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魔王(よしこ62歳)と勇者パーティ  作者: 歩人
Arc4: 聖教会の子どもたち

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第65話: 七号

◆ティア視点



 朝。


 いつもの朝。



 廊下を歩く。バケツと雑巾を持って。左の角を曲がる。三つ目の柱を過ぎたら、窓を開ける。風を通す。


 120年——同じことをしている。



 この城の廊下は、全部で147本ある。どの窓が朝日に当たるか。どの石畳が欠けているか。どの扉が軋むか。全部知っている。


 城の誰よりも——わたしが、この城を知っている。



 でも。


 この城の誰も——わたしを知らなかった。








 思い出す。時々、思い出してしまう。




 先代魔王の時代。


 侍女は——番号だった。




「七号。大広間の燭台を磨け」


「七号。廊下の泥を拭け」


「七号。客間の準備をせよ」




 七号。わたしの呼び名。七番目に配属された侍女。


 六号がいて、八号がいた。五号は辞めた。九号は逃げた。わたしは——残った。残ったから七号のまま。




 先代魔王は——わたしたちを見なかった。


 怒らなかった。褒めなかった。叱りもしなかった。


 ただ——見なかった。


 廊下を歩く時、侍女が目の前に立っていても、避けもしなかった。見えていないのだ。石畳と同じ。柱と同じ。城の一部。それがわたしたち。




 ヴェルザ様は——命令をくれた。


 「七号、あの部屋を掃除しろ」。命令は——ありがたかった。命令があるということは、存在を認識されているということだから。




 名前を聞かれたことは——一度もない。


 120年。


 一度も。






◆ティア視点(回想)




 あの日。


 先代が亡くなって、城が騒然としていた。魔力が消えた。玉座が光った。新しい魔王が——現れた。




 わたしは廊下にいた。いつも通り。バケツと雑巾を持って。七号として。


 混乱の中でも床は汚れる。誰かが拭かなくてはいけない。




 廊下の向こうから——足音がした。


 新しい魔王。長身。漆黒の髪。深紅の目。小さな角。


 ——威圧的な、美しい人。




 わたしは壁に張り付いた。尻尾がピーンと立った。視線を下げた。


 先代と同じだろう。通り過ぎるだろう。石畳と同じように——




「あら」




 ——止まった。


 足音が、止まった。




「侍女さんおるやん」




 ……え。




「あんた、名前は?」




 顔を上げた。


 深紅の目が——わたしを見ていた。




 見ていた。




 120年——誰にも見られなかった場所から、わたしを引っ張り出すように。




「な、な、名前……」




 声が震えた。尻尾が震えた。バケツの水が波打った。


 名前。名前? わたしの名前。


 ——ある。名前はある。母がつけてくれた。120年前に。それ以来、一度も——




「テ、ティア……と、申します……」




 声が、かすれた。自分の名前を口にしたのが——いつ以来か、わからなかった。




「ティアちゃん? ええ名前やん(^^)」




 ——笑った。


 新しい魔王が——笑った。


 威圧的な外見なのに、笑うと——おばちゃんの笑顔。




「ティアちゃん、よろしくな(^^) わて——えっと、魔王です(^^)」




 わて?


 魔王が「わて」?




 混乱した。頭が真っ白になった。尻尾がパタパタ揺れた。止められない。止めたいのに——止まらない。


 名前を呼ばれた。


 120年で——初めて。






◆ティア視点(回想・翌朝)




 翌朝。


 わたしはヴェルザ様に呼ばれた。




「七号——いや。ティア」




 ヴェルザ様も——名前で呼んだ。初めて。




「魔王様の身の回りの世話を担当せよ。食事の準備、居室の清掃、衣服の管理——全て任せる」


「は、はい……!」




 尻尾がピーンと立った。身の回りの世話。魔王の。わたしが。




 ——怖い。失敗したらどうしよう。先代は侍女を見なかったけれど、見られる方が怖い。見られたら——粗が見える。




 でも。


 命令だから。ヴェルザ様の命令だから。行かなくてはいけない。








 魔王様の——よしこ様の居室に行った。


 朝食を運んだ。お盆に載せた。パンと、スープと、果物。




 扉を叩いた。


「し、失礼いたします……朝食をお持ちしました……」




「おはよう、ティアちゃん(^^)」




 ——覚えていた。名前を。昨日一度聞いただけで。




「お、おはようございます……魔王様……」




 お盆をテーブルに置いた。一礼して、下がろうとした。


 侍女の仕事はここまで。食事を運び、下がり、食べ終わった頃に片付けに来る。先代の時代から、ずっとそう。




「ティアちゃん」


「は、はい……!」


「ティアちゃんのぶんは?」




 ——ぶん?




