13 自己認識
大樹の木陰に腰掛けて、アイレンさんから頂いた呪文の入門書を開く。可愛らしい手書きの文字で、沢山の呪文が並んでいる。
手を使わずに物を動かすための呪文や、透明になる呪文。どれも魅力的だが、やはり、わたしが習得したいのは、空を飛ぶための呪文。
今のわたしではまだ扱えないとわかっていても、恋しい空を見上げてしまう。
「王女様は空がお好きなんですね」
カナさんに言われて、わたしは少し考えた。空が好きなのは、広い世界を自由に飛んで、境界のない世界を感じたいから。向こうの世界なら、その願いはいつでも叶うのだ。
「カナさんは向こうの世界に行くことはあるの?」
「ええ、わたしにとっては、故郷のような場所ですから」
「故郷?」
「子供の頃、かなりの時間、向こうにいたんです」
カナさんは柔らかい表情のまま答えた。アイレンさんから、彼女は身体が弱いことは聞いていた。幼少の頃からそうなのなら、自由に動ける向こう側で過ごす時間が増えるのもうなずける。
「よかったら、一緒に行きましょうよ」
「いいですよ」
カナさんとゆっくり話すいい機会かも知れない。わたしは鈴を握って瞑想を始めた。
わたしとカナさんはラスターハート城の前にいた。城と言っても、わたしがイメージで作り出したものだ。
「これ、王女が?」
カナさんが驚いて、城を見上げた。見上げ過ぎてそのまま後ろに倒れるのではないかと心配になる。
「ここまで大きなものは、わたしでも無理かなぁ」
カナさんもフィオナも褒めてくれるが、こちら側でどんなに才能を発揮しても、素直に喜べない。
「どうして現実世界だと魔法が使えないのかしら」
「難しい問題ですけど……『自己認識』が不足しているのが原因ですね」
わたしはラスターハート王家の第二王女として生まれたが、好きで王家に生まれたわけではない。そういう考えが、自己認識を甘くしている可能性はある。
「あまり難しく考えなくていいと思いますよ」
ニコリとカナさんが微笑む。
「わたしの場合は、ここにいる時間が長かったので、自然と自分と向き合う時間も長くなったんです。だから、特別なことは何もしていないんです」
自分と向き合うことか。少し苦手なことかも知れない。
「ひとつだけ、アドバイスするなら、二つの世界を区別しすぎないことですね。王女は『現実世界』と表現されましたが、こちらも精神の上では現実であることに変わりはありませんから」
確かに、ここにいるわたしは、紛れもなくわたし自身だし、カナさんだってそうだ。そう考えると、自分とは何なのだろう。
「王女様はご自分に自信をお持ちですか?」
不意に聞かれて、わたしは少し考えた。自信とは、誰かに評価してもらえるという確信があって、初めて生まれるものだからだ。
「わたしは、周りの期待に応えるために、たくさん勉強してきたけれど、自己評価となるとよくわからないの。周りはわたしの身分しか見てくれないから」
「王女の内面を見てくれる方もいらっしゃるんじゃないですか?」
そう言われて真っ先に思い浮かんだのは、ブラウンの顔だ。彼は結局のところ、わたしをどう評価しているのだろう。頭の中のブラウンがニヤついたので、わたしは頭を振って、彼を思考から追い出した。
カナさんに城内を案内していると、中庭でお茶の準備をしているナディアさんたちを見かけた。
「ごきげんよう、王女。ご一緒にいかがですか」
「ええ、ありがとうございます」
ラスターハート城では見た覚えのない、テーブルや椅子にティーセット。全てナディアさんが用意したものだろう。
「お久しぶりです、ナディア様」
カナさんが頭を下げると、ナディアさんは優しい笑顔で彼女を迎えた。
「今日は王女のお手伝いですか?」
「いえいえ、ちょっとした里帰りみたいなものです」
カナさんたちはやはり知り合いのようだ。その一方で、フィオナの様子がどこかおかしい。カナさんを見るなり、何か言いたそうにしきりにナディアさんをうかがっている。
「ナディア様、そちらの方は?」
「わたしの所で話者の修業をしているフィオナです」
「へえ、ナディア様が直々に教えられているんですね」
カナさんは少し驚いたように言うと、フィオナに目を向けた。
「はじめまして。わたしも同じく話者の修業をしている、カナです」
「フィオナ……です」
慌ててフィオナが頭を下げる。わたしと初めて会ったときもこんな感じだった。
「王女様とそっくりですけど、ご親族の方ですか?」
「はい、いえ、あの……」
フィオナはしどろもどろになっている。元々話すのが得意ではなさそうだったが、今日は特に困っているように見える。
「ふふ、フィオナはあなたに興味があるみたいですよ」
「わたしに? どこかでお会いしましたか?」
カナさんが見つめると、フィオナはさっとわたしの後ろに隠れてしまった。