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魔王(よしこ62歳)と勇者パーティ  作者: 歩人
Arc4: 聖教会の子どもたち

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84/84

第84話: 魔王よしこ、今日も元気です

◆よしこ視点




 ——卒園式から、数ヶ月が経った。




 朝。




 煙突から——煙が出とる。




 ガルくんがかまどに火を入れた匂い。パンの生地が発酵する匂い。トールくんが薪を割る音。


 いつもの朝。




 窓の外が白んできた。冬が終わって、春の手前。朝の光がちょっとずつ早くなってきた。




 ティアちゃんが——もう門を開けとる。


 毎朝一番。誰よりも早く起きて、門を開けて、廊下を掃いて。




「おはようございます、よしこ様」




 すれ違った時に——ティアちゃんが言うた。


 自分から。小さい声やけど、はっきり。尻尾がパタパタしとった。




「おはよう、ティアちゃん(^^)」




 ——120年、誰にも名前を呼ばれへんかったこの子が。


 毎朝「おはよう」を自分から言えるようになった。




 それだけで——もう、十分やねん。






◆よしこ視点




 食堂のテーブルに手紙が置いてある。


 ティアちゃんが朝いちばんに門を開けた時、伝令鳥が届けてきたらしい。




 封筒を開けた。




 ——字が、下手。




 相変わらず下手。ドルガより下手。もう少し練習しなさい。




『よしこへ


 元気だ。


 今は海のある町にいる。海を見た。でかい。しょっぱい。なんであんなにしょっぱいんだ。


 魚を焼いてくれる店があった。美味い。でもよしこのシチューのほうが美味い。


 リーゼとガルドに伝えてくれ。俺は元気だ。


 パンが恋しい。ガルドのパン送れ。


 字はまだ下手だ。練習する。


        レオン』




 ——ぷっ。




 笑ってしもた。


 「パンが恋しい」って。「送れ」って。手紙で食べ物をせがむな。あんたは。




 でもな。




 レオンくんが「字はまだ下手だ」って——自分で書けるようになったんよ。字が読めなかった子が。手紙を書いて、送ってくる。




 自分の名前を書いてる。「レオン」って。




 ——あの子は、もう大丈夫や。








 手紙を食堂の壁に貼った。前の手紙の隣に。もう五通目。


 全部貼ってある。字が下手な手紙が五枚、食堂の壁にずらっと並んどる。




「よしこー、レオンの手紙?」




「そうやで(^^) 海がしょっぱいって」




「海! ボクも行きたいー!」




 ピプが飛んできた。水色のぼさぼさ髪がぴょんぴょん揺れとる。羽根がぱたぱた。


 80歳。変わらへん。おやつの時間に結界を張るのも変わらへん。




「ピプ、先に顔洗ってき(^^)」




「えー」




「顔洗ってから手紙読みなさい」




「はーい……」




 ぱたぱた飛んで行った。




 ——変わらへん。この子は変わらへん。


 でもそれでええ。変わらへんことも——大事なんよ。






◆よしこ視点




 厨房を覗いた。




 パンの匂い。


 ガルくんが——粉まみれで生地をこねとる。190cmの体が作業台に屈みこんで、大きな手で生地を丸めている。




 隣でトールくんが天板にパンを並べとる。同じ190cm。二人並ぶと厨房が狭い。




「よしこさん、おはようございます!」




「おはよう、ガルくん(^^) 今日は何のパン?」




「えっと、くるみパンと、蜂蜜パンと——あと、新しいの試してみてて」




