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果てしない海 ~終焉の魔眼と真理の瞳~  作者: kooy
第2章 この世界の闇

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第37話 (黒い獣)黒い獣

カフェを出ると、空はすっかり茜色へ染まっていた。

昼間の暑さは少しだけ和らぎ、駅前を吹き抜ける風が心地いい。


「楽しかったね!」

ヒナが満足そうに大きく背伸びをする。

「パンケーキ、また食べたい!」

「ヒナ、夕飯入るの?」

莉乃が苦笑する。

「別腹だから大丈夫!」

「それ、さっきも聞いた気がする」

美羽が肩を竦めると、一同から小さな笑い声が漏れた。

琴音も口元を押さえ、小さく笑っている。


部室で見せていた不安そうな表情は、もうほとんど残っていなかった。

「少し元気になった?」

莉乃が優しく尋ねる。


「……はい」

琴音は照れ臭そうに頷く。

「みなさんと一緒にいると、不思議と落ち着きます」


「よかった」

莉乃は安心したように微笑んだ。


その時だった。

スマートフォンを取り出した美羽が、小さく声を上げる。

「あっ」

「どうしたの?」

「塾だった」

「今日?」

「うん、もう始まる!」

「あ、私も!」


莉乃も慌てて時計を見る。

「もうこんな時間だったんだ」

「ごめんね、琴音」

「今日は送ってあげられそうにないや」


琴音は首を横に振った。

「そんな、大丈夫です」

「駅まで一緒だっただけでも嬉しかったですから」


すると、ヒナが勢いよく手を挙げた。

「大丈夫!私たちが送るから!」

「ね、リョー!」


涼は、すぐに小さく頷いた。

「もちろん、そのつもりだよ」


蒼真も笑いながら親指を立てる。

「任せとけ」

「女子一人で帰らせるわけにはいかねぇしな」


「ありがとうございます……」

琴音は少し安心したように頭を下げた。


「それじゃ、お願いね!」

莉乃と美羽は手を振りながら駅の反対方向へ駆けていく。

「また明日ー!」

「またね!」

ヒナも大きく手を振り返した。


その姿が人混みへ消えていく。

残ったのは、

涼。

ヒナ。

蒼真。

琴音。


 ⸻


「そういえば」

ヒナが歩きながら笑う。

「琴音ちゃんって休日は何してるの?」


「えっと……」

琴音は少し考える。

「本を読んだり……映画を見たりです」


「インドア派なんだ」

「はい」

「ゲームとかは?」

「ほとんどしません」


その柔らかな表情に、蒼真も思わず口を開いた。

「俺もゲームやんねぇな」

「え?」

ヒナが振り向く。

「意外」

「俺、身体動かしてる方が好きだし」

「休みの日も?」

「だいたい部活」

「青春してるねぇ」

「そうか?」

「そうだよ! 私は休みの日は昼まで寝てまーす」

「威張って言うことじゃねぇだろ」

「えへへ」


また笑い声が広がる。

琴音も自然とその輪へ溶け込んでいた。

少し前まで緊張で俯いていた少女とは思えないほど、穏やかな時間が流れていた。


しかし。

その輪の中で。

一人だけ、涼だけは笑っていなかった。

(……近づいている)

歩きながら、ゆっくり視線だけを動かす。

誰も気付かない。

だが、確かに感じる。

橋本の黒。

あの禍々しい気配は、今も少し離れた場所からこちらを追っている。

(やっぱり……)

気のせいではなかった。

琴音の感覚は正しかった。

橋本はまだ執着を捨てていない。

それどころか、

以前よりも濃く。

以前よりも重く。

黒が大きくなっている。


涼は小さく息を吐いた。

(でも……)

違和感は、それだけではない。

橋本とは別方向。

少し離れた場所。

そこからも濃い黒を感じていた。

橋本とは質が違う。


橋本の黒は濁っている。

感情が腐敗したような黒。


対して、もう一つの黒は。

圧倒的だった。

静かで。

深く。

まるで底の見えない深淵。

(何……この黒)

思わず足が止まりそうになる。

(……魔王? どうしてここに?)


