20 歌声
姿見に自分の姿を写しながら、黒猫に変身した時の感覚を思い出そうとした。あの時は、空を飛ぶ鳥を見て、羨ましいと思っただけなのだ。
呪文だって唱えていないし、魔法を使おうとも考えていなかった。無意識下で発動した魔法に過ぎない。
「アイレン先生が試練を合格と仰ったのは、王女様の才能を認めたからなんですよ」
鏡の中でカナさんと目が合う。
「王女様は、自信さえお持ちになれば、変身の魔法を使えるんです」
自信と言われても、わたしに誇れるものなど何もない。そんな考えを読んだかのように、ブラウンが側に現れた。
「王女様。これまで様々な修練を積まれているのは、私も知るところです。今や、同世代はおろか、大人にも引けを取らない素養を身につけられております」
「そんなもの、やらされて身につけたにすぎないわ」
わたしは生まれた家柄に相応しい教育を受け、こなしただけ。そして、その家柄すら、わたしは捨てようとしている。
「そう、わたしは自分の事で精一杯の、小さな人間に過ぎないの」
「そんなことありませんよ。わたしは、ずっと王女様に憧れていたんですから」
鏡の中のカナさんが優しい笑顔を向けてくる。
「もう大分前になりますけど、ラスターハートの音楽祭、拝見したんですよ。王女様の歌声、美しくて、伸びやかで、とても優しかったです」
わたしが幼少の頃に国が開いた音楽祭。沢山の人が聞いていただろう。その中にカナさんもいたのだ。
あの日、わたしは失いかけていた自信を奮い立たせて歌った。ある人に届けるために。
* * *
音楽祭の舞台で歌い終わったとき、大きな拍手が鳴り響いた。内心、上手く歌えたか自信がなかったわたしは、救われた気持ちになった。
「良かったわよ、リシェ。これなら褒めて頂けると思うわ」
舞台袖でお姉様がわたしの手を取って迎えた。
「わたしは別に……」
と言いかけた時、お姉様の背後の人影に気づいた。優しい眼差しを送る、ヘーゼルの瞳。
「素晴らしい歌声でした。大変な努力をなさったんでしょうね」
王子がわたしに微笑みかけている。全身が熱くなって言葉が上手く出てこない。そんなわたしの代わりに、お姉様が返事をした。
「この子は毎日レッスンを受けているのですよ」
「やはり、そうですか。あの心に響く歌声は、日々磨き上げられたものなのですね」
王子がわたしを褒め称える。それから先、どんな話をしたか、よく覚えていないが、一つだけ記憶に残っている言葉がある。
「努力出来ることは、誇っていいのですよ」
その言葉を掛けられたとき、胸の内側が温かくなったのだ。
* * *
音楽祭用のドレスを着た、八歳のわたしの姿が鏡に映っている。まさか、こちらの世界でも、この姿に変身してしまうとは。
「王女、変身の魔法を使われたのですか」
ブラウンが目を丸くしている。
「どうなのかしら、カナさん」
わたしとしては、音楽祭の日、王子に掛けられた言葉が呪文となって、魔法が発動した。そう考えられなくもない。
「そう、そのお姿でしたよね。よく覚えています。王女様は、音楽祭に特別な思い出があるんですか?」
「まあ……印象深い記憶ではあるわね」
脳裏に王子の顔がちらついて、気恥ずかしくなってしまう。ブラウンもそれに気づいたはずだが、ニヤつくどころか、真剣な顔をしてカナさんに迫った。
「王女のこの状態ですが、変身の魔法を使っていると考えて差し支えないですか?」
「え、ええ。ご覧の通りです」
カナさんが気圧された様子で答えると、ブラウンはひとつ息を吐いた。
「王女、しばらくそのお姿でいらっしゃってみては如何ですか。魔法の修行にもなるのでは」
「……ええ、そうね」
変身している間は、肉体の加齢を抑えられる。ブラウンは病気の事を悟られないようにしようとしているのだ。
すると、今度はカナさんが真剣な顔をして、わたしの全身を確かめ始めた。
「まさか、そのお姿で生活されるのですか?」
「……いけないかしら」
何か気取られてしまったのかと心配していると、カナさんは急にそわそわしながら、わたしの前にしゃがみ込んだ。
「大変失礼なのですが、少しだけ、ハグをしても」
「はい?」
「王女様のお姿が余りにも可愛らしくて、我慢出来なくて」
「……どうぞ、ご自由に」
「では、失礼して」
カナさんは嬉しそうにわたしをハグしてきた。身体も縮んでいるし、別に悪い気はしないが、なんだか不思議な人だと思った。