第37話: 裏切り者
◆レオン視点
朝だ。
目が覚めた。いつもの部屋。いつもの寝台。
——なのに、胸がざわつく。
昨日、あの3人が来た。白い鎧のガキども。教会が送り込んだ「第二勇者パーティ」。
裏切り者。
あいつらはそう言った。聖教会の報告では、俺は「任務を放棄し、魔王側についた裏切り者」だそうだ。
……裏切り者、か。
食堂に向かった。
廊下にパンの匂いが漂ってる。ガルドが朝から焼いてるんだろう。あいつ、最近パン作りにハマってて、朝5時から生地をこねてる。
5時だぞ。何が楽しいんだ。
食堂の扉を開けた。
——いつもの景色とは、少しだけ違った。
いつもの席にリーゼがいる。パンをちぎって、バターを塗っている。いつも通り。
ガルドが厨房からスープの鍋を運んできた。いつも通り。
よしこがテーブルを拭いている。いつも通り。
そして——テーブルの端に、白い鎧の3人が座っていた。
シオンが背筋を伸ばして直立するように座っている。スプーンを持っていない。皿の前で微動だにしない。
トールは——もう食べてる。皿が半分空だ。朝からすげぇ食欲。
ミーナは小さく頭を下げて、静かにスープを飲んでいた。笑顔のまま。目が笑ってない笑顔のまま。
「おはよう、レオンくん(^^) 早いなぁ。席座り」
よしこが声をかけてきた。
いつも通りだ。何もかもいつも通りだ。
白い鎧が3人増えただけで——魔王城の朝は変わらない。
席に着いた。
ガルドが目の前にスープを置いてくれた。
「あ、あの……今日はかぼちゃのスープです。レオン、かぼちゃ好きでしたよね」
「……べつに。嫌いじゃねぇだけだ」
「……えへへ」
スプーンを持った。
——持っただけだ。口に運ばない。
なんでだ。腹は減ってる。いつもなら3分で空にする。
なのにスプーンが重い。
向かいの席でシオンが俺を見ている。
灰色の目。何も映してない。報告書を読むみたいに、俺の顔を見ている。
「……先代勇者殿」
来た。
「自分は改めて確認したい。——あなたは任務を放棄したのですか」
食堂が一瞬、静かになった。
ガルドのスプーンが止まる。リーゼが目を上げる。
「…………」
放棄。
任務を、放棄した。
そう言われると——否定できない。
俺は勇者だ。勇者として聖剣に選ばれた。魔王を倒すために送り出された。
それなのに今、魔王城で飯を食って、パン焼いてるガルドの横で暮らしてる。
リーゼと一緒に図書室で本を読んでる。あのおばちゃんに「廊下は走らない」って怒られてる。
任務を——放棄、している。
「……そうだよ」
声が出た。自分でも驚いた。
「そうだ。俺は——魔王を倒してない。倒すつもりもない。あんたらから見たら裏切り者だろ」
スプーンを置いた。
かぼちゃのスープの湯気が立っている。食べたいのに、喉が詰まって飲み込めない。
シオンが一拍、間を置いた。
「理由を聞いてもよろしいですか」
「…………」
「教会の記録では、あなたには聖剣が反応した。勇者としての資質がある。正規訓練は受けていないが、実戦での戦闘力は認められている。——なぜ、任務を遂行しなかったのですか」
——なぜ。
なぜって聞かれると、困る。
理由なんか——。
「あのおばちゃんのシチューが美味かったからだよ」
リーゼが横で小さく吹いた。
「……ちげぇ。そうじゃねぇけど——そうでもある」
シオンの灰色の目が微かに動いた。理解できないものを見る目。
「レオンくん(^^)」
よしこがスープのおかわりを持ってきた。
「食べな。冷めるよ(^^)」
「……食欲ねぇんだよ」
「あらぁ。体調悪い? 熱ある?(^^)」
額に手を伸ばそうとする。
「ねぇよ! 触んな!」
反射的に身を引いた。——17歳の反応としては正しい。
でもよしこは引かない。
「食欲ないのは心が重いからやな(^^) そういう時でも一口は食べとき。体が動かんくなるよ」
……わかってんだよ。そんなこと。
スプーンを持ち直した。一口だけ飲んだ。
