第6話 魔王、覚醒?
男達は後退っていた。
誰も近付けない。
目の前に立つ男は、先程までタクと一緒にいただけの存在、のはずだった。
なのに今は違う。
人間に見えない。まるで別の何かだ。
息が苦しい。
心臓が痛い。
足が震える。
逃げろ。
本能がそう叫んでいる。
目の鋭い男は、恐怖に耐えられなかった。
人は極度の恐怖に晒されると逃げる。
だが中には、恐怖を怒りへ変えてしまう者もいる。
男は震える手でズボンのポケットへ手を突っ込んだ。
カチリ。
飛び出したカッターの刃が街灯を反射する。
「うるせぇぇぇぇ!!」
男は叫んだ。
自分を保つために。
恐怖を掻き消すために。
「なんなんだよお前ぇぇぇ!!」
半狂乱のまま突っ込む。
仲間達は止めることすら出来なかった。
男は誠司へ向かって刃を振り下ろした。
人間なら避ける。
人間なら怯える。
人間なら。
だが――。
誠司は笑っていた。
次の瞬間。
誠司は、カッターを持った男の手首を掴む。
握る。
鈍い音が響いた。
男の絶叫が路地に木霊する。
手首が砕けていた。
さらに握る。
骨が砕ける音。
肉が裂ける音。
カッターごと男の手が潰された。
男は悲鳴を上げながら地面を転がる。
だが誠司は、その光景よりも別のものに意識を奪われていた。
「……これは」
悪意。
恐怖。
憎悪。
畏怖。
男達の感情が黒い霧のように流れ込み、自分へ集まってくる。
失われたはずの力。
その欠片が確かに蘇っていた。
誠司の口元が歪む。
体が軽い。
感覚が鋭くなっていく。
世界が鮮明に見える。
そして、自分の掌を見る。
カッターの刃は掌を貫通していた。
しかし、傷口は蠢くように閉じていく。
血が止まる。
肉が再生する。
男達は凍り付いた。
尻餅をつく者。
失禁する者。
声も出せず震える者。
その恐怖すら魔王の糧となる。
「なるほど」
誠司は笑う。
「そういうことか」
思い出した。
力が戻ったわけではない。
自分が何によって力を得ていたのかを。
悪意。
恐怖。
畏怖。
それこそが魔王の糧。
それこそが魔王の力。
男達は耐えられなかった。
悲鳴を上げて逃げ出す。
転びながら。
這いながら。
我先にと。
その背中を見つめながら、誠司の笑みは深くなる。
実に愉快だった。
失われたと思っていたものが、この世界にも確かに存在している。
誠司は空を見上げた。
そして叫ぶ。
「面白い」
夜空へ声が響く。
「面白いぞ!!」
「そういうことか!!」
歓喜。
高揚。
忘れかけていた感覚。
その感情に呼応するように、見えない圧力が周囲へ放たれていた。
空気が震える。
街の闇が揺らぐ。
そして、その波は遠く離れた場所へも届いていた。
⸻
繁華街の片隅。
煙草を咥えた女が足を止める。
二十代半ばほどの女だった。
「……あ?」
気のせいかと思った。
だが違う。
忘れるはずがない。
女は陽の沈んだ空を見上げる。
その瞳がゆっくりと見開かれた。
「まさか……」
震えた声が漏れる。
常に探し続けた存在。
諦めることなど一度もなかった。
女の口元が笑う。
嬉しそうに。
泣きそうに。
「やっと見つけた」
そう呟いた。
⸻
一方、その路地裏では。
「若頭ー!」
必死な声が響いた。
「若っ! わかー!」
タクだった。
誠司は振り返る。
タクは青ざめた顔で駆け寄ってきた。
「手! 手っすよ!」
誠司は自分の掌を見る。
傷は既に消えていた。
だが、その事実を認識した途端。
体を満たしていた高揚感が急速に薄れていく。
男達はもういない。
悪意も恐怖も消えた。
魔力の流れも途絶える。
圧倒的だった感覚は、まるで夢のように霧散する。
どうやら。
まだ魔王には戻れないらしい。
⸻
そして――。
同じ空を見上げて。
その感覚に気付いた者が、もう一人いた。
「おい、勇者はどこにいるのだ」




