二重奏
アリロスト歴1898年 9月
樹々を彩る緑色の葉々が、徐々に黄色味を帯び始め、下宿112Bにある小さな中庭の夏を彩っていた花々も来年の為に刈り取られ、冬の訪れを予感させる風景を、一階にある談話室の窓から俺は眺めていた。
緑藍の隣に座ったデッカイ栗鼠のワート君が、くりくりとした大きな目を俺に向けて、太いが落ち着いた静かな声で話している。
「ジュリア嬢に誰か良い男性が居ないか探して居るのですが、ジュリア嬢の年齢に会う男性が少なくて中々難しいのです。ジャックは誰か知り合いに居ませんか?」
「うーん、独身のジジイなら結構いるけど、30歳だよね?アレ?誰か付き合ってた人が居なかった?」
「ああ、オニールか。良いムードだったけど結局は別の女性と結婚した。やっぱり殺害された元婚約者をジュリアを見ていると思い出すらしい。まっ、髪色と瞳の色が同じだもんな。ふふっなっ?セインに私が言った通りだろ?ジャックに相手探しを頼んでも無駄だって。」
「煩せーよジェローム。大体が中産階級の知人は俺より、ワート君が詳しいし多いだろ?つうか何で今更?もっと若い頃、誰かに紹介すれば楽に相手が見つかったのにさ。」
「ふっ、実はオリビアがセインにジュリアと結婚して欲しいと頼む様に成って来たんだよ。」
「ええーっ!」
「近所にマーサや偶に来るシェリーの親子を見て羨ましくなったのかもね。それに父親であるセインは、私が殆ど独占してるし。」
「ワート君はジュリア嬢と婚姻したい?」
「いえ、僕はもう結婚をする心算が無いので。そう言ってもオリビアが納得をして呉れなくて。」
「セインて嘘が吐けないだろ?だから此の侭オリビアに詰問され続けると、私との関係を告白しそうなんだよ。」
「うーん、それは避けたいな。あっ!そうだシェリーに頼もう。婚姻は運命の相手とするものだって話して貰ってさ。彼女ならオリビア位の年頃の子を教えていた事も在るし、適任だと思うんだよね。そうやって説得して貰っている間にジュリア嬢の相手探しをすれば?」
「ふふっ、、良い考えだね。最近は自分の子供たち向けの童話を書いているらしいから、オリビアに向く話も書いて呉れそうだ。うん、善は急げだな。私はシェリーに手紙を書いて来るヨ。」
そう言うと緑藍は安楽椅子から立ち上がり、脇目も降らずに談話室の扉を開いて二階へと向かった。
きっと緑藍なりの罪悪感をオリビアに抱いて居たのだろう。
そんな思いが有るから緑藍はオリビアに会うのはクリスマスだけだし、俺もソレを感じているから余りオリビアとは接触しない。
でも俺達と違って天下のグランマ・クロエは、近所に住むオリビアも気に掛け接していたが、丁度クロエが産休で居ない時に起きた、オリビアのスポット的な心の事件かな。
ワート君は安堵したように息を吐いて、俺の容れたマロウのハーブティーを美味そうに飲んだ。
スポーティに短く刈った栗色の髪を無造作に左手で掻き、ティーカップを大きな右手で持ちながら人好きのする笑顔で再び口を開いた。
「木曜クラブで話を聞いて居ると、不眠症や不安症の患者が多くなって、近頃は医師の手が足りないそうなんです。」
「それはポーラン戦争の帰還兵かワート君?酷い戦いだったみたいだからな。」
「それも或るのですが、実は社会に対する不安らしいのです。僕も診察した訳じゃ無いから断定は出来ませんが、如何も物事の変化するスピードに神経が付いて行けないそうなんですよ。其処から不安症を発症しているのでは無いかと、不安症を研究している博士達が推論を発表したのです。」
「まー、あるかも知れないね。代表的なモノでも蒸気機関車に電報、移動や連絡のスピードが加速しているものな。でも人手が足りないと言う事はワート君も誘われたのじゃないか?」