かぼちゃの甘さが舌に広がる。——くそ。美味い。
でも二口目は飲めなかった。
裏切り者。
先代勇者。
任務放棄。
全部——全部事実だ。
◆シオン視点
先代勇者が食事を残した。
注目すべき情報だ。昨日の夕食では完食していた。体調の問題ではない。——自分の質問が原因と推測される。
自分は「なぜ任務を遂行しなかったのか」と聞いた。
先代勇者は「シチューが美味かったから」と答えた。
冗談だと判断した。だが直後に「そうでもある」と修正した。
理解できない。
食事の味と任務遂行の間に、論理的な因果関係はない。美味しい食事を提供されたとしても、それは任務を放棄する理由にならない。教会の教えでは「いかなる誘惑にも屈するな」と——。
「シオンくん(^^) 食べてへんやん。スープ冷めてまうよ」
魔王が自分の前にしゃがんだ。また。
この行動パターンは興味深い。魔王ヴォルグラーナは常に対話する相手の目線まで身を下げる。戦術的な意図が読めない。
教会では「魔王は高圧的で残虐」と教わった。この個体は——適合しない。
「……自分は食事中に思考を整理していました」
「思考の整理は食べてからでもできるよ(^^) ほれ、パンも食べ」
パンを差し出された。焼きたてだ。表面が茶色く、湯気が出ている。
昨日の大柄な少年——ガルドが焼いたものらしい。
受け取った。
一口、噛んだ。
外はかりっとしていて、中はふわふわしている。
小麦の甘さが広がる。バターの香り。塩味が微かにある。
「…………」
おいしい——という感覚が、また来た。
昨日のシチューの時と同じだ。胸の奥に、名前のつかない反応がある。
教会のパンは硬かった。保存性を重視した製法で、味は考慮されていなかった。栄養を摂取するための手段。
このパンは——違う。
「ガルくん(^^) シオンくんもパン気に入ったみたいやで」
「え、えぇ!? ほ、本当ですか!? あ、あの、もう一個焼きましょうか……!」
大柄な少年が——顔を赤くして厨房に走っていった。
理解できない。
敵の隊長にパンを気に入られたことを、なぜ喜ぶのか。
トールがパンを4つ目に手を伸ばしている。
ミーナがパンをちぎって、スープに浸している。——昨日、銀髪の少女に教わった食べ方だ。
全員が食べている。
敵も味方もなく、同じ食堂で、同じパンを食べている。
これは——何だ。
「先代勇者殿」
レオンが顔を上げた。目が暗い。自分の言葉が彼を動揺させたことは認識している。
だが確認しなければならない。
「もう一つ聞いてもよろしいですか」
「…………」
「あなたは——なぜ、命令なしで動けるのですか」
レオンの目が揺れた。
「自分は教会の命令で動いています。魔王討伐。先代勇者の身柄確保。全て命令です。自分の判断で行動を変更することはありません」
それが正しい在り方のはずだ。教会に育てられ、任務を与えられ、遂行する。それだけだ。
「でもあなたは違う。誰の命令も受けていない。教会に逆らっている。——なのに迷わない。なぜですか」
レオンが黙った。
長い沈黙だった。
かぼちゃのスープの湯気が、ゆっくりと消えていった。
リーゼが横を向いた。「……私も聞きたい」という顔をしていた。
「……知るかよ」
先代勇者が、吐き捨てるように言った。
「気づいたらこうなってた。命令で来た。魔王を倒すつもりだった。でもあのおばちゃんが飯を出して、布団で寝かせて、『おはよう』って言って——」
声が詰まった。
「——気づいたら、ここが居場所になってた。選んだつもりはねぇ。でも、振り返ったら——俺は自分で選んでた」
自分で選ぶ。
自分で。
「……その概念は、自分には理解できません」
「だろうな」
レオンがスプーンを持った。
残していたスープを——一口、飲んだ。
「……でもお前、さっきパン美味そうに食ってたろ」
「……食味の分析です」
「誰に命令された?」
「…………」
命令されていない。
