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魔王(よしこ62歳)と勇者パーティ  作者: 歩人
Arc4: 聖教会の子どもたち

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第53話: それぞれの居場所

◆ミーナ視点




 リーゼ殿の部屋には、本の匂いがする。




 紙と、インクと、少しだけ埃の匂い。教会の部屋とは全然違う。教会は白檀の香が焚かれていて、いつも同じ匂いだった。「清浄であれ」という匂い。


 ここは——ごちゃごちゃしている。




「……座って」




 リーゼ殿が窓辺の椅子を指した。


 わたしは頷いて座った。リーゼ殿が向かいに座る。テーブルの上に——ティア殿が持ってきてくれたお茶が二杯。




「リーゼ殿、いつもここで本を?」


「……うん。窓から光が入るから」




 短い。リーゼ殿の言葉はいつも短い。


 でも——嫌な感じがしない。教会では「沈黙は怠慢」と教わった。常に報告し、常に応答し、常に微笑む。それが「正しい支援役」の姿だと。




 リーゼ殿は——黙ったまま、お茶を飲んだ。


 わたしも飲んだ。




「…………」


「…………」




 静かだ。




 窓の外から風が入ってくる。ページが一枚、ぱらりとめくれた。




 ……不思議だ。教会だったら、この沈黙に耐えられなかった。何か言わなきゃ、何かしなきゃ、役に立たなきゃ——そう思って、笑顔を作って、「何かお手伝いできることは」と聞いていた。