「え、ええ。でも今はジェロームも大変な時期だし、今追ってる相手を捕まえる迄は僕も側に居て上げたいので。」
「そっか、まあワート君がいて呉れると俺も安心だよ。ワート君が側に居るとジェロームも1人で無茶をしないしね。此れからもジェロームを宜しくな。」
「ええ、ジャック、勿論ですよ。」
そう言ってワート君は清々しい表情をして、残りのマロウティーを飲み干した。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
アリロスト歴1898年 10月
芸術の秋って訳でも無いが、俺は久し振りにパルテの戦乙女の全身像を観たくなったので、大グレタリアン帝国博物館へと向かう事にした。
そう話すと「序に溜まっている金貨を銀行へ持って行け」って、巫山戯て緑藍が笑いながら俺に命令したので、「賜りました、クソ坊ちゃま」と俺も巫山戯て応えて、ワークデスクに置かれた小さな革袋を右手で掴んだ。
近頃は小さな依頼も引き受けていたので、ソフラン金貨が溜まって来ると、緑藍はボヤイテいた。
緑藍は料金を受け取っていないと、クロエが怒るからと渋々ワート君に、依頼料を受け取らせていたと言う。
俺もハーブ作りは仕事という意識が無いけど、緑藍も矢張り探偵という仕事をしている、って意識は無いようだ。
まっ今の緑藍は宙ぶらりんに成っている『グリーンオブグリーンの宝冠盗難事件』のゴールを捜している最中だから、他の事へは意識が行かないのだろう。
俺は、其処から緑藍狙撃を計画した者が企てた一連の犯行だと言う推測を、緑藍が話していたのを想い出していた。
探偵事務所の黒い扉を抜けて、俺は緑藍に「程々に」と声を掛け、玄関ホールから表に出ると、何か知らないけど従者のドルフが一緒に附いて来た。
「えっ?何でドルフ?」
「エイム公爵様の命です。」
つうて俺に淡々と告げるドルフ。
ドルフは俺の使用人ってディックは言っていたが、やっぱり直接雇用者はエイム卿じゃねーか。
まっ、分ってたけどさ。
石畳が敷き詰められた道を、俺はウォールナット材で造られたステッキを片手に、出来る男に見えるドルフと歩き、ブレード通りを抜け申し訳程度に生えている街路樹を通り過ぎ、3つの通りを渡ってミスティ・パークが見えるミンター地区へと入った。
ドルフと並んで広いワンド通りを西へと歩き、大きく弓なりに成っているリシェル通りに入れば、新しくロマンコンクリや大理石で造られ窓ガラスが眩く立ち並んだ金融街へと入った。
少々な金融危機が合っても大丈夫だと思わせてくれる立派な建築物が通りに建ち並んでいた。
まあ建物で何とかなる訳では無いのだけどな。
一際立派な王立銀行はパスして、クロエが日頃愛用しているゴールデン銀行へ行こう。
俺はドルフにそう告げてゴールデン銀行へと入って行き、空いている受付へと歩いて行った。
ふと、振り返ると俺が入って来た入り口から、見た事の在るジジイが使用人と共に入って来た。
今日も貴族の恰好では無くて、薄いコートに庶民が着そうなツイードを身に着け、フェルト地の山高帽を被り、金縁の眼鏡を掛けていた。
俺は金貨の入った皮の小袋をドルフに預けて、その見知った老紳士の元へ早足で歩いて行った。
「珍しい所で会いますね。星のジジイ先生。」
「おっ、此れは。ジャックこそロンドの銀行で会うとは。」
俺とモーランド公爵は挨拶交わしながら歩いて、大理石と漆喰でコーティングされている銀行内の壁際へと移動した。
その時、何処かで見たような男がスッと人混みの方へ歩いて行った。
「どうかしたのかいジャック?」
