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魔王(よしこ62歳)と勇者パーティ  作者: 歩人
Arc4: 聖教会の子どもたち

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第50話: ガルドのパン

◆ガルド視点




 朝が来る前に、起きた。




 窓の外はまだ暗い。石壁の隙間から冷たい空気が入ってくる。シオンくんたちが魔王城に来てから、もう二週間になる。


 隣のベッドでトールくんが寝ている。寝息が規則正しい。盾を構えるみたいに毛布を抱えている。




 起こさないように——そっと、部屋を出た。




 厨房。


 暗い。冷たい。誰もいない。




 かまどに火を入れた。


 よしこさんに教わった手順。薪を組んで、火打ち石を打って、息を吹きかける。




 ぼんやりと火が灯った。厨房が橙色に染まる。




 ——今日は、一人でやる。




 小麦粉を量った。水を足した。塩を入れた。


 よしこさんのレシピを思い出す。何回も一緒に作った。よしこさんの横で、よしこさんの手の動きを見て、同じようにやって——「上手やん(^^)」って言ってもらって。




 でも今日は、横にいない。




 一人で——パンを焼く。




 生地をこねた。


 手が大きいから、生地がはみ出る。粉が飛ぶ。台が白くなる。


 力加減がわからなかった頃のことを思い出す。最初は生地を潰した。二回目は硬くなった。三回目でやっと「こね」ができるようになった。


 よしこさんが言っていた。「パンはな、赤ちゃんの頬っぺたみたいになったら完成やで(^^)」




 赤ちゃんの頬っぺた。




 触ったことはないけど——たぶん、こういう感じだと思う。指で押すと跳ね返る。柔らかくて、温かくて。




 生地を丸めた。




 ——下手だ。




 丸くない。楕円でもない。なんだろう、この形。右側がつぶれて、左側が尖っている。




 もう一つ丸めた。今度は——もっと歪い。




 三つ目。四つ目。五つ目。


 全部、形が違う。一つとして同じものがない。




 よしこさんが丸めると、全部同じ大きさで、全部まんまるになる。


 僕のは——でこぼこで、大きさもバラバラで、なんだか——不恰好だ。




 かまどに入れた。


 火加減を見る。よしこさんは「かまどの声を聴くんやで(^^)」と言っていた。意味がわからなかったけど——最近、少しだけわかる。パチパチという音。熱の匂い。石の色。




 待つ。




 待っている間、何もすることがない。


 いつもはトールくんが隣にいる。一緒に野菜を切ったり、皿を並べたり。でも今日は——起こさなかった。




 一人で焼きたかった。




 理由は——うまく言えない。


 ただ、一人でやってみたかった。




 ——匂いがした。




 香ばしい。小麦粉と、塩と、火の匂い。


 窓から入る冷たい空気と混ざって——厨房に広がる。




 心臓が跳ねた。




 かまどを開けた。




 ——焼けている。




 不格好なパンが、五つ。


 形はめちゃくちゃだ。左右対称なものは一つもない。焼き色もムラがある。一番端のやつは少し焦げている。




 でも——いい匂いがする。




 手で触った。熱い。表面がカリッとしている。


 割った。中から湯気が出た。ふわっと——香ばしい匂い。




 一口食べた。




 ——美味しい。




 しょっぱくない。硬くない。ちゃんと——パンの味がする。




 ……えへへ。






◆トール視点




 ——匂いで目が覚めた。




 パンの匂い。香ばしくて、温かくて、少し焦げた匂い。


 よしこ殿の作るパンに似ている。でも——少し違う。もっと——荒い。




 隣のベッドが空だった。




 厨房に行った。




 ガルドがいた。190cm。エプロン。手が粉だらけ。


 まな板の上に——パンが並んでいる。五つ。




「……ガルド」


「あ、トールくん! 起こしちゃった?」


「匂いで起きた。——これは」


「えへへ。……焼いたの。一人で」




 一人で。




 パンを見た。




 形は——めちゃくちゃだ。一つは潰れている。一つは尖っている。焼き色がバラバラで、一番端のは黒い。


 教会の食事で出されるパンとは全然違う。教会のパンは四角くて、全部同じ形で、全部同じ色で——味がしなかった。




 ガルドのパンは——どれも違う。




「……食べていいか」


「うん! どうぞ!」




 一つ手に取った。温かい。重い。


 割った。湯気が出た。




 口に入れた。




 ——うまい。




 噛むと、塩の味がする。小麦粉の甘さがある。焦げたところは少し苦い。でもその苦さが——いい。




「…………」




 ガルドのパンを見た。


 五つ。全部形が違う。全部歪い。全部不格好。




 でも——全部、ガルドの手の形をしている。




「……きれいだ」




「え?」




 ガルドが目を丸くした。




「き、きれいって……形めちゃくちゃだよ?」


