第54話: 大家族
◆ティア視点
シオンくんたちが来て、もう二十日近くになる。
夕方の魔王城に——いい匂いが漂っている。
厨房からパンの香り。煮込みの湯気。誰かが野菜を刻む音。
わたしは食堂のテーブルを拭いていた。
椅子を数えた。
1、2、3——11。
全部ある。11脚。ピプちゃんは飛び回っているか、誰かの肩に乗っているから、椅子は要らない。
ドルガ様が朝のうちに並べてくださっていた。「フン、椅子くらい並べてやる」と言って、210cmの巨体で一脚ずつ運んでいた。
全部の椅子が——まっすぐ揃っている。ドルガ様は、こういうところが丁寧だ。
テーブルクロスを敷いた。皺を伸ばした。
フォークとスプーンを並べた。11人分。
——先代魔王様の時代、この食堂に椅子は一つもなかった。
尻尾が揺れた。嬉しいのか、少し泣きそうなのか、自分でもわからない。
◆ピプ視点
「できたー!」
テーブルの真ん中に——花を置いた。
裏山で摘んできた。青い花と白い花。名前は知らない。でもきれい。
「ピプ、その花なに?」
「知らない! でもきれい!」
ガルくんが厨房から顔を出した。エプロンに粉がついている。
「いい色だね。テーブルが華やかになった」
「でしょー? ボクのセンスだよー!」
えへん、と胸を張った。羽根がぱたぱた動いた。
——花瓶がなかったから、コップに入れた。ちょっと傾いてるけど——まぁ、いいや。
◆ガルド視点
パンを焼いている。
五つ——じゃなくて、今日は十一個。全員分。
前より上手くなった。——と思う。
形はまだ歪い。まんまるのは一つもない。でも、大きさはだいたい揃うようになった。
かまどから出した。湯気が立つ。いい匂い。
「ガルド。焼けたか」
トールくんが鍋をかき混ぜながら振り向いた。
「うん! 焼けたよ!」
「……いい匂いだ」
「えへへ」
トールくんのスープも、いい匂いがする。
最初は野菜の形がめちゃくちゃだった。全部つぶれていた。今は——まだガタガタだけど、ちゃんと四角い形が残っている。三角のもあるけど。
「トールくん、そのニンジン三角だよ」
「……四角く切ったつもりだった」
「…………」
「…………」
二人で鍋を見た。三角のニンジンが浮いている。
「まぁ——味は同じだよね」
「……そうだな」
◆リーゼ視点
サラダを作っている。
——初めて。
葉物を洗った。水気を切った。トマトを切った。
包丁は……まぁ、使えた。メルに借りた料理本を三回読んだ。手順は頭に入っている。
問題は——盛り付け。
皿の上に葉物を置いた。トマトを並べた。
……均等に配置した。端から端まで、等間隔に。
「……リーゼ殿。それは、サラダというより……地図ですね」
ミーナが隣で見ていた。
「……地図?」
「トマトの配置が、正確すぎます。まるで測量したみたいに……」
見た。確かに——トマトが一直線に並んでいる。等間隔に。分析魔法の癖だ。
「……問題ある?」
「い、いえ。綺麗です。すごく……整然としています」
ミーナが小さく笑った。——笑顔が、前と違う。目が笑っている。作り笑いじゃない。
「ミーナも手伝って。この葉物、ここに——」
「はい。……あの、少しだけ、崩してもいいですか?」
「……崩す?」
「その……自然な感じに。料理は、少し不揃いなほうが美味しそうに見えると、メル様が」
ミーナの手が、わたしのトマトを少しずらした。
均等じゃなくなった。でも——確かに、美味しそうに見える。
「……なるほど」
◆メル視点
デザートは——完璧でございます。
蜂蜜のプリン。11個。一つの揺らぎもなく、すべて同じ高さ、同じ色、同じ艶。
よしこ様に教わった蜂蜜の配合に、わたくしの独自の改良を加えました。火加減は魔法で精密に制御。温度誤差は0.3度以内。
「メル。プリン?」
リーゼ殿が厨房を覗いた。
「ええ。わたくしですもの。デザートを任されたからには——完璧にいたしますわ」
ふふ。
リーゼ殿が——プリンをじっと見た。
「……全部同じ形。すごい」
「当然ですわ。——あら、リーゼ殿。そのサラダ」
「……ミーナに崩された」
「よろしいではありませんか。お料理は——少しの不揃いが愛嬌ですわ」
わたくしのプリンには不揃いなど一切ありませんが。
——自分の唇が緩んでいることに気づいた。
……ッ。
◆レオン視点
「おい、何すりゃいいんだ」
厨房に立ったはいいけど——やることがない。
パンはガルド。スープはトール。サラダはリーゼとミーナ。デザートはメル。テーブルはティアとドルガ。花はピプ。
俺は——何をすればいいんだ。
「レオン殿」
シオンが隣に立っていた。白い鎧ではなく、私服。灰色の目が——少しだけ困っている。
