第82話: 騎士の流儀
朝。カイルの宿舎を叩く音が、街に響いた。
「カイル! 起きろ! 緊急事態だ!」
扉が開いた。半裸のカイルが眠そうな顔で立っている。金髪が盛大に寝癖を作り、青い目は半分閉じている。
「……レン。朝飯前に何だ」
「剣を教えてくれ」
「は?」
「三日後にアルデンと決闘する」
カイルの目が——ぱちっと開いた。覚醒した。
「お前、あの銀髪の騎士と? セントラリアの剣術でも有名な——あのアルデンと?」
「そう」
「お前、剣を持ったことあるのか?」
「ない」
「素振りは?」
「ない」
「体力テストは?」
「前世で再下位だった」
カイルが腕を組んだ。レンを上から下までじっくり見た。痩せ型の体。寝癖だらけの黒髪。目の下のクマ。およそ戦士とは対極にある体つき。
「……三日で何とかなるわけないだろ!」
「だよな」
「だよなじゃねえ! なんで受けた!」
「断れる雰囲気じゃなかった」
レンが事情を説明した。アルデンが密偵だったこと。ゴーレム暴動への関与。そして「騎士の流儀」としての決闘申し込み。
カイルは黙って聞いていた。聞き終わると、大きく息を吐いた。
「……そういうことか。あいつは贖罪したいんだな」
「カイル、お前たまにそういう鋭いこと言うよな」
「たまにじゃねえ! いつも鋭い!」
「まあいい。で、教えてくれるのか」
カイルが——にやりと笑った。
その笑顔を見た瞬間、レンは本能的に逃げたくなった。
「任せろ。三日で叩き込む」
「叩き込むって、何を」
「全部だ。素振り、体の使い方、間合い、反応——全部。寝る暇はねえぞ」
「いや、AIで戦闘シミュレーションを回して最適な——」
「お前」
カイルがレンの肩を掴んだ。大きな手が、肩を覆い尽くす。
「シミュレーションで剣が振れるようになるなら、冒険者ギルドはいらねえんだよ」
「……正論で来るな」
訓練場。
レンの手に、木剣が握られていた。
初めて握る剣——いや、木剣でも重い。ずしりとした木の感触が、手のひらに食い込む。
「まず素振り百本」
「百本?」
「少ないくらいだ。俺は毎朝三百振ってる」
「お前のスペックと一緒にするな。俺はCTOだぞ。座り仕事の専門家だ」
「知るか! 振れ!」
レンが木剣を振った。
一本目。
「フォームが死んでる」
二本目。
「腰が入ってない」
三本目。
「おい、目を閉じるな」
「閉じてない。瞬きだ」
「嘘つけ。怖がってるだろ」
「怖がってない。目にゴミが」
「振れ!」
十本目で、息が上がった。
二十本目で、腕が痺れ始めた。
三十本目で、木剣が手から滑り落ちた。
「……体が……バグってる……」
「バグじゃねえ。お前の体がなまってるんだ」
「カイル。お前、運動したことあるのか? ってのは愚問だな。逆だ。お前、座ったことあるのか?」
「毎日座ってる」
「座って何してるんだ」
「飯食ってる」
「食う時だけかよ」
カイルが大笑いした。訓練場に豪快な笑い声が響く。
「いいか、レン。お前の体は動くようにできてない。でもな、人間の体ってのは三日あれば最低限は覚える。筋力じゃない。体の使い方だ」
「体の使い方」
「そうだ。お前、AIで最適化するだろ? 体も同じだ。無駄を削って、必要な動きだけ残す」
「……それは、わかる」
「だろ? 難しいことはわからんが——お前の言葉で言うなら、体にも最適化ってやつがあるんだ」
レンは——少し驚いた。
カイルの口から「最適化」という言葉が出るとは思わなかった。
「お前、いつそんな言葉覚えた」
「お前が毎日言ってるからだ! うつるんだよ!」
午後。
レンがエルナのパン工房の裏で、地面に座り込んでいた。
全身が痛い。腕が上がらない。足が震えている。前世のサーバールーム以来の全身疲労。いや、それ以上。
「何してるの」
エルナが裏口から顔を出した。粉まみれのエプロン。手にはパン生地。
「……死にかけてる」
「大袈裟ね。で、何があったの」
「アルデンと決闘することになった」
エルナの手が止まった。
「……は?」
「三日後に。剣で」
「あんた、剣なんか使えるの」
「使えない」