「おー。新作やん」




 ガルくんが——笑った。えへへ、って。あの笑い方は変わらへん。


 でも——手が止まらへん。以前は「僕なんか」って止まっとった手が、今はずっと動いとる。迷いなく。パンをこねる手。自分の夢を形にする手。




 トールくんが「味見してください」って小さいパンを差し出した。朴訥な顔。この子もガルくんの隣で変わった。命令やなくて、自分でここにおる。




「美味い(^^)」




「え、えへへ……」




 二人して「えへへ」って。190cmが二人で「えへへ」って。——かわいいな、もう。




 魔王城の一角に「パン屋」の看板が出たのは先月のこと。ガルくんが木の板にトールくんと二人で文字を彫った。


 近くの魔族の集落から、パンを買いに来る者が増えた。最初は怖がっとったけど——パンの匂いは敵も味方もない。






◆よしこ視点




 書庫を通りかかった。




 リーゼちゃんが——メルちゃんと並んで、机に向かっとる。


 古文書が広げてある。新しいやつ。ヴォルグラーナの解読が終わってから、メルちゃんは別の古い文書に取りかかっとるらしい。リーゼちゃんが分析魔法で補助しとる。




 二人の間に——茶が二杯。




 ティアちゃんが淹れたんやろうな。




「……この記号、先代の手記の表記と一致しますわ」




「……ここも」




「まあ。リーゼ殿、見事ですわね。わたくしが3日かかる照合を——」




「メルが教えた。分析魔法の応用」




「……ッ。——褒められたのかしら」




「褒めた」




 メルちゃんが固まっとる。180年の策士が、弟子の一言で無防備になる。




 声をかけんと通り過ぎた。邪魔したらあかん。あの二人は——あのままがええ。






◆よしこ視点




 中庭の花壇。




 ヴェルちゃんが——水をやっとる。


 銀白色のオールバック。軍服。金色の目。——じょうろ。


 魔王軍四天王筆頭が、じょうろで花に水をやっとる。




 先代魔王が「花を植えたかった」と遺した場所。今はよしこが植えた花が咲いとる。黄色い花と白い花。名前は知らへん。ヴェルちゃんが調べて教えてくれた。




「ヴェルちゃん(^^)」




「魔王様。——おはようございます」




「花、元気やな」




「はい。昨晩の雨が良かったのかと」




 ヴェルちゃんが——花を見た。


 目尻が——少し、緩んだ。




 笑った。




 小さい笑み。300年生きてきた顔に浮かぶ、ほんの少しの柔らかさ。


 本人は気づいてへんやろう。この人はいつもそう。笑ってる自覚がない。




「ヴェルちゃん、今日ドルガ来る日やったっけ」




「はい。月に一度の——」




「パンの日やな(^^)」




「……あの者は『用事があるから来ただけだ』と毎回申しますが」




「パン食べに来とるだけやもんな(^^)」




「はい。——毎回、4個食べて帰ります」




「増えとるやん(^^) 前は3個やったのに」




「……はい。増えております」




 ヴェルちゃんが——また少し、目尻を緩めた。


 二回。今朝二回目。




 300年。この人はずっとこの城を守ってきた。先代の孤独も、魔王軍の混乱も、全部背負ってきた。


 今——花壇に水をやっとる。笑っとる。




 それだけで——もう。






◆よしこ視点




 午前中、カインくんから手紙が届いた。


 レオンくんのと違って、字がきれい。騎士やな。




『魔王よしこ殿


 王都は穏やかです。和平は順調に進んでおります。


 シオンは騎士見習いとして訓練を始めました。「自分で選んだ」と本人が申しております。一人称は「俺」です。