「……自分も、何をすればいいかわかりません」
「お前もか」
「はい」
二人で厨房の隅に立った。
ガルドとトールが忙しく動いている。鍋の湯気。パンの匂い。
「……水でも汲んでくるか」
「了解しました」
「命令じゃねぇよ」
「……はい」
井戸まで二人で歩いた。桶を担いで戻ってきた。
11人分の水をコップに注いだ。——これくらいは、俺にもできる。
シオンが、コップを一つずつテーブルに置いていく。丁寧に。真っ直ぐに。
「……シオン。お前、几帳面だな」
「教会の訓練です」
「訓練かよ」
「……いえ。たぶん——自分の性格です」
シオンが——少しだけ、口元を緩めた。
◆ドルガ視点
椅子は朝のうちに並べた。
テーブルの準備はティアがやっている。花はピプが飾った。
——俺がやることは、もうない。
食堂の隅で腕を組んで立っていた。210cmの体が壁に影を落としている。
ガルドのパンの匂いがする。毎日焼くようになった。あのでかぶつ——いや。あの坊主は、パンを焼く度に腕を上げている。
トールの鍋が煮えている。野菜の形はまだ三角だが——味はそこそこだ。認めてやってもいい。
リーゼの嬢ちゃんがサラダを作っている。初めてのはずだが、あの分析力で盛り付けやがった。几帳面な皿だ。
メルのプリンは——まぁ、あいつは何でも完璧にやる。腹が立つほど完璧だ。
小僧とシオンが水を運んでいる。不器用な二人がコップを並べている。
「ドルガー!」
ピプが飛んできた。
「なに」
「ドルガも何かやってよー! ボクは花飾ったよー!」
「……椅子は並べた」
「もう終わってるじゃん! 今やることないの?」
「……フン」
腕を組み直した。
——やることがないのは、全員がやっているからだ。
……悪くない。
◆よしこ視点
食堂に入った。
(……なんやこれ)
テーブルにクロスが敷いてある。11脚の椅子がまっすぐ並んでいる。真ん中にコップに入った花。フォークとスプーンが全員分。水が注がれたコップが11個。
厨房から——パンの匂い。スープの匂い。甘い匂い。
「よしこさん! 座ってて!」
ガルドがエプロン姿で食堂に出てきた。手に籠を持っている。中にパンが——11個。
「え、わても何か——」
「いいから座ってて! 今日は僕たちがやるから!」
ガルドに押されて、椅子に座らされた。
トールがスープの鍋を運んできた。湯気が立っている。
「……よしこ殿。スープです。ニンジンが三角ですが……味は問題ないです」
リーゼがサラダを持ってきた。
「……初めて作った。盛り付けはミーナに直された」
「リーゼ殿が並べて、わたしが崩しました」
ミーナが横で小さく頷いた。
メルがプリンを並べた。
「デザートはわたくしが。——完璧でございますわ」
一点の曇りもない自信。
レオンとシオンが水を注いだコップを配っている。
「……俺は水しか汲めなかった」
「水は大事だ。……自分も同意見です」
「お前に同意されてもな……」
ピプがテーブルの花を指さした。
「ボクが飾ったの! 裏山で摘んできたの!」
ティアが最後のスプーンの位置を直していた。
尻尾がパタパタしている。
ドルガが——壁に寄りかかっている。
「椅子は俺が並べた。——座れ」
「…………」
(あかん)
テーブルを見た。
パン。スープ。サラダ。デザート。花。水。椅子。テーブルクロス。フォークとスプーン。
全部——この子たちが用意した。
わては——何もしてへん。
座ってるだけ。
椅子に座って——出されたごはんを待ってるだけ。
「よしこさん、食べてください!」
ガルドがパンを差し出した。焼き色が均一に近づいている。形はまだ歪い。でも——前より、ずっと上手い。
「いただきます(^^)」
パンをちぎった。口に入れた。
香ばしい。塩味がちょうどいい。外はカリッとして、中はふわっとしている。
スープを一口。
野菜の甘みが溶けている。ニンジンが三角だ。でも——美味しい。
サラダを一口。
シャキシャキしている。トマトの酸味が効いている。盛り付けが——少しだけ崩れているのが、逆にいい。
「…………」
みんなが——食べている。
11人で。テーブルを囲んで。
ガルドがパンのおかわりを配っている。トールがスープをよそっている。リーゼがサラダを取り分けている。ミーナが「美味しいです」と言っている。目が笑っている。
レオンが黙ってパンを食べている。3つ目に手を伸ばしている。
シオンがスープを飲んでいる。「……美味しいです」と小さく言った。自分から。
ドルガがパンを——4つ目に手を伸ばした。「腹が減っているだけだ」
メルがプリンを食べている。自分の作ったプリンなのに——無防備な顔をしている。
ピプが椅子の上に立って、トールの肩に手を伸ばしている。「ガルくんの肩より高い!」
