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魔王(よしこ62歳)と勇者パーティ  作者: 歩人
Arc4: 聖教会の子どもたち

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83/84

第83話: 卒園式

◆よしこ視点




 朝。まだ誰も起きてへん時間。


 厨房の作業台に——羊皮紙を三枚、広げた。




 インクと羽根ペン。この世界にはボールペンがないから、羽根ペンで書く。前世では筆ペンやったけど、やることは同じ。


 保育園で——40年間、毎年やってきたこと。




 卒園証書。




 名前と、その子のええところと、「がんばったね」の言葉を書く。園長の仕事の中で一番好きやった仕事。


 卒園する子の顔を思い浮かべながら書く。この子はどんな子やったか。何ができるようになったか。何を頑張ったか。


 一人ひとり違う。同じ証書は一枚もない。




 ——レオンくん。




 字が読めなかったこの子が、手紙を書けるようになった。聖剣が光った。「勇者」やなくて「レオン」として立てるようになった。




 ——リーゼちゃん。




 ごはんを食べなかったこの子が、自分でスープを作った。「食べて」と言えるようになった。あの一言で——わて、泣いてしもた。




 ——ガルくん。




 「戦えない」と泣いとったこの子が、パン屋をやると宣言した。自分の夢を——自分の言葉で言えるようになった。




 羽根ペンを持つ手が——震える。




 あかん。字が歪む。




 深呼吸。保育士は泣かへん。——いや、今日は泣くかもしれへんけど、証書を書く間はあかん。インクが滲む。




 一枚目。レオンくんの。


 二枚目。リーゼちゃんの。


 三枚目。ガルくんの。




 書いた。一文字ずつ。丁寧に。


 異世界の文字やけど、もう慣れた。ヴェルちゃんに教わって——ドルガとレオンくんが字を覚えるのと一緒に、わても覚えた。




 三枚。乾かす。




 窓の外が白んできた。朝日が差す前の、青い時間。


 煙突から煙は出てへん。まだかまどに火を入れてへんから。




 ——今日の昼ごはんは、わてが作る。




 全員分。今日だけは。






◆ヴェルザ視点




 食堂の机と椅子が——動かされていた。


 朝、食堂に入ったら——いつもの配置ではなかった。




 長テーブルが端に寄せられ、椅子が半円形に並べられている。正面に——小さな台。テーブルクロスが敷かれている。白い布。




 台の上に——羊皮紙が三枚。




「魔王様」




「おはよう、ヴェルちゃん(^^) ちょっと模様替えしてん」




「……これは」




「卒園式(^^)」




 魔王様が——笑っている。いつもの「(^^)」の顔。エプロンをしている。何か準備していたのだろう。朝の光が食堂の窓から差し込んで、黒と紫のローブの裾がオレンジに染まっている。




「……卒園式、とは」




「保育園でな、子どもが巣立つ時にやるんよ。証書渡して、お別れの言葉言うて、みんなで泣いて——ほんで、笑って送り出す」




「…………」




「レオンくんとリーゼちゃんとガルくんに——今日、渡す。わての園児やからな(^^)」




 ——知っていた。


 この日が来ることを。




 この子たちが——巣立つことを。




「……かしこまりました。——全員を、集めます」




「頼むわ(^^)」






◆レオン視点




 食堂が——変わっていた。




 椅子が並んでいる。半円形。正面に台。白い布。


 何がどうなってるんだかわからねぇ。




「レオンくん、ここ座って(^^)」




「……何すんだよ」




「卒園式や(^^)」




「は?」




 横を見た。


 リーゼが隣に座っていた。いつもより少し背筋が伸びている。ガルドがその隣。——泣いてる。もう泣いてる。まだ何も始まってない。




「ガルド、早えぇよ」




「だ、だって……よしこさんが、卒園式って……」




「始まってねぇだろ」




「う、うん……でも……」




 後ろの椅子に——全員がいた。


 ヴェルザが腕を組んで座っている。ドルガが隣で同じく腕を組んでいる。メルがハンカチを膝に置いている。ピプが椅子の上で正座している。ティアが一番後ろで尻尾を膝の上に抱えている。