「え……」


「朝ごはん。ティアちゃんの朝ごはんのぶん」


「わ、わたしは……侍女ですので……後で、台所で……」


「何言うてんの(^^) 一緒に食べよ」




 固まった。


 体が——動かなかった。




 一緒に食べる。


 魔王と。侍女が。


 ——そんなことは、ない。120年、一度もない。侍女は台所の隅で、冷めた残り物を食べる。それが決まりで——




「ティアちゃん?」


「で、ですが……わたしは……」


「ええから座り(^^) パン、もう一個持ってきて。ティアちゃんのぶん」


「は……はぁ……」




 足が動いた。台所に行った。パンをもう一個持ってきた。自分の分を。


 ——何をしているんだろう。侍女が魔王と同じテーブルで。




 座った。


 向かい合って。


 パンが目の前にある。スープが湯気を立てている。




「いただきます(^^)」




 よしこ様がパンをちぎった。スープに浸した。口に入れた。




「うん、美味しい(^^) ティアちゃんも食べ(^^)」




 手が震えた。パンを持った。


 かじった。




 ……温かい。焼きたてのパン。


 いつもは冷めたパンを台所の隅で食べていた。焼きたてを食べたのは——いつ以来だろう。




「美味しい?」


「……お、美味しい、です……」




 尻尾がパタパタ揺れた。止められなかった。恥ずかしかった。




「ティアちゃんの尻尾、正直やなぁ(^^)」


「も、申し訳ございません……! 尻尾が、勝手に……」


「謝ることちゃうやん(^^) 嬉しい時は嬉しいでええねん」




 スープを一口飲んだ。ニンジンが入っている。甘い。


 ——温かい。体の中が、温かくなる。




 向かい側で、よしこ様がにこにこしながらパンを食べている。


 魔王が。


 わたしと同じテーブルで。同じパンを食べている。




 これは——何だろう。


 朝食。ただの朝食。


 でもわたしにとっては——初めての朝食。






◆ティア視点(現在)




 バケツを置いた。窓を開けた。朝の風が入ってくる。


 中庭が見えた。よしこ様が洗濯物を干している。ヴェルザ様が手伝っている。




 あの日から——毎朝、一緒に食べている。


 最初は二人だけだった。やがてヴェルザ様が来た。ドルガ様が来た。レオン様たちが来た。食卓がどんどん大きくなった。


 今は——13人分の椅子がある。




 わたしの椅子も、ある。




「ティアー!」




 廊下の向こうから声がした。ピプ様が飛んできた。




「ティアー、よしこがー、朝ごはんできたってー!」


「は、はい……! 今行きます……!」




 バケツを片付けた。雑巾を絞った。手を洗った。


 食堂に向かった。早足で。


 ——走ってはいけない。廊下は走らない。よしこ様がいつも言っている。




 食堂の扉を開けた。


 テーブルに——13人分の皿が並んでいる。湯気が立っている。焼きたてのパンの匂い。ガルド様が焼いたパン。




「おはよう、ティアちゃん(^^)」


「お、おはようございます……よしこ様」




 自分の席に座った。よしこ様の隣の席。


 いつの間にか——ここがわたしの席になっていた。




「ティアちゃん、今日のパン、ガルくんが新しいの焼いたらしいで(^^) チーズ入りやって」


「チーズ……!」




 尻尾がパタパタ揺れた。


 ——また。恥ずかしい。でも——止まらない。




「いただきます(^^)」




 よしこ様の声で、全員が手を合わせた。




「「「いただきます」」」




 パンをかじった。チーズが溶けて、のびた。美味しい。


 隣で、よしこ様が同じパンをかじっている。




「うん、ガルくん上達したなぁ(^^)」




 レオン様がスープをおかわりしている。ガルド様が嬉しそうにパンを配っている。リーゼ様が黙って食べている。シオン様が姿勢よく座っている。ドルガ様が「フン。悪くない」と言いながら三個目のパンに手を伸ばしている。