「じゃあ負けるじゃない」
「たぶんな」
エルナがレンを見下ろした。緑の目が、呆れとも心配ともつかない色を浮かべている。
「AIで何とかならないの? あんたいつもそうしてるでしょ」
「それは考えた。戦闘シミュレーションを回して、アルデンの剣筋のパターンを分析して、最適な回避ルートを——」
「それ、決闘って言えるの?」
エルナの一言が、レンの口を閉じさせた。
「相手は正面から来るって言ったんでしょ。密偵としてやったことの贖罪で。なのにあんたがAIの分析だけで勝とうとしたら——」
エルナがレンの目を見た。
「——それって、相手の覚悟を馬鹿にしてるのと同じじゃない?」
レンは——何も言えなかった。
「自分で戦いなさいよ。下手でもいいから」
エルナがパン生地をレンに押し付けた。
「はい、これ食べて。午後も練習するんでしょ」
「これ、生地のまま——」
「焼く暇がないの。あんた向けの特別仕様。そのまま食べられるように仕込んであるから」
「味は?」
「塩味。汗かいた体にちょうどいい」
レンは生地をちぎって口に入れた。もちもちした食感。塩気が疲れた体に染みる。
「……うまい」
「当たり前でしょ」
エルナが踵を返した。裏口に消えかけて——振り返った。
「あんた。負けてもいいけど、逃げたらだめだからね」
「……わかった」
「30点の返事。でも、まあ——」
エルナの口元が、わずかに緩んだ。
「ちょっとだけ、かっこいいかも」
裏口が閉まった。
レンは——立ち上がった。体中が痛いが、不思議と足に力が入る。
「……よし」
二日目。
カイルの特訓は容赦なかった。
朝五時起き。走り込み。素振り三百本。型の反復。間合いの練習。打ち込み稽古。
「腰! 腰が落ちてる!」
「落ちてるんじゃない、崩れてるんだ!」
「同じだ! 直せ!」
レンの木剣がカイルの木剣に弾かれた。手が痺れる。握力が限界に近い。
「おい、レン。聞いてるか」
「聞いてる。手が聞いてない」
「体は後からついてくる。まず頭で理解しろ。お前はそっちのほうが得意だろ」
「頭では理解してるんだ。上段からの打ち込みに対しては半身に構えて受け流す——」
「言葉にするな! 体で覚えろ!」
「矛盾してるだろ! 頭で理解しろって言ったの、三秒前のお前だぞ!」
「細かいこと言うな!」
カイルが木剣を振り下ろした。レンが辛うじて受ける——が、衝撃で膝が折れた。
「お前、受け方は悪くない。反応はある」
「反応はあるのに体がついてこない。前世で言う通信遅延ってやつだ。脳と体の間のラグが——」
「前世の話はいい。今の体で戦え」
カイルがレンに手を差し伸べた。レンがその手を掴んで立ち上がる。
「なあ、レン」
「なんだ」
「お前、AIの分析は使うんだろ?」
「エルナに『自分で戦え』って言われたんだが——」
「エルナちゃんの言うことは正しい。でもな——使える武器は使え」
カイルが木剣を肩に担いだ。
「AIの分析を『命令』として使うのと、『参考』として使うのは違う。——違うだろ?」
レンは——目を瞬いた。
「カイル。お前、本当にたまに鋭いな」
「だからたまにじゃねえって!」
「いや、今のはマジで鋭い」
AIの分析を命令として自動実行するのではなく、判断材料として自分で選ぶ。——それは、この国を建てた時からずっとやってきたことだ。
「つまり、AIに『こう動け』と指示されるんじゃなく、AIの予測を見た上で自分で動く」
「そういうことだ。たぶん。難しいことはわからんが」
「わかってるじゃねえか」
二日目の夜。
ハンナが訓練場の柵にもたれて、レンの特訓を見物していた。
「ねぇねぇ、レン君」
「ハンナ、なんだ」
「エルナがね、今朝からずっとパン焦がしてるの」
「は? エルナが? あのパンの天才が?」
「あんたのことが心配で集中できてないのよ。本人は『別に関係ない』って言ってるけど、もう三回焦がした。三回! エルナが!」
レンは——少し黙った。
「……そっか」
「そっか、じゃないでしょ! もっと嬉しそうにしなさいよ! あたしが判定する! これは心配してる! 好きの証拠!」