「リョー?」

ヒナが不思議そうに振り返る。

「どうしたの?」


「……いや」

涼は小さく首を振る。

「何でもない」

まだ何も起きていない。

みんなを不安にさせたくない。


涼は再び歩き始めた。

だが、その表情から笑顔は消えていた。


 ⸻


その様子を、道路の向かい側。

電柱の陰から、一人の男がじっと見つめていた。

乱れた髪。

痩せ細った頬。

血走った目。

橋本だった。


その手には、大きな望遠レンズの付いた一眼レフカメラ。

レンズの先には。

琴音と蒼真が映っている。

「許せない……」

橋本は唸るように呟く。


シャッター音が、小さく鳴る。

カシャ。

カシャ。

カシャ。

その瞳は異様なほど潤み、口元は歪んでいた。

「近い……」

「……近いよ」

「そんなに近付いたら……」


橋本の爪が、ギリギリと音を立てる。

「駄目だよ」

「琴音は……」

「僕の琴音なんだから」

その声は、次第に低くなっていく。


橋本の影が。

ゆらりと揺れた。


 ⸻


四人は駅前の喧騒を離れ、住宅街へ続く歩道をゆっくりと歩いていた。


「そういえばさ」

ヒナが何気なく琴音へ話しかける。

「今日、カフェで結構笑ってたよね」


「え……」

琴音は照れたように俯いた。

「楽しかったです……」


「よかった」

ヒナは嬉しそうに笑う。

「最近、疲れている感じだったもんね」


「そうですか」

「そうだよ」

ヒナは何度も頷く。

「それに蒼真とも普通に話してたし」


突然名前を出され、蒼真が首を傾げた。

「俺?」

「そう」

「琴音ちゃん、男の子苦手なんじゃなかったっけ?」


琴音は少しだけ歩く速度を緩める。

「苦手……というより」

少し考えるように空を見上げる。

「私、昔から外で男の人と話す機会がなくて」

「そうなんだ」

「はい」

琴音は苦笑した。

「話し掛けられても、何を話せばいいのか分からなくなってしまって……。だから、余計に緊張してしまうんです」

「なるほどねぇ」

ヒナは腕を組みながら頷いた。

「でも今日は、無駄にイケメンの蒼真と、結構話せてたじゃん」

「そ、そうですね。神宮寺くんと、こんなにお話ができて嬉しかったです」

琴音は少し恥ずかしそうに蒼真を見る。


「え?」

突然見られた蒼真は少し照れ臭そうに頭を掻いた。

「そうか? 俺でよかったらいつでも話しかけてくれていいぜ」

「は、はい」

「じゃあ。これからは、俺も藤崎のこと見たら話しかけるぜ」

「……お、お願いします」


ヒナも笑う。

「蒼真は無駄にイケメンなだけで、話をしていても面白くないけどね」

「おい、それ褒めてねぇだろ」

「褒めてるて、褒めてるよぉ」

「絶対違う」

また笑いが起こる。


そして。

その穏やかな空気を。

一本の怒号が切り裂いた。



「僕の琴音に近付くなぁぁぁぁぁぁ!!」

突然響いた絶叫。

全員が反射的に振り向く。


道路の向こう。

雑居ビルの陰から、一人の男が飛び出してきた。


「橋本先生!」

琴音の顔から血の気が引く。

橋本は以前学校で見た姿とは別人だった。

乱れた髪。

充血した両目。

頬は痩せこけ、口元からは荒い息が漏れている。

その目には理性など欠片も残っていなかった。


「藤崎! 大丈夫だ!」

蒼真が咄嗟に琴音の前へ立つ。


「離れろ!」

「僕の琴音から離れろーー!!」

橋本は、獣のような叫びと共に地面を蹴る。


その走り方に、涼は思わず息を呑んだ。

(何かが、違う……)

目の前にいるのは、以前の見た橋本ではない。

身体の動きが異常だった。

四肢を投げ出すように前傾姿勢で走るその姿は、人間というより獣に近い。


そして、涼の【真理の瞳】からは見えていた。

橋本の足元から、禍々しい黒が溢れ出し。

橋本の背中から伸びた巨大な黒が、まるで生き物のように蠢いている。

腕。

牙。

獣の頭部。

橋本の怒りに呼応するように、その姿はどんどん輪郭を持ち始めていた。

(黒い獣……)

(黒が具現化している……)


だが、本人は気付いていない。

その感情は既に人では制御できないほど膨れ上がっていた。


「蒼真!」

涼は叫ぶ。


「お前は邪魔なんだよぉぉぉ!!」

黒い獣は速かった。

すでに黒い獣は、蒼真の目前まで迫っていた。

「くっ!」

蒼真は咄嗟に腕を構える。


黒い獣が牙を剥いた。


ドンッ!!


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