第12話 影、歓喜する
嬉しい。
嬉しい。
嬉しい。
影宮夜乃は夜空を見上げていた。
月は見えない。
だが構わない。
今の彼女には、そんなものよりも美しい光が見えていた。
胸の奥が震えている。
身体の芯が熱い。
歓喜だった。
心の底から湧き上がる幸福。
長い。
長い。
長い眠りから目覚めたような感覚。
そして今。
ようやく見つけた。
あの方を。
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夜乃は静かに笑った。
誰もいない路地裏。
街灯だけが彼女を照らしている。
その笑みは美しかった。
男なら目を奪われるだろう。
女でも見惚れるかもしれない。
だが。
もし、その笑顔を正面から見れば気付く。
何かがおかしい。
決定的に。
人間ではない。
そう思わせる何かがあった。
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「ふふっ……」
夜乃は口元を押さえる。
笑い声が漏れる。
抑えようとしても無理だった。
嬉しくて仕方がない。
逢いたい。
今すぐ、逢いたい。
跪きたい。
その御足に触れたい。
その声を聞きたい。
その命令を聞きたい。
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魔王さま。
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その言葉だけで胸が満たされる。
恋ではない。
愛でもない。
そんな小さなものではなかった。
夜乃にとって、魔王とは世界そのものだった。
空より高く。
海より深く。
太陽より尊い。
唯一絶対の存在。
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だから。
あの気配を感じた瞬間。
涙が零れた。
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ぽたり。
雫が頬を伝う。
夜乃はそれを指で拭った。
そして微笑む。
「ああ……」
吐息のような声だった。
「やはり、いらっしゃったのですね」
その声は甘い。
優しい。
慈愛に満ちている。
だが。
その場にいたなら誰もが本能で理解しただろう。
この女は危険だと。
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思い出す。
目覚めた日のことを。
◇
気付けば、夜道を歩いていた。
知らない街。
知らない身体。
知らない世界。
だが不思議と困らなかった。
言葉は分かった。
歩けた。
人間社会の仕組みも理解できた。
そして。
自分が何者なのかも知っていた。
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影。
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それが自分。
魔王に仕える影。
それ以外はどうでもよかった。
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「お姉さん!」
知らない男に声を掛けられた。
若い男だった。
派手な服。
軽い笑顔。
夜の仕事の勧誘だった。
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「お姉さん、名前は?」
男が聞く。
夜乃は少しだけ考えた。
すると自然に言葉が浮かぶ。
「影宮夜乃」
男は笑った。
偽名だと思ったらしい。
別に構わない。
本名など必要なかった。
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夜乃は働いた。
夜の店だった。
酒を飲み。
会話をする。
それだけの仕事。
人間を観察するには丁度良かった。
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面白かった。
人間は実に面白い。
弱い。
脆い。
壊れやすい。
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「俺の方が優秀なのに」
男が呟く。
夜乃は優しく微笑む。
「そうなのですね」
ただそれだけ。
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翌日。
男は職場で暴れた。
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「俺はこんなに仕事を頑張っているのに、妻は理解してない」
別の男が言う。
夜乃は静かに頷く。
「辛かったのですね」
それだけだった。
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翌日。
男は妻を、子供を殴った。
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夜乃は何もしていない。
ほんの少し。
ほんの少しだけ。
心の闇を撫でただけ。
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嫉妬。
怒り。
憎悪。
劣等感。
絶望。
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この世界の人間の闇は、勝手に増幅する。
勝手に壊れる。
勝手に堕ちる。
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それが影の力だった。
それが彼女の能力だった。
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「人間とは本当に可愛らしいですね」
夜乃はくすりと笑う。
獲物を見る目ではない。
虫を観察する子供のような純粋な笑顔だった。
だからこそ恐ろしい。
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だが。
そんなことは今はどうでもいい。
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魔王さま。
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その存在だけが大切だった。
◇
夜乃は歩く。
夜の街を。
人混みの中を。
探す。
ただ一人。
世界で最も尊い存在を。
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その瞬間だった。
空気が震えた。
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夜乃は立ち止まる。
胸が高鳴る。
呼吸が止まる。
身体が震える。
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感じる。
圧倒的な力。
懐かしい覇気。
世界を支配した王の気配。
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涙が溢れた。
笑みが零れた。
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「ああ……」
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足から力が抜ける。
思わず膝をつきそうになる。
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間違いない。
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夜乃は、恍惚とした表情で夜空を見上げた。
まるで、神託を受けた信徒のように。
いや。
それ以上だった。
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「魔王さま」
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声が震える。
歓喜で。
幸福で。
愛しさで。
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そして。
狂気で。
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「ようやく……お逢いできます」
「おい、勇者はどこにおるのだ」