「きれいだ」




 繰り返した。




 きれいだ。


 盾で敵を押し返すことしか知らなかった俺には——わかる。


 壊すことしかできなかった手で——何かを作るのは、きれいだ。


 形なんか関係ない。歪くても、焦げていても——この手で作ったものは、きれいだ。




「…………」




 ガルドの目が——潤んだ。




「ト、トールくん……」


「うまい。——もう一つ食べていいか」


「うん……うん、食べて! いっぱいあるから!」




 五つしかないが——「いっぱいある」と言い切った。ガルドらしい。






◆ガルド視点




 朝ごはんの時間。


 食堂に——全員が来た。




 テーブルの真ん中に、僕のパンを置いた。


 五つ。不格好なパン。皿の上で——ちょっと傾いている。丸くないから、安定しない。




「これ何!? パン?」


「ボクも食べるー!」




 ピプちゃんが椅子の上に立った。オレンジの目がきらきらしている。羽根がぱたぱた動いている。




「ガルドが焼いたの!? 一人で!?」


「え、えへへ……うん。一人で……」


「すげぇじゃん」




 レオンが——ぼそっと言った。


 手を伸ばして、パンを一つ取った。乱暴にちぎった。口に入れた。




「…………」




 噛んでいる。黙って。




「……悪くねぇ」




 レオンの「悪くねぇ」は——「美味い」だ。もうわかる。




「……香ばしい。塩加減がいい」




 リーゼさんが小さな声で言った。パンを小さくちぎって、一口ずつ食べている。薄い青の目が——少しだけ光っている。




「形はあれだけど。——味は、よしこのより好き」


「え、えぇっ!? よしこさんよりって——」


「うん。荒い感じが……いい」




 リーゼさんに褒められた。




 えへへ。




「フン」




 ドルガさんが——パンを手に取った。210cmの手に、パンが小さい。


 一口で半分食べた。




「…………」


「ド、ドルガさん?」




 もう半分も食べた。




「……フン。悪くない」




 そして——二つ目に手を伸ばした。




「あ、あの……みんなの分が——」


「二つ目だ」


「は、はい」




 二つ目も——一口で半分消えた。残り半分も消えた。




「…………」




 三つ目に手を伸ばした。




「……3つ目をもらう」




「ド、ドルガさん!? もう残り2つしか——」


「3つ目だ。文句あるか」


「お前飲みすぎ——食いすぎだろ!」




 レオンが叫んだ。




「うるせぇ小僧。腹が減っていただけだ。——フン」




 3つ目が消えた。




「ドルガー! ボクの分がないー!」


「知るか。弱い奴が悪い」


「弱くないもん! ボク四天王だもん!」




 ピプちゃんが羽根をばたばたさせている。




「ピプちゃん、僕のを半分あげるよ」


「ガルくんやさしい!」




 残ったパンを半分にちぎった。ピプちゃんに渡した。小さな手で受け取って——ぱくっと食べた。




「おいしー! ガルくんのパンおいしー!」




 羽根がぱたぱた。尻尾がゆらゆら。




「…………」




 みんなが——食べている。僕のパンを。




 不格好で、形がバラバラで、焼き色がムラだらけの——僕のパンを。




 美味しいって言ってくれている。




 胸が——熱い。








 食堂の片隅。


 よしこさんが——じっと見ていた。




 みんながパンを食べている間、よしこさんは自分のパンに手をつけていなかった。




「よ、よしこさん? 食べないんですか?」


「……ん? ああ、食べるで(^^)」




 よしこさんがパンをちぎった。——手が、少し震えていた。




「よしこさん?」




 口に入れた。




 噛んだ。




 ——深紅の目が、細くなった。




「…………」




 よしこさんが——黙った。




 いつもはすぐに「美味しいやん(^^)」って言うのに。今日は——黙っている。




「よ、よしこさん……口に合いませんでしたか……?」




 怖い。


 よしこさんに「美味しくない」って言われたら——たぶん、僕は泣く。




「…………美味しいわ」




 声が——小さかった。


 よしこさんの声が、こんなに小さいのは初めて聞いた。




「ガルくん」




 よしこさんが——僕を見た。深紅の目が——潤んでいる。




「え」




「あんた、これ……一人で焼いたん?」


「は、はい。朝、みんなが起きる前に——」


「一人で」


「一人で……」




 よしこさんの目から——涙がこぼれた。




「よ、よしこさん!?」


「あかん……あかん、ちょっと待って(^^)」




 エプロンで目を拭いた。でも涙が止まらない。次から次へとこぼれてくる。




「なんでこんなん……あかんなぁ……えらいなぁ……」




「よ、よしこさん、僕なにか——」


「ちゃうねん(^^) ちゃうの。嬉しいの。嬉しくて泣いてんの」




 嬉しくて——泣く。




