第29話 罠
その夜。
蓮は二階の自室で参考書を開いていた。
下の事務所が騒がしい。
組員たちの怒鳴り声。
慌ただしく動く足音。
普段とは違う空気が漂っている。
「御堂誠司……」
そんな名前が聞こえた。
親父も組員たちに何か指示を出しているようだ。
だが蓮は興味はない。
どうでもいい。
組のことなど知ったことではない。
参考書へ視線を戻した。
⸻
翌朝。
教室へ入ると面識のない数人の生徒が集まってきた。
「黒崎くん、おはよー」
「昨日さー」
派手な化粧をした女子。
調子のいい男子。
どこにでもいる連中だ。
蓮は心の中で冷めた目を向ける。
こいつらは俺を利用したいだけだ。
自分の立場を守るため。
自分を大きく見せるため。
だから近寄ってくる。
くだらない。
周囲を見れば他の生徒たちは相変わらず俺から距離を置いていた。
視線は向ける。
だが近寄らない。
弱い連中だ。
そう思いながら教室を見渡す。
そして一人の少女と目が合った。
水瀬澪。
彼女だけは違った。
避けもしない。
媚びもしない。
ただ見ている。
(何だ)
蓮は視線を逸らした。
(どうでもいい)
「お前らさ、あいつに嫌がらせしてよ」
だが少しだけ気になった。
⸻
放課後。
駅へ向かう道を四人で歩く。
「私、クラス委員長になったの」
澪が少し照れくさそうに言った。
「おお」
蒼真が拍手する。
「すげーじゃん」
「大変そうだけどね」
ヒナが苦笑する。
「うん……」
澪は少し不安そうだった。
「でも頑張る」
「無理はしないでね」
涼が優しく言う。
「何かあったらヒナお姉ちゃんに言うんだぞ」
「そうだぜ」
蒼真も胸を叩く。
「妹が困ってたら兄ちゃんが助けるからな」
「おい」
涼が呆れた顔をした。
「誰の妹で誰のお兄ちゃんなんだ?」
「細かいこと気にすんな」
「気になる」
四人の間に笑いが生まれる。
その時だった。
涼の足が止まった。
視線の先。
通りの向こう側を歩く二人の男。
御堂誠司。
涼は小さく呟いた。
「……魔王」
そしてタク。
「え?」
「どうしたの?」
ヒナが首を傾げる。
涼は誠司を見つめていた。
警察署の表彰式の時にも感じた。
あの男の中には黒がある。
前世で戦った魔王と比べれば遥かに小さい。
だが。
どんな人間よりも濃い。
どんな黒よりも黒い。
漆黒の渦。
しかし。
あの時にはなかったものも見える。
黒を縛るように。
黒へ絡みつくように。
白い蔦があった。
(あれは……)
涼には分からない。
だが気になった。
「ごめん」
涼は三人を見る。
「先に帰ってて」
「無理」
ヒナが即答した。
「一人にはしないよ」
「そうだ。今度は俺も行くぜ」
蒼真も言う。
澪は小さく頷いた。
結局、四人で誠司たちの後を追うことになった。
⸻
しばらく歩いた頃だった。
通りの先で騒ぎが起きていた。
大人しそうな男子生徒を数人の高校生が囲んでいる。
笑い声。
嘲笑。
そして突き飛ばす音。
タクが立ち止まった。
「若頭」
「ああ」
二人はそちらへ向かう。
すると囲んでいた高校生たちの一人がタクを見た。
そしてニヤリと笑う。
「おい」
「ん?」
「御堂組の奴だ」
別の男が叫ぶ。
「御堂組って、組長が弱っちい組だよなぁ!」
周囲が笑う。
そして。
一斉に走り出した。
逃げた。
タクの表情が変わる。
(組長を悪くいうヤツは許せね)
誠司は初めて見る顔だった。
「若頭」
タクが低く言う。
「少し行ってきます」
そして走った。
誠司も後を追う。
(逃げる相手を追うのか)
誠司は不思議に思った。
だがタクが本気で怒っているのは分かった。
だから付いていく。
涼たちも後を追った。
細い路地。
人気のない裏道。
そして。
開けた空き地。
そこで高校生たちは立ち止まった。
笑っている。
その周囲には。
黒崎組の男たちがいた。
一人。
二人。
三人。
十人近い。
全員が武器を持っていた。
タクが顔をしかめる。
「あー……」
頭を掻く。
「若頭」
「何だ」
「すみません」
タクは苦笑した。
「ドジ踏んだっす」
誠司は男たちを見回した。
そして納得する。
「なるほど」
罠だった。
(うまいな)
⸻
男たちがニヤリと笑う。
空気が変わった。
涼は遠くからその光景を見つめる。
黒い棘。
黒い鎖。
黒い荊。
男たちの身体には濃い黒が巻き付いていた。
そして。
その中心にいる誠司の中では。
漆黒の渦が静かに回り始めていた。