 シオンとミーナが右端。トールがその隣。カインが——壁際に立っている。


 グレイヴスが——食堂の入口の柱に寄りかかっている。中には入ってきていない。でも——いる。




 全員。


 この城にいる——全員。






◆よしこ視点




 台の前に立った。


 羊皮紙を三枚、手に持っている。




 全員がこっちを見とる。




 ——保育園の卒園式を、何十回やったか。




 毎年泣いた。保育士は子どもの前で泣かへんけど、卒園式だけは——泣いてもええことにしてた。だって、あの子たちの成長を一番近くで見てきたんやもん。




 今も——同じや。




 この子たちの成長を、一番近くで見てきた。


 字が読めなかった子。ごはんを食べなかった子。戦えないと泣いた子。


 その子たちが——今、目の前に座っとる。




「……えー(^^)」




 声が出た。いつもの声。保育園の園長の声。




「今日はな、卒園式やります」




 レオンくんが「は?」って顔をしとる。リーゼちゃんは無表情。ガルくんはもう鼻をすすっとる。




「レオンくん。リーゼちゃん。ガルくん。——あんたら三人は、今日で卒園や」




「卒園って……」




「巣立ちや(^^) あんたらはもう、自分の足で歩ける。やから——送り出す」




 羊皮紙を一枚、手に取った。




「一人ずつ、前に来て。証書渡すから。——ほんで、一言だけでええから、何か言うて」






◆レオン視点




 名前を呼ばれた。




「レオンくん(^^)」




 立ち上がった。足が——少し震えた。なんでだ。戦う時だって震えなかったのに。


 台の前に行った。よしこが立っている。黒と紫のローブ。深紅の目。——目だけが、いつもと同じ。優しい。




 羊皮紙を——差し出された。




「レオンくん。——これ、あんたの卒園証書や」




 受け取った。


 手書き。よしこの字。少し癖のある、丸っこい字。


 俺は——読めた。この字が読める。


 一年前は読めなかった。字というものを知らなかった。




 ——思い出した。


 よしこが「字ぃ教えたるわ(^^)」と言った。ドルガと並んで、石板に一文字ずつ書いた。「レ」「オ」「ン」。自分の名前を、生まれて初めて書いた。




 証書にはこう書いてあった。




『卒園証書 レオンくんへ


 あんたは字が読めへんかった。でも諦めへんかった。


 あんたは素直になれへんかった。でも仲間を守った。


 あんたの名前は、レオン。あんたが自分で選んだ名前や。


 えらいな。よう頑張ったな。


 園長 よしこ(^^)』




 字が——滲んだ。


 インクが滲んだんやない。俺の目が——滲んだ。




「……一言、言えるか?」




「…………」




 懐から——紙を出した。


 昨日の夜、書いた。何を書けばいいかわからなくて、三回書き直した。字は下手だ。ドルガに「俺のほうが上手い」と言われた。




 紙を開いた。手が震えている。




「……俺は」




 声が掠れた。




「俺は——ここに来た時、名前しか持ってなかった」




「それも——自分じゃ好きになれなかった」




「字が読めなかった。仲間を守れなかった。ごはんを食ったことも——まともに、なかった」




 ——止まるな。最後まで読め。




「あんたが——字を教えてくれた」




「あんたが——ごはんを作ってくれた」




「あんたが——俺の名前を、毎日呼んでくれた」




 紙がぐしゃりと音を立てた。握りしめていた。




「俺は——ここに来て——初めて、自分の名前が好きになった」




 読み上げた。最後まで。字は下手だった。声は震えていた。何度も詰まった。


 でも——止まらなかった。




「…………ありがとう」




 よしこが——泣いていた。


 「(^^)」の顔のまま。涙が二筋、頬を伝っていた。




