第38話: ヴェルザの選択
◆ヴェルザ視点
夜が更けた。
城は静かだ。
勇者たちも新勇者たちも、それぞれの部屋で眠っている。ティアが布団の数を揃え、ガルドが夜食のスープを温め直し、よしこが全員の部屋を一つずつ覗いて「おやすみ(^^)」と言って回った。
——保育園の消灯確認と同じだ。
私は執務室にいた。ランプの灯が書類の上に影を落としている。
読んでいるのは報告書ではなく、聖教会の動向をまとめたメルの情報だった。
「第二勇者パーティ。正式な討伐令。教会公認の装備。——本気だ」
先代勇者レオンの時とは違う。あの少年は使い捨ての駒だった。装備もろくになく、補給もなく、死んでも構わない兵隊。
今回は違う。正規訓練、最高級の装備、帰還の見込みを前提とした編成。
聖教会は——レオンが生きていると知って、焦った。
魔王側についた勇者。それは教会の権威を根底から揺るがす事実だ。
だから次は失敗できない。
だから「完璧な勇者」を送り込んだ。
扉が鳴った。
「失礼いたしますわ」
◆メル視点
ヴェルザの執務室。
いつもの場所。いつもの時間。
わたくしは椅子に腰かけ、足を組んだ。ヴェルザは机の向こうに座ったまま、金色の目でこちらを見ている。
「——報告の追加がございますわ」
「聞こう」
「聖教会は第三の手を打つ用意があります。シオンたちが失敗した場合——今度は枢機卿クラスが直接動く可能性がございます」
「……枢機卿か」
「ええ。つまり、シオンたちもまた『使い捨て』でございます。レオンと同じ。成功しても失敗しても、教会の手は汚れない」
ヴェルザが目を閉じた。
この男の考えていることは、わたくしにはよくわかる。
300年仕えてきた忠臣。先代魔王の時代から、ただひたすら「魔王の盾」であり続けた男。
だが今、その忠誠は——複雑な形をしている。
「ヴェルザ殿」
「……なんだ」
「利で考えれば、新勇者は排除すべきです」
沈黙が落ちた。
ランプの炎が揺れている。
「聖教会の目的は明白。魔王の排除。——あるいは、魔王の取り込みに失敗したレオンの回収。いずれにせよ、シオンたちを生かして帰せば、城の内情が教会に筒抜けになります」
「……わかっている」
「レオンを含む先代勇者パーティの存在、四天王の戦力配置、城の防衛体制。加えて——魔王様のお人柄」
最後の一語に、ヴェルザの眉がかすかに動いた。
「魔王様のお人柄が知られることは、わたくしたちにとって最大のリスクですわ。敵にしゃがんで目線を合わせる魔王。ごはんを出す魔王。おやすみを言って回る魔王。——人間の教会がこれを知れば、『弱い魔王』と見なし、攻勢に出るでしょう」
「…………」
「合理的に考えれば。新勇者を拘束し、記憶を消し、教会には『全滅した』と報告する。それが魔族の利益を最大化する判断です」
わたくしは言い切った。
冷たい言葉だ。自分でもそう思う。
だが——わたくしの役割はこれだ。策士として、最悪の選択肢を提示する。合理の刃を差し出す。
それを握るか、置くかは——この男が決める。
「……メル」
「はい」
「お前の言うことは、正しい」
ヴェルザが目を開けた。金色の瞳がランプの光を映している。
「合理的に考えれば、そうだ。魔族の存亡がかかっている。300年、私はそのために戦ってきた」
静かな声だった。
「だが——」
扉が開いた。
◆ヴェルザ視点
「ヴェルちゃん、まだ起きとるん?(^^)」
——魔王様。
よしこが、盆を持って立っていた。
湯気が立っている。茶だ。薬草茶。
「ついでにメルちゃんもおるやん。二人分持ってきてよかったわ(^^)」
「……魔王様。もうお休みになられたのでは」
「トイレに起きたら、ヴェルちゃんの部屋の灯りがついとったからな。夜更かしはあかんで(^^)」