 ここでは——黙っていても、怒られない。




「……ミーナ」




 リーゼ殿が言った。お茶のカップを両手で包んでいる。




「……あなた、教会では、ずっと笑ってた?」




 ——心臓が跳ねた。




「……はい。笑顔でいなさいと教わりました。泣いてはいけない、怒ってはいけない、常に穏やかでいなさい、と」


「……そう」




 リーゼ殿がお茶を一口飲んだ。




「私は——食べなかった」


「……え?」


「食べないことで、自分を守ってた。お腹が空かなければ、誰かに頼らなくていい。何も欲しがらなければ、何も奪われない。——そう思ってた」




 リーゼ殿が——窓の外を見た。薄い青の目に、光が入る。




「よしこに『食べなさい』って言われた時……泣きそうになった」




 ——わたしも。


 わたしも、「大丈夫?」って聞かれた時、泣きそうになった。




「リーゼ殿も……我慢してたんですね」




 声が——少し震えた。


 「正しい表情」が崩れそうになる。教会で教わった微笑みが——揺れる。




「……うん」




 リーゼ殿が——短く言った。


 それだけ。それだけなのに——胸が痛い。




「わたし……泣いてもいいと言われてから、まだ——うまく泣けません。笑顔が癖になっていて。悲しい時も、辛い時も、顔が勝手に笑ってしまうんです」


「……わかる」


「え?」


「私も。『食べなくても平気』が癖になってた。お腹が空いてるのに、空いてないって思い込んでた」




 リーゼ殿がカップを置いた。




「でも——ガルドのパンを食べた時。あの、不格好なやつ」


「……はい」


「美味しいって——思った。心の底から。お腹が空いてたんだって、やっとわかった」




 リーゼ殿の声が——ほんの少しだけ、柔らかくなった。




「ミーナも……そのうち、泣ける」


「……本当ですか」


「……たぶん。私も、まだ途中だから。でも——ここにいると、少しずつ」




 少しずつ。




 わたしは——カップを持つ手がぶるぶる震えているのに気づいた。


 笑顔が——崩れかけている。目の奥が熱い。




「……あ、いえ。何でもありません。すみません、取り乱して——」


「取り乱してない」




 リーゼ殿が——まっすぐ、わたしを見た。




「泣きたい時に泣きそうになるのは——普通」




 普通。


 わたしの「泣きそう」は——普通。




「…………」




 涙は出なかった。まだ出せなかった。


 でも——目の奥の熱さは、嫌じゃなかった。




 リーゼ殿がお茶を飲んだ。わたしも飲んだ。


 また静かになった。




 窓から風が入ってくる。本のページがぱらりとめくれる。




 教会にはなかった沈黙。


 怒られない沈黙。何もしなくても許される沈黙。




 ——ここが、わたしの居場所に、なるんだろうか。




「……リーゼ殿」


「……ん」


「また——お茶してもいいですか」


「……いつでも」




 短い。でも——温かい。






◆ドルガ視点




 部屋の扉に鍵をかけた。




 念のためもう一度確認した。かかっている。——よし。


 誰にも見られたくない。特に——あの小僧には。




 テーブルの上に、紙と筆と墨壺を並べた。


 一枚の紙を取り出した。レオンが書いた手本だ。




 ——あの小僧、字は下手くそだが、手本だけは丁寧に書きやがる。


 夜中にこっそり練習した。あの小僧と一緒にやるのは——悪くない。だが、一人でもできることを証明したい。




 筆を握った。


 210cmの手に、筆が小さい。指の間から墨が滲む。




 ゆっくり——書いた。




 ド。ル。ガ。




 一画ずつ。レオンの手本を見ながら。筆先が紙に引っかかる。墨が飛ぶ。線がぐにゃぐにゃだ。




 ——もう一度。




 ド。ル。ガ。




 さっきよりはマシだ。少しだけ。右に傾いているが——読める。たぶん。




 手本と見比べた。




 …………似ている。


 似ている——よな?




 筆を置いた。


 新しい紙を出した。今度は手本を見ないで書く。




 ド——




 手が止まった。


 次の一画。横に引くんだったか、縦に下ろすんだったか。




 ……横だ。レオンが「横から書け」と言っていた。あの小僧、偉そうに教えやがって。


 だが——正しかった。横から書くと、字が安定する。




 ド。ル。ガ。




 書けた。


 手本なしで——書けた。




「…………」




 紙を持ち上げた。


 ドルガ。俺の名前。


 ぐにゃぐにゃで、大きさがバラバラで、墨の染みが三箇所ある。




 でも——読める。




「読めるぞ」




 声が出た。思ったより——大きかった。




「読めるぞ……! 俺の名前が……読める!」




 250年。


 250年間——読めなかった。


 部下からの報告書を、いつも誰かに読んでもらっていた。「字が読めない四天王」。恥だと思っていた。強さだけで補ってきた。読めなくても戦える。読めなくても命令はできる。


