2-18 我々の本意
その日の夕飯は、久しぶりに家族が勢ぞろいした。
本邸母屋の食堂で、いつもは空席の上座に、相変わらずじんわりと苦い教会の香木の香りを漂わせた父と、その左前にいつもニコニコと優しげな母。その前にリリと、隣にゼノ。
キリエもおめかしして、リリの隣で銀の器に盛られた減塩猫用生ハムが詰まれてゆくのを、目をキラッキラさせて眺めている。
やっぱりこの子。生ハムのことしか考えてないんじゃないだろうか。
「まずは何事も無く帰って来てくれたようで、何よりだ」
じぃっとキリエを見ていたら、前菜が並んだのを皮切りに、そう父が口を開いた。
眉間の皺がアリストフォーゼ領の聖なる山とやらなみに険しくなっているが、別に怒っているわけじゃない。これが父のデフォルトだ。
「はい。間に合わないかと思いましたが、帰りは天気にも恵まれて、とっても早かったです」
無事の意味がそういう意味でないのは何となく察せられたが、そんな当たり障りのない返答をしたところで、コクリと父が頷いた。
「ご領地はどうだった? 今年は寒いから、あちらはとっても大変だったのではないかしら」
ニコニコと問う母に、リリも「すごい雪でした」と頷いた。
「養父上。今年の北部は雪解けが遅くなりそうです。春の祭礼にはいつもより多めの祝福を用意しておいた方が良いかと」
「メットェリアの蜜か。気候の安定している西の分から融通をきかせよう」
「それから今年も、凍った洞穴に入ろうとした盗掘者が数名出たとの事。大きな野盗グループの関与が見られる節があったので、王国警備隊にも情報を渡しましたが、宜しかったでしょうか」
「ここ数年増えていたからな。証拠は何か見つかったか?」
「盗掘に入られた場所と、周辺の住民からの情報だけです。尚早でしたか?」
「いや、確信が持てたのならいい。詳細は後ほど」
「かしこまりました」
何やら真面目な話を取り交わす二人を余所に、アリストフォーゼ領土産の生ハムを使ったサラダを、さくりとフォークで突く。
素材と調理法はアリストフォーゼ風だが、ドレッシングは柑橘のきいたドレッセン風。リリにとってはなじみ深い味だ。
料理人も、久しぶりに父が戻っていて気合が入っているのか。パラリと贅沢な黒こしょうがふってあって、とても美味しい。
「オルネスト殿下の様子はどうか。先に王都に入ったフェイルゼン侯は、早速派手に動き回っているようだが」
「派手な動きはありません。そちらは敏腕の候にお任せになっておられるのでしょう」
「あら、この生ハム、とってもおいしい」
二人の会話をよそに、思わずそう呟いた母に、リリも二人を無視して頷いてみせた。
「お城のシェフが自ら作った自家製だそうですよ。領地のお土産です」
そう言葉を返しながらも、耳はほんの少しだけ、父とゼノの会話に傾けておく。
いつもならがん無視で料理を楽しむんだけど、なんだか思ったより大切そうな会話をしていることに、今更気が付いたのだ。
というか、今話題に出てきたフェイルゼン侯爵家の娘であり、候の妹である母は、それでいいんだろうか?
「ただ殿下も我々の目のないところで、姉上にはこそこそと働きかけを行なっていたようです」
「報告書にあった件だな」
ちら、と父の目が向いたのを見て、リリも視線を向ける。
食事中に父と目が遭うなんて、珍しい。
「音楽祭は魅力的ですが、面倒になるようでしたら家で大人しくしています。キリエいわく、ポンコツな私が何か考えるより、お父様やゼノの言う通りにしておいた方が安心安全だそうですよ?」
「……」
「……」
あれ。なんかお父様が、見たことも無いような困惑の顔になっているぞ。
「……本気で、そのようなことを御使様が?」
「えぇ。生ハムにうっとり涎を溢している、そこの御使様が」
そうチラリと足元を見たが、生ハムにがっつくお猫様がリリを咎める様子はなかった。
リリより生ハムの方が地位は上のようだ。
「……リリ」
「はい。なんでしょう」
「我が家では、御使様に選ばれた愛し子に、その思想を左右するような言葉をかけることは、禁忌とされている」
「はぁ」
「だがその掟に縛られるあまり、そなたが自ら“判断”するのではなく、ただ訳も分からず“流されている”だけなのでは、というゼノの指摘に、私も今、少し困惑している」
「とっても今更ですが、お父様。私は先日までお父様が教会関連のお仕事をしていたことすら知りませんでした。これが普通の事でないことくらいは、私にも分かります」
「……そこまでか」
「そこまでです」
ハァ、とため息を吐く父の様子を見ても、どうやらリリの無知っぷりは、父の想像をはるかに超えていたようだ。
「御使様は、そなたに何も教えなかったのか?」
「美味しい生ハムの見分け方と、罵り言葉のバリエーションくらいしか教わっていませんね」
「……」
うん、そんな目されても、これが現実だよ、お父様。
「そうか……御使様にも、色々といるんだな……」
あれ。キリエが変なのか? キリエだからなのか?