——トイレ。
魔王が夜中にトイレに起きる。その帰りに臣下の部屋を覗く。
先代魔王には、ありえない行動だった。
よしこが盆をテーブルに置いた。
茶器が二つ。小さな皿に、蜂蜜飴が三つ。
「メルちゃんには飴ちゃんな(^^)」
「あら。……いただきますわ」
メルの目が一瞬、柔らかくなった。
——この策士が、甘いものの前では無防備になる。何度見ても信じがたい光景だ。
「ヴェルちゃん、お茶飲み(^^) こないだと同じ薬草茶。覚えとる?」
覚えている。
あの日も——よしこは盆を持ってきた。
私が夜遅くまで書類仕事をしていて。城は静かで。よしこが「ヴェルちゃん、肩凝るで(^^)」と言って茶を淹れてくれた。
何でもない夜だった。
特別な会話もなかった。よしこは黙って茶を飲み、私も黙って飲み、しばらくして「ほな、おやすみ(^^)」と帰っていった。
——それだけだった。
なのに、あの夜のことを覚えている。
茶の温度。湯気の匂い。よしこが椅子に座った時の、微かな衣擦れの音。
「座りぃや、ヴェルちゃん(^^) ほら、固まっとる」
「……かしこまりました」
椅子に座った。
茶を手に取った。両手で包む。温かい。
一口。
苦い。だが、後味に甘みがある。この世界の薬草——ミュラの葉だ。よしこが「裏山」で摘んできたもの。
「ええ味やろ(^^) ティアちゃんに教えてもろた淹れ方やねん」
よしこがもう一つの茶器を持ち上げて、ふーふーと息を吹きかけた。
魔王が茶を冷ましている。
300年の忠誠が、こんな光景を見ることになるとは。
「……魔王様」
「ん?(^^)」
聞くべきことがあった。
メルの前で。今、この場で。
「新勇者の処遇について——お考えをお聞かせ願えますか」
よしこが茶器を下ろした。
「処遇って何の話?(^^)」
「シオンたちを——今後どうなさるか、です。帰すのか。留め置くのか。……あるいは——」
「あるいは?」
よしこの目が、一瞬だけ——赤く光った。
本人は気づいていない。感情が魔力に触れただけだ。
「……いえ。失言でした」
「ヴェルちゃん」
よしこが茶器をテーブルに置いた。
「あの子ら、ちゃんとごはん食べて、ちゃんと寝て、それから考えたらええやん(^^)」
「……しかし、聖教会は——」
「聖教会がどうとか、魔族がどうとか、わてにはようわからん(^^) でもな」
よしこが微笑んだ。
「あの子ら、シチューおかわりしたやろ(^^) おかわりする子は大丈夫や」
——そうだ。
この方は、いつもこうだ。
合理的な計算ではない。
魔族の利益でもない。
目の前の子どもが、ごはんを食べたかどうか。
それだけが、この魔王の判断基準だ。
「ほな、わて寝るわ(^^) お茶飲んだら二人も寝ぇや。夜更かしはお肌に悪いで」
よしこが立ち上がった。
扉の前で振り返った。
「おやすみ(^^)」
——扉が閉じた。
薬草茶の香りだけが残った。
◆メル視点
魔王が去った後。
執務室に二人が残った。
わたくしは蜂蜜飴を口に含んだ。甘い。腹立たしいほど甘い。
「……ヴェルザ殿」
「……」
「答えは、もう出ているのでしょう?」
ヴェルザが茶器を両手で包んだまま、静かにこちらを見た。
「私は——魔王の意志に従う」
「それは魔族の利益に反する可能性がございますわ」
「わかっている」
「シオンたちを生かして帰せば、聖教会は次の手を打つ。戦力を増強し、魔王城に軍を送り込むかもしれない。あなたの300年が——水泡に帰すかもしれない」
「わかっている」
ヴェルザの声は揺れなかった。
「だが——先代魔王に300年仕えてきて、わかったことがある」
金色の目が、ランプの灯を映して輝いた。
「恐怖と力で支配する300年は——何も残さなかった。城は空虚だった。兵は怯え、四天王は互いを警戒し、誰も『おやすみ』とは言わなかった」