 ミーナは回復魔法士として王都の医療院で働き始めました。よく泣きます。よく笑います。両方できるようになりました。


 二人とも元気です。ごはんはちゃんと食べています。


 グレイヴス殿は先月、教会を辞められました。詳細は存じませんが、「もう門の前に立ち続けることはやめた」と仰っていました。


 時々、そちらにごはんを食べに伺うかもしれません。


        カイン』




 ——シオンくんが「俺」って。




 カインくんが律儀にそれを報告してくれるの、なんか——ええな。


 あの人は最初から「外から見てる人」やった。一番冷静で、一番まともで。でも——シチューを飲んだ時、手が止まった人。




 ミーナちゃんが「泣けて笑える」ようになった。教会で教わった作りものの笑顔やなくて。泣いた後の、本物の顔。




 グレイヴスさんが——教会を辞めた。




 「門の前に立ち続けることはやめた」って。




 あの人も——やっと、門をくぐったんやな。






◆よしこ視点




 昼過ぎ。




 ドルガが来た。


 210cm。巨漢。大きな角。赤黒い短髪。


 門をくぐって——まっすぐ厨房に向かった。




「用事があるから来ただけだ」




「おかえり(^^)」




「帰ってきたわけではない」




「はいはい(^^) パンあるで」




 ガルくんが焼きたてのくるみパンを出した。ドルガが「一つだけもらう」と言って——手に四つ取った。


 トールくんが「増えてます」と言うたら「黙れ」と返した。




 パンをかじりながら——ドルガが食堂の壁を見た。


 レオンくんの手紙が五枚。




「……小僧の字は相変わらず下手だな」




「あんたのほうが上手いもんな(^^)」




「当然だ」




 ——ドルガが満足そうに鼻を鳴らした。


 あんたも字の勉強、続けとるやろ。ヴェルちゃんから聞いとるで。部下に手紙書いとるって。




 パンを食べ終わったドルガが、ヴェルザと中庭で立ち話をしとる。二人の背中。300年と250年の付き合い。


 月に一度、パンを食べに来て、ヴェルザと話して、帰っていく。




「用事があるから来ただけだ」って毎回言う。




 用事はパンやろ。知っとるわ(^^)。






◆よしこ視点




 夕方。




 グレイヴスさんが来た。


 大司教の白と金の服ではなかった。灰色の、質素な旅服。杖は持っている。


 門をくぐるのに——もう、迷わなかった。




「……こんにちは」




「おー、グレイヴスさん(^^) ごはん食べてく?」




「……はい」




 食堂に座った。いつもの席。テーブルの端。


 ティアちゃんがスープを出した。グレイヴスさんが「ありがとう」と言うた。小さい声で。




 スプーンを取る手は——もう震えてへん。




「……温かい」




 毎回、同じことを言う。毎回、スープを飲んで「温かい」と言う。


 他の言葉はまだ見つからへんらしい。


 でも——ええ。それでええ。「温かい」でええ。




 教会を辞めた58歳が、月に何度か、魔王城にごはんを食べに来る。


 門の前で一晩立ち尽くした人が、今は迷わず門をくぐって、「こんにちは」と言うて入ってくる。




 ——あんたも、変わったなぁ。






◆よしこ視点




 夜。


 みんなが寝静まった後。




 食堂で一人、お茶を飲んどる。ヴェルちゃんが淹れてくれた先代の茶器で。




 ——静かやな。




 レオンくんがおったら「うるせぇ」って言うてるとこ。ガルくんが「おかわりいいですか」って聞いてるとこ。ドルガとレオンくんが鶏肉取り合っとるとこ。ピプが「おやつまだー?」って言うてるとこ。