「まぁ、いい。それで、御使様は、私やゼノの言うようにするのが良いと?」
「正確には、最近一気にいろんなことを知って、正直考えるのが面倒になって来たので、手っ取り早くあれしろ、これしろって言われた方が楽だなぁ、と愚痴ったら、いいんじゃない、と。まぁ、なんだか軽いノリで」
「軽いノリ?」
「えぇ。軽いノリです」
「……」
すごいよ、キリエ。君、前菜の間に三回も父をフリーズさせたよ。
でも流石にちょっと可哀想なくらい混乱しているみたいだから、続きはスープで体を温めてからにしよう。
「思いのほか神のご意志が寛容であったことは理解した」
お父様、どうやら体が温まって、非常に投げやりなかつポジティブな理解をしたらしい。
「しかし愛し子とは当家において、絶対不可侵の、妨げてはならない神の意思だ。私達がそなたの意思を阻むことはないことを、理解しておきなさい」
「それはそれでとっても怖いので、一応良し悪しくらいは言ってもらわないと困ります。私、ゼノが教えてくれるまで、オルネストお義兄様のエスコートを受けたらドレッセンが困る、だなんて考えもしていませんでした」
「えっ」
上品な仕草でニコニコとメインの肉料理を切り分けていた母が、思わず声を溢して顔を跳ね上げた。
どうやら母はその辺の情報も存じていなかったらしい。
同時に、そんな母すら驚かねばならないほどのお誘い内容だったらしい。
「だが……それがリリの意思ならば……」
「いえ、ですからお父様。それは別に、私の“意思”ではありません。私、ドレッセンが好きですし、ドレッセンでのアリストフォーゼ家の立場に不満も有りません。それが、エスコートの返事一つで壊れてしまうような事態になりかねないという“知識”がなかったせいで、うっかり肯きそうになりましたけど、それは私の“本意”ではありません」
「……なるほど」
「私の“意思”というのであれば、私、アリストフォーゼも、ドレッセンも、アンブロシアも、和気藹々と、平和的な関係を築いて欲しいですし、ドレッセンよりアンブロシアと親しくなるべきだとも思っていません。アリストフォーゼにとって両国が平等か。或いは少しだけドレッセンに優位なくらいでちょうどいいと思っています。アンブロシアは神様に頼らなくても、発展目覚ましいそうですからね」
「それが、愛し子の“意思”か」
「ええ。でも私には、どうすればその意思が通るのか、その方法が分かりません」
愛し子様の意思が絶対だというのであれば、教養を与えずに放置し、勝手に慮って勝手に動くのではなく、ちゃんとこの言葉を聞いて欲しい。
リリが本当に望んでいるのは何なのか。
リリが困惑する前に、ちゃんと導いて欲しい。
「という事なのでお父様。私の言葉一つ一つにただ従うのではなく、私がどうしてそう思っているのかを、ちゃんと聞いてください」
「……なるほど」
「それで出来ましたら、そのためにはどうしたらいいのかを、ちょっとくらい教えていただきたいと思います」
「……善処しよう」
あれ。善処なの? そこは無条件に二つ返事で頷く所じゃないの?
「ふふっ。旦那様にそんな器用なことを求めても駄目ですよ、リリ」
そう笑ったお母様に、あ、なるほどね、と即座に理解した。
お父様って、別に敢えてリリを放置したというより、元々そういう性格なんだね。良く分かったよ、お母様。流石お母様。
「えーっと。お願いします、ゼノ」
「わかりました」
仕方がないから矛先をゼノに向けたら、ゼノも何とも言い辛そうな苦笑を浮かべながら、肯いてくれた。
「ではリリ。今回の調印にかかる一連の儀式について。我々がそなたをどう扱えばいいのか。そなたがどうしたいのかの意思を聞きたい」
って、そこでいきなり大題ですか!
