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魔王(よしこ62歳)と勇者パーティ  作者: 歩人
Arc4: 聖教会の子どもたち

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第79話: ヴェルちゃん

◆ヴェルザ視点




 花が——咲いていた。




 中庭の花壇。石の縁取り。ドルガが等間隔に並べた石の内側に、赤と白と青の花が——咲いている。




 いつの間に。


 昨日の朝はまだ蕾だった。固く閉じた、小さな蕾。色はわかっていたが、形はまだ見えなかった。




 一晩で——開いた。




 赤い花は手のひらほどの大きさで、花弁が五枚。白い花はそれより小さく、うつむくように咲いている。青い花が一番背が高く、風に揺れている。




 どれも——この世界の花だ。名前は知っている。だが、城に咲いているのを見るのは初めてだ。


 300年で——初めて。






◆ヴェルザ視点




 先代は、この花を見たかったのだろう。




 遺書に書いてあった。「城に花を植えたかった」と。




 種を買いに行く場所がわからなかったから、やめた。「花がほしい」と——言えなかった。300年の魔王が、たった一言が言えなかった。




 そして今——花が咲いている。


 先代が植えたかった花が。先代が見たかった色が。灰色だった中庭に。




 魔王様が種を選び、勇者が種を撒き、私が土を掘り、ドルガが石を並べた。


 ティアが水を運び、ガルドがビスケットを出し、レオンが不器用な手で一粒ずつ撒いた。


 先代にはいなかった人たちが、先代の願いを叶えた。




 ——300年遅れた。


 だが魔王様は言った。「間に合うやろ(^^)」と。




 間に合った。


 花は咲いた。








 じょうろを取りに行った。


 厨房の裏にある。大きなじょうろ。ティアがいつも使っているものだ。




 水を汲んだ。中庭に戻った。




 花壇の前に——魔王様がいた。




「おはよう、ヴェルちゃん(^^)」




「……おはようございます。——ヴェルザです」




 魔王様が中庭のベンチに座っている。黒と紫のローブ。朝の光を浴びて、深紅の瞳が柔らかく細められている。




「花、咲いたなぁ(^^)」




「はい。一晩で」




「ほんまに強い花やなぁ。ティアちゃんの言う通りや」




 魔王様が花壇を見ている。目が優しい。この方の目だけは、いつも優しい。外見は歴代魔王の中でも随一の威圧感だが——目だけが、どうしようもなくおばちゃんなのだ。




「ヴェルちゃん、水やりするん?」




「はい。朝の水やりが——花の成長に」




「わても手伝う(^^)」




「……恐れながら、魔王様にじょうろを持たせるのは」




「持つわ(^^)」




 魔王様がもう一つのじょうろを持ってきた。——いつの間に用意したのだろう。中庭の隅に置いてあった。水も入っている。


 最初から二人で水やりをするつもりだったのか。




「ほな、いこか(^^)」




「…………」




 二人で——花壇に水をやった。






◆よしこ視点




 水が花びらの上を流れる。


 赤い花がぷるんと揺れた。白い花がうつむいたまま、雫を一滴落とした。青い花は背が高いから、水をかけると全身で揺れる。




 ——きれいやなぁ。




 花壇の向こう側で、ヴェルちゃんが水をやっている。銀白色のオールバック。軍服の袖を少しだけまくっている。じょうろの持ち方が——丁寧。水の勢いを抑えて、花に直接当てず、根元に注いでいる。