「よう言えたな、レオンくん(^^)」






◆リーゼ視点




「リーゼちゃん(^^)」




 立ち上がった。


 台の前に行った。よしこの目が赤い。さっき泣いたから。——でも笑っている。




 羊皮紙を——受け取った。




『卒園証書 リーゼちゃんへ


 あんたはごはんを食べへんかった。「食べなくても動ける」って言うた。


 でも——あんたが作ったスープは、世界一美味しかった。


 「食べて」って言うてくれた時、わて、嬉しかったわ。


 えらいな。よう頑張ったな。


 園長 よしこ(^^)』




 ——あの日のことを思い出した。


 「食べなくても動ける」と言った。よしこが「あかん(^^) 食べ」と言った。押し付けるように。温かいスープを。


 断れなかった。断る理由を——見つけられなかった。




 一言。何か言わないといけない。




 でも——長い言葉は、出てこない。


 私は——いつもそうだ。レオンみたいに語れない。ガルドみたいに泣けない。


 短い言葉しか——出てこない。




「…………」




 口を開いた。




「……ありがとう」




 それだけ。




「ごはんが——美味しかったです」




 ——声が、震えた。


 自分の声が震えていることに驚いた。こんな短い言葉で——震えるはずがないのに。




 よしこが——崩れた。




 泣いた。レオンの時より、泣いた。声を上げて。「(^^)」の顔が歪んで。両手で顔を覆って。




「あかん——リーゼちゃん、それはあかん——」




「……泣かないで」




「無理や——それ言われたら——無理や——」




「……泣くのは——わたしの方だから」




 目から——一滴だけ、落ちた。


 証書の上に。よしこの字の上に。




 ——一滴だけ。






◆ガルド視点




「ガルくん(^^)」




 名前を呼ばれた——瞬間。




 もう泣いていた。




 立ち上がった。足が震えた。大きな体が——揺れた。


 台の前に行った。よしこさんが——目を真っ赤にして笑っている。




 羊皮紙を受け取った。手が震えて——落としそうになった。




『卒園証書 ガルくんへ


 あんたは「戦えない」と泣いた。でもな、ガルくん。


 あんたのパンは、この城のみんなを笑顔にした。


 戦わんでもええ。あんたはあんたのままで、最高や。


 えらいな。よう頑張ったな。


 園長 よしこ(^^)』




 ——あの日を思い出した。


 「僕なんか足手まといで」と泣いた。よしこさんが「あんたはあんたのままでええんやで(^^)」と言った。


 あの日から——僕は、少しずつ変わった。厨房に立った。パンを焼いた。みんなが「美味い」と言ってくれた。




 スピーチ。一言。




 何を言うか決めていた。昨日の夜、何度も練習した。でも——声が出ない。涙で喉が詰まって、声が出ない。




「ぼ——」




 止まった。




「僕——」




 また止まった。鼻水が出た。恥ずかしい。190cmもあるのに、泣いて鼻水垂らして——情けない。




 でも——言い切る。


 よしこさんが教えてくれた。「泣いてもええから、最後まで言いな(^^)」って。




「僕は——パン屋に、なります——」




 声が裏返った。




「僕の——パンで——みんなを——」




 止まった。息を吸った。涙が顎から落ちた。




「——笑顔に、します——!」




 言い切った。


 号泣しながら。鼻水垂らしながら。190cmの大きな体を震わせながら。


 ——言い切った。




 よしこさんが——両手を広げた。




「ガルくん(^^) おいで」




 抱きついた。190cmが160cmに。よしこさんの体は小さい——いや、魔王の体は175cmあるけど、抱きつくと不思議と小さく感じる。子どもたちを見守ってきた人みたいに。