知識が無い娘にそこを聞くんですか、お父様!
これ、何て答えたらいいの?! と思っている内に、空になったメイン皿が回収され、すっかり生ハムを堪能し終えたらしいキリエの前からも銀皿が回収された。
ということなので、「キリエさん、キリエさん」と膝を叩いて見せて、ヘルプを求める。
それに気が付いたらしいキリエが、満足そうに口周りの毛繕いをしていたのを邪魔されたことにジットリと嫌な目を見せたけれど、もう一度ポンポンと膝を叩いて見せたら、仕方なさそうに飛び乗って来た。
「至福の時間を邪魔したリリには、デザートの割譲を要求するにゃ」
「御使様は何と?」
「助言が欲しいなら賄賂を寄越せ、だそうです」
「……」
いや、お父様。私、本当の事しか言ってないよ? 本当だよ?
「えーっと。ダリア。キリエにも何か用意してあげてくれる?」
取りあえずそう振り返って、給仕を務める侍女にお願いしたら、キリエが目に見えて上機嫌になった。
「それで、キリエさん。私、何て答えたらいいですかね」
「ハァ……リリはもういっそのこと、王太子が欲しいですとか言っておけばいいんじゃにゃいか? リリの家柄なら簡単にゃ。それでリリが王子を婿にすれば、後は全部リリの希望通りになって、僕も肩の荷が下りるにゃ」
「それはチートを通り越してただの丸投げですよ、キリエ先生! 後が怖いんで絶対にできないヤツです!」
なんて怖いお猫様。
「リリ。キリエは……」
「待って、お父様! 今のは無しで!」
そんな怖いこと、流石に口にできません。
「キリエさん、キリエさん。今度の調印式、無事に今まで通り平和な感じで終わってくれたらいいなって思うんですけど、アリストフォーゼ家的にどうしたらいいですかね?」
どうだ。これだけ具体的なら……。
「だから、リリが王子を婿に……」
「キリエさん。くれぐれも“素晴らしい助言”をお願いします」
そうぐっと丸く膨れたお腹を握ったところで、「ニャッ!」と、キリエの顔が歪んだ。
「は、放すにゃッ。い、今はお腹がいっぱいでッ」
「まぁるく膨れたお腹ですこと。このままもっと強くつかんだらどうなるのかしら」
「やめるにゃ、リリッ! 食後の紳士の胃袋は、せ、繊細なんだにゃッ」
う、うぐっ、と器用に前足で口を押えるキリエの顔が、見る見る憐れに歪んで行く。
でもたとえここでキリエが圧迫された胃の中身をひっくり返してドレスを駄目にされようが、キリエが紳士のレッテルを剥がされ地の底まで落ち込もうが、頓珍漢な助言をされるよりは良いはず。
「にっ、にゃーは別にふざけてるわけじゃないにゃッ」
「はいはい。それで?」
「ッ、リリは取りあえず、音楽祭に行ったらいいと思うにゃ!」
「うん?」
ようやく別の助言が出て来たので、少しばかりお腹を締め付ける手を緩めて差し上げる。
無論、逃がす気はないが。
「でもお義兄様のエスコートは不味い、って」
「違うにゃ。ゼーレムと行ったらいいにゃ。う、うぷ……」
「お父様と?」
何で? と顔をあげたところで、父と目があった。
当然ながら、父はキリエが何を言っているのかわからないのだろう。突然顔をあげたリリに、少し不安そうにジッとこちらを見つめている。
あれ。なんか今更だけど、うちのパパ様、イケメンだな、おい。お母様が一目惚れして押しかけ女房になるはずだよ。うん。
「じゃなくて、どうしてお父様と?」
「リリは放っておいても、どうせ音楽祭に行かないといけなくなるにゃ」
「え、何で?」
「そういうイベントだからにゃ」
「結局それか!」
なんてこった。キリエさん。それ、もっと早く言っておいてほしかったな。
「本来、ご主人様が用意したゲーム序盤のオープニングはこのイベントだったにゃ。最終的な選択肢は四つ。一つ目は、オルネスト」
「いきなりバッドエンドフラグが立つんですか?!」
「隠しキャラ攻略に必須の選択肢だから、これでいいんだにゃ」
何だって。初耳だよ。誰だろう。ていうかそれ、流れ的に絶対アンブロシアの誰かだよね。アナイスとか? 超年齢差の叔母甥カップル? それともまさかの姉婿争奪ルート?
