北の王太子
――ストックホルム、一八一〇年の冬。
「わが息子よ。よく来てくれた」
車椅子の老王カール十三世は、ベルナドットの逞しい腕を取ると、涙を浮かべて微笑んだ。孤独であった王は、その瞳の奥に宿る誠実さを見抜き、一目でこの異国の軍人を真の「世継ぎ」として受け入れた。
傍らでその光景を理知的に見守るのは、側近のブラヘ伯爵。まだ二十歳そこそこの若さながら頑固で知られるが、一度信頼すれば命を懸ける男だ。彼はベルナドットの「実務能力」を即座に測り、この新しい主君こそが破綻寸前の王国を救う救世主であると直感していた。
しかし、デジレは北の暗い空をどうしても好きになれず、わずか数ヶ月間をスウェーデンで過ごしただけで、パリへと帰ることになる。
「ジャン=バティスト、私はパリへ戻るわ。でも、あの方のそばで『特等席のスパイ』になってあげる」
出発の馬車の前で、彼女は悪戯っぽく囁いた。
「それは頼もしい。だが、あまり深入りするな。私の未来には、君が必要なのだから」
二人は冷たい風の中で口づけを交わし、別れた。
デジレの勝手を許した王太子に、スウェーデンの貴族たちは呆れ顔を隠さなかったが、山積する国難の前では些細なこととして忘れ去られていった。
空の国庫、フィンランドの割譲問題、そしてナポレオンからの英国への宣戦布告の強要。
ブラヘは直立不動の姿勢を崩さぬまま、生真面目で静かな声で報告した。
「殿下、八方塞がりです。どう動いても破滅しかありません」
「ブラヘ、まずは物流と税の数字を持ってこい。愛国心は尊いが、腹を空かせた民はそれだけでは救えないのだ。この国を救うのは情熱ではない。緻密な『数字』だ」
ベルナドットは肩をすくめ、どこか楽しげに、しかし確信に満ちた笑みを浮かべた。彼はひとり、北の果てで新しい秩序を組み上げ始めていた。
そんな折、パリから手紙が届いた。そこにはデジレの、懐かしい筆跡が躍っていた。
『――ジャン=バティスト、あの方は相変わらずよ。私が戻ると「スウェーデンの冬はそんなに冷たかったか?」なんて聞いてくるの。彼の中では、私は単に「北の空を嫌い、パリの社交界を愛する妻」になっているわ。』
ベルナドットは手紙を閉じ、ふっと表情を緩めた。
その視線の先では、十一歳の息子オスカルが、老王カール十三世の膝元で熱心に地図を広げている。
「おじい様、ここがストックホルムの港ですね。僕、いつかここから海へ出てみたい!」
「おお、オスカル。お前は本当に賢い子だ。わがスウェーデンの未来は明るいな」
カール十三世は、実の子を失った寂しさを埋めるようにオスカルを慈しんでいた。ベルナドットに対しても、公の場を離れれば「わが息子よ」と呼び、国政の知恵を授けてくれる。
ベルナドットもまた、策略に満ちたナポレオンの宮廷にはなかった「本当の家族」の温かさを、この老王に感じ始めていた。
ブラヘは主君へ差し出した山のような書類の傍らで、オスカルの利発さと、ベルナドットが不器用ながらも実直に老王へ尽くす姿を見て、この異国の親子に国を託す決意をますます固めていた。
ナポレオンから英国に宣戦布告しろと脅されたベルナドットは宣戦布告だけして、戦闘は厳禁しています。死者0での戦争。英国から没収した品のかわりに正当な対価品を渡して、没収した品を売りさばいています。書類上は取り締まっていますが、普通の貿易です。
大陸封鎖に意味がないのはわかっているので、ナポレオンもわかっていて見逃していた気もします。