「いや、先程迄ジジイ先生の後ろに居た男を何処かで見た気がするんですよ。うーん、想い出せないなー。」
「ふふっ、そう言うのは気持ちが悪いよね。所で、前に話した私の領地に或るカントリハウスに来てくれると言うのは何時頃に成るかな?良い肉を用意したいから大凡の時期を教えて呉れないかい?」
「えっえーと、ですね。今は友人の仕事が忙しくて、俺も手伝っているんですよ。来年の春頃には、時間が出来ると思います。」
「うーん、結構待たされるね。それとジャックは私の事を名前で呼ぶ約束をしてくれた筈だよ?」
「あっ、そうでした。待たせて申し訳ありません、チャールズ。」
「ふふ、良いね。実に30年数年ぶりかな?その名で呼んでもらえるのは。」
そう言ってモーランド公爵はクッキリとした二重瞼の周囲に皴を深くして微笑んだ。
いやー、如何しようかと思った。
モーランド公爵のカントリーハウスへ行く話は、お互いの社交辞令かと思っていたから、何時伺うとか考えて無かったよ。
焦ってそんなことに想いを馳せていると、背後から太い男の腕に引き寄せされ、俺は頭に銃を突き付けられた。
「えっ、!また?」
そう呟いて前を向くと、モーランド公爵も2人の男に拘束され、左側頭部に銃を当てられていた。
ええー、俺が下手に動けないじゃん。
つか、年寄に何してんだよ。
吃驚してモーランド公爵の心臓が止まったら如何する気だよ。
痛いと言うのに俺とモーランド公爵の両腕は後ろで手錠を掛けられ、銃を突き付けられた侭、ゴッツイ男たち5人に受付まで連れて行かれた。
俺は出来る男に見えたドルフを捜したけど見当たらない。
糞っ。
やっぱり出来る男に見えただけなのか、ドルフ。
「金を用意しろ。騒いだら此の貴族サマとジジイを殺すぞっ。」
3発発砲して警備していた守衛を無力化した後、てな事を銀行強盗達は柄悪く捲し立てているのだけどさあ。
貴族サマは俺じゃ無くて、そのジジイ、、、に、見えるモーランド公爵だよ。
いやジジイだけどさ、只のジジイじゃ無いからな、お前ら。
結局、銀行強盗犯は全員で8人居て、他に居た13人の客も人質に取り、職員に出入り口を封鎖させたが、コレって失敗すると思うんだよ。
いや、俺がじゃなく、銀行強盗がさ。
3人程はお面をして顔がカーニバルしてたけど、どう考えてもこの銀行強盗って成功率が低いだろ。
客と癪員が何人か逃げ出したから、今頃ヤードへも知らせが行ってるだろうし。
出来る男に見えたドルフも今頃は緑藍に知らせている筈だ、きっと。
今回は緑藍に頼まれて銀行へ寄っての此の顛末、ならば助けてくれる、、、のじゃないかな?
俺って随分と平静そう?
エイム卿の恐怖に対する特訓が効いたのかな?
違います。
初めは守衛が撃たれた時、意識を失いそうになったが、目の前に居たモーランド公爵の俺を心配そうに伺う緑色の瞳と目が合って、『ヤバイ俺が意識を失ったら星のジジイはどうなるんだ?』って思ったら、頬の内側を思い切り噛み締めていて、痛みでギリ意識を保っていた。
すると犯人が俺の目付きが気に入らないと言って、顔を殴って目隠しをされてしまった。
別に俺は強盗犯達を睨みつけた訳じゃあ無いのに。
俺の頬は俺の歯型と犯人の拳骨で二重苦を味わっている。
俺もグレアムを見習って血を味わってみたが、鉄臭くてちっとも美味くない。
中では鞄に金を詰めさせる為に、ハイテンションで怒鳴っている犯人と、外ではやっと来たヤード達が、テンションマックスで銀行強盗達へ投降を呼びかけていた。
こんな喧しい二重奏は要らない。
案外、神経質そうなモーランド公爵は、大丈夫だろうか?
そんな事を考えていると頭がボンヤリとして来て、次第に俺の意識は遠のいて行った。
アレ?