 ——温かい。




「えらいな(^^) よう言えたな。ガルくん、立派やで」




「うぅ……ありがとう……ございます……っ」






◆シオン視点




 三人の卒園スピーチが終わった。




 食堂の中が——湿っていた。空気が。全員の目が。




 俺は——椅子に座ったまま、見ていた。




 レオン殿が泣いた。リーゼ殿が泣いた。ガルド殿が泣いた。


 三人とも——泣いた後、笑っていた。




 教会では教わらなかった表情だ。泣いた後の顔。涙の跡があるのに、口元が笑っている顔。


 あれが——本物の顔なのだと、今ならわかる。




 口が——動いた。




「……俺も」




 小さな声だった。聞こえたかどうかわからない。


 でも——隣のミーナが、こちらを見た。




「俺も、いつか——卒園したいです」




 一人称が「俺」になっていた。


 「自分」ではなく。教会の訓練で叩き込まれた「自分」ではなく。


 レオン殿から——もらった一人称。自分で選んだ一人称。




 よしこ殿が——こちらを見た。


 泣き腫らした目で。それなのに——笑って。




「シオンくんの卒園式は、まだまだ先やで(^^) いっぱい食べて、いっぱい寝てからや」




「……はい」






◆ミーナ視点




 泣いていた。




 最初から泣いていた。レオン殿のスピーチが始まった時からずっと。




 でも——今回は。




 泣いた後に——笑えた。




 教会で教わった笑顔じゃない。目が笑っていない、作りものの笑顔じゃない。


 泣いて、鼻が赤くなって、目が腫れて——それでも口元が上がる。


 これが、本物の笑顔なんだと思った。




 リーゼ殿を見た。同じ顔をしていた。泣いた後の、本物の顔。


 ——わたしたちは、同じだった。我慢してきた少女同士。


 リーゼ殿が「食べる」を取り戻したように、わたしは「泣く」を取り戻した。




 そして今——「泣いた後の笑顔」を知った。






◆ヴェルザ視点




 食堂の裏——厨房への通路。


 壁に背を預けて立っている。




 卒園式は——見ていた。全部見ていた。椅子にも座っていた。


 だが今——席を外している。




「…………」




 目に——ゴミが入った。


 この城は——掃除が行き届いているはずなのに。ティアの管轄だ。後で注意せねばならない。




「ヴェルザ様……?」




 ティアが——通路に来た。




「……なんだ」




「あの……お顔が……」




「目にゴミが入っただけだ」




「は、はい……。あの……わたしも、同じゴミが——」




 ティアの目も——赤かった。琥珀色の目が潤んでいる。尻尾がぱたぱた震えている。感情が抑えきれない時の尻尾。




「……ティア」




「はい」




「掃除を徹底しろ。目にゴミが入る」




「……はい。——でも、ヴェルザ様」




「何だ」




「このゴミは——嬉しいゴミだと思います」




「…………」




 返す言葉がなかった。






◆ドルガ視点




 フン。




 腕を組んで座っていた。最初から最後まで。微動だにしなかった。


 小僧のスピーチも、嬢ちゃんの一言も、でかぶつの号泣も——全部見た。




 フン。




 鼻をすすった。——鼻水ではない。鼻が乾燥しているだけだ。この季節はそうだ。城の空気が乾いている。




「ドルガ殿」




 隣のカインが——こちらを見た。




「……何だ」




「鼻、出てますよ」




「出てねぇ」




「出てます」




「黙れ、騎士」




 カインが——黙った。だが、こいつも——唇を噛んでいた。目が赤い。こいつも孤児だったと聞いた。グレイヴスと同じ。教会ではないが——食えなかった子ども。




 フン。


 泣いてなどいない。250年、泣いたことなどない。


 ——小僧の字の勉強に付き合ったのは、暇だったからだ。それだけだ。






◆メル視点




「わたくし、泣いてなどおりません」




 隣の席が空いている。リーゼ殿が前に出ているから。




 ハンカチで目元を押さえた。——汗だ。食堂が暑い。人が多いから。それだけのこと。




「メル、泣いてる」




 リーゼ殿が——席に戻ってきた。証書を大事そうに抱えている。




「泣いておりませんわ。目が赤いのは——」




「赤い」




「——書庫の灯りのせいですわ」




「ここ食堂」




「…………」




 反論できなかった。


 この弟子は——いつからこんなに口が達者になったのだ。わたくしが育てた弟子が。わたくしの得意分野で——わたくしを追い詰めている。




「……成長しましたわね、リーゼ殿」




「メルに教わった」




「……ッ」




 ——だめだ。もう一滴落ちた。ハンカチが湿っている。






◆ピプ視点




「うわあああああん!!」




 泣いた。大泣きした。




「みんなー! 行っちゃやだー!」




 レオンもリーゼもガルくんも——行っちゃうの? ここからいなくなっちゃうの?