 ——ああ。




 わたしは、七号じゃない。


 ティア。わたしの名前は——ティア。




「よしこ様」


「ん?」


「……あの」


「どしたん(^^)?」




 言おうかどうか迷って——言った。




「わたし……名前で呼ばれたのは、よしこ様が初めてです」




 よしこ様が——パンを持ったまま、こちらを見た。




「ほんま?」


「はい……先代魔王の時代は……侍女は番号でした。わたしは——七号、でした」


「七号」


「七番目の侍女……という意味です。名前は……聞かれたことが、ありませんでした」




 よしこ様が——パンを置いた。




「120年?」


「……はい。120年間、七号でした」




 食堂が——少し、静かになった。


 ヴェルザ様が目を伏せた。知っていたはずだ。先代の時代を。侍女が番号だったことを。




「……ティアちゃんはティアちゃんやろ。番号ちゃうわ(^^)」




 ——よしこ様の声が、柔らかかった。怒っているのでも、同情しているのでもない。ただ——当たり前のことを言うように。




「ティアちゃんはティアちゃんや。ずっとそうやったし、これからもそうや(^^)」




 尻尾がパタパタ揺れた。


 パタパタ、パタパタ。


 止まらない。止められない。




 目が——熱くなった。


 だめだ。食堂で泣いたら——みんなに見られる。侍女が泣くなんて——




「泣いてもええよ(^^)」




 よしこ様が——わたしの頭に手を置いた。温かい手。大きな手。




「泣きたい時は泣いたらええねん。ティアちゃんは——ようがんばったな。120年も(^^)」




 ——崩れた。


 涙が。止まらなくなった。




「う……ぅ……よ、よしこ様……っ」




 両手で顔を覆った。涙が指の隙間から零れた。尻尾がパタパタ揺れたまま止まらない。嬉しいのか悲しいのかわからない。120年分の——何かが、溢れた。




「ティアちゃん。ええ名前やで(^^)」




 よしこ様の手が、頭を撫でた。優しく。


 120年——誰にも撫でてもらえなかった頭を。




 パンが冷めた。スープが冷めた。


 でも——よしこ様は急かさなかった。


 みんな——待っていた。わたしが泣き止むまで。




「……も、申し訳ございません……朝食の途中に……」


「謝ることちゃうやん(^^) ほら、スープ温め直したるわ。ガルくん、パンもう一個焼いて(^^)」


「はいっ!」




 ガルド様がすぐに立ち上がった。台所に走っていった。


 ——廊下は走らない。でも、よしこ様は何も言わなかった。




 温め直したスープが来た。焼きたてのパンが来た。


 涙で腫れた目で——食べた。




 美味しかった。


 120年で一番——美味しかった。





最後まで読んでいただきありがとうございました。


第65話「七号」。Arc7「みんなの名前」の1話目です。


ティアの過去——先代魔王の時代、侍女には名前がありませんでした。「七号」。七番目に配属された侍女。それがティアの120年間の呼び名です。先代は侍女を「見なかった」。怒りもしない、褒めもしない。ただ存在を認識しない。石畳や柱と同じ。それがどれほど残酷なことか。


よしこが「名前は?」と聞いた。たったそれだけのことで、ティアの世界が変わりました。「一緒に食べよ」。それだけで、120年の孤独が溶け始めた。


よしこは特別なことを何もしていません。名前を聞いて、一緒にごはんを食べただけ。でも、それが誰にもしてもらえなかったことだった——というのが、この話の核です。


Arc7は「名前で呼ばれること=居場所があること」がテーマです。ティアの「七号」から始まり、シオンの一人称、聖剣に刻まれるレオンの名前——一人ひとりが「自分の名前」を取り戻していきます。


次回、第66話「ピプの空」。ピプがレオンたちを空に連れていきます。


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