第32話 それぞれの夜
西日に照らされた夕方の駅前通り。
学校帰りの私たちは並んで家路を歩いていた。
「澪ちゃん、何だか嬉しそうね」
ヒナ姉が、クスクスとからかうように私を覗き込んで言った。
「そうかな?」
澪は少し照れたように笑う。
「うん。今日は色々ありがとうございました」
そう言って涼たちを見る。
机の落書き。
朝からの騒動。
全部がほんの少し前のことのようだった。
「今日は蒼真お兄ちゃんはいないんですか?」
「澪、蒼真のことを『お兄ちゃん』とは呼ばない。蒼真は部活よ」
涼が答える。
「そうそう、空手部の部長だからね」
ヒナも頷いた。
「結構忙しいみたい」
「へぇ」
澪は少し感心した。
「あ、そうだ」
澪は思い出したように言う。
「ヒナ姉がいるし、聞きたいことあるんだけど」
涼の肩が僅かに揺れた。
「お姉ちゃん、何で落書きした人が分かったの?」
「あ、それは……」
涼が言葉に詰まる。
するとヒナが自信満々に前へ出た。
「あ、それね」
「うん」
「リョーはね。『勇者』なんだよ。だから昨日もスゴかったでしょ?」
沈黙。
澪は瞬きをした。
「勇者?」
「そう!」
「ゲームの?」
「本物の!」
「違うと思う」
「えっ」
ヒナが固まった。
涼は小さくため息を吐く。
「だから言ったでしょ」
「でも勇者だもん!」
「理解してもらえないよ」
二人のやり取りを見ながら、澪は少しだけ考えた。
昨日の光景。
拳銃。
蹴り。
信じられない動き。
普通の人ではなかった。
それだけは分かる。
「でも」
澪は涼を見る。
「お姉ちゃんが変わったのは分かるよ」
「そうなの?」
「半年前くらいから特にね」
「否定できないね」
ヒナが頷く。
「ヒナまで」
三人は笑った。
澪もつられて笑う。
何だか安心した。
全部は分からない。
でも。
お姉ちゃんはお姉ちゃんだ。
それだけは変わらない。
あれこれと少し現実離れした会話をしているうちにヒナ姉と別れ、、
あっという間に我が家に到着した。
「ただいまー」
「ただいま」
「おかえりー。ご飯すぐできるからねー」
リビングからお母さんの暢気な声が聞こえてくる。
いつもの日常だった。
⸻
その夜。
涼は自室の窓から夜空を見上げていた。
御堂誠司。
あの男は間違いなく魔王だろう。
前世で戦った相手。
忘れるはずがない。
だが。
(何故だ)
涼は目を閉じる。
誠司の身体に見えた漆黒。
あれは確かに魔王の証だった。
しかし。
それを包むように伸びていた白い蔦。
あれは前世にはなかった。
そして。
ボクが干渉した銃を持った男の黒。
あれは誠司へ流れていった。
見間違いではない。
(まだ分からないこと多い)
前世、僕は。
魔王を倒すために剣を抜いた。
そして、この世界においても同じだ。
ボクは魔王を倒す
だが違う?
誠司は人を助けていた。
タクを、ボクを守った。
涼は小さく息を吐く。
「御堂誠司」
その名前だけが夜に溶けた。
(ボクはこの平和な世界を守る)
⸻
夜の帳が降りた歓楽街。
夜乃の店。
橋本は今日もそこにいた。
スマートフォンの画面を見つめている。
そこには映る一人の少女。
藤崎琴音。
学校帰り。
駅前。
買い物中。
遠くから撮られた写真。
何十枚。
いや。
百枚以上あった。
「今日も可愛いなぁ」
「ふふ、ふ、ふふふ」
橋本は笑う。
気持ち悪いほど優しい笑顔だった。
「橋本さん」
夜乃が近付く。
「いらっしゃいませ」
「夜乃ちゃん」
橋本は上機嫌だった。
「もうすぐなんだ」
「何がですか?」
「運命だよ」
夜乃は微笑んだ。
この男は順調に育っている。
執着。
欲望。
独占欲。
橋下の闇は日に日に濃くなっていた。
(きっと魔王様のお役に立てますわ)
「夜乃ちゃーん!」
別の客が手を振る。
「はーい、今行きますねー♡」
夜乃は妖艶に微笑み浮かべながらそちらへ向かった。
橋本は再びスマホを見る。
藤崎琴音の写真を。
⸻
夜の街。
「今日もお疲れ様っす」
タクが缶コーヒーを差し出した。
誠司は受け取る。
「ああ」
短く答える。
タクはニヤリと笑った。
「若頭」
「何だ」
「あの子のこと考えてたでしょ」
「ああ――」
ゴツン。
「痛っつうううううう!? 若頭、マジで気をつけてくださいよ! 若頭のパンチ、最近シャレになってないんすから」
タクが頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「若頭!?」
「五月蝿い」
「いや絶対考えてたじゃないですか!」
タクの言う通りだった。
見透かされたことに苛立ったのは事実だ。
あの少女。
名前も知らない。
だが。
気になる。
少女に触れた瞬間。
力が湧いた。
傷の痛みが薄れ。
キズが治った。
理由は分からない。
「タク」
「何すか」
「あの少女は何者だ」
タクは吹き出しそうになる。
「マジで気になってるんすね」
「答えろ」
「分かったすよ」
タクは笑った。
「今度裏のルート使って調べとくっす」
誠司は黙って前を向く。
タクもまた、頭をさすながら考えていた。
あの少女が近くにいる時。
確かに若頭は異常なほど強くなる。
銃傷さえも一瞬で再生した。
仕組みも理由も、科学的な根拠なんて何一つ分からない。
だが。
あの少女こそが、
若頭を覚醒させる絶対の鍵であることだけは確実だった。
夜風が吹く。
それぞれの思惑を乗せるように。




