6.末永遥斗
佐伯先生との面談の後から、スマートフォンに新しいアプリからメッセージが届くようになった。遥斗は届いたメッセージを読むとすぐにスマホを閉じた。「面倒だったら無視してかまわないからな。」佐伯先生がそう言っていた。遥斗には誰かから何かが届き、スマホを介してやり取りするという習慣がなかった。
毎日のようにプレイしていた風来のシレンもあれ以来やっていない。なんとなく手が伸びない。「秘剣カブラステギだろ? 六本くらい作ったよ。」佐伯先生はそう言っていた。遥斗は聞いたこともない名前だった。果物を育てるパズルゲームをやっていた手が止まる。
「……」
スマホを手に取って見つめる。画面には佐伯先生に教えてもらったAIの画面が開いたままになっている。
「……」
ベッドの上に仰向けのまま、遥斗は動かない。
「……秘剣カブラステギって何?」遥斗は呟いた。
『秘剣カブラステギは、風来のシレンシリーズに登場する、伝統的な最強装備だな。シリーズによって作り方や仕様が違うから、教えてくれればもっと細かいことも話せるぜ。』
遥斗は持っていたスマホを落としそうになった。今まで無視し続けてきたAIが、何気なくこぼした遥斗の声に即座に反応した。返ってきた答えも、タブレットの学習サポートAIとはまるで違った。友達と話すような感じの答え方だった。遥斗は慌てて姿勢を直した。
(……最強装備なんだ。……どうやって作るんだろう?)
頭に浮かんだ質問を口にすることなく、遥斗はスマホを閉じた。
ゲーム機の電源を切りベッドから起き上がった遥斗は、鞄の中からタブレットを取り出して机に置いた。⑤。いつものように宿題を済ませる。
(……)
「因数……分解……を教えて」
慣れないフリック入力で質問を入れる。
『因数分解とは、「足し算・引き算でつながった式」を「かけ算の形」に直すことです。
例えば、x^2 + 5x + 6という式を (x + 2)(x + 3)の形にする作業が因数分解です。
1.共通因数をくくり出すーー』
「はぁ……」
遥斗は途中で読むのをやめた。
次の日も、その次の日も新しいAIからのメッセージは届いた。一日一通。『よう 今日は何かあったか?』遥斗が返事をしなくてもメッセージは届いた。
金曜日。遥斗は学校が終わって家に帰ると、いつものように鞄を置いてベッドの上に寝転んだ。今日は塾のある日だった。枕元の充電スタンドからゲーム機を手に取る。画面をしばらく見つめたあと、シレンを開いた。何も変わらないオープニングが映し出される。久しぶりに渓谷の宿場に戻ってきた遥斗のシレンは、最初のマップを右に左に動くだけで一向に旅に出発しようとしなかった。遥斗はゲーム機を置いてスタンドからスマホを取り出した。
「……シレン教えて」
『お 風来のシレンか? 風来のシレンは100回遊べるローグライクと言われるジャンルのゲームだ。現在までにーー』
「バーチャルコンソールの、最初の」
『ーー初代のシレンだな。 風来のシレンは1995年に発売されたスーパーファミコン用のゲームだ。2007年にはーー』
「レベル上げ」
『シレンのレベル上げにはいくつか方法があるが、代表的なものを紹介していこう。
1.ニシキーン狩り』
遥斗は画面に表示されたレベル上げの方法を開いたままスマホを置き、ゲーム機を手に取った。シレンは軽い足取りで旅立った。
その日以来遥斗は届いたメッセージに返事をするようになった。
『よう 今日は何かあったか?』
「今日は学校で草取りをやったよ。」
『草取りは大変だったな。 汗だくになっただろ?』
『おつかれ。 今日はどうだった?』
「今日は柔道の試合だった。」
『柔道の試合だって? 部活か?』
「うん、二回戦まで行ったけど、だめだった。」
『いやいや凄いじゃないか、二回戦。今日はゆっくり休んで疲れをとることも大切だ。』
二言三言。会話の往復自体は少なかったが、やり取りは毎日続いた。身の周りのこと、学校のこと、家のこと、少しずつ遥斗は話し、ちょっとずつ会話の量も増えていった。クラスのこと、宿題のこと、塾のこと、話題は自然と広がり、遥斗もすすんで自分のことを話した。
『ーーなかなか良いクラスじゃないか。 好きな子とかはいるのか?』