 でもな。




 静かでも——寂しない。




 この城には、まだ匂いが残っとる。パンの匂い。花壇の土の匂い。洗濯物のせっけんの匂い。


 煙突から煙が出とる。毎朝。ガルくんが竈に火を入れるから。




 ピプが空から見た景色——「煙が出てるって、みんながいるってことなの」。


 あの子が言うた通りや。煙が出とる。みんながおる。




 テーブルの上にレオンくんの手紙。壁に五枚。


 カインくんからの手紙。シオンくんが「俺」って言えるようになったこと。ミーナちゃんが泣けるようになったこと。




 全員が——自分の足で歩いとる。




 保育園で40年、何百人の子どもを送り出した。卒園した子が大人になって、自分の子どもを連れて園に来ることもあった。


 やること——同じやな。






◆よしこ視点




 翌朝。




 ティアちゃんが門を開ける音で目が覚めた。


 煙突から煙が上がっとる。ガルくんが竈に火を入れた音。トールくんが薪を割る音。




 いつもの朝。




 着替えて、廊下に出て。


 ティアちゃんとすれ違った。




「おはようございます、よしこ様」




「おはよう(^^)」




 食堂に向かおうとした時——ティアちゃんが、足を止めた。




「あの——よしこ様」




「ん?」




「門の前に——小さい方が、一人、立っておられます」




 尻尾がぴーんとなっとる。心配しとる時の尻尾。




「小さい?」




「はい。——子ども、だと思います。朝、門を開けたら——おられました」








 門に向かった。




 朝の光。石の門柱。




 門は——開いている。


 ティアちゃんが開けた門。毎朝一番に開ける門。




 その前に——影。




 小さい影。




 門の前に——立っている。




「…………」




 顔は——見えへん。フードを被っとる。ボロボロのマント。小さい体。


 立ち尽くしとる。門の前で。入れへんくて。




 ——知ってる。この景色。




 保育園の入園式の朝。門の前で動けへんくなる子。


 レオンくんがボロボロで来た日。リーゼちゃんが何も食べてへんかった日。ガルくんがおどおどしとった日。


 グレイヴスさんが一晩中立っとった夜。




 みんな——同じ顔をしとった。


 「ここにいていいの?」って顔。




 この子も——同じ目をしとるんやろう。








 門をくぐった。外に出た。


 朝の空気が冷たい。春の手前の、まだ冬が残っとる空気。




 小さい影の前に——立った。




「…………」




 フードの奥に——目がある。


 何色かは見えへん。でも——揺れとる。不安で。怯えて。




 ——ほらな。やっぱり同じ顔や。




 40年で何百回も見てきた顔。


 保育園の門の前で、動けへんくなる子の顔。




 答えは——いつも同じ。




「おはよう」




 小さい影が——びくっとした。




「——顔洗った? 歯磨きは?(^^)」




「…………」




「入り。ごはんあるで(^^)」




 手を差し出した。




 煙突から——煙が出とる。ガルくんのパンの匂い。温かい匂い。


 門は開いとる。ティアちゃんが開けた門。




 小さい手が——伸びてきた。


 冷たい手。ちっちゃい手。




 握った。


 いつもと同じように。40年間、何百回もそうしてきたように。




「ほら、行こ(^^)」




 門をくぐった。二人で。








 食堂から声が聞こえる。




「よしこー! おやつー!」


「朝やろ!(^^)」




「よしこさん、新作のパンができました!」


「ええやん(^^)」




「……おはようございます、よしこ様。お茶を淹れました」


「ありがとう、ティアちゃん(^^)」




「魔王様。本日の予定ですが」


「ヴェルちゃん、まず花壇の水やりしてからにしよ(^^)」


「……かしこまりました」




 温かい匂いがする。


 パンの匂い。お茶の匂い。煙突の煙。




 小さい手を引いて——食堂に入った。




 何を出すかは——もう決まっとる。


 いつもの。特別やない。温かいだけの、いつものやつ。




 でも——この子にとっては、特別になる。




 レオンくんの時もそうやった。リーゼちゃんの時もそうやった。ガルくんの時もそうやった。




 全部——同じ。




 魔王でも保育士でも——やることは同じ。




 ごはんを出す。「食べ」って言う。「えらいな」って言う。




 それだけ。




 それだけで——十分なんよ。








 魔王よしこ、62歳。——いや、もう何歳かわからんけど。




 今日も元気です(^^)





最後まで読んでいただきありがとうございました。


第84話「魔王よしこ、今日も元気です」。最終話です。


84話、お付き合いいただきました。本当にありがとうございます。


この物語は「終わり」ではありません。「今日も元気です」は、明日も続きます。新しい園児が来て、よしこが「おはよう」と言って、ごはんを出して、「えらいな」と言う。それが——ずっと続く。


書きたかったのは、「特別なことは何もない日常」が、誰かにとっては「特別」になるということでした。シチューもパンも、おやつも「えらいな」も、何一つ特別なものはありません。でも——レオンにとっては特別でした。リーゼにとっては特別でした。ガルドにとっては特別でした。グレイヴスにとっては——50年分の特別でした。


84話分の積み重ねを、最後まで読んでくださったあなたへ。


よしこから一言預かっています。


「あんたらもな、わての自慢の読者やで。——えらいな。最後まで読んでくれたな。しんどい日もあったやろ。忙しい日もあったやろ。それでも読みに来てくれた。ありがとうな。——いつでも帰っておいで。ごはんあるから(^^)」


いってらっしゃい。


歩人


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