 やだ。やだやだやだ。ボク、みんなといたい。みんなが好き。おやつの時間にみんながいるのが好き。ガルくんのパンが好き。レオンがビスケット取り合いするのが好き。リーゼが静かに食べてるの見るのが好き。




「やだー! みんなー!」




 椅子から飛び上がった。羽根がばたばた動いた。


 よしこの前に飛んでいった。




 よしこが——ボクを抱き上げた。


 大きな腕。温かい胸。




「ピプ(^^)」




「行っちゃやだ……」




「行くんやない」




「え……」




「巣立つんやで(^^)」




「すだつ……?」




「鳥の子どもがな、巣から飛び立つことや。自分の翼で。——ピプ、あんた翼あるやろ(^^)」




「……ボクの翼は——飛べる翼だよ」




「そうや。飛べる翼や。——レオンくんたちもな、自分の翼で飛ぶんよ。遠くに行くけど——帰って来れる。飛んで行って、飛んで帰ってくる」




「……帰ってくる?」




「帰ってくるで(^^) ここはあの子たちの巣やもん」




「……じゃあ——ボクはここで、待ってる」




「うん(^^) 待っとき。おやつ用意しといたり」




「……うん」




 鼻をずずっと鳴らした。


 よしこの胸に顔を埋めた。温かい。よしこはいつも温かい。炉を抱く者の胸は——ほんとに、温かい。






◆ティア視点




 卒園式が——終わった。




 三人が——証書を手に、席に戻った。


 レオン様の目が赤い。リーゼ様の頬に涙の跡がある。ガルド様は——まだ泣いている。




 わたしは——一人ひとりの前に行った。




「い、いってらっしゃいませ……!」




 レオン様に。




「……おう。——世話になった」




 レオン様が——ぶっきらぼうに言った。でも目が笑っていた。




「い、いってらっしゃいませ……!」




 リーゼ様に。




「……ティア。——ありがとう。いつもお茶、美味しかった」




 リーゼ様が——言った。こんなに長い文を、リーゼ様から聞いたのは初めてだった。




「い、いってらっしゃいませ……!」




 ガルド様に。




「ティアさぁん……ありがとう、ございまぁす……」




 ガルド様が——泣きながら頭を下げた。190cmの体が——折れ曲がった。




 尻尾がパタパタパタパタ——止まらない。嬉しいのか悲しいのかわからない。両方。全部。


 わたしの尻尾は——いつも、わたしより先に正直だ。






◆よしこ視点




 全員の前に立った。




 三人が——席に座っている。証書を膝の上に乗せて。




 後ろに——みんながいる。


 ヴェルちゃんが通路から戻ってきた。目が少し赤い。ゴミが入ったんやろな。


 ドルガが腕を組んで天井を見とる。


 メルちゃんがハンカチで目を押さえとる。


 ピプがわての足元にしがみついとる。


 ティアちゃんが尻尾を全力で振りながら泣いとる。


 シオンくんが背筋を伸ばして座っとる。目がまっすぐ前を見とる。


 ミーナちゃんが泣きながら笑っとる。本物の笑顔で。


 トールくんが目を赤くして、ガルくんの隣で鼻をすすっとる。


 カインくんが壁際で直立しとる。唇を噛んどる。


 グレイヴスさんが——入口の柱の影で、目を伏せとる。




 全員。


 わての園児が——全員おる。




 深呼吸した。




 保育園で40年、何十回も言うてきた言葉。


 毎年、卒園式の最後に言うた言葉。


 何回言うても慣れへん。何回言うても泣きそうになる。


 ——今日も、泣きそう。




 でも——笑う。




「あんたらはな」




 声が震えた。あかん。




「わての——自慢の園児やで」




 レオンくんを見た。赤茶色のくせ毛。鮮やかな緑の目。ボロボロで来た子。ごはんを食べて、字を覚えて、自分の名前を好きになった子。


 リーゼちゃんを見た。銀色のショートボブ。薄い青の瞳。食べなかった子。スープを作って、「食べて」と言えるようになった子。


 ガルくんを見た。190cmの大きな体。泣きながら——パン屋になると言い切った子。




「——えらいな」




 涙が出た。もう我慢せぇへん。