「あんたが……一人で焼けるようになったんやと思ったら……あかん、涙止まらんわ……」




 よしこさんが——泣いている。


 魔王が。この城で一番強い人が。パンを食べて、泣いている。




「園長やってた時もな……卒園式で毎回泣いてたんよ(^^) 子どもが一人で何かできるようになった時が……一番嬉しいんよ(^^)」




 卒園式。


 よしこさんの前の世界の言葉。僕にはよくわからない。でも——「子どもが一人でできるようになった時が嬉しい」は、わかる。




 僕が——一人でパンを焼けるようになったことが、嬉しいんだ。




 胸が——もっと熱くなった。




「よしこさん」




 声が出た。自分でも驚くほど——はっきりした声。




「僕……パン屋、やりたいです」




 よしこさんの涙が——止まった。


 深紅の目が、まっすぐ僕を見た。




「この世界のどこかで。僕のパンを……もっとたくさんの人に食べてもらいたいです」




 ずっと——言えなかった。


 勇者パーティの戦士として選ばれた僕が、「パン屋やりたい」なんて。そんなの——「使えない」って言われるのと同じだと思っていた。


 でも——今なら言える。




「戦えなくても。剣が持てなくても。僕には——パンが焼ける」




 声が震えた。でも——止めなかった。




「よしこさんに教わったこと。トールくんと一緒に作ったこと。ドルガさんが『悪くない』って食べてくれたこと。全部——全部、僕の中にあります」




 よしこさんが——また泣いた。


 でも今度は——笑っている。泣きながら、笑っている。




「ええやん(^^)」




「……え」




「ええやん(^^) パン屋。最高やん(^^)」




 よしこさんが僕の手を取った。粉だらけの、大きな手を。




「えらいな、ガルくん。自分で見つけたんやな(^^)」




 ——あぁ。




 泣いた。


 僕も泣いた。


 190cmが、食堂の真ん中で、泣いた。




「す、すみません……泣いて……」


「泣いてええの(^^) 泣くんは、心が動いてる証拠やで(^^)」




 よしこさんの手が——温かい。粉だらけの僕の手を、ぎゅっと握ってくれている。




「……パン屋か」




 トールくんの声が聞こえた。振り向くと——トールくんが、茶色い目で、僕を見ていた。




「……ガルド。俺も——手伝っていいか」


「トールくん……」


「俺の切った野菜は三角だ。でも——パンの生地なら、形がなくても焼ける」




 トールくんが——笑った。口元だけ。ほんの少し。


 でも——今日のは、いつもより大きかった。




「ハッ! パン屋だと?」




 ドルガさんが腕を組んだ。




「戦士がパン屋とは——笑わせる」




 立ち上がった。210cmの影が食堂を覆った。




「——毎朝届けろ。焼きたてをだ。それが条件だァ」




 条件。


 届けろ。つまり——応援してくれている。




「ド、ドルガさん……!」


「感謝するな! フン! 腹が減るだけだ!」




 背を向けた。耳が赤い。




「……ガルド」




 レオンが——壁に寄りかかったまま、腕を組んでいた。




「お前、戦士辞めんのか」


「……うん。ごめん、レオン」


「謝んなよ」




 レオンが——鼻を鳴らした。でも目は笑っていた。




「お前のパン、悪くなかった。——もっと焼けるようになったら、教えろ」


「……うん。うん!」




「ガルくんパン屋さんー! ボクお客さん第一号ー!」




 ピプちゃんが飛び回っている。羽根がぱたぱた。天井にぶつかりそうになっている。




 みんなが——笑っている。


 僕のパンの匂いが漂う食堂で。不格好なパンの欠片がテーブルに散らばっている食堂で。




 泣きながら——笑った。




 パン屋。僕の夢。


 初めて——自分で見つけた、僕だけの夢。





最後まで読んでいただきありがとうございました。


第50話「ガルドのパン」。この物語で初めて、子どもが「自分の夢」を口にした話です。


ガルドは「体が大きいから」という理由だけで戦士にされました。自分で選んだわけじゃない。戦いたかったわけじゃない。でもパンは——自分で選んだ。誰にも言われていないのに、朝早く起きて、一人で焼いた。


よしこが泣いたのは「パンが美味しかったから」ではありません。「子どもが自分で何かを見つけた」から泣いた。保育士にとって一番嬉しい瞬間は、子どもが自分の足で歩き出す時です。手を離す怖さと、手を離せる嬉しさ。よしこの涙には、40年分の「卒園式の涙」が全部入っています。


トールの「きれいだ」は、壊すしかできなかった手で作ったものへの、最高の賛辞です。形がめちゃくちゃでも、きれいなものはきれいなんです。


ドルガの「3つ目をもらう」は「応援してるぞ」の翻訳です。「毎朝届けろ」は「お前のパンが好きだ」の翻訳です。この人は一生こうです。


不格好なパンが5つ。でも全部、ガルドの手の形をしている。自分の手で作ったものは、どんな形でも美しい——そういう話を書きたかった。


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