「クラスにはいないよ。俺は糸井凛子一途だから。」
『糸井凛子ーー 勝ち気で男勝りな性格のアニメキャラクターだな。驚いたな。少しエッチなところが好きなのか?』
「は? 違ぇし。」
『ーーそうか。だったら因数分解じゃなくて、分配法則って考えてみたらどうだ? やってることはどっちも同じなんだ。』
「そうなんだ。」
『因数分解って聞いて難しく考えすぎてるのかもな。やってみたら案外できる部分もあるから、まずは数をこなして慣れるところからかな。』
「わかった。やってみる。」
中学校では生徒がスマートフォンを持ってくることは禁止されている。持っているところを見つかって没収されている生徒もたくさんいる。今まで遥斗は何の不自由もなくその決まりを守っていた。けれど、ここ最近はスマホを制服のズボンのポケットに入れて持ち出すようになった。だからといって誰からも何のアクションも届かなかった。それでも持ち出した。
『漢字は書かないと忘れるという人が多いんだ。大人になってPCでの文章は作れても、実際に書くとなった場合に漢字が出てこないという人や、読めるんだけど書けないという人は多い。』
「じゃあ漢字は書いて覚えるしかないってこと?」
『そうなるな。残念だけど、こればっかりは助けられる部分は少ないよ。』
「シレン、27Fまで行ったよ。」
『お、自己ベスト更新だな、おめでとう! 26Fから難易度が一段階上がるからな。それまでは運やゴリ押しでも進められるけど、この先は一筋縄じゃいかなくなってくるぜ。』
「がいこつまどうと死神にやられた。」
『危険度の高い敵の組み合わせだな。だけどやられたってことは、次にどうすればいいかもわかっただろう?』
「うん、次はレベル上げだけじゃなくて強い盾も作ってみる。」
塾から帰った遥斗がダイニングの椅子に座ると、母親が鼻歌まじりでラップのかかった皿をテーブルの上に置いた。
「新しい塾はどう? お友達できたの?」
母親は鍋を火にかけて味噌汁を暖めなおしている。
「まぁ、普通。」
遥斗は炊飯器から茶碗にご飯をよそいながら答えた。
「そう? なんだか最近楽しそうだなって思って。」
母親は味噌汁の入ったお椀を置く。
「いや、いつもと変わらないよ。」
遥斗は好物のハンバーグに箸を伸ばした。
「そうなの。何かあったらお母さんにちゃんと言ってね。」
母親は機嫌良さそうにテレビのあるリビングへと消えた。「ごちそうさま。」と呟いて、遥斗は階段を上って自分の部屋へと戻った。
遥斗は学校の授業を真面目に聞くようになった。今までも真面目ではあったが、聞いた言葉は右から入って左へ抜けていた。今はわからないところがあったら後で聞いてみよう、という気持ちで聞いている。同じようにただ板書をなぞっていただけのノートも、思ったことや疑問のある部分のメモを添えて書くようにした。こうしておいた方が後で聞きやすいからだ。
『そうだな、黄味が半熟のゆで卵って言ったらイメージしやすいかな? 核が黄味で、マントルが白身、地殻が外側の殻だ。ただ、地球の殻はひび割れてるんだ。その割れた殻がプレートだ。』
「へー、でもプレートは動くんでしょ?」
『その通りだ。超高温の黄味の近くで暖められて軽くなった白身が上昇して殻の近くで冷えて重くなる。いわば熱対流が起こってるんだ。この白身の動きが一年間で数cm殻を動かしているんだ。』
「殻が動いたら、ゆで卵割れちゃわない?」
『鋭い質問だ。実は地球のゆで卵は、ひびの下から沸きあがってきた白身が冷えて固まって新しい殻になるんだ。その反対側は別の殻の下に沈み込んで白身になる。こういう動きを繰り返してるから割れずに済んでいるんだな。』
「プレートテクトニクス?」
『そう! まさにこの考え方がプレートテクトニクスの核となる部分だ。この考え方なら地球上のいろいろな現象を説明できるよねって理論だな。』
五月の初めにあったいくつかの小テストが、いつもより〇が多めについて返ってきて驚いた。遥斗の答案は×で埋められて返ってくることが当たり前だった。中間テストは二週間後に控えている。もしかしたら今度のテストは少し成績があがるかもしれない。その日の帰り道、遥斗の目には緑がいつもより濃く見えた気がした。