ティアがみんなの皿を見ている。足りなくなったらすぐに動けるように。尻尾がパタパタしている。
ヴェルザが——静かにスープを飲んでいる。金色の目が、テーブルの全員を見渡している。
「…………」
「わて……何もしとらんのに、こんなご馳走が出てくるわ(^^)」
声が——震えた。
あかん。またこれや。泣くのは。パンの時もそうやった。
でも——止まらへん。
この子らが。全員が。自分で考えて、自分で作って、自分で運んできた。
誰にも命令されてへん。誰にもやれって言われてへん。
自分で——やったんや。
(保育園でもそうやった)
子どもが自分でお弁当箱を開けられるようになった日。自分で靴を履けるようになった日。自分で「おはよう」を言えるようになった日。
先生は何もしてへん。見てただけ。
見守ってただけで——子どもは、勝手に育つ。
「よしこさん、泣いてますよ」
ガルドの声が聞こえた。
「泣いてへん(^^) ……泣いてへん……ちょっとだけや……」
「魔王が泣いてんじゃねぇよ」
レオンが——ぼそっと言った。でもパンを差し出してきた。
「ほら。食えよ。お前が食うために焼いたんだろ、ガルド」
「う、うん! よしこさん、もう一つどうぞ!」
「ボクのお花も見てー! ボクが摘んできたんだよー!」
「……コップの花、少し傾いている。直しますか?」
「いいのよミーナちゃん。傾いとるのがええの(^^)」
鼻をすすった。エプロンで目を拭いた。——あ、エプロンしてへん。今日は座ってるだけやから。
ティアがそっとハンカチを差し出してくれた。
尻尾がパタパタしている。
「ありがとな、ティアちゃん(^^)」
◆ヴェルザ視点
全員が食べ終わった。
テーブルの上に——空の皿が並んでいる。パンの欠片。スープの残り。サラダのトマトの汁。プリンの皿は全員がきれいに食べ終えていた。メルが満足そうに微笑んでいる。
11人の夕食。
何も起きなかった。
敵も来ない。事件も起きない。誰も傷つかない。
ただ——全員でごはんを食べた。それだけの夕食。
「……魔王様」
声をかけた。
「ん? なに、ヴェルちゃん」
「……ヴェルザでございます。——魔王様。今日は、魔王様は何もなさいませんでしたね」
「せやなぁ(^^) 座ってただけやわ」
魔王様が——笑った。涙の跡が頬に残っている。
「……魔王様がここにいるから、皆が集まるのです」
言った。
言えた。
魔王様の深紅の目が——少しだけ、また潤んだ。
「ヴェルちゃん……」
「ヴェルザでございます」
厨房ではガルドとトールが皿を洗っている。レオンとシオンが水を運んでいる。リーゼとミーナがテーブルを拭いている。メルが残り物を片付けている。ティアが食器棚に皿を戻している。ピプが飛び回りながら「ボクも手伝うー!」と叫んでいる。ドルガが——椅子を壁際に戻している。一脚ずつ。丁寧に。
11人。
300年前にはいなかった。先代魔王の城には——こんな音はなかった。皿が鳴る音。水が跳ねる音。笑い声。誰かを呼ぶ声。
先代は——一人だった。
「……魔王様」
「ん?」
「この城は——賑やかになりましたね」
「せやなぁ(^^) 大家族やわ」
大家族。
魔王城が——大家族。
300年仕えた忠臣として——これ以上の光景はないと、思った。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
第54話「大家族」。Arc5「魔王城の新入園児」のフィナーレです。
何も起きない話を書きました。敵も来ない。事件もない。ただ11人が夕ごはんを食べただけ。でも——「何も起きない」が書けるのは、ここまでの53話があるからです。
よしこが「何もしていない」のは、子どもたちが「全部できるようになった」からです。保育の最終目標は「先生がいなくても大丈夫」になること。よしこは座っていただけ。でもそれは——40年間の保育士人生で学んだ「手を離す勇気」の集大成です。
ガルドのパンが上手くなっている。トールのニンジンはまだ三角。リーゼは盛り付けが几帳面すぎて、ミーナに崩された。メルのプリンは完璧。ドルガは椅子を並べた。ピプは花を飾った。レオンとシオンは水を汲んだ——料理はできないけど、できることをやった。ティアはテーブルを整えた。それぞれの「今」が、一つの食卓に集まった。
次回からArc6「先代魔王の遺言」が始まります。ナハトレーゲン——300年の孤独を生きた先代魔王の物語。ヴェルザが見つめていた「もう一人の主」の真実が、ゆっくりと明かされていきます。
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