第31話 (黒い鎖)命令
その夜。
黒崎組の事務所は異様な空気に包まれていた。
パトカーの赤色灯が窓の外を照らしている。
警察だった。
発砲事件。
複数の逮捕者。
押収された拳銃。
当然、黒崎組にも捜査の手は伸びていた。
二階の自室から蓮は階下の様子を眺めていた。
「黒崎組の構成員ですね?」
「知らねぇな」
父は平然としていた。
「逮捕された者の中には、そちらの事務所への出入りが確認されている人物もいます」
「勝手に出入りしてただけだろ」
父は鼻で笑う。
「うちは関係ねぇ」
蓮は目を細めた。
まただ。
いつもそうだ。
都合が悪くなれば切る。
捨てる。
昨日まで仲間だった者も。
長年尽くした者も。
利用価値がなくなれば切り捨てる。
まるで最初から存在しなかったかのように。
父にとって人は道具だった。
◇
昔。
母が父に言っていたことがある。
『あなたは人を大事にしなさすぎる』
『皆、家族のために働いているのよ』
『組のために命を張っているのよ』
父は笑っていた。
『使えなくなったら終わりだ』
『それだけの話だろ』
その時の母の悲しそうな顔を蓮は覚えている。
そして。
蓮は母に似た。
少なくとも父はそう言う。
蓮自身もそう思う。
だから。
父のそういうところが嫌いだった。
◇
蓮は参考書へ視線を戻した。
興味はない。
どうでもいい。
だが心のどこかで、少しだけ気になっていた。
⸻
翌朝。
教室へ入ると、何やら騒がしい。
蓮は自分の席へ向かった。
すると数人の生徒が近付いてくる。
「黒崎くん、おはよー」
「昨日のやつ、やっといたよ」
化粧の濃い女子生徒が笑う。
「やっといた?」
「うん」
女子生徒は得意げだった。
「委員長になったからって調子に乗ってたし」
そう言って水瀬澪の席を指差す。
蓮は視線を向けた。
水瀬澪が立っていた。
困ったような顔をしている。
机には落書きがされていた。
油性ペンで書かれた悪口。
意味のない中傷。
幼稚な嫌がらせ。
蓮は無言だった。
確かに言った。
嫌がらせをしろ、と。
だが。
実際に形になると妙な気分だった。
「黒崎くんのおかげだよ」
女子生徒は笑う。
「これで少しは大人しくなるんじゃない?」
蓮は何も答えなかった。
⸻
「おはよう、澪」
「お姉ちゃん、、、。」
教室の入り口から声がした。
振り向く。
あの女だ。
涼の後ろにはヒナと蒼真がいた。
「ひどい……」
ヒナが机を見て顔をしかめた。
「澪ちゃん、大丈夫?」
「うん」
澪は困ったように笑う。
「う、うん。別に平気」
「平気じゃねぇだろ」
蒼真が言う。
「これ誰がやったんだ」
教室が静かになる。
誰も答えない。
すると。
涼がゆっくり教室を見回した。
そして。
一人の女子生徒を見た。
「君かな」
女子生徒の肩が跳ねる。
「え?」
「ボクの妹が、君に何かしたかな」
穏やかな声だった。
だが。
女子生徒は顔を青くした。
「ち、違……」
「違う?」
涼は真っ直ぐ見ている。
逃げ場がない。
女子生徒の目に涙が浮かぶ。
「わ、私は……」
そして。
泣き出した。
「私は黒崎くんに言われただけなの!」
教室がざわつく。
蓮は眉をひそめた。
言われた?
命令された?
確かにそうだ。
自分が言った。
嫌がらせをしろ、と。
◇
蓮の脳裏に父親の姿が浮かぶ。
『やれ』
『行け』
『潰せ』
組員たちは従う。
誰も逆らわない。
そして問題が起きれば。
責任を取るのは組員たちだ。
父親ではない。
蓮はそのやり方が嫌いだった。
ずっと。
昔から。
だが。
(同じか)
胸の奥が少しだけ重くなる。
◇
女子生徒を見た。
怯えている。
自分を見ている。
組員たちと同じ目だった。
⸻
ふと身体が浮いた。
「は?」
神宮寺先輩に胸ぐら両手で掴まれていた。
「てめぇ!」
先輩の目が怒りで燃えている。
「何してくれてんだ!」
「神宮寺先輩……」
「澪はな!」
蒼真は怒鳴る。
「大事な妹なんだよ!」
「妹?」
水瀬澪。お前に姉兄は何人いるんだ。
「とにかくだ!」
蒼真は吐き捨てる。
「今から綺麗にするぞ!」
⸻
その後。
蓮は蒼真と一緒に机を磨いていた。
油性ペンはなかなか落ちない。
「もっと力入れろ」
「……はい」
「そこ残ってる」
「……はい」
なぜ自分が。
そう思う。
だが反論する気にはなれなかった。
澪は少し困った顔をしていた。
二人の姉は静かに見守っていた。
そして誰も蓮を責めなかった。
それが逆に居心地が悪かった。
⸻
落書きが消えた頃。
蓮はふと隣の席を見た。
渡辺が座らされている席。
「渡辺」
「え?」
「席、返す」
渡辺が目を丸くする。
「いいの?」
「ああ」
それだけ言った。
⸻
その日の帰りのホームルーム。
蓮の左隣には水瀬澪が座っている。
担任の塚本は何も言わない。
穏やかな顔で教室を見渡している。
窓から風が入る。
静かな午後だった。
蓮は前を向く。
だが。ふと隣を見る。
澪は真面目に担任の連絡をノートに取っていた。
そして。
なぜか少しだけ笑っているように見える。
蓮には、その理由が分からなかった。