「…………」
「今の城は違う。廊下を子どもが走り回る。厨房からパンの匂いがする。侍女の尻尾がパタパタ揺れる。——くだらないと思うか?」
わたくしは答えなかった。
「くだらない。300年前の私なら、そう言っただろう。だが——今の魔王城を失いたくないと思う自分がいる。それが、300年の結論だ」
ヴェルザが茶を一口飲んだ。
「魔族の利益を最大化すること。それはお前の仕事だ、メル。お前は正しい」
「…………」
「だが、私の仕事は——この方の意志に従い、この方が守りたいものを守ることだ。たとえそれが合理的でなくとも」
わたくしは蜂蜜飴を噛み砕いた。甘い。甘すぎる。
「……あなたは甘い」
言ってやった。
知略担当としての、精一杯の抗議。
「ええ」
ヴェルザが——微かに、笑った。
この男が笑うところを、わたくしは数えるほどしか見たことがない。
「——このお茶のように」
茶器を傾けた。最後の一口を飲み干した。
「…………」
わたくしは立ち上がった。
蜂蜜飴をもう一つ手に取った。——取ってしまった。よしこの飴は、一つでやめられない。
「……ヴェルザ殿」
「なんだ」
「わたくしは策士でございます。合理と利を追う者です。あなたの判断に賛同したわけではございませんわ」
「わかっている」
「——ですが」
扉に手をかけた。
「あの方の焼き菓子を楽しみにしているのは、わたくしも同じです」
背を向けたまま言った。
振り返らなかった。振り返ったら、顔に出る。
「……おやすみ、メル」
「おやすみなさいませ、ヴェルザ殿」
扉を閉じた。
廊下は暗い。
蜂蜜飴が口の中で溶けていく。
「……甘いのは、あなたではなくこの飴ですわ」
誰にも聞こえない声で、そう言った。
◆ヴェルザ視点
一人になった。
茶器を見下ろす。空になった器の底に、薬草の葉が一枚、残っている。
300年。
先代魔王に仕えた歳月。恐怖と力の時代。あの頃は——何のために戦っているのか、わからなくなることがあった。
今は、わかる。
よしこの淹れた茶の温度。
ティアの尻尾がパタパタ揺れる音。
ピプの笑い声。ガルドの「えへへ」。レオンの「うるせぇ」。リーゼの静かなページをめくる音。
守りたいものが、こんなに増えた。
300年で、初めてだった。
「……かしこまりました、魔王様」
誰もいない執務室で、そう呟いた。
ランプを消した。
薬草茶の香りが、暗がりに残っていた。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
第38話「ヴェルザの選択」。ヴェルザとメル、大人組の夜の会話でした。
メルの進言は正しいんです。合理的に考えれば、新勇者は排除すべき。情報が漏れる。聖教会が強気に出る。魔族の存亡がかかっている。
でもヴェルザは——よしこのお茶を飲んで、答えを出しました。
「このお茶のように」。書きたかった台詞の一つです。メルの「あなたは甘い」という言葉を、否定せずに受け止める。甘くていい。この城が甘くなったのは、よしこが来てからだ。パンの匂いがして、子どもが走り回って、侍女の尻尾がパタパタする。——300年の忠臣が守りたいのは、そういう日常でした。
メルがこっそり蜂蜜飴をもう一つ取るシーン、好きです。策士の鎧が甘いもので剥がれる。この人もまた、よしこの城に絆されている。本人は絶対に認めないでしょうけど。
次話「本当の敵」では、リーゼが聖教会の資料を分析します。「帰還率ゼロ。予算はゼロ。これは討伐ではない。処分だ」——静かで、冷たい真実が明かされます。
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