 でも——部下の名前は、読めなかった。


 報告書の最後に書いてある部下の名前。「第三小隊長より」の、その名前。いつも誰かに「誰からだ」と聞いていた。




 今は——自分の名前だけだが——読める。




 もう少し練習したら、部下の名前も読めるようになる。報告書の最初の一行くらいは——読めるようになるかもしれない。




 そうしたら——返事を書ける。


 「受け取った」と——自分の手で。




「…………」




 紙を——丁寧に折った。


 この紙は取っておく。俺が初めて一人で書いた、俺の名前だ。








「ドルガ、飯——」




 扉が開いた。鍵——かけたはずだ。




「鍵なんざ、蹴りゃ開くだろ」




 レオンが立っていた。腕を組んで、扉の枠に寄りかかって。




「き、貴様……! 勝手に入るな!」


「何やってんだよ、一人で。——あ」




 レオンの緑の目が——テーブルの上の紙を見た。




「…………」




 やめろ。見るな。笑うなよ小僧——




「書いたのか。一人で」


「……フン。見るな」


「見えてんだよ、でかい字だから」




 レオンがテーブルに近づいた。紙を覗き込んだ。




「……ドルガ」


「なんだ」


「読める字じゃねぇか」




 ——。




「お前の字、前は俺でも読めなかったぞ。象が踏んだみたいだった」


「象とはなんだ」


「知らねぇけどよしこが言ってた。——でもこれは、読める」




 レオンが——鼻を鳴らした。




「おっせぇよ。250年もかかって、やっと自分の名前かよ」




 ——この小僧。




「でも——」




 レオンが——目をそらした。壁の方を見ている。耳が赤い。




「——おめでとう」




 …………。




 声が——小さかった。ぼそっと。聞こえるか聞こえないか。




「……フン」




 俺も——目をそらした。




「……当然だ。このドルガ様が、いつまでも字が読めないと思うな」


「思ってたけどな」


「ぶっ殺す!」


「うるせぇ、飯だっつってんだろ! よしこが呼んでる!」




 レオンが背を向けて、廊下に出ていった。




「……フン」




 テーブルの上の紙を見た。


 ドルガ。俺の名前。ぐにゃぐにゃだけど——読める。




 あの小僧にも——読めた。




 紙を折って——懐にしまった。




 ……悪くない。






◆ミーナ視点




 食堂に向かう廊下で——ドルガ殿とすれ違った。


 210cmの巨体が、なぜか——上機嫌に見える。大きな歩幅で、鼻歌のようなものを唸っている。




「ドルガ殿、お食事ですか」


「おう。——嬢ちゃん、お前もか」


「はい」




 ドルガ殿が——わたしの顔を見た。赤い目が、一瞬だけ細くなった。




「……嬢ちゃん。泣いたか?」


「——え」


「目が赤い」




 手で目を触った。——本当だ。少しだけ、腫れている。


 さっきリーゼ殿の部屋で——涙は出なかったはずなのに。いつの間に。




「……いえ、泣いてません。目にゴミが——」


「フン。そうか」




 ドルガ殿が——前を向いた。巨体が廊下を占領している。




「泣きたい時は泣けばいい。——魔王がそう言ってたぞ」


「…………」


「あの方は正しい。俺は250年かかって、やっとわかった」




 ドルガ殿の背中が——大きい。




「……ドルガ殿は、何がわかったんですか」


「……フン。飯だ飯。腹が減った」




 答えになっていない。でも——なんとなく、わかった気がした。




 食堂に入ると——皿が並んでいた。ピプちゃんはトール殿の肩に乗っているから、椅子は11脚。でもお皿は12枚ある。ピプちゃんの分だけ小さい。


 ティア殿が配膳している。ガルド殿がスープを運んでいる。トール殿が——パンを切っている。今日はそこまで三角じゃない。


 リーゼ殿がもう席についていた。お茶の時と同じ、静かな顔で。




 レオン殿がドルガ殿の隣に座った。二人とも腕を組んで、そっぽを向いている。




 よしこ殿が——食堂の入口に立っていた。全員を見渡して——笑った。




「全員おるな(^^) ほな、いただきますしよか」




 11人が——手を合わせた。




「「「いただきます」」」




 声がバラバラだ。大きいの、小さいの、ぼそっとしたの。


 でも——全員の声が聞こえた。




 リーゼ殿が——わたしを見た。


 小さく頷いた。「また明日もお茶しよう」という意味だと——思った。




 わたしは——笑った。


 作り笑いじゃない。たぶん。まだ上手じゃないけれど。




 でも——目の奥が、さっきより温かかった。





最後まで読んでいただきありがとうございました。


第53話「それぞれの居場所」。静かな話を書きました。


ミーナとリーゼは「我慢してきた少女」です。リーゼは「食べない」ことで自分を守り、ミーナは「泣かない」ことで自分を守ってきた。守り方は違うけれど、痛みは同じ。だからこの二人は、大げさな言葉がなくても通じ合える。沈黙が心地よい関係——それが、二人の「居場所」です。


ドルガの「読めるぞ」は、小さなシーンですが、250年越しの一歩です。字が読めなかったこの人が、自分の名前を書けるようになった。レオンの「おっせぇよ」は「ずっと見てたよ」の翻訳で、「おめでとう」は——たぶんこの二人の間で交わされた、初めての素直な言葉です。


居場所は、誰かに与えられるものじゃなくて、「ここにいていいんだ」と自分で思えた時にできるもの。ミーナもドルガも、まだ途中です。でも——少しずつ。


次回、第54話「大家族」。Arc5最終話です。何でもない夕食の風景を書きます。


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