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友との別れ

 パリ、アンジュー通りの邸宅。


 パリにいながらスウェーデン議会を制圧したベルナドットは、勝利の報せを聞き、窓辺で静かにワインを傾けた。


「ジャン=バティスト、あんなに寒いところへ、本当に行くの?」

 デジレが溜息をついた。


「ああ。ローマではなく、北だ。あそこなら、やりたいことができる」


 ベルナドットは妻の肩を抱き寄せた。かつて首を撃ち抜かれ、戦場を這い回っていた男は、ついに皇帝の手を離れた。自らの運命という名の数式を、自分自身で解き明かし始めたのだ。



 ――テュイルリー宮殿の執務室。


 そこには、息が詰まるほどの静寂が流れていた。


 ナポレオンは窓の外を眺めたまま、背を向けて立っている。その手元には、スウェーデン議会の決定を記した一通の報告書が、乱暴に握りしめられていた。


「……信じられん。北の連中も、どうかしているのではないか」

 ナポレオンは独り言のように呟き、ようやく振り向いた。


 その視線の先には、軍服を完璧に着こなし、静かに、しかし確固たる存在感を放つベルナドットがいた。


「陛下。……スウェーデンの民は、私に彼らの未来を託したようです。陛下のお許しをいただいたおかげで、滞りなく手続きを終えることができました」


 ベルナドットの声はいつになく丁寧で、落ち着いていた。一人の外交官のように慇懃いんぎんな礼を尽じている。


「手続きだと? 冗談だと思っていた。貴公のような、貴族の血のまったく入っていない男を、バルト海の古き王室が……。他にもっと、候補がいくらでもいたはずだ。なぜ、貴公である必要がある」

 ナポレオンは吐き捨てるように言い、机を指先で激しく叩いた。計算外の事態に直面したときの、彼の癖であった。


「陛下。彼らが求めたのは、単なる王太子ではなく、実務をこなせる者でした。陛下に命じられたハノーヴァーの統治が評価されたようです」


「そうか……貴公の統治の才能を見抜いた、我のせいでもあると言うのか」

 ナポレオンは急に声を和らげ、探るような目を向けた。


「……デジレはどうする。彼女はパリを愛しているだろう? 先日会ったときも、ここを離れることをひどく怖がっていた。あのような凍てつく国へ彼女を連れて行くのは、あまりに酷ではないか」


 ベルナドットは一瞬、伏せ目がちに微笑んだ。ナポレオンが最後に繰り出したカードが、かつての婚約者への未練に近い執着であることを、彼は見抜いていた。


「陛下、お心遣い痛み入ります。デジレもまた、陛下やこの都との別れを惜しんでおります。……ですが、彼女は私の妻です。私がどこへ行こうとも、彼女の心は私と共にあります」


 ナポレオンは沈黙した。目の前の男は、もはや自分の命令で動く元帥ではない。マントヴァで自分を救い、完全に自立した一個の「王」なのだと、認めざるを得なかった。


「……最後に一つ。スウェーデン王太子となっても、フランスに対して銃を向けぬと、ここで誓え。その誓約書に署名するなら、心置きなく送り出してやろう」


 ベルナドットはゆっくりと首を振った。


「陛下、それはお受けできかねます。私はスウェーデンの権利を預かる身となります。もし、わが国の民の幸福が損なわれる事態となれば、私はその盾とならねばなりません」


「……行け」

 ナポレオンは背を向け、深く椅子に沈み込んだ。


「お前の運命がどこへ向かうか、私にはもう分からん。だが、後悔するなよ、ベルナドット」


 ベルナドットは無言で、これ以上ないほど深く、そして最後となる臣下としての礼を捧げた。扉を閉めるその瞬間まで、彼の所作は非の打ち所がないほど完璧であった。


 宮殿を出たベルナドットは、秋の冷たい風を胸いっぱいに吸い込んだ。パリの喧騒が、今はひどく遠くに聞こえていた。 

 ナポレオンとベルナドットの関係は複雑な上、セントヘレナでの妄想が広まりすぎて最初から仲悪かったイメージが強いのですが、ナポレオンがベルナドットに与えた褒美などからみるとこの時までは良好な関係を築いていたとしか思えません。

 八つ当たりみたいな二度の追放はともかく、普通に能力を評価してますし、ベルナドットの方も、ナポレオンを手のかかる弟みたいに思っていたように感じます。クーデータの時も軍をナポレオンに向かわせないように手をうっていましたし、ナポレオンに反抗的な所ってほとんどないです。

 フリートランドでベルナドットが倒れた時には、ナポレオンは最高の医師団をすぐに向かわせていて、わりと狼狽しています。良い関係だったと思うのですが、運命はここで二人を別れさせます。

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