いや、ないな。うん、ない。
「二つ目はゼノ」
「ん、何で?」
「その選択肢でゼーレムが怪我して欠席するルートが発生するにゃ」
「あ、お父様いかない前提で、代役ってことか」
「三つ目がゼーレム」
「じゃあ四つ目は?」
「スオウにゃ」
「なぜそこで出てきた、スオウ様!」
訳が分からない。ちょっとキリエさん。そのゲーム、一度じっくりやらせてくれませんかね? 前後関係、確認したいんで。
「スオウ様? リリ、スオウ様が何か?」
だがそこでピクリと反応した父に、はたと顔を上げる。
「え、えっと。何だかキリエが、例の音楽祭は、放っておいても絶対に私が参加することになる、と断言してます。オルネストお義兄様か、ゼノか、お父様か……それでなぜか、スオウ様、って」
「そういえばスオウ殿下から、リリ宛ての招待状が来ていたな」
「何故!?」
ちょっとちょっと、スオウ様。何やってるの?!
「リリ。今言ったにゃ。これはオープニングイベントなんだにゃ」
「う、うん?」
「攻略対象はほぼ全員出て来るにゃ」
にゃーにゃー言ってるキリエさんいわく、ゲームは、まずは自宅で、スオウからパーティーのお誘いが届いたことに始まるそうだ。
リリの好きな音楽に関するお誘いで、まずはこれに①「行く」か、②「行かない」かの選択肢になる。②「行かない」を選択したら、その後オルネストからの申し出があり、強制的にオルネストと行くことになって、隠しキャラフラグが立つ。一方、①「行く」を選択したら、更に①父に相談。②弟に相談。③母に相談の分岐になる。
父に相談すると、父と行くことになる。弟に相談すると、その弟とも親交のあるスオウと行くことに。そして母を選択すると、張り切って準備しようとした母を庇った父が怪我をして欠席フラグが立ち、ゼノと行くことになるらしい。
「ユーシス・ラウル攻略ならゼーレム。スオウ・バルト攻略ならスオウ。ゼノ攻略ならゼノと行くのが吉にゃ」
なんか街角恋愛占いみたいな言い方してるけど……どうやらその後の音楽祭で、ユーシスとラウル。その後の歓迎式典で、スオウとバルトに遭遇することになるらしい。
ゼノ以外を選択した場合、ゼノとの対話は家を出る際のお見送りで終了である。
つまり、ヒロインはこの期間にすべての攻略対象と面識を得なければならず、そこで遭遇した彼ら生徒会メンバーとあれこれあって、『アリストフォーゼ家に次女がいたとは』という流れで、なんか強制生徒会入りが決定し、春から生徒会メンバーとなって学院生活が始まる。
これが、本来のゲームでの流れなのだそうだ。
色々あってリリはすでにゲームの流れを逸脱し、すでに生徒会メンバーな上に彼らとの面識もがっつりできているから内容に何かしらの変更はあるだろうが、少なくともキリエいわく、欠席するという選択肢はないのだという。
「つまり、行かないという選択肢をした時点で、強制アンブロシアルート?」
「そうにゃ」
「お父様。私、音楽祭行きます。いかないと大変なことになりそうです」
「そ、そうか?」
とはいえ、先だって女の子を押し付けて『次に会った時には、“優しいお兄ちゃん”対応はしてあげられないと思うから。覚悟しておいてね』とか絶対零度の微笑みで言われたばかりのリリとしては、スオウという選択肢は有り得ない。有り得てはならない。
ていうかしまった。スオウと顔を合わせるのってあれ以来じゃないか?
