14.山中瞳
瞳は夏休みの間毎日塾に通った。暑くても雨が降っても風が吹いても、それこそ自転車が壊れたって通った。午前中の自習は最初の一週間は一人だけだったが、その後遥斗が加わり、お盆が開けた頃には陽子も合流して三人になった。
陽子は決勝戦で負けた後も引退せずバスケ部に残っていた。私立高校のセレクションを受けるつもりらしい。セレクションが終わって暇だから、と自習しに来た理由を説明していたが、実際のところはわからなかった。「やっぱり瞳と同じ高校がいいし。」とも言っていたことを考えると、セレクションに手ごたえが感じられなくて推薦の道は諦めたのかもしれない。
陽子が自習に参加し始めたのを境に、佐伯先生が自習の終わりに問題のプリントを持ってくるようになった。瞳と陽子しかいない月曜と水曜には持って来なかったから、三人が揃っている日にだけ問題を出すのだろう。持って来た問題自体はそれほど難しいものではなく、文章をよく読んだり、少し考えたりすれば解けるというレベルの問題が多かった。五分程度の解答時間があって、その後は答え合わせをするという流れだった。お互いの回答を交換して丸つけをしろとのことで、瞳は遥斗の答案を担当することになった。
遥斗の書いた字は無駄に濃い上に大きかった。答えを導き出そうとしている途中式も、瞳なら省略して書きそうな部分まで幅を取ってしっかりと書いてあった。式は合っているのに計算が途中で終わっていて、答えが空欄というものが多かった。時々昔の自分と同じような間違え方をしていて、訳もわからず猛烈に恥ずかしくなることもあった。
答え合わせの最後に、毎回どうやって解いたかを佐伯先生に聞かれた。瞳は自分が正解した問題でも、言葉にして説明することが案外難しいと感じた。考え方や解き方を飲み込んで消化して自分のものにしていないと、スムーズに言葉が出てこなかった。ましてや遥斗にも伝わるようにと考えると、なおさらその難易度は上がった。自分では一から十まで言わなくてもわかる。自分の中では二から五に飛んでも繋がる。けれど、最初の一がわかっていなかったり、三や四がないと五に辿り着けなかったりする人もいるのだ。
陽子や遥斗の言うことを聞くのも興味深かった。
陽子の説明は教科書的なものが多くて、応用問題に手こずるのもうなずけた。しかし、時々まっすぐ一直線に答えに辿り着く閃きのような解き方をしてみせた。その説明も感覚的というかストレートというか、いかにも陽子らしいもので、これには瞳も感嘆するしかなかった。
遥斗の説明はボソボソとして聞き取りにくかったが、正解までの道のりを一段一段丁寧に積み上げてる途中で時間切れというパターンが目立った。そもそも問題文を正しく読めていないこともあった。
ーーこういう場合はどうするんだろう? 瞳は自分にあてはめて考えた。やっぱり慣れるしかないかな? 数をこなして身体で覚える。ちょっと体育会系かな?
瞳はこの自習時間の残り十分の問題を初めのうちは「解けて当然」という心づもりで臨んでいたが、そのうち「正解した先」を考えて解くようになった。
九月の初めの日曜日、県内模試の数学を解いていると、自習の時にやった問題とそっくりな問題が出題されて、瞳は心の中でガッツポーズを作った。(こんなことってあるんだー)瞳は嬉しさを噛みしめるように問題を解いた。全ての問題を解き終えた瞳は、余った時間で一問ずつ丁寧にーー今まで省略してきた一段も飛ばさずにーー見直しをした。
五科目の試験を終えて会場の部屋を出ると、バッグから真っ先にスマートフォンを取り出した。電源ボタンを長押ししてスイッチを入れる。この高揚した気持ちを誰かと共有したくて、起動されるまでの間が待ち遠しかった。階段を下りる人波を用心して進み、手に持ったスマホを落とさないように慎重に歩いた。
一階の明るい強い西日が差しこんだエントランスを抜けると、スマホが小さく震えた。反射的に視線を手元に落とし、待ち受け画面の下部に表示されたメッセージを素早く読んだ。ーー陽子からだ。別会場で試験を受けていた陽子の、スマホを手にした姿が目に浮かぶ。瞳は顔を上げて人の少ないところを探してそこまで移動し、立ち止まってスマホを開いた。
「瞳ー 今日の数学の問題、あれ自習の時のやつだったよねー 幸太郎バッチリ!」
陽子も気づいてる! あんたもバッチリだよ!
「ねー! 私もガッツポーズしちゃったよ!」
急いで入力したせいで何度もフリック入力を失敗した。送信したメッセージに一秒とかからず既読がつく。瞳はスマホをみてニヤついてる自分が容易に想像できてしまって、いたって平静を装って人の流れに合流した。確かに先生もバッチリだったけど、あの問題を正解してみんなに説明したのは自分だったということはあえて送らなかった。ほどなくして再びスマホが震えた。
「でもさー 瞳が丁寧に解き方教えてくれたからね! それが今日のMVP!」
陽子からのメッセージを読んで、瞳はこみあげてくるものを夕日を見て我慢した。




