4.山中瞳
瞳がいつもの席に座ってメッセージの返信をしながら授業が始まるのを待っていると、「ほらぁ、お前ら静かにしろ」と言いながら佐伯先生が教室に入ってきた。
「えー今日は新しい生徒が体験として来たから、みんなね変なちょっかいとか出すんじゃないぞ。」
そう言って佐伯先生は末永遥斗を連れてきた。
(え・・・・・・遥斗君?)
「末永遥斗君だ。今後一緒にやっていくことになるかもしれないから、みんなよろしくな。
じゃあ遥斗君は一番後ろの空いてる席に。」
先生に促されて遥斗はのそのそと席に座った。
ひとつ机を挟んで隣に座った遥斗を瞳はまじまじと見ていた。勉強とは無縁な生き物だと思っていた遥斗がそこに存在している。遥斗は、0.75倍速のようなスピードで、やたら大きな鞄から何かを取り出して机の上に広げている。
「山中はたしか、遥斗君と仲いいんだろ?」
佐伯先生に突然名前を呼ばれて顔を前に向ける。瞳はまた一瞬だけ遥斗を見て「……別に。」とだけ答えた。遥斗は感情のよくわからない顔で笑っていた。
「お前ももうこの塾に四年もいるんだから、いろいろ教えてやってくれ。」
小学校三年か、四年生の頃、一度だけ遥斗の家に行った記憶がある。けれど何をしたかは覚えていない。どうして行くことになったのかもわからない。五年生に進級してからはクラスが別々になったこともあって、会話すらなかったんじゃないかと思う。今日この場で遥斗の姿を目にするまで、頭の中からすっぽりと抜け落ちてた感覚だった。
「えー今日はね、二年生も終わり、これから三年生になるみんなにね、『カリスマ経営者・頼朝』のお話をしようと思う。」
佐伯先生が国語の授業ではなく、雑談のように始めた話が面白くて、瞳は思わず聞き入ってしまった。
なるほどね、義経は平氏と同じことをしちゃったんだ。
確かに頼朝から見たら義経は害悪でしかなかったかもしれない。
うんうん、放っておいたら敵として立ちはだかるもんね。
そんなことを考えながら話を聞いていたら授業が終わった。
「はい、今日はここまで。今日は宿題はないからまた来週なー。」
佐伯先生がそう言うと教室は一気にざわついた。
「何今の話ぃ。佐伯先生マジウケルw」
同じバスケ部の黒瀬陽子が話しかけてきた。瞳が「うん そうだね。」と返すと、陽子は「幸太郎マジやばいw」と佐伯先生を全肯定した。
ーー絶対わかってない。
瞳は陽子が今日の話を理解しているとは思えなかったが、うなずくことしかできなかった。目がハートになった女は何処に地雷が埋まっているかわからない。
「もう、早く帰るよ 行こ。」
「瞳、抜け駆けはダメだからねw」
陽子の顔は笑っていたけど、目は笑っていなかった。
「何言ってんの、私には彼ピいるから。」
「知ってるよー。」陽子はそう言うと鞄を持って教室から出て行ってしまった。
「……まったく。」瞳は大きな息を漏らして、陽子の後を追った。遥斗はいつの間にかいなくなっていた。教室を出た瞳の頭の中から、再び遥斗の存在はすっぽりと抜け落ち元の通りの日常に戻っていった。
三月三十一日。瞳がいつものように自転車で塾に行くと、見慣れない自転車が一台とまっていた。「誰のだろう?」入口のドアを抜けると事務室の中で佐伯先生が誰かと話しているのが聞こえた。その脇を抜けて教室に入る。いつもの席に鞄を乗せ腰を下ろすと、陽子が話しかけてきた。
「瞳おつー」
「おつー」
陽子はスマートフォンを手にしてはいたが、画面は暗いままだった。(どうしたんだろう?) 心ここにあらずと言った感じだ。
「てか、今日さ、クラス分けだよね?」
瞳はピンと来た。四月から三年生は二クラスに分けられるのだ。片方は佐伯先生、もう片方は原田先生が受け持つことになるはずだ。ちょうど真ん中辺りの成績の陽子は自分がどちらのクラスになるか不安なんだろう。
「陽子なら大丈夫だって」
「え~それマヂぃ? てかうちムリなんだけど」
何が無理なのかわからなかった。
「いいなー瞳はー 成績優秀で。」
その目が笑ってない笑顔は怖いからやめてください。そう思いながら瞳は「まぁねー。」とだけ返した。
「てか、末永、この塾入るらしいよ。」
陽子が顔を近づけ声を潜めながら言った。(あ! じゃああの自転車ってもしかして……)瞳が腑に落ちた様子で「へぇそうなんだ。」と返すと、
「あいつさ、絶対下のクラスだよ? あたしも下だったらどうしよー つかマジカンベン」
「大丈夫だって。」
薄い壁を隔てた向こうの廊下を誰かが通る気配がした。視線が前のドアに移る。「はーい、みんなおはようー。」ドアが開いて佐伯先生が入ってきた。
「えー今日はね、みんなの新しい仲間を紹介します。 こないだ体験に来たからみんなも知ってるかな? 末永遥斗君です。 さ、こっち来て。 うん。 じゃあ自己紹介だけしよっか。軽くでいいからな。」
そう言われておどおどした様子で、遥斗は教卓の前に立った。
「末永遥斗です。 よろしくお願いします。」
終始ヘラヘラして、面白くもなんともないのに笑いながら遥斗は自己紹介をした。相変わらず0.75倍速の彼は、再び瞳の一つ隣の席へ腰をおろし、ボリューム満点の鞄から何かを取り出して机の上に広げていた。瞳は頬杖をついた手の平で口を隠しながら、(遥斗には何か見えない薄い膜でも張ってるのかしら?)と思った。
「はい! じゃあ今日はね、四月からのクラス分けと、新しいワークも配るから、みんな間違えないようにねー。来週違う教室に入ったり、古いワーク持って来たって俺は知らんからな。」
「てか先生あたしマジムリなんですけど」
「いや俺は陽子の何が無理なのかわかんねーよw」
佐伯のツッコミに教室が沸いた。
(そうだそうだ!いいぞー!)心の中で合いの手を入れながら瞳もクスっと笑った。
授業が終わると、陽子がめそめそした演技で瞳の方へ寄ってきた。無事に佐伯先生のクラスに入れて嬉しいのだろう。「良かったね、陽子。」瞳は陽子の肩に手を回して、頭をよしよしと撫でた。そうしていると陽子は突然何かを思い出した様子で慌てて鞄を持って教室から出て行ってしまった。(……バスケだな)。今日は陽子の推しチームの試合があったはずだ。
「……はぁ。」
頭を撫でていた右手が宙に浮いたままの瞳の視界に、荷物を鞄に詰め込む遥斗の姿が入った。一歩だけ遥斗の方へ踏み出し、様子を伺う。
「……遥斗君さ、その鞄の中って、何が入ってるの?」
「え、いや……別に。……教科書、とか?」
真っ暗な目で瞳を見上げる遥斗の鞄には、よくわからない紙やプリントが雑多に詰め込まれていた。(教科書とかって、とかの方が多くない?)
「……ふーん。」
そう言って瞳は自分の席に戻り、帰り支度を整えて教室を出た。自転車に乗って家に帰る最中、瞳は「遥斗は怠け者の亀なのかもしれない。」と思った。