やべぇです。はい。
あとは、お父様に怪我をさせるわけにもいかないから、母に相談。つまり、ゼノと行くという選択肢も避けておきたい。
じゃあ、お父様とってことになるが。
「えーっと。お父様と行くのが一番いいみたいなんですが」
「ふむ」
チラ、と父が視線を寄越したのは、相変わらず、我関せず、といった顔で料理を楽しんでいた母だった。
あぁ、そういえば父が社交に出る際の正式なエスコート相手は、母になるのか。
ドレッセンでは立場の曖昧な母だが、だからこそ、こうした公式の行事にちゃんと連れ添うことは、ドレッセン側にも、母がちゃんと父の妻であることをアピールする格好の場面になる。
だとすると、流石に、母から父を奪うわけには……。
「ちょうど宜しいですわ、旦那様。リリのエスコートは旦那様が。オルネスト様の方にも、パートナーの件、お受けいたしますとお返事をしてくださいませ」
「お母様?!」
なぜそうなった? と首を傾げたリリに、母はニコリと、いつもののんびりとした微笑みを浮かべて見せた。
その顔が、妙にリリとそっくりで、まるで何も考えていないみたいな顔だけど。でも。
「当日は、私がオルネスト様の義理の母として出席させていただきますわ。リリは、お父様のお傍に」
「え?!」
「どうせお断りしても、あの子、しつこくリリを誘うと思うわ。リザがいない以上、国際ルール的にリリが最適な相手なのは事実だもの」
あ、なるほど。それで、リリが「行かない」を選択をしたら、強制的にオルネスト一択になるんだね。法的な縛りで、そうなるのか。
「だから私がオルネスト様のお相手を。私なら、元々アンブロシア籍で、ドレッセン籍を持っていない身。オルネスト様のパートナーを務めたところで、アリストフォーゼ家がアンブロシアを贔屓した、などという目で見られることもないわ」
確かにその通りだ。あれ。うちのお母様、もしかして実は結構ちゃんとその手の才が有る?
「確かに……それが一番、丸く収まるか」
「姉上。スオウ殿下を頼るのも一つの手だと思いますけど? スオウ殿下のパートナーを務めるのは、一番近しい女性の身内ということでも正当ですし、そうすれば養母上も、養父上と出席できます」
口を挟んだゼノに、あぁ、確かに、と思う。
ていうかなるほどね。ゼノに相談したらスオウと行くことになる羽目になるというのは、こういうことか。
「すごくいい案だと思うんだけど……えっと。あー。スオウ様かぁ……」
「……」
「いえね。別に、いいんですけど。悪いってことはないんですけど、今はちょっと。つまりえーっと」
「……姉上。もしかして、またスオウ殿下に何かしたんですか?」
「えっ! い、いや、別に?! ちょっと最近シスコンっぷりが甚だしいので、去り際、嫉妬に狂ったお姉様方に快く差し出してあげただけというかっ」
「ハァ……」
ゼノさんの重たいため息が、ずっしりと肩にのしかかるようです。
「早めに取り成しておいた方が良いと思いますが?」
「そういえば、帰って来たら手紙を出すようにと言われていたのを、今思い出しました」
「姉上。すぐに出しましょう。出してください。殿下が乗り込んできて面倒事になる前に」
「はぁい」
弟の忠告は真面目に聞いておこうと思う。
「それで、リリ。音楽祭への参加は良いとして、キリエはそこでアリストフォーゼがどう立ち回るべきかの助言はしていないか?」
うーん。なんだかお父様、キリエをすごく誤解していると思うんだよ。
キリエ、政治とか多分あんまり興味ないよ? リリに攻略成功させることしか考えてないよ?
「あー。キリエさん。何か助言、ありますか?」
「リリがリリらしく、普通にしてればいいにゃ」
「それだけ?」
「隠しキャラ攻略に興味がないなら、あんまりそっちに近付かないで、普通に生徒会の皆と和気藹々してればいいにゃ。そしたら勝手に皆が頑張って、ドレッセンにいい感じの条件で決着つくにゃ」
「適当だね」
「リリにエスコートを断られた時点で、アンブロシアは圧倒的に不利になったにゃ。自分だけじゃなくてアンブロシア出身のクラリサをアリストフォーゼ家当主のパートナーから除外したことで、アリストフォーゼが完全にドレッセン側だと認識されて、あっちで暗躍しているフェイルゼン侯も、根回しを受けていたドレッセン貴族も、がつがついけなくなるにゃ」
「あ、なるほど」
「スオウを選択したら尚更にゃ。リリはすでにドレッセンの王室と深いかかわりがあることをしらしめることになるにゃ。ゼノでもそうにゃ。次期当主のゼノは、リリをドレッセンから出すつもりが無いという意思表示になるにゃ」
「良く出来てますね、キリエさん。神様に、オープニング凝ってますね、って言っておいてよ」
「言わなくても聞こえてるにゃ。一杯褒めるといいことあるにゃ」
「マジですか」
お父様。神様の事、一杯褒めるといいらしいですよ。
「リリ?」
「えーっと。なんか、あとは私は適当に好きなようにしてたらいいらしいです。私がお父様と一緒に行って、ドレッセン側の人達と和気藹々と話してたら、勝手にアンブロシア側が手をこまねく状況になるらしいです」
「……リリ。神の御託宣というのは、いつもそんなに具体的なのか?」
「具体的でしたか? 非常に適当な助言だと思うんですけど……」
あれ。何でこんなに認識にずれがあるんだろう。ねぇ、キリエさん。
「あと神様を褒めたらいいこと有るそうです。後で聖堂にいってお祈りしますね。お父様、お祈りの方法教えてください」
「承知した」
あれ。なんだかお父様、ちょっと嬉しそうだな。
娘が教会に興味を持ってくれて嬉しいとか?