此れは何時もの気絶とは違う、、、。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「お早う、ジャック。」
「うん、お早う緑藍。」
「誰が緑藍だっつうの。確りしろよジャック。」
「あう、あー、ジェロームお早う。」
目を開くと、美しく整った顔の緑藍が呆れた目をして俺を見つめていた。
天井も寝心地も間違いなく下宿112Bにある俺の寝室だった。
ベットの傍にはエイム公爵が不安そうに眉根を寄せて、緑藍と良く似た淡い金糸の髪を少し乱して、麗しく整った顔立ちで俺を覗き込んでいた。
「全く、何を遣ってんだか、ジャックは。」
「嫌、今回も俺は悪くないよ。元はジェロームのお遣いじゃん。」
「お遣いは、ちゃんと自分の足で戻って来るモンなんだぜ。全くジャックの所為で、、、。」
「えっ?何で俺はジェロームに怒られてるのかな?つか俺は今回は気絶した記憶が無いんだけどな。なんかさ、急に意識が遠くなってさ。」
「ハア、ドルフが居なく為ってただろう?」
「そうそう、俺が捕まった時に居なかったんだ。てっきり護衛かと思ってたから吃驚だったよ。まあ、あの人数居たらドルフ1人では無理だったろうけどね。」
「まあ護衛でもあるけど、今の最優先事項はカーター・シンプソンを見掛けたら、私達に知らせるなの。」
「あーあー、想い出した。モーランド公爵の後ろに居た男!どっかで見た事が在ると思ったら、ジェロームが描いた似顔絵だったんだ。ふー、そうか、スッキリした。なーんかモヤモヤしていたんだよ。実際に会った事が無いと、やっぱり記憶に残り難いね。」
「私はちっともスッキリしないけどな。ドルフが、ゴールデン銀行にカーター・シンプソンが居ると知らせて呉れたから、クロード達と行ってみれば銀行強盗には遭って居るし、人質に取られてるし。ドルフは途中まで跡を追ったけど見失うし、あの時もう少し手勢が居ればなー。どっかの眠り姫なんかを助けたりしてなかったら、はぁー。」
「うん?やっぱり助けて呉れたんだな、ジェローム有難う。」
「当たり前だろ。ジャックが居なく為ったら私が困る。それに、、ねっ?」
「ああ、無事で良かった。ガスがジャックに効き過ぎたのかと心配だった。」
「エイム卿も、えと、ガス?」
「うん、アヘンも元に作った催眠ガス、つうか被害を極力減らして鎮圧する為のモのだったんだ。排気口から中に拡散させて、案外と面倒だったんだ。」
「あ、有難う。ジェローム」
「コホン、それよりもジャックはモーランド公爵と親しいの?」
「うーん。親しいって言って良いのかは。まあ、そうだね、ウェットリバーでもう何年も顔を会せてるからね。でも如何して?」
「いや、ドルフは、カーター・シンプソンが人混みに消える前、カーター・シンプソンとモーランド公爵が、何かを話しているのを見たと言っているのだよ。」
「ええー、此の銀行強盗とモーランド公爵が関係が有るとジェロームは思って居るのか?」
「はあー、そんな事は言ってないだろ。大体カーター・シンプソンが、こんな犯罪を起こす訳がないだろ。如何に犯罪が行われていないかを考えてるような奴だぞ。ただ、まあカーター・シンプソンと無関係だとしても、モーランド公爵と少し話して見たいと思ってね。」
「そうか、なら俺からモーランド公爵に連絡をしておくよ。」
「そうだね。ではジャックにお願いするよ。ジャックだから心配はしてないけど、余計な事は書かないでくれ。それと、明日ジャックの体調が戻ったら、ヤードに行ってレイド警部へ、今回の件を説明しておいで。」
「俺が手紙で必要最小限な事しか書かないのは知ってるだろ。はあー、ヤードか、面倒だな。」
「こういう時、貴族だと楽だよジャック。」
「はあー、、、いいさ、庶民で。」
俺と緑藍が話している間、エイム卿は冷やしたタオルを、殴られて腫れた俺の顔に当てて、介抱してくれていた。
エイム卿のその行為は有難いけど、緑藍がそれを見て、噴き出しそうなのを我慢して居るのぐらい俺にも判った。
色々と緑案に言いたい事も在ったが、取り敢えずは血が不味かった事だけ伝えて置いた。
エイム卿が居るとなんか話し辛いんだよね。
やっぱり無遠慮に緑藍へ突っ込めないしな。




