第20話 闇よ育て!
二月の日暮れはまだ早い。
あたりはすっかり暗くなっていた。
だが駅前の人通りはまだ多かった。
仕事帰りの会社員。
買い物帰りの主婦。
制服姿の学生。
その中を歩く二人の教師を、涼たちは追っていた。
涼たちの通う学校の教師、
体育の村上先生と生徒会の橋本先生だ。
生徒思いの橋本先生が村上先生と一緒にいるのは意外だったが、
蒼真は確信していた。
GPSの反応は間違いない。
発信機は動いている。
そして。
その持ち主は、
「先生、少し確認したいことがあるんですが」
蒼真が後ろから声をかける。
「ん? 神宮寺か」
村上が眉を上げる。
「なんだこんな所で。明日でいいだろう。先生たちも忙しいんだ」
(早く夜乃ちゃんに会いたいしな)
そんなことを考えていた。
「いえ」
蒼真は一歩前に出る。
「バッグの中を見せてもらえませんか」
「は?」
村上が顔をしかめる。
「失礼します!」
蒼真が村上に近付く。
「蒼真、待って」
涼が前に出た。
「村上先生ではありません」
「え?」
蒼真が止まる。
涼は橋本を見た。
「橋本先生。申し訳ありませんが、バッグの中を見せていただけませんか」
橋本の顔が強張った。
「な、何を言っているんだ?」
笑おうとする。
だが笑えていない。
水瀬涼。確か職員室でのよく話題に上がる優等生だ。
なんだ。
なんだと言うのだ。
「私は村上先生と食事に行くだけだよ?」
心臓が激しく鳴る。
なぜ。
なぜ私なんだ。
私は教師として評価されている。
生徒からも人気がある。
相談もよく受け。
保護者受けも良い。
信頼されているはず。
なのに。
なのに。
こいつは、まっすぐ私を見ている。
水瀬涼。
私は出来る人間だ。
なのに。
なのに。
なぜ。
◇
あいつらは私を見ない。
授業中に話を聞かない生徒。
提出物を出さない生徒。
陰で馬鹿にする生徒。
私を軽く見る女子生徒。
そんな生徒たちを村上に相談すれば、
教官室に呼び出し、キツく指導をしてくれる。
⸻
そして――藤崎琴音。
私は出逢った。
大人しくて。
従順そうで。
とても綺麗だ。
最近は彼女のことばかり見てしまう。
あの姿。
あの体操着。
あの匂い。
頭の中に浮かぶたびに身体が疼く。
◇
バレるはずがない。
だが。だが。だが。だが。だが。だが。だが。だが。
終わりなのか。
ここで。
私の人生は。
こんなことで。
終わるのか。
橋本の内側で。
黒い獣が暴れ狂っていた。
「村上先生!」
橋本が叫ぶ。
「なんなんですかこの生徒たちは!」
「先生を何だと思っているんですか!」
「お、おう」
村上が戸惑う。
「そうだな。失礼じゃないか」
橋本は必死だった。
まだ終わっていない。
まだ隠せる。
まだ大丈夫だ。
「この話は明日聞く!」
「今日は帰りなさい!」
涼は黙って橋本を見ていた。
涼は思い出していた。
藤崎琴音の白い灯火の震え。
怯え。
不安。
涙。
目の前の橋本から、
黒い獣が今にも檻を破ろうとしていた。
その時だった。
「えいっ!」
ヒナが動いた。
「ちょっ――」
橋本が止めるより早い。
橋本の顔色が変わる。
ヒナはバッグを奪い取るとファスナーを開けた。
そして。
「……あった」
全員が固まる。
「あったよ涼ー!」
ヒナが掲げる。
見覚えのある女子用体操着だ。
空気が凍る。
「ど、どういうことだ……」
村上が呟いた。
橋本の頭の中は真っ白になった。
終わった。
終わった。
終わった。
終わった。
「返せえええぇぇぇ!」
橋本が叫んだ。
顔を歪ませながらヒナへ飛び掛かる。
だが。
その肩を村上が掴んだ。
「落ち着け!」
「触るなぁ!!」
橋本が振り返る。
その目は血走っていた。
「この役立たずが!」
村上が固まる。
「使えねぇんだよ!」
「……は?」
「何もできないくせに!」
「橋本……」
「私は、できる人間なんだ!」
「お前……」
「黙れ!!」
橋本は叫んだ。
そして。
その場に崩れ落ちた。
村上はしばらく黙っていた。
やがて。
ゆっくりと橋本の前に屈んだ。
「橋本」
返事はない。
「俺はな」
村上は静かに言った。
「お前のこと、期待してたんだ」
橋本が顔を上げる。
「俺は不器用だからな」
「……」
「お前は俺にできないことができる」
「……」
「だから後輩として期待してた」
橋本の肩が震えた。
次の瞬間。
バンッ!
乾いた音が響く。
村上の拳が橋本の頬を打った。
「だがな」
村上の目は真っ直ぐ橋本を見ている。
「生徒に手を出しちゃいけねぇよ」
橋本は何も言えなかった。
黒い獣は消えていた。
代わりに残ったのは。
空っぽの人間だけだった。
村上は振り返る。
「神宮寺」
「おう」
「水瀬」
「はい」
「朝比奈」
「はい」
「今日はもう帰れ」
三人を見る。
「後は先生に任せてくれないか」
その言葉には迷いがなかった。
涼は頷く。
「分かりました」
橋本はアスファルトに座り込んだまま動かなかった。
翌日。
橋本の姿は学校から消えた。
そして二度と戻って来なかった。
⸻
「夜乃ちゃーん」
数日後。
村上はいつものように店へやって来た。
「あら、一人なのね」
「そうなんだ」
村上はため息をつく。
「色々あってさぁ」
「大変だったのね」
夜乃は優しく微笑み。
村上の隣に座る。
腕を絡める。
胸を押し当てる。
完璧な接客だった。
「先生は頑張ったわ」
「そうかなぁ」
「もちろんよ」
村上は嬉しそうに笑った。
夜乃は内心で確認する。
黒は。
どうなった。
闇は。
育ったか。
数秒後。
夜乃は固まった。
減っている。
また減っている。
「なんでよ!?」
「え?」
村上は首を傾げた。
「な、なんでもないわ」
夜乃は頭を抱えたくなる。
意味が分からない。
この男。
会うたびに元気になる。
褒めると回復する。
慰めると闇が小さくなっていく。
何なのよ。
その時だった。
夜乃の耳に新しい噂が入る。
橋本。
退職。
夜乃の口元がゆっくりと吊り上がる。
「あら」
瞳が妖しく輝く。
「面白そうな子がいるじゃない」
「夜乃ちゃん?」
村上は何も知らずに夜乃との会話を楽しんだ。
「うふふ」
夜乃は微笑む。
今度こそ。
今度こそ育て甲斐のある闇になりそうね。