「ということはリリちゃんも音楽祭と歓迎式典、出ることになるのね。ドレスも何もちっとも準備できてないのに、どうしましょう!」
あら大変、と目を輝かせた母が、すぐにもハラハラと侍女を呼び寄せて、仕度の確認を始める。
ちっとも自分が役にたたないことを理解しているリリがでしゃばるより、母にお任せするのが一番いい気がしないでもないが、でもここで母が張りきったら、父が怪我することになるんじゃなかったっけ? それはいかん。
「お母様、大丈夫。カレッジの舞踏会用に用意していたドレス、結局袖を通さなかったから、それで十分」
「あら、カレッジ向けの雰囲気では子供っぽすぎるわ。もっと社交向けのものを……」
「じゃあ明日の内に、ユリーに少しお直ししてもらうから。あとは手持ちのお飾りとか髪型でちょっと大人めにしてもらえばいいんじゃない?」
幸いにしてアリストフォーゼ領は鉱石宝石が豊富に産出されるおかげか、宝飾品の類はリリも無駄に沢山持っている。
何なら母に、大人っぽいものを借りてもいい。
「未成年の女の子が社交に出る際には、顔を隠すベールも必要よ。これだけはすぐに仕立てないと」
「リサイクル……小さくなったドレスとか、型落ちしたドレスとか、沢山あるから。その辺の布で準備すればいいと思う。あ、そうだ、ユリー。お姉様が昔使ってたやつとかないのかな?」
「リザ様のお古で宜しいのですか?」
控えていたユリーが話を振られて、少し首を傾ける。
「そう。ないかしら?」
「それは、まぁ。ございますが。教会のご家門であることを誇りに思っていらっしゃいましたから、当時の流行のものだけでなく、流行に関係のない、とても教会ご家門らしいシンプルなベールを幾つも仕立てていらっしゃいました。確かに、そのあたりでしたら、少しいじって再利用しても、古めいて見えなくて良いかもしれませんが」
よし、解決だ。
「でもリリ……」
「全然問題なさそうです、お母様」
そう答えてみたところ、母は眉尻をたらしながら、「わかったわ」と頷いた。
その顔がどうにもどことなく寂しそうに見えてしまい、むぐぐと口をもごつかせた。
どうしよう。別に、世話を焼かれたくないとか、関わらないでほしいとかは思っていないのだけれど、誤解を与えただろうか?
「え、えっと。新しく仕立てる必要は何もないので。代わりにお母様。明日は社交作法などを、少しレクチャーしていただけたら助かります」
「まぁ。ええ、勿論。私が先生でいいのかしら?」
へぇ。初めて知った。母はそんな顔で、笑うのか。
何だかそんな今更なことを思いながら、デザートのオレンジをしゃくりとフォークで突いた。
その飛沫が飛んでしまったのか。嫌な顔をして暴れたキリエに気が付いて、おっと、と膝から降ろしてあげた。
猫に柑橘系はダメなんだったか。ていうかキリエ、塩分も糖分も過剰に摂取しても健康に影響しないくせに、なんで変なところだけ猫のまんまなんだろう。不思議だ。
「キリエさんも。後で、もっと色々情報教えて下さいよ」
「ニャーの情報は有料にゃ」
あれ。何でそうなったんだろう? なんて思いつつ。
折よくダリアが、猫用に砂糖をほとんど抜いた小さ目の生クリームのせプディングを持ってきてくれたので、それを手に持って、じぃっとキリエを見下ろしてみる。
「キリエがお腹いっぱいデザートを満喫できるかどうかは私にかかってるんですけど」
「今日の所は大まけしてやるから、さっさと寄越すにゃ!」
あれ。何か私。キリエの扱い、上手くなってない? なんて自画自賛したその夜。
満腹キリエさんのお腹を圧迫した腹いせに、寝ても寝ても顔の上にお腹をのせてくるキリエさんの地味な仕返しによって睡眠時間を削られる羽目になったことは、余談である。




