別の魔物の攻撃を受け止めきれず後方へ突き飛ばされる。


狙いは後方......フォルは動こうとした、その時だった。


冷たい風を感じた瞬間、地面に霜が走った。


魔物の足が凍結する。


フォルは正面の魔物が動けなくなった事に気づく。


威嚇する魔物の口にフォルは何かを投げ込むと、腰につけていた紐を広げ、魔物の口へ巻き付ける


口を開かなくすると、小さな爆発音とともに、魔物は口から煙を吹いて倒れ込んだ。


銃の男の目の前にいた魔物は、凍結した前足を力任せに引き抜くと、前方の銃の男に噛みつこうとした。


銃の男が横から誰かに突き飛ばされ、間一髪で攻撃を回避する。


最後尾で仲間を背負って走っていた剣士が、剣の鞘で魔物の攻撃を受け止めていた。


それを見たシェードはフォルの名前を呼び瓶を魔物に投げつける。


意図を理解したフォルは火打ち石と魔道具を手にして、擦り付けると小さな火花が舞う。


瓶が割れ、液体が周囲に広がると同時に魔物は炎に包みこまれた。


魔物は暴れ、炎をまとったまま走り去った。


周囲は暗く視界が悪すぎる。さすがに、ここで戦い続けるのは無理だ。


「……状況がわからん」


フォルがつぶやく。


「倒せない訳ではないが。……何体居るんだよ、こいつら」


シェードが吐き捨てた。


「フォル、指示くれ。逃げるか、ここでやり合うか」


「聞くまでもないやろ。逃げる一択や。……異常すぎる。」


シェードは気持ちを切り替え、周囲を警戒しはじめる。


湿った木々の影が重なり、周囲に魔物が溶け込んでいるかもしれない状況に背筋が凍る。


フォルは後ろに目をやった。


一人は息切れしている魔道士。


もう一人――剣士は体力に余裕がありそうだが、近くに治癒師座り込んでいる。


フォルが声をかけた。


「嬢ちゃん背負ってたあんた。まだ体力あるか?」


剣士は息を整える暇もなく、首を振る。


「……シェルターまでは、正直キツいです」


「そうか。なら俺が代わろうか」


フォルが治癒師の元へ向かうと、剣士は魔道士の方へ歩き出した。


チャップと目が合う。男は息が乱れていない。口が動いた。


「俺はまだまだ体力が……」


その声が、唐突に消えた。


ぷつりと。


フォルは本能的に後退し、チャップの腕を引こうとした。


しかし、チャップの姿が見当たらなかった。


フォルのマスクに何か付着した。


フォルの目の前に巨大なブラッケンウルフが立ち、見下ろしていた。


チャップは金属の盾ごと、噛み砕かれる。


音がない。潰れ滴る血液が、目に焼き付く。


「……っ!」


フォルは球体を地面に叩きつけた。煙が噴き上がり、視界を白く濁らせる。


(嗅覚も誤魔化せればいいが……どうなってる)


フォルは、その一瞬の隙に茂みから傷だらけのブラッケンウルフが飛び掛かっている事に気づけなかった。


シェードが間に割り込み、斬りつけると魔物は後退した。言葉は届かない。代わりに、手だけで合図する。


――走れ。


フォルは後方にいた治癒師を脇に抱え、走り出した。


視界の隅に、銃の男が“叫んでいる”のが見えた。口が大きく開いて、肩が上下している。


手元の銃が震え、狙いもつかずに振り回される。


発砲している。――はずだ。


でも、銃声は聞こえない。


火花だけが散って、反動で腕が跳ねるのが見えるだけだ。


「やめろ!」


フォルは叫んだ。叫んだつもりだった。


声が出ているのかすら分からない。


止めに行くと、こっちが喰われる。


フォルは歯を食いしばって、走るしかなかった。


次の瞬間、銃の男の身体が横にほどける。


先程の巨体のブラッケンウルフが爪で人を紙みたいに裂いた。


血だけが、音もなく宙に舞った。


前方では剣士が魔道士を抱えていた。反応出来なかった魔道士を抱える事にしたんだろうか。


2人が走り出したのを見計らい、シェードは後方に閃光を放った。


周囲が一瞬、白に染まる。


目が灼けて、距離感が狂う。


――遅れて、音が戻った。


枝の折れる音が聞こえる。

剣士が魔道士を背負い、フォルは治癒師を抱えて走っている。


シェードは息も乱さず言った。


「冗談じゃない。背丈が四メートル近い。こんな馬鹿でかい個体、見たこともないぞ!」


「ネームドは——こいつだろ」


走りながら、シェードが短く問う。


「フォル!。音が消える以外に、気づいたことはあるか!?」


「わからん!」


前方で、魔道士を背負った剣士が振り返り、声を張った。


「青白い光で……一緒に逃げてた人が、やられました。多分、雷撃です」


一拍置いて、フォルが吐き捨てる。


「二つ能力があるのか? ネームドでも札付きクラスやんけ……」


前方に、急斜面が見えてきた。


シェードの手が腰へ伸び、銃を取り出すと導蟲弾が空を裂く。


赤のあと、黄色を一発。色はすぐ薄れるが、虫の光だけは少し残る。


(あれで近隣の奴らが気づいてくれりゃいいが)


フォルは考えていた。


あのでかさなら、既に追いつかれてもおかしくない。なのに気配だけが、妙に掴めない。


すると、急斜面を前に剣士の足が鈍った。


「飛び降りろ!」


フォルは怒号をあげる。


剣士が先に飛び、続けて全員が身を投げる。


導蟲弾の淡い光が、木々の間に影を落としていた。


影が――ひとつ、斜面の横で動いた。


「何かいるぞ!」


シェードが叫んだ直後、斜面に潜んでいたブラッケンウルフが飛び出し、フォルへ跳びかかってきた。


避けきれない。治癒師を抱えた腕が邪魔になる。


フォルは治癒師を庇うように身体を捻り、そのままバランスを失った。


転がり、視界が反転する。


次の瞬間、巨木が迫って――


後頭部に鈍い衝撃。


意識が、ぶつりと途切れた。

次回の投稿予定日は2026/5/9(土)となります。

更新を止めてしまった反省でもありますが、

後書きにて投稿予定日を記載する事にしました。


読んでいただきありがとうございます。

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