「計算外」の選択
一八一〇年、パリ。ベルナドット邸の書斎。
「スウェーデン人が、私に会いたいだと?」
ベルナドットは荷造り用の木箱に腰を下ろし、怪訝そうに執事を見返した。ローマ総督としての出発は目前。ナポレオンからの信任を背負い、イタリアへ向かう準備の真っ最中であった。
デジレはかつて、婚約者デュフォを目の前で射殺されたローマに、良い思い出がなかった。
「ジャン=バティスト、私はもう、これ以上どこかへ行くなんて考えられないわ。パリがいいの。……あのような悲劇が待っているかもしれない場所へ、あなたを行かせたくない」
「分かっている、デジレ。私も君をこれ以上不安にさせたくはない。だが、陛下がローマへ行けとおっしゃる以上、私の一存では……」
そこへ、一人の青年が案内されてきた。カール・オットー・メルネル。
若さと情熱、そしてわずかな無鉄砲さを瞳に宿したスウェーデンの男爵は、ベルナドットの前に立つなり、一国の王に対するような深い最敬礼を捧げた。
「元帥閣下……。私はスウェーデン王国、そして我が国の未来を憂う若き士官たちの総意を携えて参りました。元帥には、スウェーデンの王太子になっていただきたい」
ベルナドットは眉をひそめ、姿勢を正した。
「私はフランスの元帥だ。今はローマへ赴く準備の最中だぞ。冗談にしては、北の国らしく寒すぎないか」
「冗談ではありません!」
メルネルは身を乗り出した。
「我が国は世継ぎを失いました。ロシアに敗れた今、我々に必要なのは、強力な指導者なのです。フランス皇帝の姻戚であり、公正な統治者。かつて捕虜となった我が国の兵士たちに対する紳士的な扱い、とりわけ、リューベックで閣下に命を救われ、その高潔さに心酔した我が叔父グスタフ・メルネル、そして、ハノーヴァーで見せた貴公の『善政』こそが、我が国の救いになると、我々は確信しているのです!」
青年は一歩踏み出し、まっすぐに元帥を見つめた。
「我が国の王太子になっていただきたい。貴公こそが、スウェーデンの『父』なのです」
沈黙が流れた。
窓の外では、ナポレオンの帝国の喧騒が響いている。だが、この部屋の中だけは、まったく別の、冷たくも清冽な運命の風が吹き抜けていた。
デジレはあまりに突飛な話に涙も忘れて、呆然とメルネルを見つめていた。
ローマ総督、そしてスウェーデン王太子。夫の人生の数式は、彼女が愛する「パリの平穏」という解を、いとも簡単に弾き飛ばそうとしていた。
ベルナドットは首の傷痕をゆっくりとなぞった。
「……メルネル男爵。貴公らは皇帝が許可さえすれば、王太子に異国人の私を推薦するというのか」
「その通りです。我々は元帥閣下を求めているのです」
ベルナドットは立ち上がり、窓の外を見つめた。
ローマか、ストックホルムか。
ナポレオンの臣下として生きるか、一国の王として立つか。
人生最大の、そして最も「計算外」の選択が、目の前に差し出されていた。
デジレはナポレオンにふられたあまりに絶望して、自殺しそうになったとか言われていますが、そんな理由で引きこもったわけでなく、目の前で結婚寸前の婚約者を射殺されているのです。そりゃ、引きこもるわ。引きこもったデジレを立ち直らせたのがベルナドットです。この辺りの経過にはナポレオンは欠片も関係ないです。
スウェーデン王位ですが、本気で偶然と暴走の賜物です。こんな事あるのって感じです。