 あの人、ほんまに丁寧やなぁ。何でも丁寧にやる人。300年、先代の部屋を守ってきた人。




「ヴェルちゃん、上手やね。水やり」




「……園芸の経験はございませんが、基本は灌漑かんがいと同じかと」




「灌漑て(^^) 花壇やで」




「規模が異なるだけでございます」




 真面目な顔で言う。


 この人の「冗談」は、本人が冗談のつもりがないところが一番おかしい。




 水やりが終わった。


 花壇が——みずみずしく光っている。朝日が水滴に当たって、小さな虹が花びらの上に浮いている。




「きれい……」




「はい」




「先代さんにも見せたかったなぁ」




「…………」




 ヴェルちゃんが——少しだけ、目を伏せた。


 300年の重み。わてには量れへんけど、この人の横顔を見たらわかる。今、あの人のことを思い出しとる。






◆ヴェルザ視点




 魔王様がベンチに座った。


 「お茶にしよ(^^)」と言った。




 ベンチの脇に——盆が置いてあった。保温布で包まれている。いつの間に。


 この方は、いつもこうだ。自然に準備されている。子どもを育ててきた者のカンか、世話焼きの習性か——とにかく、段取りが良い。




 布を開くと——茶器が三つ。


 温かい茶が入ったポット。カップが三つ。




 三つ。




「二人なのに——三つ、ございますが」




「うん(^^) 先代の分」




「…………」




 魔王様がカップにお茶を注いだ。一杯目。二杯目。三杯目。




 一杯目を——私に差し出した。




「はい、ヴェルちゃん(^^)」




「……ヴェルザです」




「はいはい(^^)」




 二杯目を自分で持った。


 三杯目を——花壇の根元に、そっと置いた。土の上。花の根元。白い花のすぐ隣。




「先代。——花、咲いたで(^^)」




 湯気が——花の間を漂った。


 朝の風に流されて、花弁の上を滑るように消えていく。




「きれいに咲いたなぁ。赤と白と青。あんた、どの色が好きやったんかな」




 ——先代。


 聞こえていますか。




 お茶が花壇に染み込んでいく。土が温かい色に変わる。ゆっくりと。先代の分のお茶が、先代が植えたかった花の根に——届いている。




「まぁ、色の好みとか聞いたことないから、全色植えといたわ(^^) どれか当たるやろ」




「…………」




 お茶を飲んだ。温かい。


 先代の部屋で飲んだ茶と——同じ温かさだ。あの日も魔王様がお茶を淹れた。先代の茶器で。




 だが——あの日はまだ花がなかった。


 今日は花がある。先代が欲しかった花が。先代が言えなかった「花がほしい」を、この方が代わりに叶えた花が。






◆よしこ視点




 お茶を飲んだ。


 朝のお茶は格別やな。花壇の前で飲むと、花の匂いが混ざって、いつもより甘い気がする。




 ヴェルちゃんが隣に座っとる。銀の角が朝日に光っとる。姿勢がいい。座っとる時でも背筋がまっすぐ。300年の軍人やからな。




「ヴェルちゃん」




「ヴェルザです」




 ——来た。いつものやつ。




 79回目。いや、もう数えてへん。100回は超えとるんちゃうかな。




 でもな。今日は——もう一回、呼ぶ。




「ヴェルちゃん」




「……魔王様。その呼び方は——」




「ヴェルちゃんはヴェルちゃんやろ(^^)」




「…………」




「300年の付き合いやで、もう(^^)」




「……私とお会いになってから、まだ一年も経っておりませんが」




「先代の分も入れたら300年やん(^^)」




「……そのような計算は」




「わてはな、ヴェルちゃんのこと——先代から引き継いだと思てへんのよ」




「…………」




「部下やから面倒見るとか、四天王やから使うとか、そういうんちゃうねん」




 お茶を一口飲んだ。


 花壇の花が揺れている。風が吹いた。




「ヴェルちゃんはヴェルちゃんや。先代の部下のヴェルザやなくて——わての、ヴェルちゃん」




「…………」




「300年ずっと一人で頑張ってきて、先代の部屋を一人で守って、先代の最後の言葉をずっと抱えて。——そういうヴェルちゃんを、わてが呼ぶ時は、ヴェルちゃんなんよ」




「…………」




「あかん?」




 ヴェルちゃんが黙った。


 いつもなら、すぐに「ヴェルザです」と返ってくる。0.5秒以内に。条件反射みたいに。


 なのに——返ってこない。




 花壇の花が揺れている。白い花が、風でふわりと揺れた。




 五秒。十秒。




 長い沈黙。




 蝉の声もない。鳥の声だけが遠くで鳴っている。お茶の湯気が二つ、並んで立ち上っている。花壇の三杯目はもう湯気が消えている。土に染み込んで、先代のところまで届いたやろか。