「よう頑張ったな」




 声が割れた。大阪のおばちゃんの声で。魔王の威厳もへったくれもない声で。


 でも——これがわての声や。保育士よしこの声や。




「いってらっしゃい」




 笑った。泣きながら。




「いつでも帰っておいで(^^)」








 食堂が——泣いた。




 レオンくんが拳で目を擦った。「うるせぇ……泣いてねぇし……」と言いながら、涙が溢れていた。


 リーゼちゃんが前髪の奥で——静かに泣いていた。声は出さない。でも肩が揺れていた。


 ガルくんが——もう何も言えずに泣いていた。トールくんが隣で一緒に泣いていた。190cmが二人、並んで泣いている。


 シオンくんが——目を閉じていた。頬に光るものがあった。


 ミーナちゃんが——泣いて、笑って、また泣いていた。


 ヴェルちゃんが——目を閉じて、唇を引き結んでいた。


 ドルガが——天井を見上げたまま、微動だにしなかった。でも鼻をすする音が二回、聞こえた。


 メルちゃんが——ハンカチを顔に押し当てていた。「泣いておりませんわ」という声が、くぐもって聞こえた。


 ピプが——わての足元で大泣きしていた。羽根がぱたぱた震えていた。


 ティアちゃんが——尻尾をパタパタさせながら、声を上げて泣いていた。「よしこ様ぁ……」


 カインくんが——壁に向かって、肩を震わせていた。


 グレイヴスさんが——柱の影で、静かに顔を覆っていた。




 泣いてへんのは——わてだけや。




 いや、泣いとる。泣いとるけど——笑ってる。




 「(^^)」が——消えてへん。




 消えへんのよ。今日は。




 だって——卒園式は、笑って送り出す日やから。






◆よしこ視点




 昼。




 厨房に——わて一人。




「今日だけは、わてが作るわ(^^)」




 ガルくんが「手伝います」と言うたのを、押し返した。トールくんも。ティアちゃんも。


 今日だけは——わてが全部作る。最後の、全員そろった食卓。




 シチュー。いつものやつ。ニンジン、ジャガイモ、玉ねぎ、鶏肉。大きめに切る。いつも通り。


 パン。ガルくんのレシピで焼いた。あの子に教わったレシピ。あの子が焼くほうが美味いけど——今日はわてが焼く。


 サラダ。リーゼちゃんが好きな葉っぱを多めに。


 鶏の丸焼き。レオンくんが好きなやつ。でっかいの。


 焼き菓子。メルちゃん用。


 ビスケット。ドルガ用。大量に。


 リンゴジュース。ピプ用。こぼしてもいいように予備も作った。


 お茶。ヴェルちゃん用。先代の茶器で淹れた。




 全員分。14人分。




 ——多いな。


 最初は3人やったのに。レオンくんとリーゼちゃんとガルくんの3人。それがいつの間にか——14人。




 テーブルを元に戻した。長テーブル。全員が座れる。




 料理を並べた。




 皿が14枚。椅子が14脚。


 ——最初は3人やったのに。








 全員が——席についた。




 わてが上座。ヴェルちゃんが右。メルちゃんが左。


 レオンくんとリーゼちゃんとガルくんが一列。


 シオンくんとミーナちゃんとトールくんが対面。


 ドルガが端。カインくんがその隣。


 ティアちゃんがわての後ろに立とうとして——「座り(^^)」。座った。


 ピプがわての膝の上。重い。


 グレイヴスさんが——一番端の席に、座った。和平の翌日から、この人もごはんを食べに来とる。「食べていいのか」と聞いた人。当たり前や。あんたも、わての園児や。




「いただきます(^^)」




「「「いただきます」」」




 14人の声が——食堂に響いた。




 シチューをよそった。全員に。ピプの分は少なめ。こぼすから。


 パンを配った。ガルくんが「よしこさんが焼いたパンだ……」と言って、また泣きそうになった。


 レオンくんが鶏肉にかぶりついた。「……美味ぇ」。相変わらず一言目はそれ。


 リーゼちゃんがスープを一口飲んで——「……美味しい」。この子が自分から言うてくれるようになった。それだけで——もう、十分。


 ドルガがビスケットを「一枚だけ」と言って取った。三枚目に手が伸びとる。