「声がでかい」
「あたしの声はいつもこの大きさ!」
カイルが割り込んできた。
「おい、ハンナ。見世物じゃねえ。邪魔なら帰れ」
「見世物じゃないなら、あたしが審判してあげる」
「いらん!」
ハンナが柵の上に腰かけた。
「ちなみにね、アルデンさんも今頃特訓してるよ」
「あいつが? あいつは最初から強いだろ」
「うん。でも城壁の外で一人で素振りしてるの見たって、見張りの兵士が言ってた。すごい形相で。千本くらい振ってたって」
レンは——考えた。
アルデンも準備している。この決闘は、騎士にとっても真剣なのだ。
遊びじゃない。贖罪の剣。正面から来る。
なら——こちらも、正面から。
「カイル」
「おう」
「もう百本、追加で」
「……お前がやる気出すの、珍しいな」
「うるさい。振るぞ」
「おう! いいぞ! 声出せ!」
木剣が風を切る音が、夜の訓練場に響いた。
三日目の朝。決闘の前日。
レンは全身の筋肉痛で、ベッドから起き上がるのに三分かかった。
「……前世のデスマーチより辛い……」
鏡を見た。目の下のクマが濃くなっている。腕は擦り傷だらけ。手のひらにはマメができて潰れた跡。
だが——体の使い方が、昨日より少しだけわかるようになっていた。
三日前は「木剣を振る」ことすらまともにできなかった。今は——下手くそではあるが、振れる。カイルの打ち込みを、十回に一回くらいは受けられる。十回に一回。つまり九回は弾かれる。
それでも——ゼロではない。
「イグニス」
「ん」
「AIの戦闘分析、起動してくれ」
「やっと使う気になったか。で、何を分析する?」
「アルデンの剣筋データ。ノエルの水鏡に記録が残ってるはずだ。使節団が到着してからの訓練映像」
「了解。——おい、ノエル。データよこせ」
ノエルの声が水鏡越しに聞こえた。
「イグニス殿。『よこせ』ではなく『いただけませんか』と言えないのでしょうか」
「うるせえ! 早くしろ!」
「……まったく。はい、どうぞ」
水鏡にアルデンの剣術訓練の映像が展開された。
レンはそれをAIで分析した。剣筋のパターン、足運びの癖、間合いの取り方、攻撃のタイミング。データが数値化されていく。
「……なるほど」
アルデンの剣術は、正統派だった。王道の型。力強く、美しく、隙がない。だが——パターンがある。正統派だからこそ、型の中で動いている。
「右上段からの打ち込みが全体の四十二パーセント。袈裟懸けが二十八パーセント。突きが十五パーセント。横薙ぎが十パーセント。その他が五パーセント」
「ふむ」
「右上段のあと、七十パーセント以上の確率で左への体重移動が入る。そこに隙がある——ただし、零コンマ三秒しかない」
「零コンマ三秒って、反応できるのか?」
「普通は無理だ。でも——予測していれば、間に合うかもしれない」
レンはデータを頭に叩き込んだ。
AIの分析は参考にする。だが、動くのは自分の体だ。カイルが言った通り——命令ではなく、判断材料として。
「よし」
レンは木剣を握った。最後の練習に向かう。
体は限界に近い。だが、頭の中は冴えている。
明日。
騎士の流儀とやらに、こちらは——プロンプトエンジニアの流儀で応える。
……流儀と言えるほどのものがあるかは、正直わからんが。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
第82話「騎士の流儀」。決闘に向けた三日間の特訓回です。
書いていて一番楽しかったのは、カイルの「命令として使うのと参考として使うのは違う」という台詞です。カイルは難しい理屈は言えません。でも、本質を突く。それがこのキャラクターの一番の魅力だと思っています。
そしてエルナの「自分で戦いなさいよ」。この一言が、レンの戦い方を決めました。AIの分析を捨てるのではなく、AIの分析を「自分の判断材料として使う」。それがレンハルト・コードという男の戦い方です。
次話「鈍器と剛剣」は、いよいよ決闘当日。レンは弱い。でも——逃げません。
☆評価・ブクマ・感想をいただけると次話の励みになります!