「……はい」




 ——え。




「……はい」




 ヴェルちゃんが——言った。


 小さな声で。


 軍人の硬質な声やなくて、もっと——柔らかい声で。




「ヴェルちゃん、で——かまいません」




 わて——今、何を聞いた。




 この人が。300年間「ヴェルザです」って訂正し続けてきた、この人が。


 否定しなかった。


 「はい」と答えた。




 わての「ヴェルちゃん」を——受け入れた。




 ——あかん。




 泣きそう。




 泣きそうやけど、ここで泣いたらあかん。この人が驚く。300年泣かへんかった人の前で、わてが泣いたら、この人が困る。


 あかんあかんあかん。




「…………(^^)」




 笑った。笑顔で返した。保育士40年の笑顔。子どもの前では泣かへん笑顔。




「ほな、ヴェルちゃん(^^) 改めてよろしくな」




「…………」






◆ヴェルザ視点




 ——「はい」と。


 答えてしまった。




 300年。名前の呼ばれ方など気にしたことはなかった。先代は「ヴェルザ」と呼んだ。それ以外の名はない。


 この方が「ヴェルちゃん」と呼び始めた時、最初は困惑した。次に訂正した。それから——数え切れないほど訂正した。




 なのに今——




 「はい」と、答えた。




 なぜだろう。


 花のせいだろうか。花壇の花が咲いたから。先代が見たかった花を、この方が咲かせたから。先代の分のお茶を、この方が当たり前のように注いだから。




 あるいは——300年分の「ヴェルちゃん」が、ようやく、しみ込んだのかもしれない。




 先代は「ヴェルザ」と呼んだ。それは名前だった。


 この方は「ヴェルちゃん」と呼ぶ。これは——なんだ。




 名前ではない。肩書きでもない。


 四天王筆頭でも、忠臣でも、300年の軍人でもない呼び方。


 ただの——ヴェルちゃん。




「改めてよろしくな」と——魔王様が言った。




 花壇の前で。先代の分のお茶が染み込んだ土の上で。赤と白と青の花が揺れる朝に。




「……はい。——よろしくお願いいたします」




 口が——動いた。


 意識するより先に。軍人の口調で。だが——普段より少しだけ柔らかい声で。




 魔王様が——こちらを見た。




 目が赤い。少し潤んでいる。だが泣いてはいない。笑っている。「(^^)」の顔で。いつもの顔で。




 この方の目が、いつも優しいことは知っている。


 だが今日は——特に。




「ヴェルちゃん」




「……はい」




 ——また。


 「はい」と答えた。


 否定しなかった。




 口元が——動いた。




 自分でも気づかないうちに。


 唇の端が、ほんの少し——上がった。


 目尻に、細い線が入った。




 笑っている——のだろうか。


 わからない。自分の表情を確認する術がない。




 先代は300年、笑わなかった。私も300年、笑わなかった。先代の最後の言葉は「お前を笑わせてやれなかった」だった。




 だが——今。


 口元が緩んでいる。




 花が揺れている。風が吹いた。花弁が一枚、花壇の縁石の上に落ちた。赤い花弁。


 お茶がまだ温かい。カップの底に少しだけ残っている。




 笑っているのかもしれない。


 300年で、初めて。






◆よしこ視点




 ——笑った。




 この子が。ヴェルちゃんが。




 ほんの少しだけ。口元がふわっと緩んで、目尻に皺が入って。




 本人は気づいてへん。たぶん。自分が笑ってることに気づいてへん。300年笑ったことがないから、自分の笑顔を知らへんのや。




 あの、先代が最後に言うた言葉。


 「すまぬ、ヴェルザ。お前を笑わせてやれなかった」




 笑ったで。先代さん。


 あんたの四天王が、300年で初めて笑ったで。


 花壇の前で。あんたが植えたかった花の前で。あんたの分のお茶の湯気の中で。




 泣きそう。


 泣きそうやけど、泣いたらあかん。


 この人の笑顔を、わての涙で消したらあかん。


 初めての笑顔なんや。この人の、生まれて初めての笑顔を——わてが、ちゃんと見届けなあかん。




「(^^)」




 笑った。わても。




「ヴェルちゃん、お茶のおかわりいる?」




「……はい。いただきます」




 ポットから注いだ。ヴェルちゃんのカップに。まだ温かい。




 先代の分のカップは空っぽ。全部、花壇の土に染み込んだ。




 ——先代さん。見えてる?




 あんたが笑わせてやれなかったこの人が、今、笑ってるよ。


 小さい笑みやけど。ほんまに小さいけど。


 でもな——めちゃくちゃええ笑顔やで。




 あかん。


 目ぇ、熱い。


 涙が出そう。


 でも出さへん。保育士は泣かへん。子どもの前では泣かへん。




 ——いや。


 この人は300歳やから、子どもではないんやけど。




 でもな。


 わてにとっては——ヴェルちゃんや。




「ヴェルちゃん」




「……はい」




「ええ天気やな(^^)」




「……はい。——花が、綺麗でございますな」




 ヴェルちゃんが花壇を見た。


 口元が——まだ緩んでいる。




「先代も——喜んでおられるでしょう」




「うん(^^) 喜んでるわ。きっと」




 お茶を飲んだ。二人で。


 花壇の前で。先代の分のカップを間に挟んで。




 風が吹いた。


 赤い花と白い花と青い花が、一緒に揺れた。




 先代が見たかった景色。先代が「ほしい」と言えなかった景色。


 300年遅れたけど——間に合った。




 花は咲いた。


 お茶は温かい。


 ヴェルちゃんは笑っている。




 先代さん。


 あんたの城は——もう、大丈夫やで(^^)





最後まで読んでいただきありがとうございました。


第79話「ヴェルちゃん」。


第19話を覚えていますか。先代の部屋で、埃の中で、よしこがお茶を淹れました。ヴェルザはあの時、「お茶で動かされます」と——300年で初めて冗談めいたことを言いました。口元がほんの少し緩みました。先代が最後に残した言葉は「すまぬ、ヴェルザ。お前を笑わせてやれなかった」。


60話が経ちました。


花壇の花が咲きました。先代が「城に花を植えたかった」と遺書に書いた花が。第60話で明かされ、第70話で種が撒かれ、第79話で——咲きました。三杯目のお茶は先代の分。土に染み込んで、花の根に届きます。


そして——ヴェルザが笑いました。


300年で初めて。「ヴェルちゃん」を否定せず、「はい」と答えた直後に。口元がふわっと緩んで、目尻に皺が入って。本人は気づいていません。笑ったことがないから、自分の笑顔を知らないのです。


よしこは泣きそうでした。でも泣きませんでした。保育士は子どもの前で泣かない。この人の初めての笑顔を、自分の涙で消すわけにはいかないから。


先代。あなたが笑わせてやれなかったこの人が、今日、花壇の前で笑いました。小さな笑みです。でも——確かに。


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