 メルちゃんが焼き菓子を見た瞬間、目が光った。策士の顔が消えた。「あら。これは——」。無防備な顔。180年の策略が、焼き菓子一枚で崩壊する。


 ヴェルちゃんがお茶を飲んだ。先代の茶器で。「……美味しゅうございます」。——「美味しい」と言うてくれるようになった。


 ティアちゃんがわての隣でスープを飲んどる。尻尾がぱたぱた。嬉しい時の尻尾。


 ピプが膝の上でパンをかじっとる。案の定こぼしとる。


 シオンくんが「いただきます」と自分から言えるようになった。命令やない。自分の意志で。


 ミーナちゃんがシチューを飲んで——笑った。泣いた後の、本物の笑顔で。


 トールくんがパンを三つ目に手を伸ばしとる。ガルくんと同じペース。190cmが二人、並んでパンを食べとる。


 カインくんがシチューを一口飲んで——「美味い」。短い一言。この人はいつもそう。それでいい。


 グレイヴスさんが——スープを飲んで、手が止まった。目を閉じた。「……温かい」。それしか言えない。それでいい。




 笑い声。食器の音。「おかわり!」「パン取って!」「ボクのジュースまたこぼれた!」「ピプ殿……」「ヴェルザ怖い顔ー」「……怖い顔ではない」




 いつもの——いつもの食堂。




 ——最後の、全員そろった食卓。




 これがいつか終わることを、わては知ってる。レオンくんは旅に出る。シオンくんとミーナちゃんは王都に帰る。ドルガは部下のところに帰る。


 全員がこのテーブルに座ることは——もう、ないかもしれへん。




 でもな。




 ここに座った記憶は——消えへん。




 この匂いも。この笑い声も。ビスケットの取り合いも。こぼれたジュースも。「おかわり」の声も。




 全部——この子たちの中に残る。




 わてにとっての保育園と同じ。卒園した子たちが大人になっても、あの頃のごはんの味を覚えとるように。




 この食卓の温かさを——みんなが覚えとってくれたら。




 それで——十分や。




「よしこー、おかわりー」




「はいはい(^^) 自分でよそいなさい」




「えー」




「練習や(^^)」




 ピプがぶーぶー言いながらおたまを持った。ティアちゃんが手を添えた。


 ガルくんがパンを焼き足しに行こうとして、わてが「座っとき(^^)」と言うた。今日はわてが焼く。


 レオンくんとドルガが鶏肉の最後の一切れを巡って睨み合っとる。「俺のだ」「俺のだァ」。250歳と17歳が同じことしとる。




 ——ほら。




 こういうのが。




 こういう食卓が。




 世界で一番あったかい場所やねん。





最後まで読んでいただきありがとうございました。


第83話「卒園式」。この作品で一番泣かせたかった話です。


第6話でレオンは字が読めませんでした。第76話で手紙を書き、第83話で卒園証書を読み上げました。第7話でリーゼは「食べなくても動ける」と言いました。第77話で「食べて」と言い、第83話で「ごはんが美味しかったです」と震える声で言いました。第8話でガルドは「戦えない」と泣きました。第78話でパン屋を宣言し、第83話で号泣しながら「パン屋になります」と言い切りました。


83話分の積み重ねが、この卒園式に集まっています。


よしこは保育園で40年間、毎年卒園式をやってきました。毎年泣きました。でも笑って送り出しました。今日も同じです。魔王城でも、保育園でも、やることは同じ。目の前の子どもたちの成長を見届けて、「えらいな」と言って、「いってらっしゃい」と送り出す。


全員の反応を一人ひとり書きました。端折りたくなかったのです。ヴェルザの「目にゴミ」も、ドルガの鼻をすする音も、メルの「泣いておりません」も、ピプの大泣きも、ティアの尻尾も——全部、83話かけて積み重ねてきたものです。


そして最後の食卓。14人全員が同じテーブルに座る、最後の食事。よしこが全員分作りました。いつものシチュー。いつものパン。いつもの「おかわり」。特別なことは何もない。——それが、特別なのです。


次回、最終話。第84話「魔王よしこ、今日も元気です」。


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