パンを食べたのは、自分の——。
「……命令では、ありません」
「な。もうやってんだよ。お前も」
先代勇者が不敵に笑った。パンをちぎって、スープに浸して、口に入れた。
先ほどまで残していた食事を——食べている。
動揺が消えたわけではないのだろう。だが、食べている。
「レオンくん、全部食べや(^^) 残したらガルくん泣くで」
「うるせぇ! 食ってるだろ!」
「よう食べた、えらいえらい(^^)」
「ガキ扱いすんな!」
魔王がレオンの頭に手を伸ばした。レオンが身をよじって逃げた。だが——耳が赤い。
自分は観察している。
理解はできていない。
だが——パンがまだ一口残っていた。
食べた。
命令ではなく。
◆レオン視点
食事が終わった。
結局、全部食べた。残すつもりだったのに。
よしこが「えらいえらい」って言ったのが——くそ。あの反応はずるい。
シオンの質問が頭に残ってる。
「なぜ命令なしで動けるのですか」。
——そんなの、俺だってわからない。
食堂を出ようとしたら、ガルドが小走りで追いかけてきた。
「レ、レオン。あの……シオン殿に、パンを……」
「なんだよ」
「朝のパン、あの人……全部食べてくれたんです。教会の人なのに。あの……嬉しくて……」
ガルドの目が潤んでる。こいつはすぐ泣く。
「……お前が焼いたパンは美味いんだから、そりゃ食うだろ」
「え……レ、レオンが褒めてくれた……!」
「褒めてねぇ! 事実を言っただけだ!」
ガルドが「えへへ」と笑った。
——こいつも、最初はまともに笑えなかったのにな。
廊下の窓から中庭が見えた。花壇のマリーゴールドが朝日に照らされてる。
あの花壇は、よしこが「殺風景やなぁ」と言って植えたやつだ。
魔王城に花壇。
勇者がパンを焼いて、魔王が「えらいえらい」って褒める。
——裏切り者、か。
裏切ったのかもしれない。勇者としての任務を、教会の期待を、世界がくれた「肩書き」を。
でも——。
食堂の中から、トールの「5杯目いいですか!」という声が聞こえた。
ガルドが「ぼ、僕の記録が……!」と叫んでる。
よしこが「食べ盛りやなぁ(^^)」と笑ってる。
ミーナが——笑顔のまま、小さく「……おかわり、ください」と言ってる声がした。
リーゼの「……私も」という声も。
シオンの声は聞こえない。
でもたぶん、あいつも——食べてる。
命令じゃなく。
俺は振り返らなかった。
窓のマリーゴールドを見て——小さく、笑った。
「……裏切り者で、いいよ」
誰にも聞こえない声で、そう言った。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
第37話「裏切り者」。レオンが初めて「裏切り者」という言葉と正面から向き合った話でした。
シオンの質問は純粋です。本当にわからないから聞いている。「なぜ命令なしで動けるのですか」。教会で「命令に従え」としか教わらなかった少年にとって、レオンの自由さは異星人のようなものです。
レオンの答え「知るかよ。気づいたらこうなってた」は、不器用だけど正直です。選んだつもりはなかった。でもシチューを飲んで、布団で寝て、「おはよう」と言われて——気づいたら居場所になっていた。意志で選ぶ前に、体が先に選んでいた。
そしてシオンも同じ道を歩き始めています。パンを食べた。命令ではなく。レオンに指摘されて、初めて気づく。「もうやってんだよ。お前も」。
レオンが朝食を残しかけて、結局全部食べるシーン。動揺は消えていない。でも食べた。ガルドのパンだから。よしこの「えらいえらい」があるから。食べることは「ここにいる」ということだから。
次話「ヴェルザの選択」では、300年の四天王筆頭が、魔王の意志と魔族の利益の間で揺れます。メルとのお茶が——いいです。
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